本間宗究(本間裕)の「ちきゅうブッタ斬り」(289)
- 2021年 1月 5日
- 評論・紹介・意見
- 本間宗究本間裕金融
干支から見る2021年
2021年は「辛丑(かのと うし)」という暦になるが、「辛」が意味することは、「血を見るような大事件の発生」であり、また、「丑」は「紐」に繋がるように、「金融面での収縮が発生する可能性」を意味している。つまり、末尾に「1」の付く年については、「2011年の3・11大震災」、「2001年の9・11事件」、そして、「1991年のソ連崩壊」や「1971年のニクソンショック」などのように、歴史的に見ても、きわめて大きな事件が発生していることが見て取れるのである。
しかも、今回は、「金融界のブラックホール」とでも呼ぶべき状況下で、20年以上も継続した「超低金利状態」が、終焉の時を迎えようとしているものと想定されるが、この点に関して特筆すべきポイントは、やはり、現代の「デジタル通貨」に関して、大事件が発生する可能性である。具体的には、「金利の上昇」とともに、「世界各国の中央銀行が、一斉に、紙幣の増刷にまい進せざるを得なくなる状況」のことだが、現在では、すでに、この動きが始まっているものと想定されるのである。
より具体的には、いまだに存在する「約6京円」もの規模の「デリバティブ(金融派生商品)」に関して、本格的な「バブルの崩壊」が発生する可能性のことだが、この点に関して、いまだに理解されていない事実は、やはり、「紙幣がコンピューターネットワークの中を流れることができない」という点である。つまり、「お金」が「神様」となった現代では、「お金に対する絶対的、かつ、盲目的な信頼感」が存在するために、「デジタル化の進展」と「マネー理論」が混同されてしまっているのである。
別の言葉では、「1971年のニクソンショック」から始まった通貨制度である「信用本位制」が理解されていないために、最初に、「デジタル通貨」が大量に生み出された事実にも気が付いていないのである。そして、「実体経済の成長も、大量に存在するマネーに左右されていた」という状況が理解できず、単に、「デジタル通貨は、無制限に創造可能である」というような「誤った考え」に陥ってしまったのである。
より具体的には、「過剰マネーの存在により、人類が、地球から排除され始めた可能性」が存在するような状況下で、依然として、人類は、より多くのマネーを求めているわけだが、このような認識を大きく変化させるのが「2021年」だと考えている。つまり、「1221年の承久の変」から、ちょうど800年後の今年に、西洋の「唯物論」から、東洋の「唯心論」への移行が、世界的に認識される可能性である。(2020.12.10)
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西洋文明と東洋文明
哲学者の梅原猛氏によると、西洋文明の特徴は「闘争」や「支配」にあり、また、東洋文明の特徴は「和合」や「調和」にあるとのことだが、私自身としては、「奪い合い」と「分け合い」との違いのようにも感じている。つまり、「西暦1200年から2000年」の「西洋の時代」を検証すると、実際には、「目に見えるもの」である「富や社会的な地位、そして、名誉」などを奪い合った時代だったものと考えられるのである。
より具体的には、「西暦1600年前後」に確立された「時は金なり」という思想を分岐点として、その後の「約400年間」は、「技術力」を背景にした「工業化」や「産業革命」などの時代だったことも見て取れるのである。別の言葉では、「軍事力」を背景にした「帝国主義」が「土地や資源などの奪い合い」であり、また、現在の「グローバリズム」については、「世界的な資金の奪い合い」とも考えられるのである。
このように、西洋文明の価値基準は、軍事力や資金力を背景にした「権力」を持つことでもあったようだが、この結果として発生した現象は、「人類全体が、地球から淘汰される可能性」だったようにも感じている。別の言葉では、現在の「お金が神様となった時代」については、「1600年ほど前に発生した西ローマ帝国の崩壊」を彷彿とさせる状況のようにも感じられるのである。
そして、今後は、「西暦400年から1200年」に繰り広げられた「東洋の時代」が、新たな形で再展開するものと考えているが、この点に関して、私が注目するのは、「西暦800年前後」に確立された「真言密教」である。つまり、「空海」が確立した「言葉の宗教」のことでもあるが、残念ながら、その後の「約400年間」については、現在の「マネー」と同様に、「宗教の形骸化」が進行した状況だったようにも感じられるのである。
具体的には、「法然」や「親鸞」などの「念仏仏教」により、一般の人々にまで「仏教の教え」が行き渡ったものの、その後は、「武士の時代」が始まったことにより、人々の興味と関心が、「領土の奪い合い」へ転換した状況のことである。つまり、「空海の十住心論」が指摘するように、当時の人々が求めるものは、「精神的な地位の向上」だったわけだが、実際には、いつの間にか、「目に見えるもの」が求められるようになったのである。そして、この点を、現在にあてはめると、形骸化した「マネー」が急速に価値を失う展開が想定されるが、実際には、「デジタル通貨」という「目に見えないマネー」が、「目に見える紙幣」に変化し、人々が、「お金の謎」に気付く事態のことである。(2020.12.16)
本間宗究のコラムhttp://www.tender-am.com/column.html より許可を得て転載。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion10445:210105〕
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