本間宗究(本間裕)の「ちきゅうブッタ斬り」(312)
- 2021年 6月 18日
- 評論・紹介・意見
- 本間宗究本間裕金融
商品の取引と決済
いまだに、「デフレとインフレの議論」が世界的に活発な状況でもあるが、この点に関して、最も重要なポイントは、「どのような商品が、どのように取引され、そして、どのように決済されているのか?」を具体的に考えることである。つまり、かつては、「現金を持って買い物に行き、商品を受け取って持ち帰る」ということが「個人が行う取引と決済」だったが、現在では、「ネットによる注文とデジタル通貨による支払い」でありながら、「商品の受け渡し」については、個別の配送が実施されている状況とも言えるのである。
別の言葉では、「過去数十年間の変化」として、「デジタル通貨と金融商品の大膨張」が指摘できるが、この時の「取引と決済」については、「コンピューターネットワークの中で、デジタル通貨により決済される」というように、「実物資産が行き来しない状況」となっているのである。つまり、「海外との取引」においても、「ほぼ瞬間的に決済可能な状況」となっているが、今後の注意点としては、「実物資産の取引が、デジタル通貨で決済される事態」だと考えている。
より具体的には、「大量に存在するデジタル通貨が、ごく僅かな数量しか存在しない実物商品に向かった場合に、価格が急騰する展開」であり、また、「買い付けられた実物資産が、どのようにして、買い手に届けられるのか?」という点である。つまり、「仮想現実の中に存在する限りは、たいへん便利に思えたデジタル通貨」は、「現実世界に飛び出てきた場合には、たいへん厄介な代物に変化する」ということである。
そして、特に注目すべき点としては、「金利やインフレ率の上昇」が引き起こす「金融システムの崩壊」であり、実際には、私が最も危機感を持っている「金融界の白血病」のことである。つまり、「紙幣は、コンピューターネットワークの中を流れることができない」という状況のことだが、実際のところ、「2002年に発生したみずほのシステム障害」の時には、「銀行員が数千万もの現金を、人手で運んだ」という状況だったのである。
このように、これから想定される展開としては、最初に、「国債の買い手」が消滅した時に、「紙幣の大量発行」が実施される状況でもあるが、次の問題としては、「大量に発行される紙幣が、どのようにして、実物商品に交換されるのか?」という点である。別の言葉では、「戦後の日本」のように、「信用を失った通貨を受け取る人がいなくなるとともに、実物商品の手当てが難しくなる状況」でもあるが、この点に関して、「1991年のソ連」の場合には、「数か月」という期間で、「ハイパーインフレ」が押し寄せてきたのである。(2021.5.15)
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ヘーゲルの弁証法
「ヘーゲルの弁証法」については、今まで、「正と反の対立がもたらす止揚」という知識しか持っていなかった。そして、「どのような事例が具体的に指摘できるのか?」を考え続けてきたが、今回、「ヘーゲルの歴史哲学講義」を読んだことにより、全く違った認識が生まれてきたものと感じている。つまり、「ヘーゲルが、なぜ、ギリシャ神話にまで遡り、人類の精神的な歴史的変遷を研究したのか?」を考えながら、「歴史研究の究極的な目的が、人類の自由獲得にある可能性」などの意見を吟味すると、結局は、「仏教の成仏」と「真言密教の三密加持」と似たような内容のようにも感じられたのである。
より具体的に申し上げると、「神の精神」と「動物の肉体」を併せ持った「人類」が、「過去3000年間に、どのような成長を遂げてきたのか?」を考え続けたものと思われるが、この点に関して興味深い事実は、「自然的宇宙」や「精神的宇宙」などの言葉を使いながら、「神の創った大自然」と「人の造った人間社会」などを分析した可能性である。別の言葉では、「物質は、地球の中心に向かって引き寄せられる」という「ニュートンの万有引力」が示すように、「人々の興味と関心」、すなわち、「心は、必ず、神の真理に引き寄せられる」という事実を証明したかった状況のようにも思われるのである。
ただし、残念な点は、「空海の十住心論」や「お釈迦様の教え」などに接触する機会がなかったために、「国家という共同体」という誤解を抱いた可能性であり、実際には、「国家こそが、人間社会の究極的な完成形である」というような錯覚のことである。つまり、「産業革命以降、世界の歴史が、どのような変遷を辿ったのか?」についても、実際に見ることができなかったために、「悪魔のひき臼」とでも呼ぶべき「マネーの破壊力」が、「人類の価値観を、どのように変化させていったのか?」が認識できなかったのである。
より具体的には、「人類の発展過程は単純なものではなく、実際には、植物が一日のサイクル、あるいは、一年のサイクルを経て成長するようなものである」という理解ができなかった可能性のことである。つまり、「文明の法則」を考えたものの、「西洋と東洋の文明が、800年毎に交代する」という事実に気付かなかった可能性でもあるが、実際には、この点に「神と冨の支配力」を加味すると、多くの事実が説明可能なものと考えている。
つまり、「西洋の唯物論」と「東洋の唯心論」を徹底分析することにより、本当の意味での「止揚(アウフェーベン)」が理解できる可能性のことでもあるが、現在は、この点に関して、最も重要な歴史的分岐点に差し掛かっているものと感じている。(2021.5.19)
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ヘーゲルが求めた自由
ヘーゲルは「人類の自由獲得」を究極的な目標としたものと思われるが、この点については、やはり、「東洋哲学」が教える「融通無碍」と同様の意味を持っているようにも感じている。つまり、「ヘーゲルの考える自由」とは、「何事にも囚われず、神の意識で、世界を見て行動すること」のようにも思われるが、この点については、「人間の成長過程で、いろいろな経験を経て、悟りという、神の真理に近づく状況」とも考えられるのである。
別の言葉では、「文字を発明した人類は、過去3000年余りの期間に、飛躍的な発展を遂げた状況」でありながら、現在は、「10段階の3程度の精神レベルにとどまっている状況」のようにも感じられるのである。つまり、「神が創った世界」を研究する学問である「自然科学」においては、すでに、「高次元のレベル」に達しているものの、「人が創った社会」を研究する学問である「社会科学(人文科学)」においては、依然として、「三次元の段階」にとどまっている可能性のことである。
より具体的には、今から1600年前の「西ローマ帝国の崩壊」により、それまでの「高度な自然科学」が忘れ去られ、再度、復活したのが、「ケプラーからニュートンの時代」だったことも見て取れるのである。しかも、その後の展開としては、「人類は大自然を支配すべきである」という「誤った思想」により、「マネーの大膨張」や「異常気象」が発生し、現在では、「人類が、大自然から淘汰され始めた段階」とも思われるのである。
つまり、このままの状態が継続すると、かつての「恐竜」と同様に、「人類が絶滅する可能性」も考えられるわけだが、この解決策としては、「人類の自由」が、より深く認識される状況とも考えられるのである。別の言葉では、「ニーチェの超人」のように、「神の真理」を体得した人々のことでもあるが、実際には、「真言密教の三密加持」が教えるように、「神の精神」と「人間の頭脳」が「一直線の心で対象に向かう状況」のことである。
より具体的には、「99%の努力と1%の霊感」という「エジソンの言葉」のとおりに、「現在の問題を考え抜いた後に生み出される霊感」が、「社会科学においても発生する状況」のことである。つまり、ヘーゲルが求めた「真の自由」、そして、「仏教が教える成仏」のように、「生きたままの人間が、神のレベルの悟りにまで到達する可能性」のことでもあるが、この点については、「心の謎」が解けることが必須不可欠の条件だと考えている。つまり、約300年前に「ニュートンの万有引力の法則」が発見されたように、今後は、「心の法則」が発見される状況のことである。(2021.5.20)
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〔opinion11023:210618〕
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