「チリの朗報―40年ぶりに軍政憲法が破棄されるのは確実」
- 2020年 10月 31日
- 評論・紹介・意見
- 合澤 清
先ごろのニュースによれば、チリでは国民投票の結果、賛成多数で新憲法制定が確実になったようである。
1973年の軍事クーデターにショックを受けたわれわれ世代は、―それはアジェンデ一派に対する、また市民に対する、まことに生々しく凄惨な血の弾圧(虐殺)であった―このニュースに接して「ともかくもよかった」と一応の安堵感を持つ。もちろん、アメリカ、特にトランプのやり方を見ていると、これでチリの状態がかつてのアジェンデ時代に戻るであろうなどといった安易な考え方は禁物である。しかし少なくも、次のような状態からの脱出の糸口は見いだせるのかもしれない。
「数年ほど前からは、マボーチョ川では飢えた人々が市場から投げ込まれる食物の屑を犬やハゲワシと奪い合っている。シカゴ学派にならって軍事評議会が実行した『チリの奇跡』の裏側である。チリはアジェンデ政府までは控えめな国であっただけではなく、保守的なブルジョアジーですら民族の徳として簡素さを誇っていたような国である。軍事評議会は自分達こそチリをすぐにでも繁栄させることができるのだということを示そうとして、アジェンデが国有化したものをすべて民間に返還し、国を民間資本や多国籍企業に売り渡した。その結果は何であったかといえば、目のくらむような、だが、必要のない贅沢品とブームの幻想を振りまいただけのお飾り公共事業の爆発に他ならなかった。」(『戒厳令下チリ潜入記―ある映画監督の冒険―』G.ガルシア=マルケス著 後藤政子訳 岩波新書1986)
これはチリ反政府派の映画監督ミゲル・リティンが1985年に変装して戒厳令下の祖国に潜入して、『チリに関する全記録』の撮影に成功した命がけの体験を、ノーベル賞作家のG.ガルシア=マルケスが聞き取って記録したドキュメントの中の一節である。
ここで「シカゴ学派」というのは、言うまでもなくフリードマンを中心とするマネタリズム(新自由主義)グループを指す。
この際チリの歴史をざっとお浚いしておくと、1960年代に中道左派のフレイ政権の下で、大規模な土地改革と米国系の銅会社の国有化が図られた。しかしその政策をさらに徹底したのは、1970年11月に大統領に当選した人民連合政権のサルバドル・アジェンデであった。彼の政権の中身は「社会党と共産党の他四つの中道政党から構成された政党連合『人民連合』を基盤に」したものであった。彼はこの支持基盤の上で大統領選挙に出馬し、最高得票を獲得したが、「過半数に達しなかったため、国会で中道政党のキリスト教民主党の支持を受けて大統領指名を勝ち取ったのである」。「アジェンデ政権は議会制の下で社会主義社会を実現することを目指した世界で初めての政府であり、その動向は『チリの実験』として国際的な注目を浴びたが、成立後三年足らずの1973年9月11日、軍部のクーデターによって倒された」。
アジェンデの社会主義政権の下で、基幹産業の国有化、銀行の国有化、農地改革、そして米国系銅会社の接収と国有化などが大胆に実行された。
「北部はチリの政党の形成にとって歴史的な地域である。そこでは今世紀の初頭にチリで最初の労働者党を結成したルイス・エミリオ・レカバレンからサルバドル・アジェンデにいたるまでの政治的・イデオロギー的流れをよく評価することができる。そこには、世界でも最も豊かな銅鉱山がある。これらの鉱山は前世紀に産業革命と同じ時期にイギリス人の手によって開発されたものだが、これがわが国における労働者階級形成の起源となり、その中からチリの社会運動が生まれたのである。これはラテンアメリカで最も重要な運動であった。他方、アジェンデが権力を握ったときに実行した政策の中で、最も重要な、しかし最も危険な政策は銅鉱山の国有化であった。ピノチェトが最初に実行した政策の一つは、それを昔の所有者に返すことであった」。(引用は前掲書『戒厳令下チリ潜入記―ある映画監督の冒険―』より)
もちろん、1973年のピノチェト率いるところの軍事クーデターの背後にはアメリカがいる。ピノチェトの軍事クーデターと同時にアメリカ軍が介入していることがそれを証拠立てている。理由はなんとでもつけられるが、「アメリカの裏庭」と呼ばれる中南米で、社会主義政権ができることは決して許されないという徹底した「反共・反革命」の立場と、世界的な銅鉱山から得られる利益を手放したくはないという米企業の利益第一主義がその真意である。
「アメリカファースト」はただトランプだけのスローガンではない。自国第一主義は、この国の建国以来の伝統だとも考えられる。
アジェンデ以下、多数の社会主義者、市民を虐殺した「軍事政権はクーデターと同時に完璧なまでに経済の自由化政策をすすめた。アジェンデ政権が接収した企業や土地ばかりでなく、昔からあった国有企業もほんの数社を除いて、すべて元の所有者に返却したり、民間に移管した。それだけでなく、経済に対する国家の介入はすべて悪いものとして、社会保険まで民営化するという徹底ぶりであった。
経済基盤の弱い発展途上国が自由化政策をとれば、その結果は目に見えている。貿易自由化によりどっと流入した外国製品との競争に敗れて、たくさんの国内企業が次々と倒産するなど、クーデター後、チリ経済は『衰退』という言葉が当てはまるほどに悪化した。全体としては、生産活動が低迷したところに、外国から多量の短期資金が流入したため、金余りのために投機がはびこったと言ってよい。それでも77年頃から80年まで比較的高い成長率が記録され、『第二の「ブラジルの奇跡」か』と期待された。しかしそれもほんの一時の夢に終わり、再びマイナス成長に陥った。こうした経済の衰退が国民に与えた影響は大きく、それは単に下層大衆ばかりでなく、中間層にも及んでいる。例えば失業率は20%を超えており、しかも職に就いている人々もその4分の1が最低賃金しか得ていないと言われるから、国民の2分の1から3分の1が飢餓線上にあることになる。」(引用は前掲書)
軍事クーデター後に軍事評議会議長につき、1974年大統領に就任、1980年に基本的人権の大幅な制限と大統領権限の強化拡大を基本とする軍政憲法を敷いたピノチェトは、新自由主義政策を採用し、アメリカの傀儡として軍事独裁体制を築いたが、その一方で、国民生活への圧迫は、冒頭の引用文にもあるように限りなき奴隷化と貧困化をもたらすものでしかなかった。そしてその結果、当然のことではあるが、1988年の国民投票での不信任により、1990年には退任せざるを得なくなった。先の『潜入記』の中でも、ピノチェトの軍事独裁体制下で、すでに一部の軍人(将校)が彼の体制を批判していたことがスリリングに描き出されている。ピノチェト退陣の背景にこういう批判勢力の存在があったことも記憶されねばならないだろう。
このところベラルーシ、タイ、香港、米国国内、そしてチリなどでかなり大きなデモが頻発している。新型コロナがもたらした疫病被害の世界的な蔓延だけでなく、世界中で政治や経済などの基盤が揺れているのを感じる。
つい先ごろの新聞報道によれば、ボリビアでは反米左翼のアルセ氏が大統領選に勝利したとのこと(55%の得票)である。「アメリカの裏庭」を含む世界各地で、アメリカの力の衰退が明白になってきた。「核兵器禁止条約」批准国が50か国に及んだ(「唯一の被爆国」をうたう日本は不参加ではあるが)こともそうだし、中国はもとより、EUさえも従来のようなアメリカ追随から離反しはじめている。アメリカの、あるいはトランプのというべきかもしれないが、焦りが中東政策でのイスラエルと中東諸国とのまことに強引な仲介に表れているようだが、中東問題はあくまでパレスチナ問題を中心にあるということがわからないのだろうか。
考えてみると、アメリカが自国の利益のためだけで仕掛けた戦争(外国への介入を含む)は、かつてのファシスト国に比肩するか、それ以上かもしれないように思う。ベトナム戦争、アフガニスタン、イラク戦争、等々。
『グローバル時代のアメリカ 冷戦時代から21世紀』古矢 旬著(岩波新書2020)によれば、中南米に限っただけでも、次の事実がある。少し長めの引用ながら非常に興味深いのであえてご紹介したいと思う。
「地峡地帯の中米諸国には、かねて多国籍企業ユナイテッド・フルーツ社をはじめとするアメリカの大資本が進出し、一部の大土地所有者、各国の軍およびCIAとの連携に依拠しつつ、貧困な農民大衆を支配下に置くという社会経済構造が形成されていた。これに対し、70年代以降、キューバ、ソ連の援助下で、各地の左翼ゲリラの武装闘争が活発化していた。ニカラグアでは、マルクス主義勢力サンディニスタ民族解放戦線によるソモサ独裁政権が打倒された。当初、サンディニスタ政権は、複数政党制、混合経済、非同盟外交を柱として掲げ、比較的穏健な路線をとっていたが、やがて急進化して中間層の離反、ソモサ政権を担ってきた富裕層や旧政府の国家警備隊将兵らが、反革命組織コントラを結成して、抵抗を開始した。」
「レーガンは、ニカラグアへの経済援助を停止して、それをコントラ(反共)支援に振り向け、CIAによる準軍事的介入を強化した。この介入は、隣国ホンジュラス、グアテマラ、エルサルバドルにも及び、各地の右派勢力に対する経済的、軍事的援助が強化された。そのような国家体制から派生した右派ゲリラ組織は、幹部の腐敗、麻薬取引、不法な暴力などの組織的体質を免れてはいない。」
「中南米外交は、逆にレーガン・ドクトリンの図式に適合的であるように考えられた。83年10月25日、レバノンにおける大規模な自爆テロの二日後、レーガンは人口数万のカリブ海の小国グレナダに7000名余の兵を送り侵攻を図った。その一週間前、この島で親キューバのマルクス主義政権がクーデタで成立していた。侵攻の名目は、秩序回復と滞在アメリカ人の保護であった。作戦は11月2日に完了。アメリカ側犠牲者は18名、負傷者100名余。グレナダとキューバ側は、犠牲者94名(民間人含む)、負傷者400余名。」
「…80年代末には、アメリカのコカイン中毒患者は予備軍も含めて2900万人と推定されていた。その中心的供給源は、コロンビア、ボリビアなどの中南米諸国であり、マフィア組織が支配する麻薬カルテルが巨大な地下経済を形成している。パナマ共和国のマヌエル・ノリエガ将軍は70年代以降、麻薬の国際取引の一端を担うことで巨大な財を築くと共に、アメリカの支援を得て独裁を保持してきた典型的な冷戦期の中米右派指導者であった。しかし、今やノリエガはアメリカにとって大きな障害と化しつつあった。特にブッシュは、自分がCIA長官であった時代にリクルートした反共『人材』であったため、その独裁者によるパナマ政治の腐敗や人権抑圧は無視できず、また20世紀末のパナマ運河返還を控えて、パナマの政情の安定化が中米政策にとっての懸案事項であった。
89年12月、『正義の作戦』と銘打ったパナマへの軍事的侵攻は、翌1月3日のノリエガの投降によって終わった。…このパナマ侵攻方式(一方的軍事行動)は、ポスト冷戦期の『唯一の超大国』アメリカの対外介入のモデルとなった。」
再びチリの問題に戻るが、73年当時、確か雑誌『世界』のグラビアで、ピノチェト軍のテロルの惨状を見た記憶がある。その後、ドイツでこれに関連するドキュメンタリフィルムを観た。この映画の製作者がミゲル・リティン御本人だったかどうかは定かではない。民衆の生活と、その生活の中での抵抗運動に重点を置いた映像であったように思う。
「News Week」によれば、チリでの地下鉄運賃値上げへの抗議からはじまった市民のデモや暴動は格差や物価上昇への怒りをも誘発して、各都市に拡大していると言われる。
チリの家計調査データ(CASEN)によれば、チリの総人口1700万人のうち、貧困は1440万人、しかも総人口のうちの2.8%が極貧状態にあるという。
11月3日投票日のアメリカの大統領選挙(トランプ対バイデン)の行方を眺めながら考えてみた。大方の意見が、トランプの破天荒な言動への批判という点で一致しているようだが、果たしてそれだけでこの問題が本当に読み解けるのだろうか。
確かにトランプのやり方はあまりにも乱暴で、既定のオーソドキシーどころか法律ですら意に介さないし、遠回しの言い方ではあるが「白人至上主義者」へ賛同までしている。ナオミ・クラインが『Noでは足りない トランプ・ショックに対処する方法』で書いているように、己と己の企業のための国家の私物化以外にないように思える。
しかし、それではバイデンでよいのだろうか。彼は、例えばトランプとの公開討論の席で、
「シェールガス開発」問題に触れて、それには反対しないという。水圧破砕法によるシェールガス開発が地下水脈に及ぼす汚染、気候変動問題には全くタッチしないのだろうか。
ここではこれ以上この問題に深入りするつもりはないが、両者ともに、アメリカの大企業、金融業界のどことどのように結びつき、どのような要求を代弁しているのか、この点の究明は避けて通れないだろう。
かつて、クリントンもオバマも「大きな理想」を掲げて登場した。しかし、結局は資本主義という利益追求至上主義の体制の中に飲み込まれたのではなかったか。
アジェンデ時代のチリの悲劇の根本問題もこの辺にあるのではないだろうか。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion10249:201031〕
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