薪炭の里から”原発”へ──近藤康男『貧しさからの解放』を読み返す
- 2011年 7月 7日
- 評論・紹介・意見
「昭和」で言うと20年代、アジア太平洋戦争でドイツやイタリアと組んで侵略国側を演じた日本が負け、民主化の熱気が社会の各層に残っていた時代、農村でも青年や女性が主役の「農村民主化運動」が広がっていた。主役は「家からの解放」と「貧困からの解放」であった。後者を掲げた歴史的な出版物が2冊、1950年代に刊行された。『山びこ学校』と『貧しさからの解放』。2冊とも、日本の戦後出版史を飾るベストセラーとなった。日本の出版メディアは「農村の貧困」をどう伝えたか、『貧しさからの解放』を読み返した。
農政学者安達生恒(1918~2000)がまだ愛媛大学の助教授だった時代、宇和島市と中心とする南予の農漁村で青年運動とかかわっていたときの話。当時、愛媛の青年運動はとても活発で、とくに南予の村々では古い家制度や村のしばりを打ち破って、新しい村づくりをやろうといろいろな試みが行われていた。
安達さんは、そうした農村青年たちの相談役として村歩きを続けていた。その時の空気を、安達は「村の若い衆は左のポケットに毛沢東の『農村調査』、右のポケットに『貧しさからの解放』を忍ばせて村をかけまわっていた」と語っていた。青年たちは、こうした活動を通して自分たちの代表を県議会や国会に送り込む。地域に根ざした若い政治家の誕生である。彼らは初期の社会党(いまの社民党)を支えて活動した。
『貧しさからの解放』の初版は、1953年(昭和28年)5月25日に中央公論社から刊行されている。2年後の55年に13版を数えているから、相当の売れ行きだったことがわかる。新書版よりやや幅が広い作りで、本棚にしまうのではなく、学習会などでいつも持ち歩いて使うことをねらったものだと思う。
一人ではなく34人の共同の仕事である。そもそもは、52年4月に雑誌『中央公論』で掲載した共同研究が大きな反響を呼び、単行本として出版することになった、と編著者として名をだしている近藤康男(1899~2005)が「はしがき」に書いている。この本の正式名称は『共同研究 貧しさからの解放』である。
106歳で大往生した昭和を代表する大農政学者の近藤は、このとき52歳、脂の乗り切った少壮学者だった。34人の共同研究者には、彼に連なる若手マルクス主義農業経済の研究者や農村社会学者、ジャーナリストが並んでいる。
改めて読み返して、底に流れる熱い思いに圧倒される。「はしがき」で近藤は、日本のあらゆる矛盾、労働者の貧困などの背後には、「農民や漁民の貧困」が「横たわっている」と書いている。そして、「農村や漁村を貧しさから解放」するために、「貧しさを貧しさとして描き出すにとどめることなく、それが再生産されている経済的からくりから、意識や観念や宗教というような上部構造まで、できるだけ具体的に吟味した」と。
本文は3部にわかれている。第1部は「農村」。「プロレタリアの貯水池農村」というタイトルがつけられ、当時大きな社会問題だった農村の二三男問題(失業問題)から始まり、低農産物価格とそれに連動する都市労働者の低賃金、不徹底な農地解放、供出などの収奪機構などが述べられる。第2部は「漁村」。「われは海の子」というタイトルがつけられている。ここでは遠洋にでる漁業労働者、沿岸の小漁民がおかれた構造がくわしく述べられる。第3部は「山村と林業」。タイトルは「山にあがる狼火」。メインテーマは、農地と違い解放がなかった山林を支配する地主と零細な山村農民との葛藤。伐採労働、炭焼き、薪だしなど、すべてが山林地主に牛耳られていると説く。
時代の制約を考えなければ、本書の記述には、いくつもの批判がある。たとえば農地改革の不徹底という認識や山林地主の存在などについて、少し評価が過大すぎるのではないか、といったことだ。だが、経済が成長の軌跡に乗る以前の絶対的貧困ともいえる時代の農山漁村の現実と、その背景を描き、「貧しさからの解放」に方向をそれなりに示した本書は、成長の果ての貧困の時代に入ったいま、改めて読み継がれるべきものだろう。
山村を描いた第3部に、福島県浜通りの村についての記述がある。極零細な農家が集まる集落では明治以来ほとんど土地の移動がない。これでは食えないから国有林での労働や、払い下げの木炭原木に頼って炭を焼く。国有林が原発に代わり、いまがある。
日刊ベリタ(2011年07月03日)より、著者の許可を得て転載
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