SJJA& WSJPO【西サハラ最新情報】454 エチオピア内戦巡り、中国VSアメリカ
- 2021年 12月 5日
- 評論・紹介・意見
- アメリカエチオピアサハラ中国代理戦争平田伊都子西サハラ
ブリンケン・アメリカ国務長官が11月半ばのケニア訪問で、エチオピア内戦介入を表明しました。 アメリカのやり方はいつものように、まず、制裁で締め上げます。 国連も国際社会もローマ法王も、誰もアメリカのやり方に文句を言いません。 しかし、このスタートの段階でアメリカの策略を止めておかないと、世界はアメリカの戦争に巻き込まれてしまいます。
① エチオピアとAUアフリカ連合:
11月30日、ユネスコ文化遺産の岩窟教会群があるラリベラを奪還したと、政府軍が発表した。エチオピアにはユネスコ世界文化遺産が8件あり、イエメンのソロモン王とサバの女王の血筋を受け継ぐ古代アクスム王国(100年~940年)は紅海貿易で繁栄していた。
イスラム帝国が紅海やナイル川の地域を征服したころも、アクスムとムスリムは友好関係にあって、エチオピアはイスラム化されたりはしなかった。現在、エチオピアの62.8 %がキリスト教徒で、33.9%がイスラム教徒で、2.6%がアニミズムだといわれている。
エチオピア帝国ザクウェ朝(1137年~1270年)のラリベラ王時代に、岩窟教会群が築かれた。その後、群雄割拠の時代となり、19世紀にテオドロス2世が近代エチオピアを創設した。メネリク2世時代19世紀末にイタリアの侵略を二度受けたが、撃退した。ヨーロッパ列強の植民地化に屈せず独立を保ったという英雄的な出来事で、これにより、エチオピアはリベリアと並んで、アフリカ大陸の中で独立を守った2大国家と称賛された。
1930年11月2日に即位したハイレ・セラシェ1世皇帝は、エチオピア初の成文憲法となったエチオピア1931年憲法を大日本帝国憲法を範として制定した。第二次世界大戦直前に、エチオピアはイタリア軍に占領され、ハイレ・セラシェ皇帝はイギリスに亡命した。
戦後の1952年にエリトリアと連邦を組んで、エチオピア・エリトリア連邦が成立し、ハイレ・セラシェが。復帰した。
1963年、エチオピア皇帝ハイレ・セラシエ1世、エジプト大統領ガマール・アブドゥル・ナーセル、ガーナ大統領クワメ・エンクルマらがOAUアフリカ統一機構を設立した。エチオピアの首都アディスアベバに当時のアフリカ独立国33のうち、除外された南アフリカ共和国と不参加のモロッコ、トーゴを除く、30カ国の元首・政府首脳が会議を開き、憲章に調印した。2002年にリビアのカダフィ大佐がOAUをAUアフリカ連合と再編してからも, アディスアベバに本部を置いている。
1970年、当時のエチオピア帝国と中国は国交を樹立し、ハイレ・セラシェ皇帝は1971年に訪中した。しかし、ハイレ・セラシェ皇帝は、1974年9月に軍のクーデターによって逮捕・廃位させられる。
② <アフリカの中国>エチオピア:
エチオピアからの独立を目指すエリトリアの勢力のうちで最大勢力、エリトリア人民解放戦線(EPLF)は、ティグレ人民解放戦線(TPLF)等と共に首都アディスアベバに突入、エチオピアに政変を起こし当時の指導者メンギスツ政権を倒した。1991年5月29日、エリトリアは独立宣言し、エチオピアではメレス・ゼナウィ政権が発足した。以降、中国の物的人的技術的援助が華、開いていく。エチオピア初の環状道路と高速道路[41]などエチオピアの道路の7割を中国は建設したとされ、さらに初の風力・水力発電所や初の工業団地[43]、初の人工衛星の打ち上げ、アディスアベバ・ライトレール、グランド・エチオピア・ルネサンス・ダム、アディスアベバ・ナショナル・スタジアム、ジブチ・エチオピア鉄道とボレ国際空港の近代化、伝音科技の携帯電話工場[46]、全土の通信網の整備]など中国からの様々な援助を受け入れた。
エチオピアは、中国側からインフラ投資を通じて一帯一路のモデル国家として称賛を受けている国であるが、2018年時点の国の債務額は国内総生産(GDP)の59%にも及んでおり、その大半は中国からの融資とみられている。(Whikipediaを参照しましたが、Whikipediaは「詳細は中華人民共和国とエチオピアの関係を参照」と言ってます)
2012年1月29日のAFPが、「エチオピアの首都アディスアベバで28日、中国が総工費2億ドル(約150億円)を全額負担し建設を進めていたアフリカ連合(AU)本部ビルの落成式が行われた。建物の内装も中国政府が全て負担し、建材の大半が中国から輸入された。同日、本部ではAU首脳会議が開始された」と、伝えた。
③ エチオピアのティグレ戦場:
2018年4月2日、首相に就任したアビィ・アハメドはエリトリアとソマリアとの3カ国による「包括協力協定」に署名。2019年10月11日、エリトリアとの和平を成し遂げたことが評価され、アビィ首相にノーベル平和賞が授与された。
エチオピア政府軍と北部ティグレを支配する政党・ティグレ人民解放戦線(TPLF)の武装勢力が開戦したのは、コロナが世界に蔓延していた2020年11月19日だった。1年経っても戦闘は終結せず、2021年11月に入って国連職員17名が拘束され、援助物資を輸送するトラックが摘発され運転手70人が拘束され、テイグレ方面に向かう道路は封鎖された。2021年11月19日、エチオピア政府は、テイグレ出身でティグレ人民解放戦線(TPLF)が組閣の一翼を担っていた時に2005~12年に保健相(2005~2012)と、外相(2012~2016)を務めていたテドロスWHO事務局長のTFLPを支援する兵器供給工作を非難した。テドロスWHO事務局長は11月19日のツイッターでTFLPへの支援を否定し、戦争両当事者に対して平和と市民の安全、人道支援へのアクセス確立を呼び掛けた。が、UN職員の拘束と物資輸送妨害は続いた。
国連定例記者会見では、毎日のように「UN職員の拘束状況は?」、「援助物資輸送のトラックはどうなったのか?」、誰が、国連や国際機関の支援を妨害しているなか?」、エチオピアのティグレ戦闘状況はどうなっているのか?」などなど、質問がしつこく報道官や副報道官に浴びせられたが、例によって確かな情報が得られないまま戦闘は続き、エチオピアのティグレ地方は飢餓に晒されている。
11月22日、アビー首相(2018年に就任)自らティグレ最前線に向った。エチオピアの英雄であるオリンピック受賞者たちも、入隊を表明した。
2021年12月1日、国連本部でUN国連とAUアフリカ連合の定例会議が開催された。
そして、12月3日の国連定例記者会見でステファン国連事務総長報道官は。「国連とアフリカ連合の会議は昨夜(12月2日)合意を見た。それに伴いアフリカ連合委員会議長のムーサ・ファキ・マハマトと事務総長との共同記者会見が行われた。そこでは、オミクロン新変異株問題も取り上げられた。この年次例会では、アフリカをまたぐ平和、治安、開発、人権、などの現状も再検討された」と、発表した。エチオピア戦況に関して、記者団から質問が出たが、「何も聞かされていない」と、報道官は答えた。
11月12日に、早々とアメリカ政府は、内戦下のエチオピアで進行する人道危機への対抗措置と銘打ち、エチオピア情勢に介入しているという理由で、隣国エリトリア軍など4団体、2個人を制裁対象に指定し、在米資産を凍結したようです。 米財務省は声明で、エリトリア軍はエチオピア北部で活動し、略奪や市民殺害、人道物資搬入の阻止などに関わっていると証言する<多数の報告があった>からだとしています。
なぜ、エチオピア人道危機の元凶がエリトリアなのか? 明確にしていません。
アメリカの目的は明らかに、中国をエチオピアから排除することです。 エチオピアの隣国・エリトリアは長い国境線でエチオピアに接しています。 エリトリアの東は、紅海に面する長い海岸線です。 米海軍にとって格好の上陸拠点になるのでしょうネ?
―――――――――――――――――――
「サラー西サハラ難民アスリート」の出版情報です。
著者:平田伊都子、写真構成:川名生十、画像提供:アマイダン・サラー、SPS、
定価:本体1,800円+税、
発行人:松田健二、
発行所:株式会社 社会評論社、東京都文京区本郷2―3―10、電話:03-3814-3861
同じ「社会評論社」が出版してくださった「ラストコロニー西サハラ(2015年)」、「アリ 西サハラの難民と被占領民(2020年2月)」にも、お目を通してください。
――――――――――――――――――――
Youtube2018年7月アップの「人民投票」(Referendum)もご案内。
「人民投票」日本語版 URL :https://youtu.be/Skx5CP3lMLc
「Referendum」英語版 URL: https://youtu.be/v0awSc25BUU
Youtubeに2018年4月アップした「ラストコロニー西サハラ」もよろしくお願いします。
「ラストコロニー西サハラ 日本語版URL:https://youtu.be/yeZvmTh0kGo
「Last Colony in Africa] 英語版URL: https://youtu.be/au5p6mxvheo
WSJPO 西サハラ政府・日本代表事務所 所長:川名生十 2021年12月5日
SJJA(サハラ・ジャパン・ジャーナリスト・アソシエーション)代表:平田伊都子
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion11543:211205〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。