テント日誌2月4日版
- 2021年 2月 8日
- 交流の広場
- 経産省前テントひろば
- 地球温暖化と原発
経産省前テントひろば1807日後
いつもの顔が見えないとつい心配になる 1月29日(金)
昨日の雪とはうって変わって今日は雲一つない青空。やや、風が強く冷たかったが日の当たるうちは良かった。経産省前でセッティングしていると、交差点の近くでこちらを見張っているような3人がいた。私服刑事の様だ。構わず作業を進めていたらそのうちの一人がやってきて、「高瀬さんたちが今日何かやると聞いたので、来てみたがコロナで無くなったようだ。」よくわからないことを言う。よく顔を見る丸の内署の私服刑事だが、すぐにどこかに行ってしまった。
埼玉のHoさんがなぜか顔が見えない。昨日のサンケン闘争にも来ていなかった。どうかしてしまったかと心配になって電話してみるが、携帯にも出ない。何人か友人にも連絡をしたのだが連絡がつかない。いよいよ困り果てていたら地下鉄の入り口から階段を昇ってくる姿が見えた。質の悪い感染症が流行しているからふっと恐ろしい想像をしてしまったが取り越し苦労だった。兎も角無事で何よりだった。
暫くすると裁判所方面から見知った顔が現れた。日韓連帯のOさんたちだ。今日はユナイテッド航空の不当解雇撤回裁判の控訴審。本人尋問だったので、傍聴で並んだが抽選に外れたのでやって来た。と言って座り込んでくれた。カンパも頂いた。
午後遅くなってきて風がさらに強くなってきた。椅子に座っていないと旗竿が飛んで行ってしまう。それに日が陰って来ると寒さが増してくる。体感気温が相当下がってきた様だ。3時くらいのころは座り込みの人数が減り、今日の経産省前抗議行動は人数がそろうのだろうか心配になって来た。4時近くになって文科省前に移動してサイレントスタンデイングに参加した。文科省抗議は15名の参加だった。 (S・S)
霞が関に響く脱原発の声 1月29日(金)
3時に到着。陽ざしが霞が関ビルに遮られ、冷たい風も吹き、厳しい座込み。
5時からMoさんの歌で経産省抗議行動を開始。頻発する東電不祥事(柏崎刈羽ID不正使用、安全対策不合格、イチエフ原子炉蓋の超高線量、廃炉はどうなる?)、経産省がエネ計改定論議で今なお原発礼賛・不都合な真実無視(東京新聞1月17日特報部)、いつまでも原発続ける計算できない経産省、弱者救済が最優先なのに新型コロナで愚策続ける菅政権、中曽根らによる核兵器の為の平和利用という名の原子力発電、石破茂の潜在的核の為の原発、多数が関わっているから止められない(?)原発、……などのアピールの合間に、「真実は沈まない」歌と「原発は絶対にクリーンではない」コールなど、約35人で霞ヶ関に抗議の声を響かせた。 (K.M)
国民のために働く、そうあれば拍手喝采だが 1月30日(土)
見事な快晴で陽射しも強いのに寒い。いつもの場所は完全に日陰になっていて、つい足が止まってしまった。仕方なく経産省正門前辺りに開設した。風がとても強かったのでバナーは最初から諦めた。日光が当たるところはそれなりに暖かいが全身を温めるまでにはいかなかった。雨よりはましだけれど、まだ春は遠い。
〇無限ループ
炎上、陳謝、炎上、陳謝、炎上、陳謝、炎上、陳謝、炎上、陳謝、炎上、陳謝・・・
警察要らない? ゴメンで済ませたら要らない人達ばかりだね。
○この言い訳で思い出したのが二つ
1.毎日のごとく遅刻する高校生の教師への言い訳
「汽車が先に行ってしまった」(実話です。私の知っている人)
2.山上たつひこ氏のギャグ漫画
帰宅すると妻の様子が何やら不自然。ビールを飲もうと冷蔵庫を開けると中に全裸の若い男が。彼曰く「奥さんに道を聞いただけですよぉ」
〇安倍政権の継承が私の使命
守っているのはそれだけ。とりわけ嘘と説明逃れが際立つ。それ以外は強い決意だけ。
〇 テレハーフ
また始まった。ネタ作りより政策だろ。
〇国民のために働く
働いているのは国民さ。
「SAやPAの飲食も20時閉店」一律時短でトラック運転手が食堂難民になっている (msn.com)
〇「鬼滅の刃?」 対 「自滅の刃」
<小川淳也議員の質問に対する菅首相の答弁抜粋>
石原大臣が、あ~石原元大臣がどいう形で入院したか私は承知していません。
(中略:ぼそぼそ喋るので聞き取れない)ひとつのご意見として受け止めさせていただきます。
「斬!斬!斬!」
【国会中継】衆院予算委 第3次補正予算案で基本的質疑(2021年1月25日) – YouTube
小川淳也議員の質問は4:50:50~5:10:11 です。
(O・O)
青空川柳句会が開かれた 1月31日(日)
快晴だったが、冷たい風の中
反原発青空川柳句会が開かれた。
6名参加、うち一人はメールでの参加でした。
選者の出した席題は「急ぐ」と「言葉」でした。
「急ぐ」の秀句
患者増え 急ぎ宣言 菅あわて (柚っ子)
再稼働 急ぐ関電 許すまじ (乾草)
急ぐのに 自宅待機 コロナ陽性 (原子力ガリレオ)
急がばや 平和憲法 危機ならば (落葉)
再稼働 急ぐ関電 資格なし (ふ64)
特選
急ぎます 空気を運ぶ 新幹線 (田内)
言葉の秀句
規制委は 言葉たくみに 言いのがれ (原子力ガリレオ)
バーはしご 言いわけ通らぬ 某議員 (乾草)
安倍と菅 言葉の軽さ 引き継いだ (柚っ子)
何とでも 言えるが 危うし言葉とは (落葉)
安全の 言葉の意味が こわれます (田内)
特選
ガースーに 贈る言葉は 即辞任 (ふ64)
次の脱原発青空川柳句会は2月28日(日)です。
経産省前の人通りは少ない 2月1日(月)
今日は埼玉市民の会によるサンケン電気本社前でのスタンディングによる抗議行動プラス韓国サンケン労働組合を支援する会による池袋にある海外事業部への抗議行動の日なので朝早くに家を出て本社前に駆けつけた。緊急な呼び掛けにも拘わらず30人弱が結集した。韓国サンケン労働組合との固い信頼関係の下、力強い抗議行動を貫徹することができた。
予報では朝寒くても昼間には気温が高くなるということだったので防寒靴はやめて運動靴で出掛けたが、経産省前は風があったので温度計は10度を指していたがかなり寒く感じた。経産省前の人通りは相変わらず少なく閑散としていた。座り込みをする人も常連ばかりだったので景気付けに相棒のSさんが持ってきた韓国の労働歌、Onさんが持ってきたフォークソング集と反原発ソングを交互に掛けて道行く人にアピールした。(保)
何とも気分の良い一日だった 2月2日(火)
今日はまた、ガースーみたいな馬鹿陽気コートはおろかジャケットも脱いでの座り込み、空は曇1つ無く太陽が燦燦と降りそそぐ、何処か散歩にでも行きたい気分だ。この気分を一蹴するのが菅政権のコロナ危機に対する無策ぶりだ!失政を棚に上げて、罰則を新設しようなど言語道断だ‼
怒りを通り越して声を出す言葉も無いが、今ここで声を出さないと国家権力の下僕と化したマスゴミが更に悪化するだろうから、時節柄大声は控えて行動で訴えることしかない、まさしくこのテントのように。
私が昼食に行っている間に、聡明感漂う若い二人連れの男女がご苦労様ですと丁寧な言葉をかけられてカンパをしてくれましたので、直ぐに0さんがチラシのセットをお渡しすると、これまた丁寧に受け取ってくれたとの事でした。
陽が陰った15時頃にジャケットは着ましたが、何とも気分の良い一日であった。 (Y・R)
ミャンマーの軍事クーデターに抗議する人が多く 2月3日(水)
陽ざしは暖かい。風は強い。最初は当番2人で静かに座り込み。まもなくObさん登場。規制庁抗議から、ヨーカンさん、倉田さんが回って来られた。お昼のお弁当を食べて、倉田さんは演説。横浜での闘いの報告の中に、新たに起こった問題があった。市会議員2人が「旧市庁舎の売却契約の差し止めを求める住民訴訟」を横浜地裁に起こしたということ。林市長は三井不動産などに売って再開発事業をすることのようだ。
それから倉田さんは今日も「電力の配分」で全く不正義で行なわれていることを言って経産省を糾弾した。今日は毎月の3日行動の日で、その行動に参加した3人がテントに寄ってくれて、カンパもして下さった。「安倍政治を許さない」の3日行動は継続して行なわれている。また今日は、「南相馬避難解除訴訟 20ミリシーベルト訴訟」の判決日だった。しかし、コロナ緊急事態宣言発出で、原告の上京が困難になったので判決は延期になった。それを知らずに裁判傍聴にきた人が座り込んでいってくれた。
2時過ぎから外務省前にビルマ(ミャンマー)の人たちが集まりだし外務省を包囲。新聞では3,000人とあった。アウン・サン・スーチー写真を掲げたり、ビルマ語のプラカードを皆持っていた。日本語のプラカードには「日本企業は軍事政権に手をかすな」というものがあった。若い人たちが多かった。当然とはいえ、真剣な表情だった。日本語のアピールでは「外務省は軍事政権を認めるな」といっていた。安倍や菅や森の政治を見ていて、日本の若い人はどうしたらいいと思うのだろうか。レジェンド斎藤や9条改憲阻止の会の人たちも登場。10人以上になる。 (T・I)
色々の人が訪れる座り込み現場 2月4日(木)
快晴で暖かく過ごしやすかった。
時々突風が吹いたが冷たい風でなく良かった。
統計上一番早い”春一番”だったそうです。
斉藤さんが1時前にやって来てしばらく当番と4人だけの座り込みだった。
通りがかりの女性が近づいて来て何の団体ですかと尋ねたのでYさんが原発反対の人の集まりであることなど説明していた。
カンパ缶を見て何に使うのですかと尋ねられたので諸費用のことを説明すると頑張って下さいとカンパして去って行った。
その後バナーを興味深そうに見ていた男性に原発反対で座っていますと言うと写真撮って良いですかと聞かれたのでどうぞと答えチラシをお渡しした。
彼が「座り込みで効果があると思うか」と聞くので再稼働を遅らせたりしていると思うと答えた。
その後日本の20ミリシーベルト帰還とチェルノブイリとの違いについてなど福島の人はどう思っているのかなどいろいろ尋ねられたので日本版チェルノブイリ法を作る運動があることや20ミリシーベルト撤回の裁判のことなど話した。彼は元NHKにいたとだけ言って去って行ったが、たまたまいた水曜当番のTさんが追いかけて行って聞いたところ事故の後、福島に行って映像を撮っていたそうだ。
そして”新”映像作品いのちをプロデュースした人だと言うことが判明した。
2時頃Nさんが杖をついてやって来る。時々顔を見る女性がカンパして座ってくれ、英語の先生も来てにぎやかになった所で私は帰路についた。
その後毎週来てくれる長老Sさんがいつもより遅れて現れたそうだ。(I.K)
毎度のことながら森発言には驚いたのだが 2月4日(木)
世に常習犯という言葉があるが、森喜朗は政治的な問題発言を繰り返す常習犯の一人に違いない。彼は首相で東京五輪・パラリンピック大会の組織委員会の会長である。彼は3日の日本オリンピック委員会(JOC)臨時評議会で女性を蔑視した発言、「女性が多いと会議、時間がかかる」をしたとして批判されている。この発言は大会の組織委員会を構成する女性の理事たちに対する日頃からの嫌悪感があってそれが会議の発言として出たのだと思う。森には女性蔑視というか、差別意識があって出たのだと思うが、こういう人物を大会の組織委員会の会長にすることがお粗末というか、問題なのだと思う。その意味では彼は会長なんてやめるべきだし、やめさせるべきである。謝罪の記者会見でごまかし、後はホトボリがさめるのを待つという常套的な処置をするのだろう。「森の発言は許されない発言」だと言って謝罪するが、それだけのことである。菅首相にしても、山下日本JOC会長にしても、謝罪の言葉を言うが、それで済まそうとする。これは彼が女性のみならず日本の国民をなめているからだが、彼等も森発言の問題性を分かってはいないのである。これがわが身に及ぶべき問題の発言だと受け止めてはいないのである。
森の今回の発言の背景にはオリンピックやパラリンピックの開催を中止せよという世論に対するいら立ちがあったのだと思う。僕はこの発言を聞いて、去年、オリンピックの見直しについて最初に発言したのが山口香(元柔道選手で現在のJOCの理事)であることを思い出した。彼女への意趣返しというか牽制があったのかと想像した。というのはオリンピックの再度の見直し〈中止も含めて〉、提言が出て来るとすれば山口さん当たりの女性委員からだろうと思っていたからである。僕は期待を含めたそんなことを考えていたからだ。
この森発言をまたやらかした、という批判にとどめないで深く持続的にそれをやらなければいけないと思うが、それにはこの発言の問題性をどう見るかが重要なのだと思う。馬鹿な政治家が常習犯的にやる発言には違いないのだが、これが何を意味するかを僕らは見なければいけない。そうでないとこの発言を深く記憶にとどめ、持続的に批判をやっていくことにはならないと思う。今回の発言が女性蔑視をあらわしたものとして批判がある。これは当然のことだが、もう一つ、ここで見逃せないのは会議についての彼の考えである。女性が参加すれば会議の時間が長引くだけでなく、わきまえて人の発言ではないとスメーズにことは運ばないという趣旨の発言があった。
これはオリンピックの運営や進行を決めて行くものとしての大会実行委員会が機能していないことを意味する。オリンピックの中止も含めた決定が、我々によく見えないだけでなく、森喜朗らの独善的な判断でことが進められていることであり、その姿を垣いま見せているという事である。オリンピックの中止を望む声がこれだけ高まっても大会の運営者(大会実行委員会)はそれをどう受けとめているのか、伝わってこなくて、森喜朗らが独断でことを決めようとしているしか見えない。これは大会実行委員会がきちんと議論をし、そのことを踏まえて事を決めていこうとしていることがみえないのだ。大会実行委員会はオリンピックの開催も含めた決断(判断をする機関)である。そのように機能してはいない。大会実行委員会はオリンピックを開催する公共的な機関であり、社会的・政治的機関であるが、そのようには機能していない。それは女性参加すると議論が活発化し、スメーズにことが運ばないという発言に見られるように、議論を前提として物事がすすめられるという基本的な考えが森にはないことを意味する。
ここで横道にそれるかもしれないが、一つの考えを提示したい。それは近代とは政治を「慣習による支配」から「議論による統治」に変えたということであるという見解である。これは三谷太一郎が『日本の近代とは何であったか』(岩波新書)で提起していることであるが、」日本の政治を考えるにはいい考えであると思えるところがあるのだ。
これは前近代から近代への変化を政治的変化に着目した議論である。彼はマルクスが商品と価値の分析による資本制生産様式(社会)の変化で近代を説明したことに対する政治的変化に注目した説明をみつけだしてきたのだが、これは近代を説明する以上に日本の政治を説明する考えと言ってよい。
ここでいう「慣習による支配」というのは伝統あるいは権威よる支配というと分かりやすいかも知れない。この「議論よる統治」というのは「議会という形態」の政治というと分かりやすいし、民主主義いうと分かりやすいかも知れない。憲法による政治、県政が近代政治であるという言葉があるが、日本近代はヨーロッパ近代制度を移植したとき、政治的には憲法を創り、議会制度を取り入れた。政党政治も模倣した。ということは形態的には近代政治を創り出したという事になる。しかし、この近代政治が形態的にも極めて奇形的であったことは論をまたない。国体(天皇統治)ということが大きな支配力を持っていたことがある。天皇の統治は「慣習よる支配、あるいは権威よる統治」であり、「議論による統治(民主主義)」は補完的なものとしかならなかったのである。「議論による統治」には国民の意志が登場すること、議論よる政治的なもの決定という二つが必要だが、天皇の統治はこの二つと対立するものであった。とりわけ敗戦までの日本政治は「天皇の統治」が強くここでいう「議論よる統治」も不全な状態だった。日本の政党政治の戦前・戦後の歴史を見れば明瞭なことである。
戦後に日本政治は国体(天皇の統治)を後景にした。そうでれば、政治は「「議論による統治」ということが進んだのであろうか。国民の政治意志が政慣習による支配、権威による統治から、「議論のよる統治」に変わったのだろうか。この前提には国民の意志(主権)登場が必要であるが、この闘争は敗戦期と1960年代に二度に渡って敗北に遭遇した。その意味では「後論による統治」ということは歪められたものとしてしか存在せず、「権威のよる統治」は大きな力を持って存続してきた。日本の官僚組織はかつての天皇の官僚である「権威のよる統治」をつづけているし、議会は「議論のよる統治」の形式はともかく、それを実現したとは言いがたい。民主主義は制度や形式はともかく、その実態としては成熟したとはいえないのだ。日本の議会の体たらくはそれを示しているが、日本の社会においてもそれは成熟したと言えないのだ。企業や社会団体はそれぞれに統治(政治)を必要とするが、その統治の様式は大きな政治基盤をなすものだ。かつて草の根までの天皇制が浸透しているといわれたが、これは草の根、つまりで社会での政治では、「慣習による支配(権威による支配)」ということが根強く残っていて「議論による統治(民主主義)」は浸透しないできたのではないか。社会的な団体などで議論によってその方向が決められて行く事態になっていないことがある。いろんな団体での会議がどうあるかを見ればことは明瞭である。
今回の森喜朗の発言だが、それは彼が「慣習による支配(権威による支配)」という政治観に骨まで支配されている政治家であるということを明瞭にしたことだ。その彼が政治的力を持っているということがよく言われるが、「権威のよる政治」が日本の政治の中で力を持っていることの証のようなものだ。彼は会議やそこでの議論が嫌いだけではそれが政治の重要な性格規定をなしていることがわからない。政治的決定は議論をどう経るかということが大事であり、民主主義は手続きというがそれは何処まで議論をへたかというという事なのである。僕らの野党に対する不満(期待)はどこまで議論を展開できるかという点にある。
森喜朗は会議など嫌いであり、自分の意見の承認のためにやらざるをえない手続きにしか思ってはいないのだろう。わきまえた面々の会議というのは、様々な意見をするあわせ、物事を決めていくそういうことが統治ということの根幹なすという考えと程遠いというか、対極の考えである。会議はあらかじめ決められていたことを形式的に承認する場でも機関でもない。そうであるのは「権威による支配」という政治(統治)が支配的な社会においてである。
僕らは安倍政権という議論らしい議論存在させない政権に長く付き合わされて、うんざりしてきたが、森の発言にあらためてそれをみたと言える。これは日本の政治を支配している病理その現状みていることになるのである。日本権力機関としては「議論など」は不在というか、とりわけ国民の議論は遮断されている官僚機関がある。国会は議論の場として機能してはいない。現在では議論できる場はどんどんとなくなっている。そして、それに比例するように「権威主義」が浸透している。森発言に対する人々の反応をみれば、「議論よる政治」の基盤あるように思う、議論を組織しよう。その場を絶えず作ろう。「慣習の支配(権威よる統治)」と、あらゆる場で闘うことは切実なことだ。議論を組織することはたやすいことではないが、それが「権威による政治」に対抗して行く道である。(三上治)
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経産省・エネ庁は「今だけ、金だけ、自分だけ」の大嘘つき! その160「原子力はクリーンなエネルギー」では絶対に無い!~地球温暖化対策・カーボンニュートラルを口実に原子力発電を残すな~
2021年2月2日 木村雅英(経産省前テントひろば)
「安全」「安い」「無いと電気足りない」「準国産」「安定」と大嘘をついてきた経産省・資源エネルギー庁が今でもついている大嘘が「原発はクリーン」。地球温暖化対策・カーボンニュートラルを口実に原発を残そうとしている。東京電力は「CO2の少ない電気」なるおかしな表現を使って柏崎刈羽再稼働を正当化しようとしている。
言うまでも無く、原発は核分裂によって新たに放射性物質を造りだし人類が制御できない「核のゴミ」を貯める。そればかりか、被曝労働を強い7℃も高い大量の温排水を海に流す。どこが「クリーン」か(?)!このことを故高木仁三郎さんが20年以上前に指摘している。「原子力神話からの解放~日本を滅ぼす九つの呪縛~」(講談社α文庫)から第8章「原子力はクリーンなエネルギー」という神話>を抜粋して紹介する。
原発正当化のためにつくり上げられたさまざまな論理が崩れていくなかで、最後に浮上してきて残った切り札が「原子力はクリーンなエネルギー」。いわば地球温暖化防止のためのエースというかたちで、国家的な規模でキャンペーンが行なわれました。◆「原発の増設は二酸化炭素の排出を助長する
日本における一次エネルギー総供給量と二酸化炭素の排出量と原発の設備容量の推移を見ると、原発の設備容量が増えることによって二酸化炭素の排出量が減るような顕著な相関は、ほとんど見られません。多くの人は原発を増やすような政策が、全体としてはエネルギー消費、電力消費を増大する傾向を助長し、二酸化炭素の排出を増大する方向にいくと見ています。◆電力化率の上昇がもたらすもの 原子力の比率を増やすと、どうしてもエネルギー消費に占める電力消費を増やさざるをえなくなるということです。◆地球温暖化を促進する「クリーン神話」
原子力は原発自体で出力を調整することができません。エネルギー多消費開発型の社会を促進し、したがって地球温暖化も促進することになるでしょう。◆放射能に目をつむる「クリーン神話」のおかしさ
私たちの未来の安全がどうであるかということになれば、火力発電所が出す廃棄物としての二酸化炭素と比べて、原子力発電所が出す廃棄物であるところの放射性物質はいったいどうなのかという問題が出てきます。1グラムの二酸化炭素を出すのと1ベクレルの放射能を出すのはどちらが問題なのかという議論も、きちっとやらなければならない。通産省や電力会社は二酸化炭素については規制しなくてはいけないと言いながら、放射能については全く何も言いません。◆二酸化炭素と放射能の危険度を比較する
原発の場合には、私たちの計算では1キロワット時の発電をするのに約10万ベクレルの放射能が出てきます。非常にむずかしい評価ではありますが、私は1グラムの炭素よりは、1ベクレルの放射能のほうが危険度は高い、少なくとも同等以上であると考えています。
だいたい数十万ベクレルの放射能が一人の体内に取り込まれれば、一人の人間の死を招きかねない、確実に許容量以上の放射能になります。◆しだいに高まる省エネ志向 多くの人が省エネルギーとして太陽光、風力発電等「再生可能エネルギー」がクリーンなエネルギーとして望ましいと考えているわけです。◆非現実的な原発増設計画の実態 政府のきわめて「意欲的な」原発推進政策が実際問題として破綻をきたしています。◆電力の市場競争が「クリーン神話」にとどめを刺す 日本のエネルギー政策のもとになっている計画自身が机上の空論だとすれば、…まったく現実と離れたところに政府の計画がある。市場競争には当然の原理が働きますから、さらにマシなエネルギー源に傾いて行かざるをえないのです。…この「原子力はクリーン」神話も崩壊していくことがはっきりしたと思います。
高木さんの文を読んでいると、経産省が今も昔も変わらず「今だけ、金だけ、自分だけ」の大嘘つきであることが良く分かる。 まして、東電福島原発事故を経験しそれが全く終わっていないのに、20年前と比べて世界中で再生エネルギーが普及してきているのに、経産省・資源エネルギー庁が未だにこの「クリーン神話」を引き出して原発を残そうとしているのだ。あきれ果てるが、このことを絶対に見過ごさず、訴え続け抗議し続けなければならない。
安倍・菅政治を許さない!首相官邸前抗議行動(第26回)
森・加計・桜・黒川・検事長法・日本学術会議・コロナ対策・GOTOもろもろ隠蔽を糾弾するぞ!
日時 2月8日(月)18時~19時
日本学術会議の任命拒否糾弾、憲法・法律を守れ
安倍政権が退陣しても、もっとひどい菅政権を責め続けるぞ!
2019年12月の国会閉会日に開始した行動。
敵基地攻撃など軍拡糾弾、辺野古基地建設止めろ、日米安保条約・地位協定を改定せよ
脱原発を直ちに実現せよ、放射能汚染水を海に流すな、核のゴミを増やすな
憲法を守れ、国民主権・立憲主義・平和主義・民主主義を破るな
安倍晋三は国会議員もやめるべき
声を上げ続けましょう!
場所 首相官邸前
プラカードや鳴り物などをご持参ください。
呼びかけ 安倍・菅政治に物申す会(乾喜美子、片岡洋子、木村雅英)
連絡先 乾 drykimiko@pslabos.com)
木村 kimura-m@ba2.so-net.ne.jp)
2月12日(金) 経産省前抗議集会(毎週)
17時~18時 経産省前テントひろば
この日は新エネルギー計画を集中的に取り上げます。
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