基地沖縄と第九条-「琉球新報」記者の講演をめぐって
- 2011年 6月 26日
- 評論・紹介・意見
私も入っている「第9条の会」から琉球新報の記者が来るという知らせが届いたので、九月五日に猛暑のなか出かけた。たしか本誌が以前とりあげたオーバービー博士を呼んだのも今回と同じ「愛大九条の会」との共催だった。全国各地にできた「九条の会」のことはよく知られているので、「第9条の会 なごや」について同会発行の「戦争のない世界をめざして」のチラシから紹介しよう。
「朝鮮戦争にアメリカ空軍のパイロットとして参戦したオーバービーさんはB29爆撃機から爆弾を投下しました。のちに中部大学の客員教授として来日した彼は、勝守寛さんの案内で広島の原爆資料館を訪れ衝撃を受けました。一九九一年湾岸戦争の勝利に沸きかえるアメリカ社会に危機感をもって、彼は「日本国憲法第9条の精神は世界の宝である」と宣言して『第9条の会』を創設しました。・・・・・勝守寛さんはすぐに『第9条の会・日本事務局』を立ち上げ、オーバービーさんの日本各地での講演を通じて、思想、信条、党派の違いを超えた『第9条の会』の設立を呼びかけました。・・・・・『第9条の会なごや』は一九九三年に創立され、今日まで平和を目指す活動をしてきました。」
オーバービーは第9条と同じ条文をアメリカ合衆国憲法に加えよというドンキホーテのようなアクションをおこした理想主義者でもある。 ここでちょっと余談を差し込みたい。名古屋市港区に住む余命三ヶ月と診断された七〇代前半の男性が「平和のために護憲を訴えるグループ(第9条の会?)に二〇〇万円を寄付された(『中日新聞』09・8・23)。「平和の白鳩さん」である彼の願いを受け取ってほしいと「マケルナ平和」の帽子をかむった大人一人とそれぞれの国の服装をした子供八入のカラフルな絵とともに。
あなたは 「戦争の放棄」(憲法第九条)を放棄しますか? 今、世界の中で、戦場に息子に人殺しをさせないでおられる母は、日本の母親しかいないのですよ。平和憲法第九条があなたと大切な息子を守っているのです。戦争を放棄した「日本国憲法第九条」は、世界のどの国にもない誇り高いものです。世界中に平和を望み愛する人々のあこがれと希望なのですよ。(チャールズ・オーバービー博士の言葉より) という文章が印刷されたクリアファイルが参加者全員に配布された。オーバービーはここでも生きている。
では本題に入ろう。「琉球新報」の松元剛氏の講演は「普天間問題が問う民主主義の熟度-安保の二重基準を超えて」というタイトルである。四十五歳で政治部長の要職に就いた氏は、これまで十数年ずっと基地問題ととりくんできたペテランである。氏の話を聴いて感じたことを断片的にとりあげたい。基地問題をふりかえると、かつて岐阜と甲府にあった海兵隊の基地が米軍直接支配下の沖縄に移った経緯について、モノを左から右へ置き換えるように沖縄にもってきたという氏の語り口には胸中の苦悶がにじみ出ていた。各務原(私のいま住んでいる町)の市民が起こした熱心な反対運動が功を奏したことについて、氏の発言には市民運動の成功を評価しながら、同時に移転先が普天間で、しかもそれ以来、返還後もずっと固定化していることに苦渋の色が複雑な表情となってあらわれていた。聴いていて何もできない自分が情けない。せめてここへ来るくらいしか・・・・・。
氏らが必死でとった沖縄国際大学にヘリコプターが墜落したときの映像は強烈で、見ていて怒りがこみあげ胸に充満した。宜野湾市の消防が危険な消火活動したのに鎮火後は、当時訓練中だった米兵が、いちはやく現場を包囲し、実況見分どころか、写真をとることすら許さなかった。日本の警察も消防も排除し、ビデオをとろうとするカメラマンにむかって出ていけとどなり、カメラのレンズに米兵は手を当て、軍帽で撮影を妨げようとする。そんな彼らの行動を見ていると、いつ戦場へいかされるかしれないつらい運命を背負っていても、無性に腹が立った。フイルムを奪おうとする米兵の前に集まってきた市民がとりかこんで難をのがれたとのこと。そんな貴重なビデオであった。 腹の立つ話をもう一つ。米兵三人が日本人女性をレイプした事件だ。一人は日本の警察に捕まったが、二人は基地内に逃げこんだ。しかし特定されていたので、二人は毎朝、アメリカの憲兵が日本の警察に護送して、取り調べを受けていた。起訴されるまでは「日米行政協定」で、そのように決められているからだ。ところが重罪に問われてヤバイと思った彼らは、基地内の売店で航空券を買い、司令官の外出許可をもらってアメリカヘ逃亡してしまった。憲兵も司令官は監視責任があったはずだ。にもかかわらず、こんな不当なことをするのは沖縄は日本でないと思っているのか、と問いたい。さらにいまでも心のうちでは敗戦国だと、日本をバカにしているからだ。伝え聞くところでは地元の警察は怒っているのに、警察庁や外務省の上のほうが追及を妨げているとのこと。誰かが確信的にいったことば「支配者は裏切る」を思い出す。 私はフト思った。沖縄の本土復帰の時、「日本国憲法のある日本に帰ろう」という期待がオキナンチュウーにはあった。日本の政府は答えたか。否である。 沖縄返還時に核持ち込みの密約の密使となった若泉敬(60年安保闘争のとき安保に賛成した学生。体制的改革派)は、核をエサに沖縄の基地の永久使用を手に入れたアメリカに裏切られたと知って死の直前に「安保破棄」だと語っていた(ETV特集「安保とその時代(4)」10・9・12放映)。 60年安保に反対して闘争した学生を左翼的という彼らは当然右翼的学生だ。「自主体制」の日本をめざして安保破棄に到った事実は興味ぶかい。しかし「自主憲法」「自主国防」など自主は対米従属からの独立という美名のもとに改憲し、「国家よ核を持て」ということになりかねないから危ない。その対極にいるのは赤軍派元議長の塩見孝也だ。彼も武装至上主義を誤りだと認め「憲法9条改憲阻止と沖縄基地反対運動に取り組む決意を示した」という。(『毎日新聞』10・9・10)この課題をこなすには尾崎秀実ほどの構想力がないと解けないのではないか。
私の直観したことに戻れば、沖縄の期待を裏切ったのは日本政府と国民だ。それに対峙して、返還当時あった独立論を実現させ琉球国を再建したらどうかという考えである。無論、沖縄の人びとが決めることだ。その時アメリカは敗戦国=日本でない新国家と向き合うことになる。アメリカ領であるグアム島では民間のスーパー建設予定を知って基地のほうが建設(拡張)を変更したという。いま沖縄が受けている差別はなくならないまでも減るのではないか。 日本はそのことを念頭に、基地全廃が直にできないのなら、自発的に本土の負担を増やして、せめて県外移設の実をあげなければ、ナショナリズムは民主主義とむすんで健全に機能しないだろう。政府と全国知事会はイニシアティーブをとって知恵をしぼらなければ、ヤマトは差別だ、偽善だ、という沖縄県民の感情にたいし顔向けできないだろう。 基地の近くの赤ん坊が毎日爆音をなだめる母の声を聞いて「ママ」より先に「コワイ コワイ」という言葉をおぼえるという。そのような身近の普遍的・生活的事実から考えるのが、真の哲学を身につけた、まともな人間であろう。
猛暑の集会で体力は消耗したが、沖縄に対する無知と無力感は多少改善された。
*これは昨年の9月に記されたものですが、6月23日の「沖縄慰霊の日」に合わせて掲載いたしました。(編集部) 初出:「人民の力」928号より著者の許可を得て転載しました。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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