香港に引き続く悲劇 ー 弾圧者に対する忠誠宣誓の強制
- 2021年 4月 22日
- 評論・紹介・意見
- 澤藤統一郎
(2021年4月21日)
香港の公務員が、中華人民共和国への忠誠宣誓を強制されているというニュースに胸が痛む。深刻な葛藤を経て、やむなく従う人もあろうし、どうしても拒否せざるを得ないという人もあろう。どちらの結論も、この上ない悲劇なのだ。
江戸幕府は、16世紀初頭の宗教弾圧に踏み絵という偉大な手法を発明した。聖なる絵を踏むよう強制されたクリスチャンは、保身のために自らの信仰を裏切るか、あるいは信仰に殉じて生命をも投げ打つかの選択を迫られた。どちらも悲劇の極みである。
中国共産党は、香港の公務員に中華人民共和国への忠誠を求めて、その旨の宣誓を強制した。保身のために自らの信念を裏切るか、あるいは信念に殉じて職をも投げ打つかの選択が迫られたのだ。この点、中国共産党のやり口は、江戸幕府の宗教弾圧と構図を同じくする。宣誓を強制される者には悲劇の極みである
民主主義では、治者と被治者の自同性が擬制される。なぜか「自同性」という、日本語としてはこなれない言葉が使われるが、一体性といっても、同一性と言っても差し支えない。「治者」と「被治者」とが、別なものではなく重なり合うものとして存在するのが民主主義である。「治者」と「被治者」とは、「国家」と「国民」に置き換えてよい。
タテマエにせよ、日本は民主主義国家である。その公務員は、全国民への奉仕者であって、政権や一部の権力者への奉仕者ではない。日本国の公務員の憲法尊重擁護義務遵守の宣誓は、次のようなものである。
私は、ここに主権が国民に存することを認める日本国憲法を尊重し、且つ、擁護することを固く誓います。
日本国憲法が、公務員を含む国民に精神の自由を認めているのだから、この宣誓文言に違和感はない。
しかし、非民主主義国家においては、国民と国家との自同性がない。国家は、国民に他者として対峙し、国民に不寛容となる。まさしく、専制国家中国の、自律権を奪われた香港市民に対する関係が、その典型である。
《香港で公務員の「忠誠宣誓式」 拒否者には解雇の可能性も》という報道は、昨年(2020年)暮れころから目につくようになった。強制される「忠誠」の対象は、香港の民主主義を蹂躙し、民主主義を擁護しようという人々を弾圧した、中華人民共和国という権力機構である。
香港の市民社会への忠誠、香港の法秩序擁護の宣誓ではなく、香港の民衆に敵対し香港の自由や人権を蹂躙した弾圧者に対する忠誠の強制である。屈辱以外の何ものでもなかろう。
報道では、昨年12月16日に、「公務員が政府への忠誠を改めて宣誓する式典が初めて開かれた」という。非公開で行われたこの式典では、上級公務員らが香港およびその政府に対する「忠誠心を守る」ことを、林鄭長官の前で宣誓したという。公務員事務局長は、忠誠宣誓や類似の宣言への署名を拒否した者は、解雇の可能性もあると警告しているとも報じられた。
そして本日(4月21日)各紙に、「香港で公務員129人『忠誠』拒む 辞職や停職」と報道されている。
【香港時事】4月20日付の香港各紙によると、昨年施行された国家安全維持法(国安法)にのっとり、香港政府が約18万人の公務員に義務付けた「中華人民共和国香港特別行政区に忠誠を尽くす」との宣誓をめぐり、129人が署名を拒んだ。このうち25人は辞職、大部分は停職となった。停職中の公務員は今後、辞職を勧告される可能性がある。
この中華人民共和国への忠誠強制の被害者は、踏み絵を拒否した《18万分の129》だけではない。自分の自尊心を宥めて面従腹背に甘んじ、敢えて踏み絵を踏んだ、その余の全てにとっても、この上ない悲劇なのだ。
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2021.4.21より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=16710
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〔opinion10766:210422〕
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