50年前の争点「安保」を7月参院選で問い、「存在の耐えられない軽さ 」内閣から訣別を!(その2)
- 2010年 6月 6日
- 時代をみる
- 加藤哲郎特集:安保50周年
定年退職の恩恵を、初めて味わいました。3月までは一橋大学の会議日で抜けられなかった水曜日、今日は夕方からの都心だけでテレビをつけたまま原稿を書いていたら、突然鳩山首相辞任のニュースが、飛び込んできました。両院議員総会の最中に、AP(なぜかまだ一橋大学のままです)、AFP(早稲田大学になってます)など外国通信社からのインタビュー電話。(1)退任理由にあげた普天間基地移転問題、政治とカネの問題での失政は正しい、ただし遅きに失した。(2)鳩山・小沢ツートップ退任によって、誰が新首相になっても、民主党の参院選敗北の趨勢は変わらないだろう、(3)米国側が鳩山政権日米合意を楯に、辺野古沖移転の実行を新政権に迫る態度は変わらないだろう、ただし米国にとっても鳩山政権の不安定・不人気は織り込み済みで、新政権の態度、7月参院選から沖縄県知事選への日本政治の推移を見守るかたちだろう、と答えておきました。昨日更新の基本線は変わりません。「2010年安保」です。
それで想起したこと、2つ。ティム・ワイナー『CIA秘録』(文藝春秋、2008)の一節。「CIAは1948年以降、外国の政治家を金で買収し続けていた。しかし世界の有力国で、将来の指導者をCIAが選んだ最初の国は日本だった」ーーこれは岸内閣のことで、その後の米国情報戦はずっと洗練され、直接買収はみられなくなってきましたが、むしろそれは「日米運命共同体」「核抑止力」イメージで訓育・マインドコントロールされた政治家が政権を担い続けたからで、基本的構図は変わったんだろうか? ということ。第2に、故若泉敬氏のこと。佐藤内閣時の首相密使として日米沖縄返還交渉の「密約」の当事者になった政治学者が、その遺著『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』(文藝春秋、1994)にあるように、晩年は自分の隠密行動が果たして沖縄の人々に何をもたらしたのかを見つめ続け、自ら「密約」交渉過程を公表し、沖縄県民に謝罪する巡礼行脚を、96年の死の間際まで続けました。鳩山由紀夫に、そうした「沖縄を売った」自責の念はあるのか。生じうるのか。「結果責任」の取り方で、政治家の歴史的評価は定まります。
「加藤哲郎のネチズンカレッジ」から許可を得て転載 http://www.ff.iij4u.or.jp/~katote/Home.shtml
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