「アンダーコントロール」という言葉によってコントロールされてきた福島の現状
- 2021年 4月 19日
- 評論・紹介・意見
- 澤藤統一郎
(2021年4月18日)
「白い土地」を読んだ。集英社からの出版だが、朝日新聞(南相馬支局)の現役記者・三浦英之の著書である。「ルポ 福島『帰還困難区域』とその周辺」という副題がついている。
タイトルの『白い土地』とは、「白地」(「東京電力福島第一原発が立地する福島県大熊町などで使われている隠語」)に由来し、「放射線量が極めて高く住民の立ち入りが厳しく制限されている帰還困難区域の中でも将来的に居住の見通しが立たないエリア」を指すという。その言葉どおり、原発事故10年後の『帰還困難区域』のあまりにも厳しい現実の報告である。
朝日にも、この著者のような、行動的で、権力や権威に屈しない、そして体制が作った行儀を弁えない記者のいることがまことに頼もしい。
とりわけ、浪江町長だった馬場有への3度のインタビューを内容とする「ある町長の死」の章は出色で、ここから読み始めることをお薦めする。
事実上の最終章が、「聖火ランナー」である。
聖火リレーのルートが発表されたのは、2019年12月17日だったという。まだ、コロナの感染者のなかったころのことだ。「復興五輪」の聖火リレーは福島から始まる。著者は、その翌日、原発事故で避難区域が設定された11市町村のルートを自分の足で歩いてみたという。
歩くたびに違和感が募るった。そこからは何も「見えない」。事故を起こした福島第一原発も、仮置き場に積み上げられている汚染土を詰め込んだフレコンバッグの山々も、人の手が入らずに朽ち果てそうな帰還困難区域の古い民家も、原発や東電に抗議する立て看板も、原発被災地で暮らしていれば当然目にする日常的な「風景」がそこからは一切視界に入らないようになっているのだ。
著者はこれを「復興の光」だけを発信して、「復興の影」を隠蔽したい為政者や大会主催者の意思を雄弁に物語るものという。
そして、この著書の最終版で、記者は現地を訪れた安倍晋三に質問をする。本来、ぶら下がりの記者会見に参加できるのは、東京から随行してくる官邸記者クラブの総理番記者だけで、地元の記者は質問はおろか、参加すらできないという。それでも、彼は敢えて、「ルール違反」の一問を発する。その場面だけは、引用しておきたい。
私は咄嗟に自分が一番聞きたい質問を脳内に探し、最高責任者へとぶつけた。
「ここ福島でオリンピックが開かれます。安倍総理はオリンピックを招致する際、第1原発は『アンダーコントロールだ』と言いました。今でも『アンダーコントロール』だとお考えでしょうか」それは私だけでなく、福島県沿岸部で暮らす人であればきっと誰もが疑問に感じている質問だった。安倍は2013年9月、アルゼンチン・ブェノスアイレスで聞かれたIOC総会で、東京電力福島第一原発を「アンダーコントロール」と表現し、東京オリンピックを誘致していた。
その会場で彼はこう言い放った。
「福島については私から保証いたします。状況は『アンダーコントロール』です。東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも、及ぼすことはありません」
それが明確な「嘘」であることを福島の沿岸部に暮らす人々は完全に見抜いていた。原発事故からどれだけ年月が過ぎ去っても、人々の心配事は常に廃炉作業が続けられている福島第一原発の安全性であり続けてきたからである。頻繁にニュースで取り上げられる汚染水の問題だけではない。原発建屋はすでに津波で大きな被害を受けている。その「壊れた原発」が次なる地震や津波に耐えられるのか…私はいつからかこの「アンダーコントロール」という言葉こそが今の福島を苦しめ続けている元凶ではないか ー もっと踏み込んで言えば、今の福島の現状は「アンダーコントロール」という言葉によってコントロールされているのではないか ー と考えるようになった。先の戦争でも「全滅」を「玉砕」、「敗戦」を「終戦」と言い換え、為政者たちの責任を曖昧にしてやり過ごしてきたように、今まさに壊れた原発を「アンダーコントロール」と呼び、東京オリンピックを「復興五輪」と言い換えることによって、政府は被災地の不平を相互批判の目で封じ、福島を国民の団結の象徴として東京オリンピックの開催に利用しようとしている。聖火リレーのスタート直前に内閣総理大臣がこの原発近接地を訪問することは、その象徴と呼べる出来事ではなかったか ー。
「まさにそうした発信をさせていただきました」
事前通告のない記者からの質問は随分と久しぶりだったのだろう、安倍は私の質問に一瞬怪訝そうな顔を見せたが、すぐさま表情を元に戻し、「台本」にはないたどたどしい口調でテレビカメラに向かって「アンダーコントロール発言」についての持論を訥々と話し始めた。
「いろいろな報道がございました。間違った報道(傍点は著者)もあった。その中で正確な発信を致しました。そしてその上においてオリンピックの誘致が決まったものと思います」
間違った報道……? 私は一瞬、自分の耳を疑った。
彼の発言はつまりはこういうことらしかった。福島第一原発の現状を伝える一部の報道は「間違い」である。その中で自らが発信した「アンダーコントロール」という表現が正しいのであり、それによって東京オリンピックを誘致できたー彼は本当にそう信じているらしいのだ。その事実に私は驚き、混乱と困惑ですぐには正しい思考ができなくなった。それはあまりも稚拙で、独善的で、同時に危険な認識であるように私には思えた。
彼自身が第一原発をアンダーコントロールだと思い込んでしまえば、この地に暮らす人々の日常や不安はその思い込みに覆い隠されて見えなくなる。本来為政者が真っ先に取り組むべき廃炉や帰還などの政策が大幅に遅滞する悪夢へとつながっていく…
情報の不足と浅薄な思慮がもたらす、最高権力者の思い込みは恐ろしい。原発問題だけではない。新型コロナ対策についても、歴史認識についても、安全保障政策についても、国際関係についても、経済政策についても、そして憲法改正問題についても。
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2021.4.18より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=16696
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
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