ミャンマー、市民戦争の激化ともうひとつの教育
- 2021年 10月 5日
- 評論・紹介・意見
- 野上俊明
ドイツ公共放送「ドイツの波 DW」(10/1)は、ミャンマーの民主派勢力におけるアウンサスーチーの現位置について考察を行なっているが、私の考えるところとまったく一致しているので意を強くした。はじめにそのことに触れておこう。
DWによれば、軍事政権による現在のみせしめ裁判は、スーチー氏の声望をいっそう高める結果になるであろうが、「しかし具体的な政策に関しては、民主派勢力はアウンサンスーチーから脱却しつつある。若いジェネレーションZ、市民的不服従運動、国民統一政府(NUG)の反政府勢力、抵抗軍の人民防衛軍(PDF)などは、それぞれの道を歩んでいる」と述べている。具体的な政策に関しては、さしあたり武装抵抗、少数民族との統一戦線、ロヒンギャ問題の扱いなどが目立った違いであるが、今後の展開次第では様々な分野に及ぶ可能性がある。
囚われの身であることでもあり、今後スーチー氏の民主化運動における役割は、言うなれば「君臨すれども、統治せず」という立憲君主のそれに似たものとなるのではないか。現実政治のかじ取りの役割を果たせない以上、民主化運動の象徴的存在にとどまらざるをえない。新しい指導部が独り立ちの勢いを強めれば、それは不可逆的なものとなる。となると、スーチー氏を獄に閉じ込めることによって、反政府運動全体を弱体化させるという軍事政権の目論見は当てが外れることになる。そしてスーチー氏に過酷な刑罰を科せば科すほど、国民の敵愾心はいっそう募り、逆効果に終わる。
もしクーデタが起きていなければ、スーチー氏主導の中道的改革路線―緩やかな経済・行財政改革―や党運営の在り方―長老支配や権威主義―に対する若い人々や少数民族の批判は、しばらくは表面化しなかったであろう。表面化したとしても、それが新しい路線、政策に結実するには、複雑な党内闘争や政治闘争を経なければならなかったであろう。しかしクーデタはそういう手間を一挙に無用にし、「春の革命」に棹さす新しい指導部を政治舞台に押し上げた。彼らが現実的に国民運動の指導者となりうるかどうかは、もちろんこれからの闘い方いかんにかかっている。その場合、多民族多宗教国家の国民を束ねる統一戦線をつくり上げ、老壮青の団結の錬成に成功するかどうかが鍵となるであろう。
<深刻化する経済危機>
このところミャンマー・チャットの通貨価値が40%も急激に下落、1$=2500~3000チャットにもなっている、そのためインフレが進行、燃料費が2倍に、食糧費も軒並み上がっている。政府ー中央銀行がドル介入しているが、焼け石に水の状態である。金融システムの機能不全もさほど改善されず、貿易・投資をはじめとする国民経済の不振は目を覆うばかりである。さらに市民的不服従の一環として多くの市民が納税を拒否している現状では、国の財政制度は歳入欠陥を免れず安定しない。
つい先日、軍事政権トップのミンアウンライン国家行政評議会議長は、10年後にミャンマーを東南アジアトップクラスの経済強国にすると根拠なく力んでみたものの、経済は正直に現状を映し出す。アジア開発銀行(ADB)は、ミャンマーの2021年度(20年10月~21年9月)の国内総生産(GDP)成長率を、18.4%のマイナス成長に下方修正。4月の見通しから2倍の下げ幅となり、東南アジアで唯一のマイナス。インフレ率も6.2%としているが、短いスパンでは10%以上になっているのではなかろうか。企業活動の不振からくる就業人口の縮小はすすんでいる。可処分所得・貯蓄ゼロに等しい貧困層は、いったいどうやって生活しているのか。仏教やイスラム教、ヒンズー教の各宗教共同体をベースにした相互扶助活動によってなんとか支えられてきたにしても、「ラクダの背中を折った一本の藁」のたとえではないが、限界点はすぐ目の前にあるとみるべきであろう。
さらにクーデタと内戦状態の被害が深刻なのは、稲作農家であるという(ミャンマー・フロンティア10/1)。農業セクターは、GDPの30%以上を占め、就業人口の60%以上が従事している主要産業である。ところが稲作農家は、インフレ悪化のため生産コストと輸送コストが上昇、収量の低下や価格の低さに直面しており、生き残るために十分な収入が得られなくなるのではないかと深刻な不安に駆られているという。価格高騰で肥料や殺虫剤などの使用を控えざるを得なかったので、本年の収穫量は30%減を見込んでいる。また人件費高騰により、刈り入れ期を迎え十分労働力を確保できなくなるおそれもある。いずれにせよ、公的金融制度が整っていないので、資金不足から高利で借り入れをして首が回らなくなり、土地を手放すという過去繰り返してきた農業危機にみまわれかねないのである。農村部は歴史的に都市部での雇用変動の調節弁として機能してきたが、この機能もあやしくなっている。
アジア的原風景 田植えの様子 Shanti Blog
<激戦つづく諸管区、諸州>
軍事政権治安部隊による弾圧はやまず、2/1~9/30の8か月間で国民側の死者1140名、8584名が逮捕され、いぜん6921名が獄に囚われているという(AAPP 政治犯救援協会)。弾圧の際の残酷さは相変わらずで、チン州のタントランという町は国軍の砲撃によって多くの家屋が炎上。その際、火を消し止めようウとしたプロテスタンの牧師が殺され、左手薬指が切り取られて指輪がなくなり、時計や携帯電話も奪われた。ハム牧師の死で、あとには妊娠中の妻と二人の子供が残されたという。
9月18日、チン州タントランの住宅地で国軍は重火器や爆発物を使って銃撃し、家々が燃えた。/ CJ
国軍により射殺され、指輪を奪われたクンビアハム牧師 JBpress
また初めてではないが、負傷した住民をその意識があるのにガソリンをかけ焼き殺した。国軍司令部は略奪を戦闘員に与える戦闘報酬として黙認(ないし奨励)しているふしがある。しかしこうした残忍で貪欲で規律に欠けた軍隊が強いはずがない。軍隊の強さは、正しい戦術と適切機敏な用兵、忠誠心、内部規律・高い士気、装備・補給、訓練、報酬、そして何よりも国民からの信頼によって担保される。そういう観点からみれば、国軍は欠陥軍隊以外のなにものでもない。ミンアウンラインの粗雑な私兵的集団に過ぎない、だから残酷なのだ。ただし国民意識の側が負け犬根性にとりつかれているかぎりは、残酷さを強さと誤認し、敵の姿が枯れ尾花ではなく怪物に見え、精神はなおいっそう萎縮する。しかし2・1クーデタは、この国民意識のどんでん返しを意図せずに行ない、革命的な巨大な意識を呼び起こしてしまったようである。
ヤンゴン市内に住む知人は、国軍内に厭戦気分がはびこり始めたのではないかと言う。先日、彼はミャンマー人の友人に郊外のワクチン接種会場に連れて行ってもらって、その帰り道近くの高級レストランに立ち寄った。そのとき隣のテーブルにいた恰幅のいい人物は、友人の知り合いだったので紹介され挨拶を交わしたという。その人物は商売で成功していると耳打ちされた。そして分かったことは、彼は元地位のある軍人で、ロヒンギャ危機の前に軍本部に大金を払って除隊したので、今回の騒ぎに巻き込まれず助かったと述べたという。まだ現役の昔の仲間からは、お前は運がいいとうらやましがられるとの話。
「ミャンマー・ナウ」などの地元メディアによれば、チン州では9/7の宣戦布告以来の2週間で、30人のミャンマー警察官や兵士が軍政に抗う市民的不服従運動(CDM )に参加した。2月1日のクーデタ以降では、チン州の軍政に反対してストライキを行ったのは、チン州全域のチン族の民間武装勢力で構成されるチンランド防衛隊によると、合計で350人の警察官と21人の兵士だという。
またカヤ―州では、離脱した320人の警察官が、反政権グループと協力してカヤー州の軍政に対抗する警察部隊を結成したという。ミャンマーでは、2月以降、約41万人の政府職員が軍事政権に対してストライキを行っているが、政権の下で働くことを拒否している治安部隊員を支援する団体「ピープルズ・エンブレイス」によると、8月時点で、約2,000人の政権の警察官や兵士もCDMに参加していたそうである。数字は必ずしも裏付けられたものではないのでそのまま信用はできないが、それでも治安部隊の忠誠心にひびが入り、徐々に拡大しているのが見て取れる。
5月下旬にカヤー州とシャン州で始まったカレンニの抵抗勢力による戦闘は、9月に入っても活発に続いている。9/29にはカヤ―州の州都ロイコー近郊の村で40台の国軍の車列を待ち伏せし、10時間に及ぶ戦闘の中で、約30人の国軍兵士が死亡、約30人が負傷したという。カヤー州やそこと地続きのシャン州南部でも同時多発的に戦闘が勃発、政権軍は、他の州や地域から数百人の援軍を投入し、村々に無差別に砲撃を加え、住宅地に地雷を敷設している。
ロイコー近郊のコネター村で、国軍との銃撃戦を行なうロイコー人民防衛隊 イラワジ
9月9日、マグウェ地域のミンター村で、10代の若者が虐殺された イラワジ
国軍は9/12、首都ハカを除くチン州全域とマグウェ管区の3つの郡区で、町への砲撃や村への放火などの暴挙を行い、インターネットへのアクセスを遮断した。※現地では、インターネットの遮断は、政権が被災地の反体制派に対してさらに激しい暴力を行使する準備をしていることを意味するという。国軍は、特にサガイン管区、マグウェ管区、チン州において、査察、逮捕、襲撃、住宅地の焼き討ちや爆撃などの暴力をエスカレートさせている。NUT(国民統一政府)によると、9月21日から27日の間に、211件の衝突・戦闘が発生し、224名の軍人が死亡、38名が負傷したという。9/29にはマグウェ管区のガンガウ群区で、隣のチン州のレジスタンス勢力とチン民族軍が約100人の国軍を待ち伏せし、25人以上の兵士が死亡した。また約60人の民間人が死亡、28人が負傷した。
チン州では、政権軍と民間の抵抗勢力との間で激しい都市部での戦闘が行われているが、チン州のすべての農村部はチン州防衛軍の支配下にあると、CDFのスポークスマンは発表。9/29共同通信系のNNAによれば、ミャンマー西部ラカイン州の8割を少数民族武装勢力アラカン軍(AA)が掌握しており、地元選出の下院議員だったペ・タン氏は、同州では国軍の統治機構は崩壊状態にあるとの見解を示している。
※NNA10/4によれば、クーデタ後もミャンマーの携帯電話サービス最大手のMPTを支援し続けるKDDIと住友商事には、ミャンマーでの通信の傍受と遮断に協力しているとして、民主派の市民などから批判の声も上がっているという。2社はミャンマーでの事業活動について「さまざまな意見があると承知している」としつつ、市民の生活や経済活動、人権尊重に向けて「プラスの影響がある」と強調。事業継続に意欲をにじませた、としている。
<少数民族地域でのエスニック・スクール>
2・1クーデタから8か月、大学教育は5月、その他は6月から新年度が始まったが、公教育は以前半身不随のままである。大学では、5月でもなお半数以上の教員がストライキに参加。また初等中等教育では6月初めでも約40万人の教員の半分が職場放棄して、CDMに参加していた。総生徒数900万人と言われるが、昨年のコロナ禍とクーデタ禍による休校のため、全生徒が進級なしで、実質留年措置となった(公益財団法人 民際センター9/9)。
調査報道には定評があるフロンティア・ミャンマーの特集記事「教育ボイコットのなか、エスニック・スクールが穴埋めに貢献」の要旨を以下ご紹介しよう。
少数民族カチン独立機構(KIO)が運営する中高一貫校「アレンバムIDPsボーダー」の2021年度6/1の開校日。生徒たちの屈託のない笑顔が、学校への良き信頼を表している。昨年から3倍増以上の2、200人の入学希望者に対応して、おそらく二部式か三部式授業を行なっていると思われる。 FRONTIER
軍事政権下での公立学校のボイコットにより、「民族コミュニティ・スクール」の入学者数が急増し、少数民族組織が一般市民(ビルマ族ら)との信頼関係を広げ、理解を深める機会となっているという。カチン独立機構の教育部門の責任者の言――「今、人々はビルマ政府の教育システムを信じていません。親たちは私たちを信頼して子供たちを送り始めています」。国民統一政府NUGの教育省は、軍政下で学校をボイコットした生徒たちが学習を続けられるよう、基礎教育のための家庭学習プログラムを鋭意開発中であるが、まだ機能してはいないので、教育に空白ができている。そんななかで民族コミュニティ・スクールは、クーデタ以前から中央政府の学校に不満を持っていた人々にとって、数少ない無料または低コストの選択肢となっているという。
多くの場合、少数民族組織や市民社会組織によって運営されている民族コミュニティ・スクールは、何十年にもわたってミャンマーの国境沿いで運営されており、歴史的に政府への支持が弱い地域や、政府の存在感が薄い地域の教育格差を埋めてきた。この学校の特色は、「一般的には生徒の母国語で授業が行われ、教育省の授業に加えて、または代わりに民族の歴史の授業が行われている」(太字筆者)。一般に少数民族の自決権保障のスペックには、アイデンティティ尊重の一環として民族言語による教育が含まれる。アメリカの研究でも、共通言語のみを強制された場合に比べ、少数民族言語と共通言語の併行教育は、共通言語の習得にも著しい効果があるとされる。たしかに私の経験でも、少数民族出身者は総じて語学能力が高い。
カチン独立機構、カレン民族同盟、新モン国家党(NMSP)などの少数民族組織は、国内で最も定評のある民族教育機関を有するという。彼らの担当者によれば、クーデタ後のボイコット運動の結果、多数派のビルマ族やその他の少数民族からの入学者が増えたのだが、昨年の入学者数に基づいて今年度の準備をしてきたため、予算も施設も逼迫している。COVID-19の流行やクーデタによるキャッシュフローやサプライチェーンの混乱、運営コストの上昇なども相まって、エスニック・コミュニティ・スクールは生徒数の増加に対応するのに苦労しているという。
国連児童基金(ユニセフ)によると、ミャンマーでは過去10年間で予算配分の増加やカリキュラムの改革など、教育分野で大きな進展があり、学校の修了率は2015年の67%から2019年には76%まで上昇した。しかし、COVID-19や今回の軍事クーデタによって、これらの成果の多くが失われようとしている。5月、ユニセフ、セーブ・ザ・チルドレン(イギリス系のNGO)、ユネスコは共同声明を発表し、ミャンマーでは1,200万人以上の生徒が1年以上にわたって組織的な学習を受けることができず、最も貧しい地域や遠隔地の子どもたちが最も影響を受けている可能性が高いと警告した。
今年の6月1日に公立学校が新学期開始をしたとき、ミャンマー教職員連盟の推計によると、全国で800万人以上の学生と20万人の教師が欠席(ボイコット)していたという。彼らの多くは、「軍隊的奴隷教育」に抗議し、公務員の「市民的不服従運動」に参加していた。また、多くの学生や保護者が公立学校のボイコットを決めたのも、学校が爆発物の標的となる可能性があり、安全性への懸念があったからという。ただ一部の地域では紛争に関連した軍事攻撃のリスクが残っている。4月には、カイン州のパプン郡区にある4つの学校が夜間に軍の空爆を受けた。KIOの支配地域では、教育者や親たちが「安全な場所はどこにもない」と感じている。「私たち(KIO)は、緊急時に備えて各家庭に塹壕を掘るようにお願いしていますが、ずっと塹壕の中にいるわけにはいきません。私たちは仕事や学校に行かなければなりませんし、爆弾や砲弾がどこに落ちてくるかもわかりません」と、語る人もいる。
国軍による空爆被害・カレン州のコミュニティ・スクール。 Frontier
伝統的に丸暗記を奨励するミャンマーの政府の教育カリキュラムに比べ、ミャンマーの民族基礎教育システムは比較的発達しており、批判的思考やコンピテンシーベースの学習・評価を州立学校よりも重視する傾向が強いと、識者たちは指摘する。しかし民族コミュニティ学校を卒業した学生は、高等教育の選択肢が限られているのが悩みである。教育省が、教育省のカリキュラムを教えていない民族コミュニティ学校が発行した証明書を認めていないからである。民主的な連邦国家になれば、民族コミュニティ学校とそのカリキュラムがミャンマー全土で正式に認められるであろう。NUGの教育省の担当者によると、NUGは、生徒が能力に基づいて評価され、民族コミュニティ学校や家庭学習の選択肢が政府運営の学校と同等に認められるシステムを構想しているという。
有力な軍隊を有する少数民族組織は、武闘だけでなく教育はじめ民生部門の統治能力にも優れた点があることがわかる。カレン族やカチン族、チン族やカヤ―族などの少数民族地域は、アメリカン・バプテストなどキリスト教会との結びつきが強く、教育熱心であることも知られている。NUG(影の中央政府)と少数民族組織とが民主的な連邦国家の建設という政治目標で結び合い、政治的軍事的共同行動を進化させ、軍事政権を追い詰めることを期待したい。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion11354:211005〕
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