ミャンマー軍事政権ー縮まる国内外の包囲網
- 2021年 10月 21日
- 評論・紹介・意見
- ミャンマー野上俊明
<国際社会の動き>
アセアンは今月末に開催される首脳会議に、クーデタ政権トップのミンアンライン総司令官を招かないことに決定した。軍事政権が4月に合意した事項をまったく履行しておらず、誠意のない態度に終始していることに対し、アセアンが業を煮やして懲罰的対応をとったということである。首脳会議にはバイデン大統領はじめとする西側首脳も参加予定であるので、ロヒンギャやミャンマー市民への大量虐殺命令者を同席させるわけにはいかなかったのかもしれない。しかし過去には独裁者タンシュエ時代(1990年~2000年代)に生起したサフラン革命(2007年)やNLD=スーチー氏への弾圧の際には、国際社会からの強い要請があったにもかかわらず、アセアンは内政不干渉の原則を盾に厳しい対応をとらなかった。今回のアセアンの対応は、クーデタ政変が政治的正当性を欠いた理不尽なものであることへの、かつてない国際社会の怒りと圧力とを無視できなかった結果である。それもこれも、クーデタ以降の日々の動向が伝統的なメディアだけでなく、SNSを通じて世界に同時発信され、国軍の残虐さと市民的抵抗の激しさが全世界の人々に強い印象を与えたことにある。また日々増え続ける犠牲者の数を発信し続ける「政治犯支援協会AAPP」の活動は、正確な事実の持つ重み、大切さを国際世論に知らしめることになった。
加えて欧米諸国においても軍事政権の包囲網をいっそう強める動きがあった。10月7日、欧州議会は、ミャンマーの影の政府(NUG)とその議会委員会(CPRH)を、ミャンマーの正当な代表として支持することを最初の国際機関として決議した。またそれに先立つ10月5日、フランス上院はNUGの承認を求める決議を全会一致で採択した。下院もこの投票を承認すれば、フランスはミャンマーの影の政府を公式に承認した最初の国となる。
窮地に追い詰められている軍事政権は、スーチー氏の主任弁護士によれば、かん口令を敷きメディア関係者との接触やソーシャルメディアで公の発言をすることを禁止したという。スーチー氏の発言が伝わって、国民の反対運動を励まし、再び激しい抵抗運動が燎原の火のごとく燃え広がる事態を怖れているのであろう。
海外での抗議活動:8月にロンドンで行われたミャンマー民主化運動の支持者によるデモ DW
韓国の連帯デモ FB Myanmar news now
<忠節と変節の政治ドラマ>
クーデタにより失脚し、扇動罪などの罪で訴追されているNLDのウィンミン大統領が、クーデタ当日の模様を代理人弁護士に語っていたことがわかった。それによると、2月1日早朝に軍高官2人が部屋に押し入り、ウィンミン大統領に対し健康上の理由で大統領の職を辞任するよう迫った。もし拒否すれば多くの危害が及ぶと警告されたが、ウィンミン大統領は、「同意するぐらいなら死ぬ方がましだ」と、毅然と答え縛についたという。
ウィンミン氏は囚われの身である以上現実的な指導はできなくとも、しかし敵の脅しに屈することなく、民主主義と国民への忠誠が揺るぎないことを身をもって示すことにより、値千金、民主派の政治道徳の優位性を顕示し、国民を激励したのである。軍事政権が政治指導者と国民とのきずなを断ち切ろうとしても、刃は跳ね返されてかえって国民の闘争心を煽る結果になっている。
しかし他方、戦前の日本においてそうだったように、苛烈な弾圧は「転向」を呼ぶ。NLDの若手トップの一人であったヤンゴン管区首相―東京都知事と同格―ピョーミンティン氏は、スーチー氏の裁判において民間人として証言台に立ち、自分はスーチー氏に60万米ドルと7ヴィース(11.4kg)の金を賄賂として手渡したと述べた。アウンサンスーチー氏は、同氏の弁護士によると、管区首相から賄賂を受け取ったとの証言を否定し、その主張を「すべて不合理」と切り捨てたという。誰が見ても稚拙なでっち上げとわかる政治裁判の片棒担ぎをし、うその証言をしたピョーミンティン氏の末路は哀れである。もはや国軍の走狗として生き延びるほかない。「モスクワ裁判」を彷彿とさせる政治ショーで国軍に屈服して証言したその瞬間、ピョーミンティン氏は自らその政治生命を断ったのである。
ウィンミン大統領 イラワジ スーチー氏の最側近だったピョーミンティン氏 日経
<国家テロに対する武装レジスタンスの正当性>
前置きめくが、ミャンマーの国民的抵抗運動が採用している武装闘争の意味を再確認しておこう。長い間ミャンマーへの国際社会の注目と共感が、アウンサンスーチーの非暴力不服従思想によるところが大きかっただけに、武装闘争の採用に失望を感じる向きも少なくないであろう。しかしまず理解しなければならないのは、ミャンマーの圧倒的多数の市民が日々国軍の暴力ー殺人、略奪、拉致、拘留、暴行、破壊、放火、レイプーにおびえ、「その時」の物理的精神的備えをしなければならなくなっているということである。冗談ではなく、万一国軍兵士が侵入してきたときに、命と財産を守るために、大切なものをどこに隠し、命乞いのために何を差し出すか等、どこの家庭でも真剣に備えをしていると聞く。ミャンマー市民にとって、国軍は国土と国民の生命と財産を守護する普通の軍隊ではなく、自己利益のためならどんな野蛮な行為でも平気で行なう、国家的暴力集団、国家的テロリスト集団以外のなにものでもない。野党時代のアウンサンスーチー氏は、恐怖支配は国軍の常套手段であると厳しく批判してきたが、今回のクーデタは万人の目にまがうかたなくその実態を焼き付けたのである。
法廷でピョーミンティン氏は、スーチー氏の炎のようなまなざしに射すくめられたかもしれない。
ミャンマー国軍は、長期の軍部独裁体制のもとで世にもまれなる存在と化した。国家の一部として軍隊があるのではなく、軍が国家を包摂し、私(わたくし)している国がミャンマーなのである。国家の中に国軍というもう一つの強力国家、強力独立王国があり、それが国家を乗っ取り、国家を逆支配している。国軍の会計(国軍傘下のコングロマリット含む損益計算書、バランスシート)はブラックボックスであり、その上に国防費を国家予算に計上し受け取っている。国軍系企業体はもちろん納税義務を免れているし、各種の特権を享受しており、国軍は「究極のビジネス」(一度やったらやめられない、おいしいビジネスという意味)となっている。※
※かつて女性の接待を伴う飲食業はすべて禁止されていたが、秘密警察系のディスコやバーだけは超深夜営業していた。こんな店が流行らないわけはない。秘密警察トップのキンニュンの失脚には、こうした利権が背景にあった。
ちなみに国軍は、ミャンマー最大の(寄生)地主でもある。ヤンゴンの一等地の多くは国軍が領有しており、ある意味国軍と関わることなくして、外資が投資し新規の事業を開始するのは難しいほどだ。ヤンゴンだけではない、他の大都市も有名な観光地も一等地は国軍が領有し、土地の賃貸なり、外資と組んでの合弁なりで開発事業を行なおうと待ち構えているのだ。農村も例外ではない。土地は国家所有という憲法上の建前から、土地強奪をクロニ―企業と組んで繰り返してきた。マググェ管区やサガイン管区の農村部での激戦は、その背景として土地をめぐる農民と国軍系支配者との「階級闘争」があるのかもしれない。
さて、国軍支配とはどんなものか、日常生活の中での私の小さな経験を例にとってお示ししたい。
――私はある夏のこと、妻と二人でシャン州の景勝地巡りをした。ヤンゴンから長距離バスを利用しての一週間の旅であった。帰路、イギリス人が拓いたシャン州のカロ―という有名な避暑地でバスは留まった。カロ―はパインランドと呼ばれるように松が多く、日本人はもとより欧米人にも人気の観光地である。その一方、カロ―は陸軍士官学校の所在地で、ミャンマーの最良の土地は国軍が独占的に領有し支配する、その典型的な土地であった。ともかくバスは停留所で停車した。トイレ休憩程度なのだから、長くても20分ほどで出発だろうと思っていた。しかしそれから一時間たってもバスは停車したままである。なんのアナウンスもない。これはおかしいよと妻に言ったが、待つしかないとミャンマー式答えである。そしてそれから30分ほどして、バス停には将校や兵士ら5人ほど現れ、何かやり取りしている。何かあったのではと少し不安になったが、さすがの妻もおかしいという。するとそのとき一見して上級軍人の妻とわかる婦人が現れ、将校が先導してバスに乗り込んできた。その婦人は、我々を睥睨するようにゆっくり通路を歩いて後部座席に座ったのである。ずいぶん偉そうにしているな、と私は思った。
それですべてが分かった。バスは将校夫人を待つために、大幅に出発が遅れたのである。公共交通機関の発着も意のままにする上級軍人、しかも噂に聞いていた通り、上級軍人の家族の身の回りの世話まで部下はしなければならない。
「軍人でなければ、人でない」という不思議の国の正体をみた気分であった。私は心のなかで、こんな軍人支配を許すなんてミャンマー人はなんて情けない国民かと毒づいた。しかし私はまちがっていた。今回の国民総決起から分かったのは、誰よりも怒り、情けなさに歯噛みし、悔し涙を流していたのはミャンマー国民自身だったということである。
以上のことを前提にして確認しておきたいのは、民主派勢力の武装闘争は、軍事政権打倒という全体的な政治闘争の一部であり、敵の暴力から国民の命と財産、国民運動を守るための武装自衛という基本性格を持つということだ。スーチー氏らが築いてきた「非暴力平和主義」的抵抗の伝統は無にされるわけではなく、それは武装闘争の際の内面的規律、倫理的凖拠点として生かされるであろう。国軍の卑劣で残虐な作為と同水準の暴力の応酬に陥らないようにするために、すでに影の政府は、5月初め「人民防衛隊」の発足と同時に武装闘争の基本原則を定めた。文民統制の徹底という枠組みのなかで、自らの武装闘争に強い倫理的縛りをかけている。もちろんそれがどの程度実効性をもつかは、ひとえに影の政府の「政治的」影響力、とりわけほとんど連携なく行なわれてきた各地のゲリラ闘争を束ねる統合力にかかっている。
いずれにせよ、非暴力抵抗から武闘への転換は、1962年の軍部クーデタから今回のクーデタまでの60年に及ぶ軍部支配を顧みて、国軍支配を脱しない限りこの国に未来はないと思い定めてなされたのである。軍部独裁にはもう耐えられないし、この国の未来世代のためには支配を続けさせてはならない、どんな犠牲を払ってでも軍部支配を止めさせて、国民主権、文民統治を打ち立てなければならない。そしてそれを実現するためには、丸腰の国民を標的にして殺戮をいとわない国軍による権力テロに対抗して、武装自衛を行使して打倒する以外にない――そういう全国民的な規模での腹のくくり方、覚悟のほどを理解しなければならない。そしてその覚悟へと全国民を踏み切らせた、「Z世代」の若者たちの勇気と創意と犠牲的行動力は絶賛に値するものだった。そして自由は人々に政治的勇気と未来への展望を与えるものであることを、ミャンマーからの貴重な贈り物として、われわれは受け止めたいと思う。
カヤ―州デモソ郡区コネタール村を占拠したKNDFの戦闘員 武装レジスタンスに参加した22歳の若者
<5月カレン州ティハム、サルウイン川近くの国軍前哨基地奪取>
カレン民族解放軍の捕虜となった7名の国軍兵士
国軍の前哨基地を攻略し奪取。
勝利の後、村へ帰還、歓迎を受ける。 写真はいずれもYouTube
<迫りくる国軍大攻勢―国際社会の協力を>
国民統一政府NUGの内務・移民省によると、9月7日から10月6日までの間に、少数民族系武装グループや民主派抵抗勢力による攻撃で、1,562人の国軍兵士が死亡、552人が負傷した。国軍は政治的軍事的劣勢を挽回するため、北部の武力衝突地域であるチン州、サガイン管区で全面戦争の準備を整えていると伝えられている(Radio Free Asia10/13)。それと関連するのであろうか、すでに10月初旬、国軍はザガイン管区カレーミョ(カレー)郡区から士官の家族ら約30人を大型軍用機で退避させたもようだ。また在ミャンマー米国大使館は14日、在留米国人に対し、ミャンマー南部タニンダーリ管区にある3つの郡区から退避するよう勧告した(NNAニュース)。ミャンマー軍の中でも最も悪名高い司令官の一人である、警察長官で内務副大臣のタンフライン中将と、サガイン管区モニワにある軍の北西司令部には、人民防衛隊PDFに対する軍の作戦を指揮するテイザキョウ中将が配属されているという(イラワジ)。各抵抗組織が連携して同時多発的に戦闘を行なえば、国軍も一か所のみに大部隊を張り付けるわけにはいかず、防備が手薄になる。したがって速戦即決で陸上と空の立体作戦で決着をつけようとするであろう。狭い抵抗拠点に対し、数千人規模の大部隊での電撃作戦を行なう可能性は大いにあるであろう。
このところの攻防を見ていると、ベトナム戦争の初期を思わせる様相を呈している。大都市、地方都市でのゲリラ攻撃やテロ攻撃、農村部での待ち伏せ攻撃、辺境地域を根拠地にした国軍の出先機関や警察署の襲撃など、少数民族や民主派武闘組織の健闘が目立つ。民主派の戦闘能力が向上し、劣悪な武器にもかかわらず地の利を生かして、敵を翻弄しているのだ。対して国軍は大部隊による重火器を使っての包囲作戦や焦土作戦、航空機による空爆を行ない、逃げ遅れた民間人や若者を虐殺している。たしかに戦闘員ではない一般の市民、農民に被害が広がる怖れがある。国際社会はあげて国軍の武力弾圧、掃討作戦を非難し、暴力を中止するよう最大限の圧力をかけ続けるべきである。
19日までに、国軍は有罪判決を受けた拘留者1,316人を釈放し、さらに逃亡中の者を含む4,320人の起訴を取り下げると発表した。雨期明け仏教の最大行事のひとつ「ダデンジュ(燈明祭り)」と人道的理由による恩赦としている。なにはともあれ、弾圧の一部停止は歓迎すべきところではある。アセアンからも爪はじきにされ、市民戦争という未曾有の事態に対処の仕方を苦慮しているのであろう。局面打開のための譲歩ではあろうが、狡猾残忍な国軍のこと、その裏で何を画策しているのか、警戒を怠るべきではない。現にアセアンが釈放を要求したアウンサンスーチー氏やウィンミン氏ら旧政権の中枢は釈放されないでいる。引き続き国際社会としてもすべての政治犯の釈放へ圧力を一致協力して強めなければならない。また噂されているサガイン管区やチン州への国軍の大規模掃討作戦を断念させるべく、さらなる包囲の環の締め付けを強化していかなければない。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion11408:211021〕
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