防衛省よ一流たれ
- 2011年 6月 22日
- 交流の広場
3月11日以来の日本社会の現状に関して、隣国の誰かが「市民は一流、官僚は二流、政治家は三流」であると評したらしい。果たしてそうかなと思う。一流の親が子供を二流、三流にしか育て上げられなかったとしたら、そんな親のどこが一流なのか。
ここ数日の報道によれば、浜岡原発を除いて、他の原発は運転再開が基本方針となった。経産大臣が前面に出て主張し、首相が承認している。これを見ると、旧通産の流れに立つ経産官僚は一流であるか、少なくとも一流の必要条件を満たしているようだ。私の見る所、官僚の条件とは何かと問うに、各省庁の本分=基本任務を分別し、忠実に遂行する能力と意思である。経産省の本分の一つは、自国の経済と産業が現在必要とする電気エネルギーを安定的に確保する事である。
防衛省の本分は、国民と国土の対外的安全を確保する事。厚労省のそれは、国民と勤労者の健康の質量を確保する事。農水省のそれは、国民が必要とする農水林業と安全な食料を確保する事。
原子力発電所の是非(否)を各省庁の本分に照らして判断すれば、以下の如くになろう。経産省の本文からすれば、是。防衛省の本文からすれば、絶対的に否。厚労省も否、農水省も否であろう。何故に防衛省の「否」の場合「絶対的」なのか。通常兵器で容易に破壊でき、防衛が絶対的に困難であり、かつ亦、破壊された後の対処が今日ただ今経験する如く絶望的に困難である原発を日本列島の海岸線に54基も所狭しと並べられている条件下では、責任ある防衛作戦を立案し、実行する事など100%不可能であるからだ。原発は敵国が起爆装置をにぎっている自国内の核地雷なのである。
今の所、防衛省からも、厚労省からも、農水省からもその本分に立脚する原発否定論が聞えて来ない。経産省からは本分に由来する肯定論が聞えて来る。どこの官僚が一流の必要条件を満たしているかが分かろうと言うものだ。基本テーマごとに、各省庁の本分に由来する判断と主張が激しく争い、政治が国益(と人類益)の視座から総括、統合、止揚するあり方が望ましい。
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