三浦雅士著『考える身体』を読む(後編)
- 2021年 9月 20日
- 評論・紹介・意見
- 野島直子
5,地平線の思考 -ベジャール、テラヤマ、ピナ・バウシュ
だが、この本はここで終わらない。初めに触れたように、三浦は、単行本の文庫化にあたって、「ベジャール、テラヤマ、ピナ・バウシュ」という副題のついたエッセイを挿入しており、ベジャール、ピナ・バウシュの系譜の中間に新たにテラヤマを入れて論じ直しているのである。
もちろん、単行本の段階では、そうした視点を明示しているところはなかった。しかし、改めて読み直すと、いたるところに、テラヤマはいたことがわかる。
たとえば、狭い劇場に靴を脱いだ観客をぎっしり詰め込んで一体感を生み出した、日本の小劇場に見られる「儀式の身体」への言及、ピナ・バウシュをはじめとするダンス・シアターを、人類学の影響を受け、「啓蒙の手段、政治の手段としての演劇の主潮流に対する反措定である」日本の小劇場運動の延長上にとらえることを提案する視点の提示(ちなみに、90年代ピナ・バウシュがダンスを問うダンスを上演するたびに、私は演劇を問う演劇を上演する寺山を思い出し、既視感にさいなまれたものだ)。
また、空海に所縁のある善通寺の胎内巡りへの言及。三浦は、ここで生成する真暗闇の空間が、人を「精神と身体の未分の場」に連れ込むといい、これを「儀式の身体」と関連づけているが、都市において「完璧な暗闇」を上演したテラヤマの試みをここで想起しないでいることは難しいだろう(実際付け加えられたエッセイには言及がある)。
さらには、以下のようなベジャールへの言及。
彼はバレエを劇場から解放し、いたるところに舞踊の興奮を仕掛けて歩いた。さらに彼は、バレエが、そして身体が、深い思索の場所でもありうることを示した。ベジャールのバレエを見ることは、ベジャールの思想を体験することなのだ。
この文章の「バレエ」という語を「演劇」に置き換えたら、そのまま寺山修司についての描写になるだろう。
ちなみに、テラヤマというカタカナ表記は、寺山が1960年代の終わりからいち早くヨーロッパに招待されて、「前衛」として認められ、時期的にはベジャールからピナ・バウシュへといたる流れのちょうど中間に位置するところで活躍していたことによるものであるが、直接の影響関係のあるなしにかかわらず、また、ジャンルの別にも関わらず、三者には確実にひとつの系譜をなすような要素があると三浦は考えるのである。
実際、現在、ある程度距離をもって、この時期の舞台芸術を考えると、近代的表現とそれ以前の様式との間で炸裂しながら、バレエなりダンスなり演劇を問い、「考える身体」を現出させていたという点で、とりわけ、具体的には、「額縁舞台」からの脱出という形でそれが表れていたという点で、三者を同一の俎上に載せることは根拠のないことではないだろう。
しかし、この本で、三浦は、その根拠を、いささか唐突に、いずれの舞台も「地平線をもたらすこと」においており、読者を戸惑わせることになっている。どういうことだろうか。
まず、確認しておきたいのは、三浦には以下のような確信があるということ。
見渡す限りの平原のさらに向こうに天と地が合する密度の濃い一線がある。その一線が誘う未知への憧れと不安が、人間を人間にしたのだ。いや、それを地平線として発明し、それにかかわる存在としての人間を発明したのだ。
そしてもうひとつは、三者の舞台が、こうした「生の条件」としての「地平線」を現出させるという点で共通している、としていることである。
たとえば、ベジャールの『春の祭典』における群舞は、「男なるもの」と「女なるも
の」の「性交」を現出させた「儀式」であることはすでに述べたが、三浦はさらに、ここでこれらを、舞台上で「死を覚悟した移動」、「死を覚悟した性行為」を喚起し、「生と死の地平線、性の地平線」を現出させたものだと書く。実際、男なるものと女なるものの肉体と化したダンサーたちの動きには「未知なるものへの憧れと不安」が表出されており、観客はそこに見えない地平線を見、それに向かい合うことで、人間が人間であることの意味を思考させられるのである。
しかし、とりわけ三浦が注目するのは、作品のテーマ自体に深くかかわるこうした地平線についてだけではない。それ以上に、その群舞が地平線をなして観客の全体に向き合って観客を威嚇するとき、「見る者が一種異様な感動に襲われる」ということである。
たとえば、それは、ピナ・バウシュについても言える。『春の祭典』においてベジャール同様、作品上で「生と死の地平線、性の地平線」を現出させたが、ピナ・バウシュの舞台は、ベジャール以上に、「ダンサーの一人ひとりがそれぞれの名、それぞれの顔をもって、不安と恐怖をそれぞれの流儀で個人的に露わに示す」ために、観客が一般的な観客であることを許さない。『春の祭典』に限らず、たとえば、『コンタクトホーフ』に端的に現れているように、ダンサーたちは、観客に向かい合う、横並び一線の群舞によって「これは私たちのエピソードである以上にあなたたちのエピソードでしょ」と言わんばかりに観客に迫ってくるのである。
テラヤマについては、代表作『奴婢訓』の冒頭シーン、まるで能の橋懸かりにおいてシテが遠くからおもむろに近づいてくるときに現れる生と死の地平線のように、国際貿易センターの大空間において、「前方のメインステージ背後のはるか向こう、小さくは見えるが大扉であるはずのシャッターがゆっくり上がり」、「逆光のもと」浮かび上がった人影が、「三々五々、踊るような姿でゆっくり客席へと接近してくる」ことで現出した、圧倒的スケール、圧倒的迫力の地平線に注目している。これを「すばらしい舞踊だ」とも言っている。
また、演劇などで見られる「横並び一線になって観客を嘲笑する役者たち」、映画『田園に死す』において、「恐山の底から姿を現す黒衣の老婆たち」、「砂山の向こうから姿を現わす数十人の少年たち」、『さらば箱舟』に見られる「客を見つめて前進してくる」役者たちが形作る地平線にも注目を促している(ちなみに私自身は、映画『書を捨てよ町へ出よう』において、最後のクレディットの代わりに、こちら(観客)を見つめる俳優やスタッフ、寺山自身の映像が繰り出されるシーンが、この、地平線の好例だと思っている)。
「客を見つめて前進してくる」といえば、ベジャールの『バレー・フォー・ライフ』もそうで、以上から知れるように、三浦は、舞台に地平線を現出させる手法、「役者あるいはダンサーが横並び一線になって観客を脅かし、同時に勇気づけるという手法」こそ、三者に共通するものだとするのである。
それにしても、この、舞台上に地平線を現出させ、観客に向かい合わせる方法がなぜ画期的なものなのか。これを考えるために、ここで、三浦が、アフォーダンス理論で有名な心理学者、ギブソンの、第二次世界大戦中の発見に注目し、以下のように述べていることを想起しておこう。
簡単に言えば、ギブソンは、飛行機が離着陸するとき、パイロットは世界を自分の視点から遠近法的に眺めたりしているのではない、そうではなく、地平線あるいは水平線を基軸にして、そこから眺め返すように自分の位置と姿勢を直接的に把握しているのだということを、発見したのである。だからこそパイロットは宙返りのようなアクロバット飛行もできれば、急上昇も、急降下もできるのだ。眼が機体に貼り付いていたのではそんなことはできない。いわば、自分から離れて、地平線を手がかりとして空間を把握し、その空間のなかに自分を置き直してそれを動かしているようなものなのだ、というのである。しかも人間は瞬時にそれを行なっている。私が地平線を見ているのではない。地平線が私を見ているのだ。俯瞰する眼こそ世界の基軸なのだ。
いささか舞台の話からそれてしまった印象を受けるかもしれないが、ここで重要なポイントは、遠近法的な空間把握に対比させる形で地平線による空間把握、つまり「地平線を手がかりとして空間を把握し、その空間のなかに自分を置き直してそれを動かしている」ありようを特筆していることだろう。
注意したいのは、「地平線を手がかりに身を置き直し動かすこと」というありようは、パイロットのアクロバット飛行の例からしても、何よりも、演者の身体、踊る身体と深くかかわることだというのはいうまでもないのだが、むしろ、ここでそれは、観客について言われていることでもあるということだろう。
近代の舞台芸術で支配的だったのは、額縁舞台、つまり「客席から演劇空間が一枚の絵のように見える」舞台であり、かつ「演技者と観客との区別が明瞭で、遠近法を用いて別の世界をのぞくような感覚をもたせる」舞台(平凡社百科事典マイペディア)だったといえるが、こうした遠近法がもたらす額縁舞台の舞台構造がいかなる意味をもつかについて、三浦は以下の文章の中で、重要な示唆を与えている。
線遠近法の発明が、消失点すなわち焦点の発明、すなわち中心の発明として、絶対王政の理念と一致することは指摘するまでもありません。近代絶対王政の宮殿が―以前とはまったく違って―シンメトリカルになったのは必然です。しかし同時に、その焦点は、実際にはどこにでも置ける、つまり誰にも置けるという技法であることによって、誰もが自分自身の王である、すなわち主体であることをも含意しているのです。こうして遠近法は、いわゆる近代的個人の発生の象徴となりました。…(こうした遠近法を支える)その座標幾何学が、たとえば劇場の座席表などに端的に示されるように―人は誰でも匿名でありうるように―人間の平等という観念と密接にかかわることも言うまでもありません。主体の自由と平等、これすなわち近代市民社会のイデオロギーということになります。(「スタジオジブリの想像力 地平線の比較文学」『熱風』)
つまり、額縁舞台の観客席は、任意に選べる消失点の効果によって、観客の眺めている地点が世界の中心であるような主体、しかも匿名性を確保された、自由で平等な近代的主体を形成するものとして作られているというのである。
それに対し、地平線による空間把握に相当する舞台経験といえば、既にみてきたように、ベジャール、テラヤマ、ピナ・バウシュに共通する「役者あるいはダンサーが横並び一線になって観客を脅かし、同時に勇気づけるという手法」がもたらすものであり、観客が、自らを中心とした視線に満足するのではなく、その都度「空間の中に自分を置き直すこと」を求められるような舞台鑑賞ということになろう。
前者が、観客に、世界の中心にある眼の主体として舞台を所有する、匿名の安全な鑑賞を許すとすれば、後者は、観客に、未知なる「生と死の地平線」、「性の地平線」を前にして、絶えず自身の位置を問い直し、空間の中に自身を置き直すことを求め、しかも「あなた自身はどうなの」と暗に問いかけることで匿名性に埋没させない、そうした、観客席を脅かすやや危うい鑑賞ということになろう。
そうした意味で、地平線の思考とは、三者に共通して現れた、額縁舞台の脱出という出来事と深くかかわることなのであることがわかる。実際、それは、群舞というものが、舞台の脇にあって、遠近法の消失点に捧げられたそれから、観客に向かい合い、地平線を形成するそれへと、積極的な意味合いに変化していったことに端的に現れているといってよいが、こうして見てくると、逆に、今日スタイル化されてその起爆力が薄まったかに見える額縁舞台の脱出という出来事の意味やその世界観が見えてくるように思われる。
6,考える身体
繰り返そう。
地平線の思考がもたらす主体は、世界の中心にある眼によって対象を認識・所有するスタティックな主体ではなく、俯瞰する眼によって自らの位置を全身で確かめ直すダイナミックな主体である。その背景にあるのは、近代的な自律的(その実、神や王の視線を内面化した)で自由で平等な個人を中心とした世界観に対して、未知なる他者との関わり中でその都度身を置き直す内在的な主体が開く世界観である。
三浦はこうした地平線によって開かれる主体を「「生態系の一部」であるような自己」としており、「そのような自分というもののありようを確かめることこそ舞踊にほかならない」と言っている。
そもそも、三浦において舞踊とはどのような行為であるととらえられていたかというと、第一に、「「人間は死すべき存在」であるが、「それを引き受けることが生きる」ことであるという「不条理な事実」を「身体を通して、じかに納得しようとする行為」」であった。そして第二に、「身体を介して、人間が集団を成していること、共同体を形づくっていることを確認する行為」でもあった。してみると、三浦はここで新たに第三の定義を舞踊に対して行っていることがわかる。「「生態系の一部」であるような自己」を、身体をとおして確かめることが舞踊だというのだから。「舞踊こそ、いわば起源の生態学、原初のエコロジーだったのである」という言い方もしている。
ちなみに、生態系、生態学という言葉は唐突に響くかもしれないが、先に見たギブソンが「生態心理学」という言葉を用いておりそこから来たものであると思われ、三浦自身は狭義の生態学にこだわらず、広い意味で、たぶんにメタフォリックに用いているようである。
もちろん、ここで提示された舞踊という行為についての第三の定義は、第二の定義との差異が微妙なのであるが、人は個人として生きるだけでも、共同体の中で生きるだけでもない、<未知なる他者>に向かい合い、それに生かされていることを知り、共生を試みることによっても(よってこそ、というべきか)生きることを想起すればよい。
実際、地平線とは何か、ということについて三浦は、あるところでは「母」といい、あるところでは「死」、「自己の死」、「死者」であるといい、あるところでは「性的他者」であるといい、あるところでは文字通り「天と地が合する密度の濃い一線」であるといい、またあるところでは「新たな世界概念の縁」だと言っているが、それに向かい合い、それによって生かされていることを知ることで人間が人間になる、そうした<未知なる他者>のことをいっているといってよいだろう。
おもしろいのは、ここで三浦が、地平線が「物理的実在」ではなく「精神的実在」であることを強調し、それが、身体という「物理的実在」に影響を与えると言って驚いてみせていることである。そしてさらに、「芸術はそのすべてを、精神の行為が身体を、つまり物理的実在をどれだけ動かすことができるか、ということに賭けてきたといって過言ではない。舞踊の場合には他に増してそうである」と書いていることである。
舞踊において顕著に現れる「考える身体」のことを言っているのだと思うが、単行本の段階では、これを、プラトン以降抑圧された「精神と身体の区分以前」にあるもの、と表現してきた。あるいは、「精神が身体であり、身体が精神である」という言い方、「精神と身体が微妙に入り組む」、あるいは「舞踊の魔力は、精神と身体という区分そのものを無化する」といった言い方もしてきた。だが、このエッセイでは、精神と身体の二分法をとりあえず受け入れ、いわば「精神が身体を動かす」としている。
やや意外な論理展開だが、もちろん、これはプラトン以降、近代においてとりわけ支配的であった「意識が身体を支配する」、「思考が身体を規定する」といったありようとは別物であろう。精神によって身体が支配され、抑圧される、あるいは消去されるのではなく、舞踊の力とは、精神によって、「反射神経、運動神経の次元から、社会的感情、理性的判断にいたるまで、身体のすべてを根底的に揺るがす」ものなのだ。
精神は身体を動かし、生かし、変容させ、いまだ知られざる力能を引き出すのである。言い換えれば、精神的なものである地平線によって、身体に<生成変化>をもたらすものだといったらよいだろうか。人は、地平線を前にして、豹にもなり、野牛にもなる。単独者にもなり、群衆にもなる。そしてまた、残酷を、エロティシズムを、躍動を、悲哀を生成させもするのだ。
そういえば、三浦は、単行本の段階で、こう語っていた。
演ずるとは、なかば陶酔し、なかば覚醒するということである。なかば自分自身であって、なかば自分自身ではないということ、いや、自分自身の際どい縁、自分という他者の際どい縁にあって、揺れつづけ震えつづけるということである。
舞踊の演者が、地平線に向き合うことでもたらされる身体の<生成変化>、あるいはみずからの上に打ち震え、頂点や目標へと向かわない<連続した強度のプラトー>を形成することを的確に言い当てているといってよいくだりである。その意味では、寺山の舞台では演者だけでなく舞台美術も踊っていたといってよいくらいだ。だが、それ以上に注意しなくてはならないのは、それはまた、そこに立ち合うことで自身の身体を置き直すことになる、観客自身の<生成変化>についても言い当てていると思われることだろう。観客もまた、「踊る」のであって、地平線を前にしたとき、自らの身体を置き直しながら、「自分自身の際どい縁にあって、…揺れつづけ震えつづける」のだといってよいだろう。演者と観客は、ともに、そしてそれぞれに<生成変化>するのである。
そして、何よりも忘れてはならないのは、ベジャール、テラヤマ、ピナ・バウシュにおいて、こうした事態が、額縁舞台からの脱出の途上で、あるいは劇場からの逃走線上で生じた出来事であるということである。実際、それは、遠近法の中心に寄与するピラミッド型の美の位階制のもとにある舞台を上演、あるいは神の眼でそれを鑑賞=所有することとは異なった形をとることによってこそ可能になった事態だったはずである。
つまり、それは、美に奉仕、あるいは美を所有する身体、言い換えれば、自身を超越的な価値に結びつける身体ではなくて、そこからの逃走線上に生じた、地平線に向かい合い、生態系の一部でもあるような<考える身体>によってこそもたらされる、いまだ知られざる美的体験=<強度の体験>だったと考えられるのである。
もちろん、それは一度限り演者と観客が共有したのち消えてしまうはかない出来事である。しかし、演じてしまったからには、あるいは見てしまったからには、けっして後戻りできない、濃密でかけがえのない<出来事>だったと思われるのである。
7,おわりに
以上、『考える身体』を、私なりに6つの項目に整理し、三浦の言葉に極力寄り添いつつ、最終的にそこから得た私見を少し交えるかたちで、その身体論、舞踊論を追ってきた。私にとっては、とりわけ、タイトルとなった「考える身体」を問題化する手つきに加え、寺山をアルトーではなく、ベジャール、ピナ・バウシュと関連づける視点は新鮮であった。
だが、それにしても、ベジャールとピナ・バウシュを並べることはともかく、ここにテラヤマを入れることには抵抗を示す人がいるのではないか。テラヤマは演劇人であって、舞踊家ではないし、そもそもベジャールやピナ・バウシュのような世界的芸術家と並べるほどの存在なのかと疑問に思う向きもあるだろう。
しかし、三浦と同じような見解を表明している人はほかにもいるのである。それは、現在世界的に活動している舞踊家、金森穣である(私自身は、『ラ・バヤデール 幻の国』と『Mirroring Memories-それは尊き光のごとく』を見たが、素晴らしい舞台だった)。彼は、「神奈川近代文学館」の機関紙の中で、寺山を、ベジャール、ピナ・バウシュ、フォーサイスの中に見いだしたことを証言しているのである。
2003年、十年におよぶ欧州での修行、そしてダンサー、コリオグラファーとしての活動をへて日本に帰ってきた金森は、寺山作『青ひげ公の城』(もちろん寺山演出ではない)を見て、呆然としたという。劇場とは何か、演劇とは何か、あなたとは誰か、といった問いがその身に押し寄せてきたからだという。金森は書いている。
言葉によってそこにあるはずのものを消し去り(無効化し)、そのことによって、そこにあるはずのないものを現出(想起)させること。その詩的感動は、欧州で私が幸運にも師事した二十世紀の巨匠たちの、しかも傑作によってしか味わうことのできない類の感動でした。
ちなみに、金森は、二十世紀の巨匠のひとり、ベジャールに師事していたから、ここでベジャールとの類比が言われているといってよいだろう。そして、その後、寺山について学ぶにつれ、金森は、当時欧州コンテンポラリーダンスの最前線と目されていたピナ・バウシュやフォーサイスのなかに寺山を見いだしていったと言い、「バウシュによる日常の劇化(舞台への導入)は寺山の市街劇の鏡面であり、フォーサイスによる身体の解体や舞踊の脱構築は寺山演劇そのものです」とし、以下のように書く。
日本の演劇が世界の最前線にいたこと、それはこの国を舞台芸術後進国としか考えていなかった私にとって、日本を初めて発見した瞬間であり、この国の舞台芸術界が抱える問題を発見した瞬間でもあり、西洋と東洋の文化の融合という自らの活動の鉱脈を、この国の地下に発見した瞬間でした。
さらに、金森は、2004年に自身の舞踊団「Noism」を立ち上げるが、その名の由来が【名づけること】ができなくなったことに起因しており、第一作のタイトル名『SHIKAKU』も視覚、死角、資格、四角などを意味する遊戯であり、それは、多くの評論家が見たようにフォーサイスの影響ではなく、寺山の影響であったことを書いている。
金森は、寺山と同時代に活躍した演劇人・鈴木忠志との関係が深く、その系譜のなかで語られることの多い舞踊家だが、この機関紙のなかでは、寺山作品との出会いや受けた影響について真摯に語っているのが印象的である。三浦の見解の妥当性の証人となっているようにも思える(ちなみに金森は2021年の今年、『春の祭典』を上演している)。
ただし、金森の書いたものを読むと、寺山は、ベジャール、ピナ・バウシュもさることながら、フォーサイスと関係が深いように思われる。三浦自身には、フォーサイスへの言及が多々あるが、寺山との関係について書いたものはまだ目にしていない。
フォーサイスは、バレエの近代化を推し進めたバランシンの延長上にあって、近代化を究極まで推し進めた先にある、身体的なものの現出を問題化し、バレエとは何か、劇場とは何か、身体とは何か、美とは何か、という根本的な問いを発するコリオグラファーである。バランシンのなかに残っていた、美の位階制のような中心性も破壊、相対化した。
本稿で扱ったように、ベジャール、ピナ・バウシュ同様、寺山が近代的表現とそれ以前の様式の間で炸裂しながら「考える身体」を現出させており、地平線の思考とでもいうべきものをもたらしていた、というのは、おおむね正しいが、寺山には、一方で徹底したモダニストの側面もあったことを考えると、それに加えて、フォーサイスとの類比も視野に入れる必要があるかと思う。しかし、それは寺山=テラヤマ論の今後の問題である。
本書は、ベジャール、ピナ・バウシュ、テラヤマと三者を並べることで見出される「考える身体」そして、「地平線の思考」について、これ以上とはない豊かな議論が展開されている。新著『スタジオジブリの想像力 地平線とは何か』(講談社)にもつながっており、三浦の思考の新展開が予想されるものでもある。その意味で、掛け値なしに刺激的な書物だといえる。
事実、この本は、私にとって、読んでしまったからには、そして書いてしまったからには、けっして後戻りできない、<出来事>としての読書体験をもたらすものとなった―最後にそのことを記して、本稿を閉じることにしたい。
【補遺】
私は、この原稿の大半を、三浦氏の新著『スタジオジブリの想像力 地平線とは何か』(講談社)の出版前に書き上げており、新著を参考にできなかった。先日新著を手にし、新著では、「西洋ルネサンスとアニメ・ルネサンスを雁行する視覚芸術史上の事件として眺める」という視点で書かれており、本稿のように、地平線の思考が、かならずしも、遠近法的世界観と対立するものとしては描かれていないことを知った。そして遠近法が用意した世界観も、肯定的に書かれていることがわかった。しかし、『考える身体』の時点では、本稿のような読みも可能な書かれ方をしていたと思うので、修正を加えないで、公表することにする。
(2021年9月13日)
参考文献
三浦雅士『身体の零度-何が近代を成立させたか』講談社、1994年
―『バレエの現代』文藝春秋、1995年
―『バレエ入門』新書館、2000年
―「スタジオジブリの想像力 地平線の比較文学」『熱風』(2021年3月)所収
ドゥルーズ=ガタリ『千のプラトー 資本主義と分裂症』河出書房新社、1994年
金森穣「僕と私の寺山修司」「神奈川近代文学館」機関紙142号(2018年10月)所収
初出:ブログ「宇波彰現代哲学研究所」2021.9.13より許可を得て転載
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion11308:210920〕
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