共産党の願いと現実について
- 2021年 8月 25日
- 評論・紹介・意見
- 共産党阿部治平
――八ヶ岳山麓から(342)――
8月6日付の「しんぶん赤旗」の号外(?)が私の家にも配られた。
共産党志位和夫委員長の「パンデミックと日本共産党の真価」と題する共産党創立99周年記念講演を掲載したものである。氏は大いに共産党の存在を誇って、現政権批判やオリンピック中止要求、『新訳資本論』、新自由主義論、さらには歴史認識まで多方面について発言している。テーマがあちこちで、ひとくちでは感想を言うことができない。以下、わたしなりに気になった問題について意見と疑問をとびとびに述べる。
まず「米中の覇権争い――国際社会はどう対応すべきか」について。
志位氏はいう。「この問題で最も抑制すべき道は何か。軍事対軍事の対立と、軍拡競争の悪循環であります」「もっとも推進すべき道は何か。それは、どんな国であれ覇権主義は許さない……平和的手段による問題解決を図ることであります」と。
ではどうやって「平和的手段による問題解決」ができるか?
氏は、米中両国に対して覇権主義をやめ、「国連憲章と国際法を順守せよと迫る外交努力を尽くすこと」だという。とりわけ、東南アジア諸国連合(ASEAN)の業績を高く評価し、ASEANは武力行使の放棄と紛争の平和的解決を義務づけた友好条約を締結している、条約の原則は東アジアサミットに参加した諸国の政治宣言「バリ原則」にもうたわれているから、これを条約にすればよいという。
そこで志位氏は、アメリカを中心に中国包囲の軍事的ブロックを作るのでなく、「ASEANが現に実践しているように、中国も包み込む形で地域的な平和秩序をつくっていく包括的なアプローチが大切ではないでしょうか」という。これは空想というほかない。
そもそもASEANは志位氏がいうような牧歌的な存在ではない。中国に対する共同政策は、いつも中国派のカンボジアやラオスによって拒否されている。中国は、南シナ海の岩礁も尖閣諸島もみんな中国のもので、それは「核心利益」だといっているのである。自分の手を縛るような条約に参加するはずはない。
志位氏は、本気で、中国を風呂敷でものを包むように包み、南シナ海、東シナ海で手を出せないようにできると考えているのか。
東シナ海の緊張について。
志位氏は、講演の中で台湾問題についてひとことも言及しない。しかも志位氏は力づくの現状変更をたくらむ中国政府と、これを口実にして対中国軍事同盟を強化しようとするバイデン米政権の双方を喧嘩両成敗並みに批判した。
そもそも東シナ海緊張の主な原因は、日本の尖閣と台湾にたいする中国のふるまいから生じたものである。習近平主席は台湾統一のためには「武力行使も辞さない」とたびたび発言している。中国軍の高級将校は、台湾占領は1週間で十分などといい、尖閣海域では領海侵犯を繰り返し、台湾防空識別圏に戦闘機を飛ばし、島嶼上陸演習をくりかえして挑発している。
とはいえ私は、中国軍が台湾に侵攻してアメリカ軍と激突する事態がすぐそこに迫っているというのではない。だが、台湾有事の時、現状ではほとんど自動的に日本が戦争に巻き込まれるが、もし日米同盟を見限るなら中立政策をとることもできる。そのときは台湾を見殺しにする結果となるが、どう対処すべきか、志位氏の考えを聞きたいところである。
台湾をめぐる米中対立は覇権争いにとどまらず、専制主義か民主主義かというのっぴきならない問題が絡んでいる。中国主導の台湾統一は、民主主義地域消滅を意味する。
なにはともあれ、重要なのは中国に台湾の「武力解放」の方針を捨てさせることである。そうなると、日米両国は対中国の軍備増強の口実を失うのである。これを中国にわからせなければならない。
このために日本の政党、平和運動団体がやれることはそう多くはない。だがとりあえずは、中国政府に「武力解放」を捨てさせるために、デモや集会を東京の中国大使館や各地の領事館の前でやり、また日本世論にもこれを訴えることが必要である。共産党はその先頭に立ってもらいたい。
以上は、本ブログ「八ヶ岳山麓から(341)」で主張したことだが、くりかえしておきたい。
野党共闘について。
志位氏は、いまや野党共闘を「党の歴史の上でも画期的なとりくみ」だと誇っている。私は、次期衆院選において野党の議席が一つでも増えることを願うものであるから、共闘の発展を願っている。
一方、立憲民主党の枝野代表は、自党が保守本流だといいたいのか、共産党との基本路線の違いをしばしば強調してきた。にもかかわらず、共産党は最近選挙共闘の協議をはじめるよう立憲民主党に求めたという。共産党はまるで気のない立憲民主党に言い寄り、立憲民主党の方は共産党の票さえもらえば袖にしようといった格好だ。
9年前の2012年末、私は共産党の講演を聞きに岡谷市に行った。会が終わると意見を書けというので、「未来の党」や「社民党」との選挙協力を希望する旨を書いて提出した。2,3日後、市田書記局長(当時)から便りがあったが、「選挙共闘は国政の基本問題で一致しないと(たとえば憲法、安保、消費税など)野合ということになり無理です」と書いてあった。
国政の基本問題で野党が一致しないのは10年前も今日も同じである。にもかかわらず共産党が他の野党と「野合」する路線に転換したのはなぜか。ぜひわけを教えてもらいたい。
多数者革命と大衆運動について。
志位委員長曰く、「マルクスが究明していったことは、……労働者階級が長時間労働をはじめとする過酷な搾取から自らの命とくらしを守る戦いによって『訓練』され、自分自身の『組織』を勝ち取り、体制そのものを変革する戦いを発展させる、そうしてこそ資本主義体制をのりこえて、その先の社会――社会主義・共産主義に進む社会変革は現実のものとなるということでした」
なるほど。だとするなら、志位氏は労働者が戦う中で「訓練」され、勝ち取るべき「組織」が日本社会ではひどく弱体であることの原因や、全労連や連合などの労働運動について語るべきではなかったか。
いま共産党は党員がみな年を取ったためか、昔のように労働組合を作ったり、大衆運動を組織したり、地域の世話役活動などをほとんどやらなくなっている。志位氏が共産党の社会変革コースは「段階的発展、多数者革命、統一戦線――現在から未来にいたる一貫した立場」だといくら説教したところで、大衆運動のないところで現実が変わるわけはない。
先日、「赤旗日曜版」があまりにも読むところが少ないので、配達係の人に「やめる。その代わりカンパするから」といった。ところが別の党員が真剣な顔で「だめ、だめ。続けてくれなきゃ」とがんばった。
下部党員はいつも「赤旗日曜版」の読者拡大に追われて大衆運動どころではない。読者減少と拡大の「賽の河原の石積み」はもう何十年も続いている。その苦労は傍目で見ても気の毒なほどだ。党勢が伸びないなら、従来の活動スタイルを検討し、変えるべきは変えてはどうか。
性的少数者について。
志位氏はジェンダー平等を強調している。大いに賛成。だが、去年改定した党綱領にも「性的志向と性自認を理由とする差別をなくす」とあるのに、この講演では性的少数者(LGBTQ)問題への言及がないのはどうしてか。
というのは1970年代に共産党は、性同一障害の東京の党専従者を「堕落」とか「腐敗」の理由で党から放逐したことがあるからだ。当時私の職場にも同様の共産党員がいた。今と違い、本人は自分の性的志向を世間に隠そうとしたし、私たちも「共産党に知られたらひと騒動あるかもしれない」と思ったので、隠すのに苦労したことがあった。
共産党はいつから、どういう理由で「堕落・腐敗」から「差別をなくす」へと発展を遂げたのか、きちんとした説明がほしいところである。
党名について。
志位氏は、「『人間の自由』『人間の解放』--日本共産党という党名はこの理想と結びついている」という。党内だけで生活していればそれで通るかもしれないが、世間の印象は逆である。ソ連・東欧の歴史的経験、中国の現実からすれば、人身の自由、言論出版・思想信条の自由、人間らしく生きる権利は、「共産党・共産主義」のイメージとは反対のものである。
志位氏は学生運動上がりで社会労働の経験がない。半年でも、いや1ヶ月でもスーパーか工場で働いてみたらどうか。小池書記局長は医師だそうだから、新型コロナウイルス医療の最前線へ出てはどうか。そうすれば「共産党」とか「共産主義」に国民の少なくとも半分以上がどんなに陰惨で殺伐とした印象を持っているかわかるはずだ。同時に下部党員の苦労もわかるだろう。このままだと応援する方もくたびれる。
言いたいこと、聞きたいことはほかにもあるが、とりあえずここまでとする。
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〔opinion11229:210825〕
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