なぜミャンマー国軍はかくも残虐非道なのか―その端緒的考察
- 2021年 3月 18日
- 評論・紹介・意見
- ミャンマー野上俊明
政治犯支援協会(AAPP)が16日午前に発表した声明によると、2月1日の軍事クーデタ以降、国軍や警察の武力行使で亡くなった市民は16日までに193人に達したという(イラワジ紙)。 こうなってわかるのは、軍事クーデタが国民に対し一方的に宣戦布告した戦争であり、一種の内戦状態を生み出していることである。ただ普通の内戦と違うのは、一方が武装集団であるのに対し、他方は自衛のための武力装置を持たないという意味で非武装非暴力の一般市民であるという、その著しい非対称性である。さらに国軍がめざす政治支配には何らの正当性の根拠もなく、したがってそこには国民の同意と服従という必須の条件がはじめから欠けている。暴力を独占する者のむき出しの暴力支配―それはナチズムや日本軍国主義が、被占領地域で行なった軍政と同等のものである。影の議会CRPHは、不当な暴力支配に対しての抵抗運動の正当性を訴えたが、国民側が法理と正義を独占するという非対称性は、暴力の非対称性ときわめて対照的である。
反クーデタ運動は、この一か月半参加者がそれぞれ世代的特性や職業的特性を生かしながら拡大させてきた。それによって数百人規模で警察幹部や署員が弾圧命令を拒否し、市民的不服従CDMの運動に合流してきている。この動きは1988年にも、2007年にも起こらなかった画期的な出来事である。しかし治安部隊を裏で指揮する国軍にはそういう乱れは今のところ生じていない。国軍の特徴である一枚岩的堅牢さと弾圧に見える残忍さの徹底とは、いったいどこに淵源するものなのか、若干の考察を行ってみたい。
3/14ラインタヤ工業団地で抗議行動―橋の上から無差別に発砲。負傷者を運ぶ仲間たち EPA
殺された反クーデタ派ゾーミヤリン氏のヤンゴンでの葬式と家族 ロイター通信
3/11付けニューヨーク・タイムズのある短い記事が目にとまった。ミャンマー中央部にある小さな町、伝統的な化粧木タナカの生産地として有名なミヤインで起こった出来事である。僧院から若者二人が警察に連行され拘束されたので、3/4にその理由を開示せよと警察署の周りにみなが集まったところ、警察はそこ向けて発砲、6人が死亡し、20人が負傷するという大惨事になった。ヤンゴンのような大都会はともかく、いなかの小さな町なので住民と警察官は互いに顔見知りで、日頃は挨拶を交わす関係である。犠牲者の中には、小さな子供をひとりかかえ、妻が妊娠中の男の人がいた。妻はインタビューに対し、けなげにも正義を求めて斃(たお)れた夫のことを誇りに思うと述べたという。記者は、平凡な警察官がどうして突然モンスターと化して、住民を乱射したのかとさらりと問うている。そこに記者はミャンマー社会の深い闇というか病理が、顔をのぞかせているとみているのであろう。
事件のあったミヤイン町の人々 Myanmar now
問いを発することは、物事の探求の出発点である。それは日々新しい事実と向き合うニュース報道においては、大事なことであろう。そこで安易に「識者」の解説や見解に頼らず、問いを持続させる精神の強さも必要となる。ミャンマーでは200人ともいわれるCDM参加の警察官がなお増えつつある一方、田舎の純朴な警察官が乱射マンに変身する驚愕の事実も明らかになる。この国の狂気の在りようを解明することは、民主主義の探求の重要な一部をなすものであろう。
以下、ニューヨーク・タイムズ記者の抑制された問いかけに対し、筆者なりに考えたことを記すが、その多くは暫定的、仮説的な考察にとどまり、なお実証が必要なことを断っておこう。
●少し前、国軍の残忍さ、抑制の効かない市民への暴力行使には、国軍の創立に当たって産婆役を果たした旧日本軍のDNAが刷り込まれたせいではないかと述べておいた。そのDNAとは何かを具体的にいえば、軍人勅諭に体現された軍人モラル、軍人規律である。その最大の眼目は、上級者の命令への絶対服従である。それは、「下級の者が上官の命令を承ること、実は直ちに朕が命令を承ることと心得よ」として、天皇への忠誠をテンプレートとして、兵隊を戦争マシーンへと変えるための精神的装置となり、上意下達の軍事機構の作動の潤滑油となった。たしかに旧ビルマには英国の植民地支配で王朝は廃止されたので、天皇に当たるものはいない。しかしアジアの権威主義的精神風土は、軍隊の絶対服従のモラルを比較的容易に受け入れる素地になったことであろう。相手が子どもであろうが、老婆であろうが、上官が撃てと言ったら、反射的に引き金を引く、いまSNSを通じて我々が目にする光景なのである。国軍の若いエリートたちは、いま西側の軍隊ででもレベルの高い研修を受けているというが、彼らを自由と民主の戦士変えるためにも、まずその精神的な特性に対する社会科学的アプローチが必要ではなかろうか。
●旧日本軍において、農村から徴募された下級兵士・下士官は、兵営における内務班という過酷な非人間的環境のなかで、上官への徹底服従を叩きこまれた。天皇を頂点とするヒエラルキーのなかで、抑圧と鉄拳制裁からくるフラストレーションを自分より下位の者に転嫁することによって、兵隊たちは被抑圧者であると同時に抑圧者になるという二重性格を身に着けた。天皇および軍事機構への忠誠義務と規律は、内務班的な恐怖支配に裏付けられたもので内面的な規範動機に著しく欠けているので、恣意的に脱線して極端に残虐な行為に走る傾向を持つ。これがミャンマー国軍に直ちに当てはまるとは思わないが、考察の材料のひとつになるかもしれない。
●さらに軍人勅諭では「死は鴻毛より軽し」として、自他の命と人権を徹底的に軽視したことであるまた。旧日本軍は自らを皇軍と称し、選民意識・特権的意識とアジア諸民族への侮蔑を植え付けられたため、蛮行に対しての良心の発動をまひさせた。
●旧日本軍を雛型にしてつくられたビルマ国防軍は、おそらく似たような性格を持っている。ミャンマー国軍の少数民族やロヒンギャに対する残忍な扱いは、軍隊経験者であれば、旧日本軍と瓜二つと思うだろう。しかも戦後途切れることなく続いている内戦は、暴力に対する不感症をはぐくむ。国軍は要するに人を殺し慣れているのである。そうでなければ、自国民に向かって平気で実弾発砲することなどなしえないであろう。
●国民の軍隊は近代国家を前提にした軍事機構であり、シビリアン・コントロールによる抑制が効いているが、ミャンマーのような準軍事国家では、国軍は国民への忠誠義務の観念は薄く、一握りの支配者の権益を守るための私兵集団と化する傾向がある。ヒトラーの身辺警護から出発したナチ親衛隊が、極端なエリート意識をもち、占領地域で国防軍に輪をかけて残忍さ示したことが、参考例となるであろう。
3月27日は、ミャンマーの国軍記念日である。アウンサン将軍率いるビルマ国防軍が、1945年3月27日に旧日本軍に反旗を翻した日であり、ビルマ独立のための再出発となった日である。ヤンゴンが首都だったころは、この日朝から晩までラジオやテレビは「軍艦マーチ」その他の旧日本軍の軍歌を放送し続け、大通りは盛装した部隊が延々と分列行進していくのである。初めてこれを目にする日本人は、この光景と音楽に度肝を抜かれる、「ここは戦前か!?」と。
●最後に国軍の一枚岩的堅牢さについて。軍隊規律と特権意識を叩き込むだけでは、忠誠心は担保されえない。独裁者ネウィンは忠誠と奉仕に対する恩恵賦与の巧妙な仕組みをつくり上げた。国軍を利権構造のなかに囲い込み、ありうべき下剋上を防止する、忠誠心の調達システムを完成させたのである。もちろんそれは人事管理システムと表裏一体であり、ほぼ定期的に秘密警察の責任者であるナンバー2は力を付けたころ、失脚させられた。こうした点、ネウィンの「ビルマにおける社会主義の道」は、一方でナショナリズムを鼓吹しつつ、他方で恐怖政治、赤い貴族の特権、粛清といったスターリンの統治体制をよく見習っているといえる。いずれにせよ、国軍内の忠誠心を維持するためには、経済権益の確保は絶対条件といえる。スーチー政権への絶大な国民の支持は、権益喪失の危機感を募らせ、国軍をクーデタという暴挙に走らせたのである。
ちなみに2019年8月5日、国連は、ミャンマーに関する事実調査団による「ミャンマー国軍の経済的利益についての報告書」(”The economic interests of the Myanmar military”)を発表した。それによれば、国軍関係の二大コングロマリットが、民間企業のどれよりも高い収益を上げ、それが少数民族やロヒンギャへの掃討作戦のために資金として使われている疑惑あるとしている。日本の官民も国軍関係にかかわっていることが暴露された(例えば、キリンビールなど)。
ヤンゴンにおける夜間の抗議集会。若い女性の勇気は驚嘆に値する。イラワジ紙
現在、国連筋からも国軍のクーデタにともなう行為は「人道に対する罪」であるとの規定がなされている。たしかにその通りであるが、しかし注意すべきは、それは今に始まったことではないということである。戦後ずっと政府軍と闘ってきた少数民族組織の指導者たちが言うように、現在ようやく可視化された国軍の残虐非道さを少数民族はずっと蒙ってきたのだ。それを支配民族である仏教徒ビルマ族は見て見ぬふりをしてきたではないか。そう言いたいところであろうが、しかしいま少数民族組織はCDM(市民的不服従運動)に連帯の手を差し伸べ、民主主義的な連邦国家創設をめざして共同の戦線に立とうとしている。
いや話は135あると規定された少数民族にかぎらない。100万人近い難民を生み出したロヒンギャ危機は、すでに国軍の正体を満天下に明らかにしていたのだ。今は言うべきではないかもしれないが、スーチー氏が国際司法裁判所まで出向いて行って国軍をかばい立てした罪深さを、人は自覚すべきである。おのれの国際的な名声を台無しにしてまで国軍を擁護したにもかかわらず、この動乱状態である。私はミャンマーを愛するがゆえに、この決起を機にビルマ族が自己中心の世界観・宗教観から脱し、万民平等の地平に立ってほしいとせつに念願するものである。その意味では、影の議会CRPHの責務は重大であろう。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion10657:210318〕
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