二十世紀文学の名作に触れる(7) パール・バックの『大地』―中国の農夫の暮らしと家系を豊かに描く一大叙事詩
- 2021年 7月 6日
- カルチャー
- 『大地』パール・バック文学横田 喬
米国の作家パール・バック(1892~1973年)は代表作『大地』の文学的価値が認められ、1938年にノーベル文学賞を受けている。同賞選考委員会は、その推薦文で「彼女の小説は、中国の農夫の生活を豊かに、真に叙事詩的に描き、大変優れている」と評価した。小説『大地』は第一部「大地」、第二部「息子たち」、第三部「分裂した家」の三部から成り、文庫版(岩波文庫は小野寺建訳・新潮文庫は新居格訳)で全四冊にわたる大河小説だ。私はかなり以前に一度走り読みしているが、今回久しぶりに書架から取り出して熟読。その内容を、以下のようにまとめてみた。
▽第一部 中国北部の農村に暮らす貧農・王龍は地主・黄家の女奴隷・阿蘭を妻に娶る。彼女は美しくなく無口だが、極めて勤勉だった。この新妻の働きのお陰で暮らしは少しずつ上向き、子供にも恵まれる。が、洪水による飢饉に襲われ、一家は鉄道を利用して、遥か南方の町へ逃れる。王龍は車夫を勤め、阿蘭ら家族は物乞いをして細々と暮らす中、思わぬ戦乱が発生。どさくさにまぎれ、夫婦は大金持ちの家から多くの銀貨や宝石を手に入れる。
一家はその財宝のお陰で帰郷がかなう。王龍は懸命に働き、没落した黄家から次々と農地を買い占め、やがて未だかつてないほどの大富豪にのし上がる。豊かになるや、彼は妻の醜さが我慢できなくなる。近くの町に新たにできた娼館に通い始め、婀娜っぽい商売女・蓮華の許に入り浸り、やがては第二夫人として家の一員に迎え入れる。
時が経ち、いま一人の側女・梨華が登場する。次の飢饉の際に王龍が憐れんで買い取った美しい女奴隷で、晩年の主に可愛がられ、真心を込めて尽くす。さらに王龍の死後は、彼の白痴の娘と背むしの孫を後々まで誠意を尽くし、よく面倒をみた。
王龍の暮らしが思いのほか豊かになったため、怠け者の叔父一家が付け狙い始める。実はこの叔父の正体は、飢饉の際に村々を荒らし回る匪賊団の副頭目。そのお陰で、幸い王龍は匪賊による略奪から免れていた。彼は叔父夫婦に巧みにアヘン吸引を薦め、次第に弱らせていく。そして、なかなかの難物である叔父の倅も、上手く言いくるめる。彼のかねての望み通り、遥か遠方の戦場へ軍人として送り出し、厄介払いしてしまう。
だが、王龍の目の届かぬところで、思わぬ齟齬を来たし始める。今や一人前に成長した長男と次男が、老いた父親の知らぬ間に暗躍。彼が血のにじむ思いで購入した農地の売却を秘かに算段し始めていたのだ。
▽第二部 王龍の長男・王一は財産保全にあくせくする無能な男だ。次男・王二は商才に長け、「豪商・王」と呼ばれるに至る。三男・王虎は幼い頃から父に反抗し、家出して軍人となり、北方軍閥の巨頭にのし上がる。長身で美青年の彼は母・阿藍と同様に無口で、豪気果断。彼はいかにして軍閥を築いたか、その道筋は『三国志』を読むように面白い。
王虎は初め新興軍閥の将軍に部隊長として仕えるが、匪賊上がりの主が酒食に溺れる様に落胆し、独立を期す。亡父からの遺産の大量の銀を軍資金に、精鋭ばかり百八人の部下と百二十二挺の銃に十分な弾薬を携え、郷里のある北方を目指す。故郷の隣の省は富裕な土地だが、豹将軍という匪賊の頭目が多数の配下を従えて山塞に籠り、良民を苦しめていた。王虎は密偵を放って山塞の内情を詳しく探った上で、少数の部下を引き連れ県公署に乗り込む。匪賊に長らく悩まされてきた老県長に豹将軍を討ち取る秘略を打ち明け、同意を得る。
県長交代の送別の宴との触れ込みに応じ、豹将軍の一行が県公署を訪れる。宴たけなわ、躍り出た王虎は一騎打ちの激闘の末、剽悍な頭目を首尾よく刺殺する。王虎の手勢は山塞を急襲して焼き払い、一味を平らげる。豹将軍の愛人だった捕虜の美女に、王虎が目をとめる。「狐のようだから、止めた方がいい」と部下たちが止めるのを押し切り、彼はこの女と結婚する。彼女は王虎が知った最初の女だった。だが、女は豹将軍に心を捧げ、王虎を許していなかった。裏切りを知った彼は一夜、眠りにある彼女を長剣を揮って刺殺する。
王虎は四十歳となり、今や二万の兵と一万二千挺の銃を持つ地方軍閥の将領だ。さらに領土拡張を企て、大河に沿い海に面する南東の豊穣肥沃な地方へ進軍する。これも匪賊上がりの獰猛な将軍を長い攻囲戦の末に敗走させ、勝利を収めた。領土は二倍に拡張し、中央の総統から感状や官位が贈られる。彼は跡継ぎが欲しくなり、二人の兄に嫁の斡旋を依頼する。
長兄は学者の娘を第一夫人に、次兄は商人の娘を第二夫人に斡旋。婚姻後、前者は女児を、後者は男児をそれぞれ産む。王虎は男児の王元を将軍の後嗣とすべく意を尽くすが、思春期を迎えた王元は文弱なタイプで武張ったことを好まず、王虎は先行きが楽観できない。
脇役では、王二の長男・「あばた」の活躍が際立つ。叔父の王虎の側近となり、小銃三千挺の調達のため父親の許へ往復。王虎の腹心・鷹の反逆を注進して、危機を未然に防いだ。
▽第三部 王元は南方の軍官学校で軍事教育を受けながら、父の跡継ぎを拒んで家出し、上海と思しき臨海の大都会へ赴く。当地には、亡父の遺産で裕福に暮らす王虎の第一夫人と美貌の妹・愛蘭が居た。王元は長身で風采が良く、女性にもてる。愛蘭の手引きで社交界に出入りし、大学では学生運動の洗礼を受け、旧勢力側から弾圧を受ける。彼を片思いする女性活動家の密告によって逮捕され、仲間は次々処刑されていく。が、独り彼だけは突然、釈放された。伯父・王一の四男で同志の王盛は、釈放は王虎の要路への賄賂のお陰と教える。
学問好きな王元は従兄弟のこの盛と一緒にアメリカに留学し、六年間を過ごす。留学を終え、アメリカを去る際、王元は「子供の頃、父を愛し、且つ憎んだように、愛し且つ憎んでアメリカを離れた」。愛憎こもごもの彼の胸中は複雑極まりない。アメリカの大自然に恵まれた美ばかりを強く意識すると、故国の禿山に美があるとは到底思えないからだ。
アメリカ留学中、指導を受けたウィルスン教授から成績優等のせいもあって可愛がられ、その自宅に出入りを許された。教授の独り娘メアリに好意を寄せられ、互いに憎からず思い合う。だが、彼はアメリカへの愛憎二筋の念が邪魔してか、どうしても一線を越えられず、伴侶はやはり同国人に限ると確信する。
帰国する間際、教授一家を驚愕させる新聞記事が載る。「中国の某市で、新革命軍が白人の家族を襲い、彼らを住居から追い出し、一、二の宣教師、独りの老医師、その他若干名を殺害した」とある。王元とメアリの破局は決定的となり、彼は孤独感に打ち沈んで帰国した。
傷心の王元を波止場で出迎えたのは王虎の第一夫人と妹の愛蘭に養女格の美齢ら。二十歳を迎える美齢は、すらりとした長身で面差しが清らか。王元は気を惹かれるが、医学校へ通う彼女は開業医志望。当面は異性と交際する気など全くない、と知らされる。
一方、伯父の王二と再会した王元は、驚愕の事実に接する。南方の軍官学校へ通っていた頃から父・王虎が王二から借り受けた金が金利を含め、なんと一万一千五百十六銀元にも達するという。そして、父が今やすっかり老耄零落。愛想を尽かした部下たちが雲散霧消し、今や手勢は僅か百人ほどと知る。だが、そんな父に対し、王元は静かな愛情を覚えていた。
革命政府系の大学の教師に就職した王元は月給の半額を王二への返済に充てる。傍ら、美齢にせっせと手紙を書き送り、胸の内を伝える。ちょっとした行き違いを挟み、二人の仲は着実に接近していく。巻末、王元は美齢と熱い口づけを交わし、相思相愛を確かめ合う。異性に対しずっと不器用だった王元にとって、やれやれの大団円。読後感は爽やかだ。
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