テント日誌12月10日版
- 2020年 12月 12日
- 交流の広場
- 経産省前テントひろば
経産省前テントひろば1807日後
テントひろばは10年目に入ったが、原子力産業の現状は 12月4日(金)
サンケン電気の行動が今日は組まれず、久しぶりに定時に事務所まで行き、荷つくりからの参加だった。イロハネットの女性陣も勢ぞろいし、今後のことを話し合った。当面、あまり無理をせずコロナ禍の中、持ち運ぶ 機材も最小限にし、人数も少なくて済むようにしてみようとの結論に至った。
此のところ続いた寒さも一段落し、今日は穏やかな日差しで座り込むには恵まれた陽気だった。いつものように経産省前まで来てセッテングを始め座り込み開始。見上げると経産省の敷地内にある欅の木にはまだ葉っぱがいっぱいついている。これからまだまだ枯れ葉が落ちてくるのだろう。テントに泊まっていた頃の「落ち葉掃き」を思い出した。掃いても、掃いても上から落ちてくる落ち葉。毎年のこととはいえ、この時期のルーチンワークだった。寒さの中ではあったが、掃き終えると身体が温かくなったものだった。今はそんなことさえしない。
座り込み開始した頃、やけに人通りが少ないのを感じた。師走になったのに人の行き交いがないのは何故だろうと思ったが、お昼を過ぎると昼休みで食事に向かう官僚達の姿が目立ってきた。コロナの影響がこんなところまできているのかなと思う。10年目に入ったテントひろばではあるが、原子力産業はいまだに原発再稼働を目指している。何の反省もしていない。未だに自分の家に戻れない人々もいるのに!また、処理水と言っているが実は汚染水を水で薄めて海洋放出を目論んでいるとはとんでもない話である。絶対に許せない。 (S・S)
大飯原発設置許可取消判決を受け We shall overcom 12月4日(金)
座込んでスマフォを覗いたら大阪地裁判決の朗報。Inさんが元気に20枚のちらしまき。文科省前では朝鮮学校差別反対のスタンディング。17時からの経産省抗議行動は「大飯原発設置許可取消」で盛り上がった。
○経産省は原発推進止めろ、核のゴミ増やすな、嘘(安全、安い、電気足りない、クリーン、準国産、安定)をつくな、…のコール
○規制委の地震評価が甘すぎて信用できない。川内再稼働の折にも石橋克彦さん(神戸大学)が違法審査と指摘した
○来年の3.11で満十年になる。現政権の原発政策を批判する議論を進めよう
○老朽原発の再稼働・運転延長を止めよう、12月9日に美浜町へ
○小池東京都知事に送る5つの「こ」批判(こざかしい、こざとい、こにくたらしい、…)
○日本原電が敦賀2号機のデータ改竄はひどい。東海第二も廃炉に
○辺野古基地建設に反対、大浦湾埋め立開始後1年、12月14日(月)18時半首相官邸前へ
○桜を見る会批判で開始した安倍・菅物申す会も12月14日(月)17時首相官邸前へ
歌 We shall overcomを灌漑深く、座込めここへを元気に合唱
○日本学術会議任命拒否問題の院内集会が盛況、戦前の過ちを繰り返してはいけない
○菅首相の答弁には「国民」に真実を伝える姿勢が全く無い
○経産省はいつまで脱原発を訴えさせるのか? 早く考えを改めよ
○今村元復興大臣にしつこく質問したNiさんから事故避難者の救済を訴え
○原子力防災の院内集会で、避難計画が全く実効性が全く無い、IAEA深層第5層の安全確認をどこもやらない、が明らかに
○再稼働反対、運転延長反対、命を守れ、地球を守れ、未来を守れ、…のコール
10分程超過して終了、参加は約60名。 (K.M)
大飯原発設置許可とり消し判決の朗報 12月5日(土)
午後から雨は止む予報だったのに小雨が続いた。風は無風に近かったけれど指先が痛くなった。普段は元気いっぱいの落ち葉たちも本のしおりのようにじっとしていた。
〇大飯原発設置許可取り消し判決にスタンディングオベイション
「審査の過程には看過しがたい誤りや欠落があり、違法だ」
(O・O)
大飯原発判決が嬉しい話題だった 12月6日(日)
快晴、参加11人、写真は下記のツイートをご覧ください。
お願い。冬になったので、美智子さん用に膝掛けを用意しました。可愛い猫柄でふわふわのやつです。美智子さんご本人も気に入って、毎日使うと言ってくれたので、荷物にはなりますが、毎日持って出てくださいませ。(もちろん美智子さんがいない時間は、どなたが使ってもいいです。)
連絡です。テント携帯の電池がダメになったようで、充電ができないという話です。
(はしゆき)
———- Forwarded message ——— From: 橋本ゆき(ケロップ) <hasiyuki.8649@gmail.com> Date: Mon, Dec 7, 2020 at 16:35 Subject: ケロップ(@keroppu8649)さんがツイートしました: 経産省前テントひろば(365日座り込み) To: <hasiyuki.8649@gmail.com>
ケロップ(@keroppu8649)さんがツイートしました: 経産省前テントひろば(365日座り込み) 12月6日(日)座り込みの記録です。 快晴、紅葉が綺麗です。まだそう寒くもなく座り込み日和でした。おやつをつまみながら歓談、昨日の大飯原発の勝訴が嬉しい話題です。参加者11人、雀およそ40羽。
https://t.co/AYgtU5sxia https://twitter.com/keroppu8649/status/1335849921803558912?s=20
中古自転車を手にいれた。これでゴミの片付けが楽に 12月7日(月)
天気が良いので早めに経産省前に着いて座り込みの準備をした。 担当のKさんが家庭菜園用の支柱を買って持ってきてくれたのでバナーを沢山くくりつけて道行く人々にアピールすることができた。
準備を終えたあと相棒のSさんが先日の大阪地裁の勝利判決を取り上げて再稼働に邁進する経産省を批判し、道行く人々が共に声を挙げてくれるよう訴えた。反原発CDを描けていたら通りかかった人がバナーも含めて・いいね❗と言って我々を励ましてくれた。
きょうOnさんが持ってきてくれたCDは・友川かずき・という人の歌で魂が揺さぶられる曲ばかりで2回も描けてしまった。何時もは4時に来て相棒のSさんと話し込んでいく元大学教授が3時過ぎに来られた。他に用事があるので早めに来られたとのこと。4時まで話し込んでいかれた。きょう経産省前に来た時は太陽の熱が強くてジャンパーを脱ぐほどであったが3時頃になると日差しがあるのに冷えを感じてジャンパーを羽織ったのであるが4時頃からは寒さが増してきて時々立って体を温めなければならないほどであった。次回からは冬用のジャンパーを着なければダメだと身に染みて感じさせられた。
今日カンパを頂いた方にテントニュースをお渡ししようとしたら・いつもタンポポ舎から貰っています・とのことでした。最後に。きょう板橋区役所で中古自転車の放出があり山本さんが仕入れてくれました。これでゴミの片付けができるようになりました。こまめにやりましょう。(保)
今日は太平洋戦争の開始日なのだが 12月8日(火)
陽があたっている間は、比較的に暖かったが雲が出てくると途端に肌寒くなった。今日は、先月の静岡市駿府城公園で行われた「浜岡原発の再稼働を許さない!11・15ひまわり集会㏌静岡」の時に、テント美術館に展示された大きなバナー、文字は原発なんかいらない‼、絵は中央に女の子、周りにはひまわりの花、それとさすが静岡富士山と、お茶畑のカラフルなバナーを寄贈されましたので、出がけにハトメをして初めて、経産省前に取り付けた。とても素晴らしく通行人や経産省から出てくる人達の注目を集めた。
レジェンド斉藤さんも女の子が、怒っていて、ひまわりが笑っているのがまた面白いですねと笑いながら見とれていました。14時頃に日曜日担当のFさんが、裁判所に私用で来たのでとミカンの差し入れを持って寄っていただき、長老のSさんや9条改憲阻止の会のHさんも座り込みに参加されました。また今日は、太平洋戦争が勃発した日というのに、マスメディアは何の反省の記事もなくスルー、ここまで腐ったマスメディアの中でも、東京新聞の社説に掲載された、開戦の日に考える、「鶴彬獄死の末にある戦」は読み応えがありました。
治安維持法のあった時代に、軍隊や戦争を批判し社会の矛盾を鋭く突く川柳を作り続けて度重なる逮捕、拷問により29歳の若さで亡くなったとのことです。結びには学問や言論、表現に対する弾圧は、戦争への道につながる、というのが歴史の教訓とあり、今年は戦後75年というのに、むしろ戦前ではないかと思わせる動きとありました。戦争への流れを絶対に止めるために共に頑張りましょう(鶴彬さんは、経産省前テントひろばの文化人、乱鬼龍さんが師と仰ぐ人です。 (Y・R)
報道されない太平洋戦争の開戦について 12月8日(火)
いつの間にか師走になっているが、どうも、その感じがしない。巷では街路樹の紅葉がみられるが、街の風景はどことなく変わっている。そんな思いがしきりに頭によぎる。僕の住んでいる街では毎年、12月15日・16日、翌年の1月15日・16日と開かれる「ボロ市」がある。室町時代の末から今日まで400年以上にわたって続けられてきた名物市である。僕は正月用品を少し買うだけだが、このボロ市がくると、正月だと実感する。だから、毎年、心ひそかに楽しみにしてきたのだが、今年は中止という。忘年会もほとんど開かれないし、師走という言葉が心を浮き立たせるものが今年はない。テレビで毎日、コロナ感染者が発表されるのを見ながら、気持ちの沈みがちな日々を送っている。これはある種の混迷と言うべき事態に僕らが置かれているのである、先の見通せない不安を募らされているのだといえようか。どこか、ワクチン開発に期待がないではないが、それに希望を託すということにも、何か釈然としないものがある。自分を見つめて、自分を励ましてこういう時期だから毅然と生きるのがいいのだろうと思う。顧みれば僕らは心もとない時代を、毅然と生きようとすることで乗り切ってきた。
現在もまた、そういう時期だと思う。
そういえば、今日は12月8日の太平洋戦争の開戦日である。いつころからだろうか、この開戦日についてあまり報道されなくなってきた。それに気がついたのは大分前のことと思うが、今年は東京新聞が川柳作家の鶴彬のことを取り上げて報道していたのが目についた。「鶴彬獄死の末に戦」という社説である。なかなかいい社説であった。これについては読んだ人も多いと思うが、僕が今気になっているのは戦争観の混迷ということである。
大西洋戦争が終わってから75年という歳月が過ぎているのだが、「こんな戦争は嫌だという」戦争についての人々の戦争についての感想は国民的経験として深く残っているが、国家や政治のレベルでの戦争観は曖昧になってきている、という現状がある。国家というか、政治レベルでは「ファシズムの戦争、全体主義の戦争はだめである」というのが戦後の戦争観の支配的な枠組みであった。これはこれで第一次世界大戦に次ぐ第二次世界大戦の反省が含まれてはいるが、これは特定の戦争に対する批判であった、帝國主義の戦争とか、侵略戦争の批判であったたといえるし、戦争の戦勝国の戦争観であり、戦後世界の支配的な戦争観だったといえる。戦後の平和主義や反戦概念はこの戦争観につながっていた。だが、戦後の戦勝国は戦争の主体になることでこの戦争観の限界というか、矛盾を露呈させてきた。つまり、この特定の戦争の批判は国家の属性としての戦争を否定するものではなく、国家意志としての戦争を否定するものではなかった、ということだった。多分、戦後の40年ころから戦後の支配的な戦争観が矛盾を露呈しはじめ、その隙間から歴史修正主義が出てきて、この戦争観を色あせたものにした。これはまた、この戦争観に付随していた反戦・平和主義も色あせさせた。国家間対立と戦争の現実性があらわになり、平和とか反戦とかがなかか難しい局面になってきているのである。
僕は先の取ことで「あんな戦争は嫌だ」という人々の経験、戦争についての意識は現在も強い基盤としてあることは述べた。これは間違いなく存在し、「戦争のできる国」へという国家の方向に対する歯止めの力となっている。反戦や非戦の意識は戦争に向かう体制を構築しようとする動きに対する抵抗力となっている。この人々の戦争についての意識(戦争観)の変化は歴史的であり、世界的には第一次世界大戦で生まれたものである。ヘミングウェイの「武器よさらば」という言葉が象徴するように、特定の戦争についてではなく、戦争そのものを否定する意識だった。日本では第二次世界大戦後に現れたのだが、これは戦争を共同体の防衛として、疑われずに、いわば自然なこととして存在した戦争観の否定だった。ヘーゲルやマルクスは戦争そのものを否定してはいない。この戦争観が初めて疑われ、否定されるようになった歴史的なものである。この戦争観、あえていえば非戦という意識は戦後の反戦・平和運動を支えたものである。ただ、今、これは国家的、政治的レベルでは漂っているような状態にある。それが現状である。明瞭な理念や思想が不在のためである。
12月8日の太平洋戦争開始日の報道が控えめと言うか、ほとんどなされない状態は、国家、政治レベルでの戦争観が混泳しているからであり、そのレベルで戦争についての考えを保持することが難しくなってきているからである。国家間の対立と戦争が当然のように語られる風潮の中で、戦争についての明瞭な考えを展開することが難しのいである。これは「国民のあんな戦争は嫌だ」という経験を政治的な国家的な戦争観として主張し、展開することが難しいこと意味する。メディアや報道は証言という形でそれを取り上げているにしても。
戦後の「フアシズムも戦争。全体主義の戦争」批判を戦争そのものの批判に発展することであり、あらゆる戦争の批判(非戦)へと発展させることだ。中国や北朝鮮の動きの中で、非戦ということはどのような現実性があるのかも含めて、今、非戦を語りえるか。かつての平和主義も反戦主義も、また左翼も「フアシズムの戦争、全体主義の戦争」批判することはできたが、それをこえてあらゆる戦争を批判することでは頓挫した。日本の国民、あるいは民衆の戦争についての意識を徹底した非戦の意識(戦争観)に高められなかったのである。あらゆる戦争の否定という戦争観は、「今は自衛のための戦争」「その発展としての戦争」と対決していくことが問われている。この戦争観は国家の戦争を支える統治権力(非民主的、専制的権力)との対決を不可避とする。反体制・反権力には非戦と自由(民主制)が両輪のように必要なのだが、その立ち位置を持つことは現在では難しい。それが12月8日の新聞報道は現わしてもいる。(三上治)
「大飯原発判決は影響ない」、ふざけるなと言いたい 12月9日(水)
寒い朝だとニュースでは言っていたけれど、それほどでもなくセッティングのときはセーターでも汗をかくほどだった。12時半から、財務省前で全教が「めざせ20人学級」の予算をとれ、正規の教員も増やせとアピールしていた。
今日は日本航空不当解雇撤回裁判原告団を中心にした国土交通省前抗議集会があった。続いて新橋駅前で街宣を行うということで経産省前を通られた。そのうちの一人の女性がカンパをしてくださった。申し訳ない気持ちだがうれしくいただいた。皆さんは「頑張って」と声をかけてくださった。2010年会社の経営破たんからの解雇で、もう10年にもなる。
今日は規制庁前抗議行動の日で、そこに参加した人たち4人が座り込みのところに来られた。Yさんは大飯原発再稼働認めない判決が出た後なので「原発やめろ」と大声でガンガン訴えてきたと言われた。ところが新聞報道では更田が「再稼働取り消し判決の影響はない」などと言ったそうだ。倉田さんは経産省前で演説。2時台、3時台、4時台と経産省糾弾の演説。レジェンド齋藤も演説。あと反原発CDを1クール流す。2時30分過ぎには寒くなってくる。ともかく風邪を引かないようにしないと。(T・I)
勉強すべきことが多い、議論をしながら痛感した 12月10日(木)
朝から曇り、11半ごろ霞が関に着き、早すぎたかな?と経産省前に行くともうYさんがセッティング中でびっくり。
慌てて手伝う。色んなバナーを付けて明るい感じになった。
1時過ぎに長老Sさんが暖かい格好で登場
昨日の規制委員会が原燃のMOX燃料工場審査合格を出した怒り、co2削減のため再生可能エネルギーをどう進めるべきか、容量市場のことがよく判らないとか、水素発電ってどうなのかなどの会話が弾んだ。まだまだ勉強しなくてはならないことばかりです。
時折太陽が顔を出してほっとしたと思うと隠れてしまって寒い日だった。
午後当番の人が来て私とヨーカンさんはテントを離れたけど、その後斉藤さんやOu姉妹が来てカンパまでして下さったそうです。助かりますね。(I.K)
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12月13日(日)内幸町ホール(六ヶ所再処理裁判・新原告募集) 13:30~15:30
12月14日(月)官邸前(もの申す会)17:00~18:00 官邸前(辺野古)18:30~
12月16日(水) JKS47 月例祈祷会 「死者の裁き」
日時:2020年12月16日(水)15時より
会場:経産省前反原発テントひろば
12月22日(水)院内ヒアリング集会
【予告】院内ヒアリング集会
放射能汚染水「海洋放出」の実害~トリチウムは危険~
日時:12月22日(火) 13時半~17時
場所:参議院議員会館 講堂
主催:経産省前テントひろば
□事前学習会 13時半~14時半
講演 西尾正道さん(北海道がんセンター名誉院長)「トリチウムの健康被害」
□省庁ヒアリング 14時半~16時半
学習会を受け、トリチウムの内部被曝の危険性から「海洋放出」断念を問う
出席依頼予定:経産省(エネ庁)、原子力規制庁
12月27日(日)脱原発青空川柳句会
正午より 経産省前テントひろば 選者:乱鬼龍
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