トロイメライ
- 2021年 12月 2日
- 評論・紹介・意見
- トロイメライ小原 紘
韓国通信NO683
セロ弾きのゴーシュは町の活動館のセロ弾きだ。遅くまで練習しているゴーシュに三毛猫がシューマンのトロイメライを弾いてくれと頼む。
宮沢賢治はチェロやオルガンに親しみ、西洋音楽にも造詣が深かったようで、童話にトロイメライを登場させた。この曲は彼にとって特別なものだったような気がする。
「子供の情景」作品15-7トロイメライは、夢、あるいは白昼夢と訳されるが、単なる子供のお昼寝のイメージではない。単純なメロディの繰り返しからシューマンの心象風景がほとばしり、引き込まれていく不思議な魅力にあふれた曲だ。
シューマンの数ある作品の中で最高傑作と言う人もいる。ピアニストたちがアンコール曲として弾くことも多い。私の親友が生前、聞くに堪えるトロイメライを弾けるようになったらピアニストも一人前だと言っていたのを思い出す。
<憧れのトロイメライ>
わが家にピアノを習いに来る子供に触発されて発表会で憧れのトロイメライを弾くことになった。初めは冗談のつもりだったが、9月から毎日1時間の練習を続けていくうちに、後に引けなくなった。
目はかすみ、複雑に入り組んだ音符が読めないうえに指が動かない。人前で弾くのは無理と気づいたのは練習を始めてから1か月もたった頃だった。寝付かれず悶々とする日が続いた。精神と肉体ともに絶不調のなかで心は揺れた。体調を理由に辞退するのは簡単に思えた。
いつでも教えてくれる先生がいるのは恵まれているようで負担でもあった。
短い曲なのに暗譜ができない。楽譜を見ても突然指が動かなくなる。緊張のため指は震え、ペダルが踏めない不安。「ピアノの先生のご主人?」。想像しただけで心は揺れに揺れた。
発表会まで2週間を切った。
気持ちに変化が起きた。上手に弾きたい、恥をかきたくないという愚かさに気づいた。なにも子供たちと張り合う必要はない。ただピアノを弾くだけでいい。子どもたちの世界に飛び込んで来た変なオジサンの奮闘ぶりを見てもらおう。かっこうをつけることはない。開き直った途端、気が楽になった。
会場は柏市民文化会館、11月23日の午前の部。演奏直前までマスクの着用が求められ、観客席はソーシャルディスタンスがとられていた。あがり症の私には60人の観客は多すぎるほどだった。会場のピアノの白鍵がやけにまぶしい。私の前に弾いた小学6年生の舞ちゃんが堂々と弾き終えて引きあげてきた。4番、私の名前が場内マイクで告げられた。
私の出現に小さなどよめきが伝わってきた。
指をおろした瞬間、その日初めて触れるピアノに違和感はなかった。震えもない。自分の音が心地よく聞こえる。クレッシェンド、そしてリタルダンド。僕のトロイメライは「どうだい」。そんなゆとりさえ生まれた。一週間前から練習は3時間になっていた。弾き間違いも気にならない。そして最後のフェルマータのついた和音が自分の心と耳に残った。弾き終わった後の拍手もよく聞こえた。一世一代の事業は終わった。自己満足だけが残った。
毎年、写真の担当をしてきた私が舞台に上がったので写真はない。老眼鏡をかけ、めっきり薄くなった頭に、やや猫背のトックリセーター姿。伝えられるのはそれだけ。演奏が終わって教師と二人の生徒の記念写真だけが残った。
帰途、運転する私に「落ち着いていた」と妻が教師顔で言った。
私は彼女に数日前に起きた心境の変化を話した。子どもたちと音楽をとおして繋がれればそれでいい。他に望むことは何もなくなったと。
瓢箪から駒のようなピアノ発表会への挑戦だったが、その時期、実にくだらない選挙と隣り合わせだった。約9年に及んだ安倍・菅政権の国政の私物化、嘘で固めた民主政治の破壊。オリンピックの強行開催と後手に回ったコロナ対策。極に達した政治不信。自公政権の崩壊は目前に見えた。突然の首相更迭に続く総裁選騒ぎで争点はかき消され、何の実績もない新首相に国民から「信任を得た」と言わせてしまった。自民党の老獪さと立憲民社党の不甲斐なさが際立った。自分の頭で考えない大人たちの約半数が棄権、マスコミの誘導にまんまと引っかかった。
<高校生との出会い>
平和も民主主義も生活も破局へ進むことが明らかになったさなかのピアノとの格闘。それでも本番で気持ちよくピアノが弾けたのは選挙に絡むある出来事があったからだ。
「投票で政治を変えよう」とプラカードをかかげて駅前に立っていた私に話しかけてきた男子高校生がいた。彼は「風の又三郎」だったのかも知れない。
「自民党はだめですか」、「人間を大切にしないからね」、「僕もそう思います」。見ず知らずの若者と政治について話をした。大人に話しかけるのは相当勇気が必要だったはず。「最近の若者は」と一刀両断にしながら若者に期待する大人の身勝手さに気づいた瞬間だった。若者たちは大人を見ている。彼の真剣な眼差しが、発表会参加に逡巡していた私に勇気を与えた。
一瞬の演奏にかけた子供たちと共有した空間と時間。ともに努力し苦労したことから生まれた共感。「オジサン頑張ったね」というかわいい声が聞こえた。愚かな大人たちによる愚かな選挙に比べて音楽を通じた共感、子どもたちとの交流のなかから光が、トロイメライ<夢>が見えてきた。
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