「タイらしさ」の脅迫と抵抗運動
- 2020年 10月 29日
- 評論・紹介・意見
- 野上俊明
タイの首都バンコクで学生らの力強く意気盛んな反政府行動が続いています。かれらは2014年の軍事クーデタで権力を掌握し、2019年3月の総選挙で「民政府」首相の座に就いたプラユット首相の即時退陣と王室の改革を掲げて一歩も引かない構えを見せています。とくにタイ王室への批判は、タイ内外の世論を驚かせるものです。なぜならそれは不敬罪として最長禁錮15年が課されうる重罪になるもので、これまでは固くタブーとされてきたからです。国民的人気の高かった前国王の死去にともない2016年に王位に就いたワチラロンコン国王は、国際的にも超富豪の超プレイボーイとして有名であり、今回バンコクに戻るまで、アルプスの高級ホテルのフロアすべてを貸し切り、少なくとも20名の女性をはべらせ、100名の侍従たちにかしずかれて滞在していたといわれています。タイのお隣のミャンマーでも皇太子時代から現国王の悪名は高く、2008年でしたか、才媛の誉れ高い姉のラタナ王女がミャンマーを訪れたときには、王女こそがプミポン国王の跡継ぎになるべきだという声を、ヤンゴンの巷間でも耳にするほどでした。2019年の総選挙でラタナ王女が、軍の反対派の首相候補として出馬を表明した際、ワチラロンコン国王がドイツからそれを差し止めたというトピックスはまだ記憶に新しいところです。
しかし今日話題にしたいのはそのことではなく、古今東西変わらない、愛国心とかナショナリズムとかのうさん臭さについてです。学生たちから退陣要求が出されているプラユット首相ですが、彼が権力を掌握し首相の座に就いた際、若いタイ人の教育について言及し、タイ文化の独自性と他文化への優越性を表す「タイらしさ」Thainessを今後教育の中心に置くよう呼びかけたといいます。若者にタイ・ナショナリズムを鼓吹し感化させれば、権威に対する畏敬の念が深まって、反軍反政府運動に走ることはなくなるであろうという下心が透けて見える発言でした。
Foto: Sakchai Lalit/dpa バンコクの中心街で座り込みをする学生たちー既視感のある光景。
グローバリゼーションの席捲にともない、それに反発して世界各国でアイデンティティ政治への傾斜が強まってきたといわれています。しかしアイデンティティへの志向性の強まりは、相反する二つの側面―反動的側面と積極的側面―を持つことに注意すべきです。前者についてタイの場合で考えれば、権力側が押し出してくるアイデンティティの枠組みは、軍による統治・王制・上座部仏教というトリア―デをなすもので、そのキーワードは権威主義と国民の恭順・従属意識です。その立場から権力側は、学生たちの運動はタイの土壌に根付いたものではなく、外国勢力―ジョージ・ソロスからアムネスティ・インターナショナルにいたる―からのそそのかしや援助によって支えられているにすぎないと非難するのです。なるほどかれらが香港の市民学生運動からインスピレーションを受けたことは確かでしょう。しかし学生たちは、権力者の言う「タイらしさ」が彼らの既得権益を守るためのまやかしの言葉にすぎず、国民や市民の(コロナ禍によって倍加された)窮状を慮ってのものでないことをよく見抜いています。今回の反政府行動の斬新さは、軍部と王制の堅い結びつきがタイという国の発展の桎梏となっていることを初めて公にしたところにあります。そこにくさびを打ち込むことがどんなに危険なことか。反政府運動が支配体制の機微・根幹に触れるとき、戦前の日本と同様、権力側は血の雨を降らせることに躊躇はないことは、タイ学生運動の歴史がその事例をあますところなく示しています。その意味で権力の暴発を抑制させるため、国際的な支持の輪も重要なのです。※
※タイの学生運動で注目すべきは、flash-mob”戦術(SNSを通じての変幻自在の集会やデモ)と名付けたその新しい運動形態である。「我々のモバイル運動は、いまやリーダーのいない運動である」と、まるでネグリ&ハートのマルチチュードを体現したような言い方をする。しかしあえて一言いえば、タイの学生運動は、将来支配エリートになるべく高等教育の果実を享受している層が担い手となっている。flash-mob戦術が有効なのは、まだその範囲に限られているであろう。タイ社会に構造変化を起こすには、開発・成長の果実に十分ありつけず、依然貧困から抜けきっていない農村との連帯が不可欠であろう。
さて、アイデンティティ政治や観念へのこだわりは、グローバリズムのアンチテーゼとして正当な一面をもっています。現下のグローバリズムが、多国籍企業や国際金融資本による市場を通じた否応なしの同質化という側面を強くもっており、そのために特にグローバル世界の弱い環をなす国では、民族的文化的な地盤を侵され、人々が自らの尊厳を冒されたと感じ反発するのには道理があります。ただそのまま自然成長性にまかせれば、偏狭な排外主義やレイシズムに誘導され、果ては宗教的狂信にいきつく怖れさえあることは事実です―私は実例としてミャンマーにおけるロヒンギャ危機をあげることもできますが、ここでは立ち入りません。
しかしたとえば石牟礼道子が「私は日本人です」というとき、そのことばにはパレスチナやアフリカの虐げられた人々にも通じるやさしさと思いやりを感じることができます。日本人と同等の資格においてボリビア人やナイジェリア人がおり、その限りでどの国人もhumanityという普遍性に通じています。humanityが抽象的な普遍性にとどまらず、自然や歴史の特殊性のなかで培われた文化的全体性に包まれたイメージがあります。「水俣―不知火海の自然とくらしに育てられた日本人としての私」は、石牟礼にとってそうしたものです。ちなみに故郷、家族や隣近所、職場仲間などの親しい関係、つまり人間にとっての基礎集団が、人間のアイデンティティを培い、教育的人間形成的な機能を果たすことを強調したのは、アメリカの都市計画家にして文明史家であったL・マンフォードでした。
「たとえ世界のすべての部分が、即時通信と高速輸送によって結ばれたとしても、観念としての、社会形態としての隣近所関係そのものが消えるに任せてしまえば、世界がひとつの隣近所関係になりはしないであろう」(「人間―過去・現在・未来」岩波新書 久野収訳 原題「人間の変容」1956年)
まさに今日のグローバルなデジタル化社会の逢着する精神的な問題性―電子回路でつながることが、心の回路がつながることを意味しない―を見事に予言し、存在の確かさと人間らしさの基準となる第一次共同体の復活が将来社会の設計において不可欠だとしたのです。
話を「タイらしさ」に戻します。タイの学生たちが、統治支配者からの「タイらしさ」の脅迫に対し、まったくたじろぐところがないのは頼もしい限りです。日本は類似の経験を戦前戦中極限的なかたちで経験しました。加藤周一が「夕陽妄語3」(ちくま文庫 2016年)-「それでもお前は日本人か」で紹介したエピソードから、同じ言葉でありながら石牟礼の「日本人」とは天と地ほどの違いがあることが分かります。
――詩人宗左近の出征送別会の席での出来事。のちの仏文学者で、当時海軍軍令部に勤務していた白井健三郎に東大法学部生であった橋川文三と同級生の一人が喰ってかかり、「きみ、それでも日本人か」と言い出した。それに対し、白井氏は落ち着いて「いや、まず人間だよ」と答えた。
「まず人間とは、何だい。僕たち、まず日本人じゃあないか」
「違うねえ、どこの国民でも、まず人間だよ」
「なんて非国民!まず日本人だぞ・・・」
「馬鹿なこと言うなよ。何よりもさきに、人間なんだよ」
橋川とその友人の二人が殺気立ち、
「そんな非国民、たたききってやる」と叫ぶ。
民族的属性をhumanityに優先させ、しかもそのことを暴力をもって脅迫強制するのがファシズムの思想だということがよくわかる場面です。以前曽野綾子が、「地球市民などありえない。人間は国家に帰属して人間となる」と語りましたが、これに暴力や抑圧や強制が加わるとファシズムの思想になるのです。そうしたイデオロギー的前提があればこそ、国家への帰属を否定されたユダヤ人たちには、人間となる資格が欠けているのであるから、何をしてもかまわないというおぞましい帰結が導き出されたのです。ミャンマーでも国籍を剥奪され公民権を失ったロヒンギャには同情する余地はないというのが、ビルマ族仏教徒(おそらく程度の差こそあれスーチー女史も)の恐るべき常識なのです。そこには一民族一国家という観念がベースにあり、したがってロヒンギャへの迫害は「民族浄化」という意味合いを有するのです。
(それにしても温厚で丸山学派のやや異色の政治学者という印象のあった橋川文三に、こうした過去があったことは驚きです。もし彼が加藤の紹介したような思想経歴を隠して、戦後腰が据わっていないにしても戦後民主主義派の末席にあったとすれば、不誠実の印象はぬぐえません)
コロナ禍のハンディキャップを押して立ち上がったタイの学生たちの勇気は、香港の市民学生たちのそれとともに賞賛に値します。この30年間世界を分断し社会を断片化し人々を原子化してきたグローバリゼーションとネオリベラリズムに対する闘いの先鋒にいる彼らに学んで、われわれ高齢者も高齢者の後衛ながらできうる限りのことをなして、彼らに軽蔑されないようについていきたいと思うところです。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion10243:201029〕
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