2月23日「<歌会始>と天皇制」について、報告しました(3)
- 2021年 2月 27日
- 評論・紹介・意見
- 内野光子
6.天皇の短歌と現代の「歌会始」の推移
天皇の短歌と私たち国民との接点は、つぎのようにいくつかあります。
<天皇の短歌と国民との接点>
① 1月1日の新聞など:1年を振り返っての天皇、皇后の短歌の公表
② 1月中旬の歌会始:天皇はじめ皇族、選者、召人、入選者10人の歌とともに披講。NHKテレビの中継/当日の新聞夕刊と翌日の朝刊での発表/宮内庁HPでの登載
③ 歌会始の詠進(応募)の勧め、入門書・鑑賞書などへ収録、出版
④ 天皇の歌集、皇后との合同歌集での出版および鑑賞書の出版など
⑤ 在位〇年、死去、代替わりの節目の新聞・雑誌など記事、特集、展示など
⑥ 歌碑など
なかでも、天皇と国民が一堂に会して、親しく短歌を詠み合うとされる「歌会始」というイベントは、国民と天皇を結ぶ大事なパイプのような役割を果たしている、文化的な伝統的な貴重な皇室行事だからという二つの理由により、大切にしなければならない、と宮内庁サイド、マス・メディア、短歌雑誌、多くの歌人たちが、一丸となって、盛り上げ、宣伝に努めてきたと思います。
また、天皇・皇后の歌集という形では、昭和天皇の場合は、以下のように大手の新聞社から出版されています。
1951年、皇后と一緒に『みやまきりしま』(毎日新聞社)
1974年、『あけぼの集』(読売新聞社)
1990年、天皇単独の『おほうなばら』(読売新聞社)
平成の天皇・皇后の場合は、1986年皇太子夫妻の歌集『ともしび』(婦人画報社)、1997年美智子皇后の単独歌集『瀬音』(大東出版社)、1999年、2009年、2019年、10年ごとの3回の記録集「道」(NHK出版)には、夫妻の短歌も収録されています。
さらに、天皇・皇后はじめ皇族、選者、召人、入選者の短歌が収録された歌会始詠進(応募)のための入門書や鑑賞書は、編者も違え、多くの出版社からたびたび出版されています。
さまざまな形で、天皇・皇后の短歌の露出度は大変高くなりましたが、その発表の場の中心でもある「歌会始」は、どんな形で、開催されていたのか、簡単に振り返りたいと思います。私は、これまで、敗戦後からの「歌会始」の変遷を以下のように細かく六期に分けてきました。
<敗戦後の歌会始の推移>
第1期(1947~52):選者も、戦後当初は御歌所の寄人と呼ばれた千葉胤明、鳥野幸次らが混在、50年にすべてが斎藤茂吉らの民間歌人になる
第2期(1953~58):57年、初めての女性選者四賀光子(太田水穂妻)、茂吉没後、土屋文明。それまで、応募者数千人から1万人前後低迷
第3期(1959~66):1959年4月皇太子結婚、いわゆるミッチーブーム。2万から3万、4万と増え、1964年には4万7000首もの歌が寄せられ、ピークとなり、五島美代子と女性選者二人時代が続く。1960年安保闘争、1961年「風流夢譚」嶋中事件を経て、皇室批判自粛・タブー化
第4期(1967~78):67年佐藤佐太郎、宮柊二選者入り、大衆化進む。67年初の建国記念日、68年明治百年、71年天皇生誕70年、天皇訪欧、76年在位50年行事など続く
第5期(1979~92):戦中派の岡野弘彦(1924~)と上田三四二(1923~1989)の二人の選者入り。89年昭和天皇死去
第6期(1993~):昭和天皇没後1993年からかつての前衛歌人、岡井隆(1928~2020)選者入り
今回は、第6期、平成期以降にあたる部分の歌会始の特徴を述べたいと思います。
<平成期の歌会始の特徴>
・ 選者の若返り、新聞歌壇選者、話題性のある歌人の登用
・ 入選者の世代的配慮、若年化(中高生を必ず入れる)
・ 短歌ジャーナリズムとの連携(詠進要項掲載、皇族の短歌、歌会始関係記事などの増加)
・ 他の国家的褒章制度との連動(文化勲章、文化功労者、芸術院会員、紫綬褒章、芸術選奨、勲章制度など)
・ 陪聴者選定により選者予備軍、歌会始支援者への配慮
・ 天皇・皇后の短歌のテーマの多角化、平和や慰霊の短歌だけでなく自然や文化、福祉、環境 家族・・・
かつて、歌会始や歌会始選者を痛烈に批判し、前衛歌人ともされていた岡井隆が選者入りしたのは1993年です。岡井の選者就任の弁は「もはや歌会始は、短歌コンクールの一つに過ぎず」とか「天皇の象徴性は薄らいだ」とか「自分一人が選者になったからと言ってそう変わるものではない」と弁解しながら、2014年まで務めます。「選者ばかりでなく、御用掛も務め、戦争体験者として、体が続く限り、天皇夫妻にお仕えしたいとも語っていました。選者当初は、歌壇にも批判の声があがっていましたが、次第に沈静化していきます。
2004年には戦後生まれの永田和宏が選者にもなり、今世紀に入ると、歌会始と現代短歌とは、何の違和感もなく融合する時代に入ったと言えます。さらに言えば、平成の天皇夫妻の「平和志向」と相まって、いわゆるリベラル派といわれる人たちまでが、親天皇制に傾いてきたというのが現状だろうかと思います。2015年、岡井と入れ替わりに選者に就任した今野寿美(2008年から選者になった三枝昂之の妻)という女性歌人が、2016年の赤旗の歌壇の選者にもなったのです。同じころ、共産党は、天皇が玉座に座って国会開会の言葉を述べるか開会式に、それまで欠席していたのですが、突如参加するようになり、赤旗の発行日付に元号を併記するようになるなどの一連の動きに、大いなる疑問と退廃を感じたのです。象徴天皇制は日本国憲法の平等原則と相入れないとする党の綱領(2004年)と整合性を考え、非常に重要な意味を持っていると考えています。
以下の年表には、平成期の歌会始の推移と天皇・皇后をめぐる動向を記載しています。応募歌数の推移、選者の構成なども併せてご覧ください。
「平成期の歌会始の動向略年表」
ダウンロード – e5b9b4e8a1a8efbc92.pdf
つぎに、平成の天皇・皇后の「平和・慰霊」のメッセージを込めた短歌と「リベラル派」の論者の天皇制について述べたいと思います。(続く)
初出:「内野光子のブログ」2021.2.26より許可を得て転載
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion10590:210227〕
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