中国ウルトラ・ナショナリズムを批判する(一)
- 2021年 12月 7日
- 評論・紹介・意見
- 柏木 勉
はじめに
中国共産党が「中国ナショナリズム」を煽りに煽ってますね。その扇動はますます、ひどいものになっています。習近平思想なるものを称揚し、国内統制の強化と対外的強硬路線を支えるものとして、いまやウルトラ・ナショナリズムに達しつつあるといっていい。一方、アメリカを中心に中国包囲網形成への動きが急速に強まっています。小生はこれらの対立についてはどっちもどっちだと考えています。しかし、以下ではアジア的専制を背景にした中国のナショナリズムについてだけ批判することにします。
そこで、あらかじめことわっておきますが、小生は欧米や日本の支配層が唱えるいわゆる普遍的価値や自由・平等・友愛を支持するものじゃありません。それらは資本主義を支える虚偽のイデオロギーでしかない(この点については、基本は無論マルクスですが、最近「ちきゅう座」に掲載されたものでは、岩田昌征先生の御論考(本年2021年にはいっての寄稿、2020年10月4日の寄稿等々)を参照していただければ結構かと存じます)。
それから、小生の基本スタンスを単純化して述べておきます。
いわゆる日中の歴史問題、歴史認識についてですが、日本は二十一か条要求から始まる侵略、満州事変から日中戦争へと、多くの中国人を殺戮し多大な損害を与えましたから、その謝罪をおこなうのは当然です。戦後、日本政府は謝罪や経済協力を行ってきましたが、それは曖昧さを払しょくできないものでした。日本の右翼が反発してきたからです。そのため依然「歴史問題」をひきずったままです。
なぜ右翼が反発するのか?小生が考えるに、「日本だけがなぜ謝罪しなければならないのか」という意識が底流に根強くあるからです。欧米列強は、中国だけでなく世界中を植民地にして苦しめてきたではないか、日本は、欧米列強と同じ一等国の地位を占めて同じことをしようとしただけだ。しかし、戦争に負けたので日本だけが謝罪したが、欧米列強は植民地化し収奪してきた中南米やアフリカ、中近東、中国その他アジア諸国に謝罪など一回もしていない(北米先住民の殲滅や黒人奴隷制度や差別には反省を示してきましたが)。それはおかしいではないかという反発です。東京裁判も勝者が敗者を一方的に裁いただけというわけです。小生はこの点には賛同します。また江沢民による過度の反日教育が問題をこじれさせたのも事実です。しかし、戦前の日中戦争・大東亜戦争について云えば、それは欧米にかわって、日本が中国やアジア諸国を従属させてアジアの盟主になろうとしたものですし、日本人の支那人(中国人)やアジア諸国の人々への差別意識もひどいものだった。ですから太平洋戦争は日本と欧米列強という強盗同士の戦争でした。強盗同士の闘いでは、負けた強盗が勝った強盗に謝罪する必要はない。それは漫画です。だが、侵略した国へは「強盗を働いて申し訳ありません」と謝罪するのが当たり前です。安倍元首相や日本会議のような、日本は「日中戦争、太平洋戦争で間違いを犯したという意識を払しょくし、愛国主義の復活をはかるべし」との主張は誤りです。
結論は、欧米諸国が、世界に向けて「植民地主義、帝国主義でひどいことをしました」と謝罪すべきということです。その時にも日本政府は一緒に謝罪すればいい。
しかし、欧米諸国は謝罪しないと思います。謝罪すれば「彼らの国民国家の歴史と正統性」に大打撃をあたえるからです。すると問題はねじれたままに続いていく。中国大陸に関しては、清朝末期に欧米列強は清への浸食を開始し、日本も前述のように中華民国成立以降侵略していきました。続く冷戦下では中国封じ込めがはかられました。このような経緯から、このままでは日本の右翼に対する反発はもちろん、欧米に対する中国共産党・政府のウルトラ・ナショナリズムと大国意識はさらに大きくなり、「戦狼外交」をはじめ対立・軋轢が一層激化するだけです。それだけでなく、いまや習近平は西洋文明への本格的挑戦に乗り出したというべきでしょう。
ですが、一方では中国共産党・政府のウルトラ・ナショナリズムはアジア的専制が下敷きになっており、彼らが扇動するところの「中国の伝統」や「中華伝統文化」の多くは、以下でのべるようにデマゴギーに他ならず、共産党の求心力低下を隠蔽するため、国民の対外的敵愾心をあおるための手段であり、きわめて危険です。ですから、まずはその誤りを明確にして冷水を浴びせ、ストップをかけることは当面の左翼の重要な課題であると考えます。
中国共産党はアジア的専制の後継者
小生の考えは、昔の新左翼風にいえば、「反帝国主義・反スターリン主義」の反スターリン主義にかえて、今や「反中国共産党」をスローガンにするというものです。
反帝国主義については、資本主義はこの30-40年くらいで、金融化、グローバル化をはじめ大きく変貌しましたが、要は反資本主義ということで変わりありません。(こう云うだけではきわめて粗雑ですが、とりあえずご了承願います)。
一方、反スターリン主義についてはソ連・東欧共産圏が崩壊したので、それにかわってウルトラ・ナショナリズムに変貌した中国共産党を打倒しなければならないということです(といいますか、実はアジア的専制という点ではスターリン主義も中国共産党のにせ社会主義も同じものですが、スローガン的にわかりやすくしたいだけです)。
バイデンは中国を専制国家だと非難していますが、小生は「専制国家」については、バイデンとは全く違う意味で、中国共産党はアジア的専制の後継者だと考えています。またソ連についても、レーニン、トロツキーのアジア的専制に関する認識が希薄だったことがスターリンの権力掌握につながり、それが恐るべき残虐非道の恐怖政治と収容所群島を招いてしまい、結局アジア的専制の単なる近代版に終わって、その後停滞したあげく崩壊したと考えております。
近年の中国共産党は、そのアジア的専制のもとで存続してきた、いわゆる「中国の伝統」やら「中華伝統文化」やらを声高に唱えて求心力にしています。そして共産党の一党独裁を維持しつつ大国意識をむき出しに世界の覇権争いに踏み出しました。
すでに中国のGDPは世界一、日本は4位
このウルトラ・ナショナリズムと大国意識はどこからくるかといえば、いうまでもなく、経済的にはこれまでの社会主義市場経済による持続的高成長です。米欧日の資本をよびこみ、グローバル化の波にものって対内直接投資の拡大で、輸出急増と国内市場拡大の好循環を達成して高成長が続きました。政治的には、江沢民の反日教育もその一環でしたが、前述したかっての欧米列強や日本に屈服した恥辱の記憶、それが喚起する民族的アイデンティティーとその増幅です。習近平は、すでに希薄化し喪失に至った「社会主義」イデオロギーにかえて、これを新たな共産党の求心力に据えることを明確にしたわけです。「中国の夢」、「中華民族の偉大な復興」がそのスローガンです。それはG2として米国とならぶ「富国強兵」の実現であり、さらには、今後あらゆる分野で世界のトップに躍り出ると公言しています。
そこで「富国強兵」にとって重要な指標となるGDPを見ると、下表のとおり中国はすでに世界一の座を奪っています。それを確認しておく必要があります。中国のGDPは、「2027年か2028年には米国を追い越す」とか騒いでいますが、間違っています。それは単に為替レートで換算したGDPの話にすぎず、中国は実質的にはとっくに米国を追い越しています。
単なる為替レート換算ではなく、各国の物価水準を調整した購買力平価で換算しなければ実質的GDPの比較になりません。中国国内は物価が低い。同じものを同じ量だけ生産しても、物価が安ければ生産額は低くなります。ですから物価水準を調整しなければなりません。調整すると、実質のモノ、サービスの生産・供給においてすでに世界一です。
これは実質的な賃金の国際比較をする時なども同じことです。
購買力平価換算でのGDP比較 (単位10億USドル)
暦年 中国 米国 日本
2020 24,121 1位 20,894 2位 5,312 4位
2016 18,702 1位 18,695 2位 5,180 4位
2000 3,657 1位 10,251 1位 3,476 3位
(出所:IMF – World Economic Outlook Databases (2021年10月版・世界193か国比較)
IMFが購買力平価によって計算した比較では、米国はすでに2016年時点で中国に抜かれています。もっとも統計の信頼性にいまいちという点はあります。しかし両国の額の差をみると順位がひっくりかえることはないでしょう。
日本はとっくに2000年時点で中国に抜かれています。「2010年に中国のGDPは日本を抜いて世界第2位となった」などとマスコミは騒ぎましたが、そうではありません。10年以上まえにすでに追い抜かれているのです。インドにも2009年に抜かれ、それ以降ずっと4位です。
ですが、国民一人当たりGDPでみれば、もちろん中国ははるかに低位です。2020年では中国は76位(17,104USドル)です。米国は8位(63,358USドル)です。日本は33位で、(42,212USドル)です。中国は米国と比べると2割強の水準でしかありません。
しかし、一国単位でみればすでに世界一であって、これを確認しておくことは重要です。一人当たりGDPでは低位にあっても、一国単位で第一位となった経済大国中国は、経済的にはもちろん政治的にもその影響力を急激に増幅・拡大しています。
アジア的専制とは
次にアジア的専制について触れておきます。
アジア的専制とは、簡単に言うと、少数の政治的支配層と大多数の被支配者層(庶・民衆)が全くかけはなれて分離していることです。これが最大の特徴です。東ユーラシア(いわゆる中国大陸ですが、ここでは純粋に地理的意味で云っています)の諸々の王朝で云えば「天下二分」の体制です。
皇帝を頂点とする支配層は庶・民衆に対して貢納・賦役さえすればほとんど無関心であるが、慈悲深い恩恵を与えるという格好をとる。庶・民衆も支配層には無関心で、極力支配層に接することなしに、自分たちのなかで相互扶助する共同体・小宇宙に閉じこもる。これが天下二分です。
この共同体は、ロシアでは農業共同体ミール、中国大陸では宗族や幇、行、会と呼ばれる同郷同業団体、秘密結社等々です(なお中国大陸では支配層に対応するだけの農業共同体は残存しませんでした)。支配層は仰ぎ見る皇帝をいただきつつ官僚制と常備軍からなる王朝を形成し、灌漑や治水等の大規模公共事業をおこないインフラを整備する。天下を構成する時間、土地(空間)、財産、官僚、軍、民衆はすべて皇帝のものです。したがって庶・民衆が閉じこもる共同体も皇帝のものですが、皇帝・支配層はこれら共同体に直接干渉することはありません。
そして、これら王朝は王朝内部の対立・混乱や大規模農民反乱によって興亡・交代を繰り返しますが、そのアジア的専制という体制自体は再生産されます。つまり、天命(民意)を失った王朝は滅び、新たに天命(民意)を得た次の王朝が興るとされます。それが易姓革命ですが、アジア的専制という体制自体を根本から変革するrevolutionが起きることはありません。
以上は中国大陸のアジア的専制を主に説明していますが、典型的には明朝を引き継いだ清朝をイメージしています。貴族を排除した「君主独裁制」の確立は、10世紀前後の「唐宋変革」を経た宋代以降です。支配層と民間が全く乖離する天下二分がはっきりしたのは、明朝を引き継いだ17世紀の清朝の時代です。
ロシアのアジア的専制は中国大陸のものとは灌漑、治水事業において異なりますが、ここでは説明を省きます。インドについても今回のテーマから外れるので省略しています。 (続く)
以上
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion11550:211207〕
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