都会の目、村の目
- 2021年 11月 22日
- 評論・紹介・意見
- 阿部治平
ニホンジカ
シカの害は年々ひどくなっている。
別荘地帯のカラマツ林のなかで、おとなの男が2,3人何か作業をしていた。見ると小鹿が罠にかかっている。暴れる小鹿を抑えているもの、罠を引っ張って足から外そうとしているもの、それぞれだ。別な一人がプライヤーをもってきてワイヤをバチンと切った。罠から放された小鹿は、ものすごい勢いで逃げ去った。みんな大喜びだ。
小鹿を助けられては困るなあと思ったが、男たちがあまり一所懸命なので「やめてくれ」とは言えなかった。この近くには、「罠がある、危険」という張紙がある。そこには「シカがかかっていたら発見者は連絡してほしい」という設置者の電話番号も書いてある。役場へ連絡すれば処置をする仕組みもある。わたしは今年になって2回罠にかかっているシカを見つけて関係先に知らせた。
春先、畑の作物は野生の草木よりも早めに緑になる。これを狙ってシカがやってくる。ブロッコリーやセロリー、キャベツ、トウモロコシ、あらゆる野菜類はシカの餌になる。シカが2,3頭で苗を食えばその畑はもうおしまいだ。苗だけではない。生育中も収穫寸前でも作物を食う。そこで鹿よけのテープを張り巡らしたり、時々は花火で脅したりする。ところがシカのほかにハクビシンがやってきてトウモロコシなどを食い荒らす。作物に少しでも傷がつけば商品にはならない。
稲作もやってはいるが、コメが安値だからあてにはできない。「手間賃を考えれば買って食った方が安い」という代物だ。いま百姓の生活は野菜に懸かっている。都会出身の新住民には「小鹿のバンビはかわいいな」よりも、映画「小鹿物語」を思い出してほしい。百姓はシカと同居はできないのだ。
キノコ採り
秋風が吹くと、雨上がりの翌日には林の中に人がぽつぽつやってくる。キノコ採りだ。キノコ好きのものはたいていそれぞれが毎年キノコの生える秘密の場所(シマといったかな?)をもっている。マツタケはあのモミの木の日なた側とか、コムソウ(ショウゲンジ)はあの松の大木の周りとか。ジコウボウ(ハナイグチ)は、まあ下手でも取れるから秘密ということはない。
人はまず自分のシマを目指して林に入る。ところが、キノコの生える場所にいつのまにか別荘がたっている。そこをシマにしている者は悔しがるが仕方がない。未練がましくその周りをうろうろする。
キノコ探しに夢中になって別荘の庭先に入ったことがあった。見ると「立入禁止」の札が立っている。そこの主人がおっかない顔をしてこっちをにらんでいる。「やあ、こりゃ申し訳なし」とあいさつしても無言でこちらの写真を撮っている。不法侵入の証拠にするつもりだろう。
このあいだは、とある別荘の門の脇にムラサキシメジが生えかかっていた。それも弓なりの行列になっている。こんなことは一生に何度もない。胸が躍る。ところがあいにく別荘に人が来ている。2日もたてばキノコは傘が開いてしまう。「早く帰ってくれ」と祈るばかり。翌日行って見ると、ムラサキシメジは踏まれて砕かれた死骸の行列になっていた。
村の上の林はもともと入会地だった。私有地であろうがなかろうが、我々は昔からキノコ採りや薪採りをやってきた。いきなり「立入禁止」とはなんだ。腹が立つ。とはいえ、このごろはキノコ採りもなんとなく後ろ暗い思いをするようになった。
コロナ感染
新型コロナウイルスの感染がはじまると、わが村でも役場や診療所はもちろん、農協のスーパーマーケットでもマスク・手洗いなしでは入れなくなった。
ところが、本欄に新型コロナウイルスのPCR検査は有効ではない、ワクチンは有害という記事が登場した。著者は検査は受けない、新型コロナウイルスはインフルエンザ程度の問題しかないという。世界中で大騒ぎをしているからこれは「勇気ある発言」である。
それにしてもおかしい。感染者が多すぎて病院に入りきれず、自宅で放置されて死ぬ人がいる。普通の風邪とは思えない。この方はもしや自分の都合のよい学説だけを取り上げて結論を導いているのではないかと思って反論しようとしたが、相手はさる医学者の理論を支持してこの学説に従っている。その学説を論破するなどわたしには到底できない。
この方は学説に従って週末「小旅行」に出るという。「そりゃ、ちっとおっかねー」と思ううちに、わが村の別荘地帯へもマスクをした人がぽつぽつ来るようになった。どなたも「小旅行」にお見えになったものとみえる。
わたしが「空気はきれいだし、人もいないからマスクはいらねぞ」と声をかけても、取ろうとはしない。これを弟に「都会の衆は非科学的だ」と話したら、「ばか、おめえにうつさねように用心してくださってるだぞ。ありがてえと思え」といった。
ところが、諏訪大社の来年の御柱蔡の準備で集まった人から集団感染が出た。わが村にも一人、また一人と感染者がでた。役場は厳重に秘密を守っていて、どのような経路で感染したか明らかにしない。だが患者は町へ勤めている人らしい。小学校が2日間休校となったから、「なんだ」と聞くと学童2人感染という。
わが地方の中心病院のコロナ感染者収容能力は、おそらく10人内外だろうから、感染者がちょっと増えただけで医療崩壊が起きる。観光客相手の土産物屋でも農協のスーパーマーケットでも店員は、「お客が来なけりゃ困る,来てうつされたじゃよけい困る」といった。死を迎える準備をしているわたしでも恐ろしいと思う。世界中で600万もの人が新型コロナウイルスで死んだという。インフルエンザとは比較にならない感染力である。
さいわい、秋が来て全国レベルでは、新規感染者が急減した。それとともに土・日に別荘へ来る人はどっと増えた。だが林の中を散歩する人は、みなかたくなにマスクをしている。山仕事をしている友人もマスクをしている。「息が苦しかねーか」と聞いたら、「マスクをしねーで世間が渡れるか」という返事だった。
もちろん、わたしも人の集まるところではマスクをつけるように心がけている。
初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion11507:21122〕
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