「社会批評研究会」同人のK様へ―非人権的徴税としての人頭税余波―
- 2021年 1月 13日
- 評論・紹介・意見
- 野上 俊明
日本におけるミャンマー人社会の過去の様子をお伝えいただきありがとうございます。いろいろとお話ししたいことはありますが、本日はご指摘の「人頭税」について、アウンサン・スーチーのことと絡めながら少しお話させてください。
問題の人頭税とは、在日ミャンマー人全員にその収入にかかわりなく一人毎月一万円の税金を課するという軍政時代の徴税制度のことです。おそらくお金の徴収のほか、在日ミャンマー人の動向を探り統制管理するという意味合いも持っていたのでしょう。これは2011年の軍政からテインセイン政権への「民政移管」にともない、2012年からは廃止されました。しかしミャンマー大使館は、それまでの滞納分を清算しなければ、パスポートは発行しない旨通達しました。ほとんどが難民状態で来日したミャンマー人は、パスポートを持たないか、あっても期限がとうの昔に切れていて、再発行してもらう必要がありました。パスポートがなければ、帰国できず親の死に目にも会えないということになります。
そうした状況の続くなか、政権に就いたスーチー女史が2016年11月に2013年に続き再来日し、在日ミャンマー人たちとの対話集会に臨みました。スーチー女史の講演のあと、会場との質疑応答が行われました。そこではいろいろ切実な要望が出されましたが、そのひとつに人頭税の滞納分――人によっては百万円を優に超えます―をチャラにしてほしいというものがありました。日本の難民制度は世界でトップクラスの厳しさであり、難民認定を受けられないためビザをもたない多くのミャンマー人は医療保険にも加入できず、病気を我慢して死に至る例もめずらしくはありませんでした。
しかしこれに対するスーチー女史の回答は、みなの期待を裏切るものでした。「政府に対し税金を払うのは当たり前です。みなさんも頑張って市民の義務を果たしてください」というものでした。
この答えには重大な問題点がはらまれています。その第一は、民衆に寄り添う政治家の姿勢としては、せめて「日本でのミャンマー人の置かれた状況がよくわかりませんので、判断を下す前にまず実情がどうなっているのか調べてみましょう。その結果不合理であれば、どこまで改善できるか検討し、皆さんにお知らせします」とでもいうべきでした。同胞ミャンマー人の苦しい外国生活の実情を調べるでもなく、あまりに上から目線の教師然とした常識的な答えには、内心がっかりしたミャンマー人の多かったのではないでしょうか。
第二に、スーチー女史の民主主義観に関わるのもで、これはより重大です。民主主義を標榜する政治活動家であれば、アメリカ独立宣言と独立戦争へと通じる「代表なくして、課税なし」というスローガンに無知であることは許されません。いま問題にしている税金は、軍政下で課された税金であり、しかも海外にいるので納税に対する反対給付はゼロに等しいのです。いずれにせよ軍部独裁下、実質的に参政権をはく奪されている状態で納税を強いられるのは、理不尽の極みです。スーチー女史は、軍政によって強制徴収された税金が何に使われているのかよく知っているはずです。人権弾圧、少数民族との内戦、国軍と政商の利権培養等にしか使われていないのは天下周知の事実です。したがって原則的に税金の使われ方にいっさいの発言を許されていない国民に、ましてや外国にいる同胞に納税の義務は適応されないというべきでした。
第三に、ミャンマーの軍人やクロ―ニ―(政商)は税金を払っていないのは周知の事実です。私自身知り合いのクロ―ニ―の一人からはっきり「払ったことはない」と、聞きました。彼は建設会社や病院を経営し、外車の輸入販売を行っている華人の金持ちです。彼の家の応接間には映画の画面ほどの巨大なテレビがあり、こんなのどこから購入したのか驚いた記憶があります。ミャンマーにおける目もくらむような貧富の格差は、このような仕組み―特権と免税―から生み出されたものです。こうした不平等な制度に目をつぶって、市民としての納税義務を果たせというのは無理筋というものでしょう。
人頭税に関わることで、最後にもう一つ問題があります。大使館は人頭税の滞納分の清算に当たり、また条件をつけました。日本人と結婚している場合、万一離婚となった場合、帰りの飛行機代もないと困るので、そのデポジットとして十万円大使館が預かっておくとして、強制的に徴収したのです。私的な領域に公権力が容喙するという軍政時代の癖そのままに、いまなお奇妙な仕組みを通用させているのです。これを聞いたとき、私はヤンゴン生活12年間でさんざん味わった苦い経験がよみがえってきました。
私はNLD政権がどのくらい民主化の力を持つのか、それはミャンマーに行かなくとも、駐日ミャンマー大使館員の態度でかなりの程度推測がつくと考えておりました。さて、どうだったでしょう。NLD政権になってもミャンマー大使はいぜん軍人のまま―つまり政権を支える官僚機構は軍政時と変わらない―、政権発足当初は気味の悪いくらい下手に出ていた窓口の館員もそのうちもとの横柄な態度に逆戻り。それを見て私は軍はNLD政権発足当初は日和見で様子を見ていたが、スーチー政府に現状を変えようとする本気度が薄いとみるや、地金が出てきたのだと見ました。ミャンマー内外のジャーナリズムの一致する評価ですが、軍政半世紀が作り上げた巨大な官僚機構との闘いの戦略をスーチー政権は持っていない、そのことが明らかになったのが第一期スーチー政権だったのです。
ことほど左様にスーチー女史が人権と民主主義のアイドルとされていた時代に、我々はすでに彼女に民主主義ならざる発想や態度をいくらでも見て取ることができたのです。私は早い時期からスーチー女史を支えているのは、民主主義的な道徳観というよりもノブレス・オブリージ(高い身分には、それ相当の義務をともなう)という貴族主義的身分意識的な感情―自分は建国の父アウンサン将軍の娘である―であるとみていました。だからロヒンギャ危機など重大な政治問題に際して無内容な「法の支配」―形式的な法治主義―を振り回すだけで無力だったのです。公権力の国民的民主的なコントロールという発想は、残念ながら身についていなかったのでしょう。もちろん権力闘争を担う現実政治家である以上、人権活動家とはちがった状況判断と政策決定が必要であり、そのため必要な妥協、譲歩は避けて通れません。しかしその場合でも民主主義的な原則との緊張・均衡をとるべく最大限の努力をするはずです。反軍部独裁時代にあれほど説明責任accountabilityを民主主義の要諦として相手側に求めていたはずなのに、自らが統治者の立場に立つや、まったくその要請を無視するというように様変わりしました。
この二月、スーチー政権は二期目に入ります。すでにスーチー政権の欠けているところが分かった以上、我々も一期目とは同じようなアプローチでは、状況の改善に役立つことはできないでしょう。スーチー国家顧問の「変節」を余儀なくさせた市民社会の状況を直視し、人権意識や政治における当事者意識を強化する援助の道を探るべきでしょう。スーチー国家顧問が合法的に政治活動を再開した当初は、NLDのイニシアチブによって小学校におけるモデル的な人権教育=主権者教育ですばらしい成果をあげていました。先進国でも民主主義の後退が目立つ昨今、われわれの学校教育や社会教育の再生のためにも参考になると期待しておりましたが、国軍との融和路線がすべてを台無しにしてしまったようです。この挫折点から再度改革の事業を再開する以外民主主義の活性化の道はないと思っております。
ご指摘のミャンマーにおける医療状況は、私が1998年に行った当時は惨憺たるものでした。そののち2000年代に入って吉岡秀人医師の設立した「ジャパン・ハート」などが活躍して少しは改善されているようですが、やはり公的な保健医療体制の構築抜きには未来の展望は出てこないでしょう。
また機会があれば、研究会を通じてKさんともいろいろお話したいと思います。新型コロナ禍が猛威を振るうなか、くれぐれもお気を付けてください。研究会で再会できるのを楽しみにしております。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion10465:210113〕
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