オリ・パラの夏
- 2021年 8月 26日
- 時代をみる
- ホームレス笠井和明
かつて、高田馬場日雇労働出張所が建っていた場所は、今や労働者が集まる姿はなく、戦後直後に建てられた掘っ立て小屋のような事務所も建て替えられ、東京労働局の、何をしているだか良く分からんお役人のための立派なビルになっている。
その建物の前の斜面になっている道路は、かなり前から改修工事となり、車も通れず、フェンスがはられ、狭い歩道を通ってでなければ、高田馬場駅の戸山口から、小さな「寄せ場」でもあった西戸山公園には行かれなかった。
一緒に高田馬場地区の巡回活動(パトロール)をしていた仲間は、なかなか進まぬ工事に、「ここは、オリンピック道路なんだよ」「オリンピックに合わせて開通することになっているのさ」と嘯き、工事の工法が間違っているだとか、この業者はどうのこうの、そんな話題をこの道を通るたび、いつも振りまいていたものである。
ところが、本当にオリンピックの開催に合わせたかのよう、今年に入り、信号が廃止され、新しいエレベーター付の歩道橋が完成、そしてくだんの道路も開通した。高田馬場の「お山」(「寄せ場」)を頼りに仕事を続けて来たその仲間は、しばらく前に現役を引退し、福祉の世話になり、飲酒が祟ったか、肝硬変で亡くなった。
「あの、うそ臭い話は本当だったんだね」と、マスク越しに苦笑い。
東京で開催される「オリンピック・パラリンピック」を「目途」にと、その開催が決定して以降、様々な立場の人々がそれを「目標」に色々な計画やら思惑やらを立てて来た。
東京都の路上生活者対策も、表向きは「直接リンクしない」との立場であったが、その実、公園管理、道路管理、警察、福祉事務所、地域住民やらが、良い意味でも、悪い意味でも、これまた様々な動きがあり、もちろん、私たちも、それに協力したり、しなかったり、独自にやっちゃったりと、それが何だか一つの「目標」としてあったのだが、昨年、世界的な新型コロナ感染拡大の影響で「延期」を決定したことから、雲行きが怪しくなり、最後の最後、かなり路上に影響があると思われていた都内各所のパブリックビューイングの中止、聖火リレーの公道利用中止、都内会場の「無観客」決定で、すべての「目途」が泡のように消えていった。
新宿で大きく変わったのは新宿中央公園の北側広場。かつて定期的な炊き出しや越年越冬の場として「お借り」していた場所は、どこの公園かと思うばかりに芝生の映える「スタバ」のある奇麗な公園になった。
「オリ・パラ」で多くのインバウンド(訪日外国人観光客)が新宿のホテルや民泊に泊まるので、その憩いの場所が路上生活者に占領されていたら格好悪い。そんな思惑があったのか、なかったのか、とにかく「オリ・パラ」に向けて整備がされた(ここのテントがなくなったのは「デング熱騒動」の時であるが)は良いが、インバウンドは、新型コロナ流行の中、観光目的の入国が不可能となり、高級ホテルは当てが外れ、民泊もお客が来なければ経営難。大久保、歌舞伎町界隈の人の流れは、かつての賑わいを知っている者からすると、物足りなさを感じるであろう。
中央公園は今や訪日外国人もおらず、煙草を吸うためだけに来ていた都庁の職員達も追い出され、地域の家族連れや近くの会社員がのんびりと過す本来の公園に戻りつづある。
インバウンドが居ないだけではなく、東京の今年は「緊急事態宣言」等が長引き、「営業自粛」「時短営業」「酒類提供禁止」などに支配される都市になり、歌舞伎町や飲食店等から、仕事やバイト先を失った若者が途方に暮れてしまった。ぎりぎりのところで雇われていたり、ぎりぎりの生活をしたりしている人はこの街にも、もちろん居り、そんな人々は、福祉事務所へ飛び込んだりとしているが、今回はぎりぎりではなく、それなりに生活をしていた人々も途方に暮れてしまった。家賃が払えず困っていると相談をし、住宅確保給付金制度を紹介されたまでは良いが、給付家賃の限度額が単身だと5万ちょっと分かった瞬間、顔が青ざめ、「実は家賃9万なんですが」と、ため息。
驚くことなかれ、そもそも新宿の中心部は家賃相場がべらぼうに高く、基準額内で暮らしているのはごくごく少数。この人に制度の認定がおりたとしても、差額分は他の収入やら貯蓄を切り崩さなければならず、また、生活費も借金をせねばならず、(助かると思ったら、社協からの借金漬けになっちまったと、そんな笑い話しがあちこちで)ハローワークに通っても、今までのような収入の見込みがなければ、家を手放すしかない。そんな込み入った話にどこまで加われるのか?そんな関係性があるのか?
支援と云うのも、言うは簡単であるが、実際は極めて難しい。
ぎりぎりの生活をしていた人は、そこに固執はせず、次のところへ必死に渡り歩こうとするであろうが、そうでない、守る人であるとか、家であるとか、そんなものがある人々は、生活支援と言っても、そう簡単には行かない。そして、スキルと職種が合致している人々は、転職支援、労働力の移動と言っても、これもまた、そう簡単には行かない。
現実なんてものは、役人や、学者や、専門家や、宗教者や、政治屋が思い描くより、複雑怪奇なものであり、広い大きな概念の中には相反する構造やら利害が眠っていることすら、自らがそう云う立場にならない限り、ただ見ているだけでは理解が出来ないものである。
「コロナ禍」と云われている中で底辺下層の人々がどのように生きて来たか?こと路上に限っては、そもそもが貧困であり、これ以上堕ちようにも、その先はたかが知れている。ここには中間層がよく頼りにする「安定」なんて云う概念はないし、明日はあるが、希望の明日はない世界でもある。それでもどうにかインフォーマルに生きて来たのが下層であり、今更フォーマルになれはしない。「コロナ禍」で影響があるとすれば、仕事を契機に路上から脱する機会が減ったことか。それでも東京は東京で、あっちに仕事がなければこっちにある。そうそう言われている程、皆自粛などしていないし、人混みも減ってはいない。経済や人の営みは、何があろうと止まる事はなく、流れていく。その場、その時で変化(へんげ)できるのも、何も持たない底辺下層の強みでもあり、東京で暮らせなければ他所へ流れて行くだけである。
それを、あれが大変、これが大変と、お涙頂戴話はたくさん出回るが、その「解決」と云うのは実に様々で、そして誰かの責にしてしまえば簡単であるが、そうしたとしても栓がない話にしかならない。まあ、政府やら都やらがやって下さるものは、規制以外は感謝感激。ありがたく頂戴したり利用したりするのが流儀であったりもする。したたかなのである。
新国立競技場を建て替えるため、そこに起居していたテントの人々の転宅支援に回ったのはもう5年も前であるが、そのうちの数名は今も毎日のよう顔を合わせる関係なのであるが、今は自分がどこで暮らしていたかなどと、あえて言わず、スポーツ新聞を広げ、日向ぼっこをし、週末になるとあちこちに出かけと、穏やかな老後の生活を営んでいる。また別の場所に戻って野宿生活を再開した人も居る。今、どうしているのか心配になり、少し探し回ったが、逢えなかった。まあ、それで良かったか否かは本人のみが知る。そして、自分がどこで生きていたかなんてことにノスタルジイを感じるのは、これまた極々少数である。生きるのに必死な時には、そんなことはどうでも良いものである。たまたまそこが、と云うよくある話しである。
決して「オリ・パラのため」ではないが、そんなことがあると、チャンスであるとか、きっかけであるとか、ある人にとってみれば不幸の順番か、幸福の順番か、そんなものが回って来たりもすることもある。
そんなこんなで、第5波となる新型コロナ感染拡大の最中に「オリ・パラ」が、都民から歓迎されているのかされていないのか良く分からず、何故か政治化してしまった状況で、とにもかくにも無事開催されたことは、それを準備して来た様々な人々の賜物である。
そして、その中でも、いろいろなきっかけを作りながら、問答無用の強制排除と云う手法でなく、ニーズ把握と相談をベースにした手法で東京の路上生活者を(都の概数調査上)一応減り続けさせて来たのであるから、それはそれで良かったのであろう(「ホームレス自立支援法」がまだ生きていたことも幸いした)。対立を煽り、そのネタを楽しんでいる人々が多くいる中、この問題は何とか乗り切ったのかなと云う感である。
「オリ・パラ」が終わっても、「コロナ禍」の方が、その収束と同時にどのような展開になるのか、その影響で路上を含め底辺・下層の人々の構成やら、ニーズやら、考えが、どう変わるのかは、風評に流されずに、これからじっくり、仲間と共に注視していかねばならない
事なのだろう。今は水面下に隠れていても、これから表に出て来ることもあるし、これから排除されることもある。
何が起きても不思議ではない、奇妙な世の中、まるで動物園の中に居るような東京。この街は、何があっても、俺らと同じく、くたばりはしないのだろう。
(了)
初出:「新宿連絡会NEWS VOL81」より許可を得て転載 http://www.tokyohomeless.com/
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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