テント日誌12月30日版
- 2022年 1月 1日
- 交流の広場
- 経産省前テントひろば
経産省前テントひろば1807日後
今日はクリスマスイブだが…… 12月24日(金)
今日はクリスマスイブ。今年もあとわずか。朝方は冷え込んでいたが、陽が高くなるにつれて随分と暖かくなった。おまけに風もなく過ごしやすい陽気であった。Yさんが来て言った。規制庁抗議に水曜日に行ったときの話をした。Kさんがマイクをもって一生懸命に抗議をしていたらネトウヨがタブレットをもって顔すれすれに撮影したり、口汚いヤジを飛ばしたりしている。警察官が近くにいるのだがお構いないネトウヨの暴言、挑発が続いたそうである。わが方は8人ぐらいいるのだが女性が多いせいか、ネトウヨがやりたい放題だそうだ。皆水曜日の規制庁抗議行動に参加しようよと呼び掛ける。
4時になったので文科省抗議に移動した。こちらは、今年最終の行動の行動だそうだ。在日の方の話や、支援する日本の方の発言が続く。今日は現役高校生の参加はなかったが、どの発言も無償化実現を真剣に訴えていた。来年も引き続き頑張ると誓い合い今年最後の抗議を終わらせた。(S・S)
今年最後の経産省抗議を寿司太郎さんが動画配信 12月24日(金)
いつもの金曜日。久しぶりで資源エネルギー庁原子力政策課に申入れの申し込みをしたら、相変わらず郵送せよと逃げ腰、それでも来年早々の申入れを資源エネルギー庁内部で検討してくれる。5時前にテレビカメラを用意した「寿司太郎」さんが我らの経産省抗議行動を撮影・配信したいと言う。
17時から経産省に原発推進止めろと訴えるコールで経産省前テントひろばによる経産省抗議行動を開始。
原子力規制委員会が東電の汚染水「海洋放出」についての審査会合を午後に行ったことを受け、海洋放出が行けない理由(核のゴミを拡散してはいけない、希釈は誤魔化し、太世界三大漁場のひとつ「北西太平洋漁場」を汚すな、タンク保管が可能、イチエフ「廃炉」の姿も見えないのに「廃炉」を口実に「海洋放出」するな、外務省はロンドン条約を破るな、環境省は法に従って環境アセスメントをしろ、…と訴え、続いて斎藤美智子さんが「原発の無い健やかな明日」を経産省にアピール。
Taさんが、地域独占電力会社の寡占市場を糾弾、「受診料」誤字コピペを続ける裁判官の情けなさ、最高裁事務総局の判決文安直を多くの裁判官がコピペしているのではないか、司法を監視するべき。Yoさんが、原子力規制委員会が再稼動推進、北京オリンピックでの日本の外交ボイコット、外国人労働者の安い賃金での雇用や日本の植民地政策を糾弾、過去の戦争を踏まえずに憲法論議、を批判。
Moさんとともに「座り込め、ここへ」と「水に流すな」を皆で歌う。
続いてHoさんが、維新の党による憲法九条改憲を心配し、日本の軍備拡張を批判し、反原発の重要性を訴える。Hiさんが、コロナで明けてコロナで終わる一年を振り返り、福島原発事故を受けた友の死を悼み、原発を動かすことによってプルトニウムという原爆の原料を確保(広島原発6千発分)し、核爆弾を確保しようとしている、憲法改悪反対、憲法九条は世界の日本の宝、来年も健康に気を付けて頑張っていこう、と訴えた。
私から、実効性が無い避難計画の下で原発が動かされ動かされようとしていること、IAEAでさえ深層防護第五層を独立して守るべきと言っているにも拘らず、原子力規制委員会が逃げ内閣府が逃げ経産省が形だけ避難計画検討しながら、実効性が無いまま原発が稼働していることを批判(後述文)。原則を守らせるべし。
最後に再度斎藤美智子さんが、いつまで脱原発を訴えればいいのか、原発危険が分かりながら役所は何の為に脱原発を阻止するのか、あなたたちが脱原発に舵をとれと訴え、経産省の嘘を糾弾するコールを経産省に届けて抗議行動を終わった。
この模様は、寿司太郎(ユーチューバ)さんが録画して「金曜経産省前抗議活動一般的な反原発運動」として動画を公表した。
https://www.youtube.com/watch?v=2E_3S7MUnHU
(K.M)
(ケロップ、@keroppu8649)
ケロップ(@keroppu8649)さんがツイートしました: 経産省前テントひろば(金曜抗議行動)
今日はYouTuberの寿司太郎さんが撮影中です。
田中さん「電力の価格が上がっている.自由化の目的は電力価格を下げることだったはず。完全に失敗している。古くさい恐竜のような巨大な旧電力をそのままにしているからである。」
https://t.co/Z5RmNTvSjh
https://twitter.com/keroppu8649/status/1474293673412427776?s=20
穏やかな天気だが寒い、今年の冬を予感させる 12月25日(土)
先週と違い穏やかな天気だがやはり寒い。日陰に入ると冷蔵庫の中のようにひんやりした。この冬はかなり寒くなりそうだ。(O・O)
脱原発川柳句会開かれる 12月26日(日)
26日日曜日は、晴れでしたが結構寒い日でした。
川柳句会、寒さのせいか参加者はいつもよりちょっと少なめ(?) ささやかな年末座り込みとなりました。写真は下記ツイートをクリックしてください。
終了後、事務所で乱さん主催の忘年会をやりました。一瀬さんからビールに差し入れもあり、飲みきれないほどお酒はありましたが、控えめな方が多く、虎にもならず静かに歓談しました。
料理は肉団子汁と野菜たっぷり八宝菜等。藤原おにぎり・ゆで卵もあり、みんな満腹に食べました。
この年末年始はちょっと飲み会もできて楽しいですね。
来年第1回日曜座り込みは1月2日、手作り小豆餡でお汁粉の予定です。
ケロップ(@keroppu8649)さんがツイートしました: 経産省前テントひろば(365日座り込み)
12月26日座り込み+青空川柳句会です。
空はまずまずの青空、冷たい風が吹いています。皆さんは作句中。 https://t.co/9uyGU6zN6g
https://twitter.com/keroppu8649/status/1474975230422827011?s=20
脱原発青空川柳句会が開かれた 12月26日(日)(原子力ガリレオ)
晴天だが、体感温度は0℃。 寒い寒い、寒風が吹きすさぶ中、脱原発青空川柳句会が開かれた。5名の参加。指導者、選句者、披講者、講評者で
ある乱鬼龍の出した席題は「この一年を振り返って」と「反省」。年末句会にふさわしい席題。入選者には菓子パン(イチゴスペシャル、餅ドーナ
ツ、ブドウパン)、災害救助用クラッカー、チェルノブイリのカレンダーなどの賞品が配られた。
「この一年を振り返って」の秀句
ヒバク国 余りにわびし この一年 (落葉)
連合は 立憲よりも 自民好き (柚っ子)
日大は 金にごっつあん 相撲取り (柚っ子)
悪法は 何度出そうと 廃案だ (ふ64)
自分だけ 民を見捨てる 自民党 (ふ64)
「この一年を振り返って」の特選
咎人の 命断たれて ホーリーナイト (金狼と月)
「反省」の秀句
儲け方 手本を見せた アベマスク (原子力ガリレオ)
頭上げ 反省するよ ドヤ顔で (水蓮仏)
省庁は 反省の文字 消却し (落葉)
反省の 文字不在の 自民党 (金狼と月)
座り込み おなじ面子(めんつ)で 年越しに (柚っ子)
「反省」の特選
己(おのれ)に問え 誰のための 官僚か (ふ64)
次の川柳句会は2022年1月30日(日)12時からです。 (原子力ガリレオ)
師走になったと思ったらもう明日は御用納めだ 12月27日(月)
早いもので明日は世間的には御用納め。しかし自公政権が推し進める原発再稼働政策の為に経産省前の座り込みは年中無休である。
今日、一番の朗報は尾澤孝司さんが保釈されたことである。皆様に署名していただきましたことを感謝いたします。今日は朝から弁護団会議に出席していた相棒のSaさんから「(弁護士事務所に裁判所から電話があり)まだ決まったわけではないが保釈されるかもしれないのでこれからさいたま拘置所に行くから経産省前には行けなくなったので宜しくお願いします」と電話が来たのが11時半過ぎ(それに気付いたのは座り込み準備を終えた12時過ぎ)、しかし30分後、救援担当から「検事が直ぐに準抗告した」とのメール。
同じ様な理由で逮捕された人が12/1に保釈されたのは夜の8時だったのでそのことを伝えた。その後、何度もメールが来たがなかなか決定が出ない!漸く決定が出たのが午後7時半、手続きが終わり小澤さんが待っていた皆の前に姿を現したのは8時半だった。保釈には条件が付いていて「サンケン電気本社には近づかないこと」、尾澤さんを抗議行動には参加させないようにしようという権力側の嫌がらせである。何はともあれ、7か月半で弱った体を労わって欲しい。
今日の経産省前の人通りは心もち少なかった。裁判もないのか座り込み者は常連ばかり、しかし8名も参加してくれた、それに差し入れを持って。感謝します。
今日の経産省前の気温は8度、昼時は風も強かったので体感温度は5度ぐらいか!防寒用の上下に襟巻を巻いていたので何てことはなかったが、これから益々寒くなるので皆さん温かくして参加して下さい!(保)
テントの忘年会も行われた 12月28日(火)
今年の座り込みもあと3日となった、天気は晴れでしたが時おり吹く強風にバナーはバタバタと大揺れ、それを支えているポールもかなり傾く、そのせいかバナーの文字が剝がれて垂れ下がってしまった。急いで事務所から万能ボンドを持って来て補修を行う、このところ毎週のように万能ボンドのお世話になっております。
15時からは年末抗議集会が開催されて、鹿児島川内テントから駆けつけたEさんを含めて経産省の原発政策を鋭く追求するスピーチが続いた、最後に経産省に向かって怒りのシュプレヒコールを叩き付けた。撤収後はテント近くのラーメン屋さんを貸し切って、テントひろばの顧問弁護士、大口弁護士・一瀬弁護士お二人も参加された忘年会を行った。参加された全員が自己紹介と簡単なスピーチを行い来年の反原発運動が発展するよう確認しました。 (Y・R)
倉田さんの話はおもしろい、無関心は敵を利する 12月29日(水)
天気よく、風もない。今日は座り込みの人も少なかろうと椅子を少なくする。今日からは15時終了。当番4人の他、倉田さん、Tさん、安藤さん。それと、自分の仕事が休みになったので来てくれたナベさん。あんこが実にうまい、大きな今川焼を差し入れてくれた。
人通り少ない。座り込みの一角のゴミ拾いをする。
倉田さんは今日は気楽にやりたいといって、いつもは経産省とその職員批判だが、横浜市長に対するリコール住民投票活動を私たちに話された。
今年8月の横浜市長選の前に、IR推進の林市長を更迭するための住民投票の署名活動をした話だ。一軒一軒住民の家を訪ねて説明して署名を取ったこと。住民投票は議会で否決されてしまったが、任期満了による市長選ではカジノ反対の山中市長が当選した。
倉田さんは演説でアメリカのバークレー市の市民自治について話した。バークレー市はアフガニスタン戦争反対を決議した全米で唯一の市だそうだ。「戦争は全てのことのいいわけのためにある」といわれたそうだ。「住民の無関心無理解が戦争の力になる。原発も同じだ。原発に対する無関心無理解が経産省の力になってしまうのだ。」「そこを突き破っていくために私たちもあらゆることをしないと」と。今年は良い年ではなく、来年も良い年を期待できないが、健康に気をつけて頑張っていきたい。 ではまた。(T・I)
事務所も新年にはスッキリする 12月30日(木)
今年もあと一日となったというのに、何とも温かい日であった。
スタートは、ヨーカンさんと二人であったが、徐々に増えて行き撤収迄には9人
の座り込み者があった。その中には本日初めて参加したと言う人おり、三軒茶屋のWさんは、熱々の今川焼きを差し入れてくれ本当に心温まる一日であった。
事務所では、川柳句会の自称若手イケメンRさんが一生懸命に荷物の整理をしており、70%は運び出しますと言って頑張っておりました、新年を迎えた時にはさぞかしスッキリとした事務所になっている事を願っています。(Y・R)
「年たけてまた越すべしと…」すごく実感する年の瀬 12月30日(木)
「年たけてまた越すべしと思いきや命なりけり小夜の中山」。よく知られた、また僕の好きな西行の歌だが、今年はいつもと違った思いがする。身近な人から、よく知られて人が次々と亡くなったからだ。僕も脳梗塞で1カ月入院するはめになった。その病院に電話をよくくれた古くからの友人が2人もなくなった。
一人は高校時代から友人でジャーナリストだった。かつて1960年安保闘争時には共に闘った。それよりも高校時代に僕らはお互いの家に泊まり歩き深夜までいろいろと議論をしていた。僕はそのころ夢中だった太宰治について語り、彼は白樺派の作家について語った。僕らが彼等についてどれだけのことを知っていたのかはともかく、自我(意識)は沸騰し揺れていた、希望と不安のいじり混じったこころをぶつけあっていた。恋の仲立ちというか、ラブレターのわたし役などもやった。最近は、彼は僕の出している『流砂』という雑誌に寄稿をしてくれていたのだが、次に予定していた号にも寄稿してくれるはずだった。電話で「俺たちの青春時代でも書くか」ということを話していた。回想する、僕らは過去のこと、あるいは過ぎしことども想起することの大事さを実感していて楽しみにしていた。今を、生きることが人の生なのかも知れないが、その今は累積された(記憶された過去)からなっているともいえる。今は回想や想起した過去で構成されてもいる。今という生にはその要素が強くある。歳を重ねることはこの重要さに気がつくことである。友は僕の心の中に生きては行くだろうが、生で語り合うことで回想し合う事の愉みが出来なくなったのは辛い。コロナ禍の前は高校時代の友人の集まりを持っていて、あれこれ話をする楽しみを満喫していた。彼はその一人だったのだが、彼がいないのは残念である。友人の死に遭遇する度に、もう少し会っておけばよかったとか、話をしておけばよかったという悔いに似た思いがする。いつものことだが彼にはそんな思いがひとしである。
もう一人の友人は1960年安保闘争を現場で共に闘った。1960年の4月に僕は大学に入り、安保闘争に没入して行った、当時,入学したばかりの1年生はいつもデモの先頭にあった。当時は素手で警官隊と激突するのがデモだったが、そのデモの度にどこか怪我していた。それは小さな誇りだった。学生服などを着てのデモだったが、そのデモの先頭にいた一年組の一人がその友人だった。あの6月15日に国家構内占拠の闘争では彼は捕まった。1960年安保の後しばらく共に活動もしていた。三年ほどである。彼は後に石井紘基(民主党議員でテロで殺された)と一緒に僕とは分かれて活動をするようになったが、後には労働運動の活動者となり、僕らは生涯の友だった。少し距離をとってはいたが、色々と気にかけてくれた得難い友だった。かつてデモの先頭でいた一年組の多くは鬼籍に入っている面々も多いが、ほとんどが連絡など取れなくなっている、その中で彼は連絡を取り合ってきた一人だった。最近は小沢一郎裁判闘争を支援する運動を一緒にやった。このときの会の世話人は5人いたのだが、その中にテントの代表だった正清太一もいた。だから、テントの闘争も支援し、気をかけてくれていた。歯が欠けるようにというが、だんだんと友人のいなくなる寂しさを感じている。
かつて僕等が経産省前にテントを張っていたころに駆け付けてくれた瀬戸内寂聴さんが亡くなった。彼女のことは以前にも少し書いたが、僕は入院している時に偶然に彼女のベストセラーであった『夏の終わり』をあらためて読んだ。病院の売店で津島佑子の『狩りの時代』や俵万智の『若山牧水の恋』等と一緒に買った。以前は単行本で読んだ気がするが、「性と自由」についてあれこれ考えた。僕も若いころ三角関係で苦しんだから、彼女のこの小説は痛みを持って甦るとことがあった。以前はなかなか読み進めなかった気がするが、今は割とすらすら読めた。これは彼女の出家とも関係していたのだと想像するが、その所を彼女はどう考えていたのか、あらためて思いめぐらした。僕の好きな女性作家は大庭みな子だが彼女についてもこのことがついて回っていた。瀬戸内さんは闘いの場にはいつも駆け付け激励してくれた。ここには戦争体験があるのだろうが、男の作家等には見られないことで稀有なことだった。僕は瀬戸内さんのそうした行動に励まされてきた。瀬戸内さんは大往生なのだろうが、少しでも生きていて欲しかった。かつて母親について思っていた感情にどこか似ている。
経産省前では毎月「月例祈祷会、死者の裁き」というのがある。JKS47士と呼ばれる人たちが開いているものである。愉しく、かつ迫力のある集会で僕はいつも愉しく参加させてもらっている。身近な人、よく知られた人の訃報に接する度にあらためてこの集会のことを思う。死者の側に多くの人が移って行く度に彼らが僕のこころのうちに生きていることの確認だけではなく、かつて村上春樹が「死は生の対極にあるのではない」と言ったことを想起する。死者とどうつながっているかは生きている人を豊かにするものであり、「死者の裁き」にはそれが含まれてあることを確認する。悲惨さ喜びの全部につながることが死者につながることであり、それが死者の声を聴くことに他ならない。僕らが現在や今という生を豊かにすることは死者という財産を取り込むことであり、簒奪し続ける人を糾弾するのはそのためである。福島原発事故から十年、多くの人たちが死の側に移った。その声を僕らはちゃんと聞いているだろうか。彼らとつながっているだろうか。こんな自問を 僕らは続けなければならない。原発事故などなかったかのように振る舞う連中は死者の存在を踏みにじるものたちだ。総理大臣に就くと福島原発の事故の現場に出掛けるが、これは儀式に過ぎない。本当に死者の声など聞こうとはしていない。聞く気があれば「汚染水を海にながす」なんてことはしないだろう。脱原発闘争が細くなって行くことを防ぐ道は死者の声を聞くことにもあるだろうと思う。 (三上治)
::::::
原子力ロビーによる放射線被曝の押付けを拒否しよう! その36
IAEAとICRPと経産省と規制委と東電と外務省と環境省とで、放射能汚染水を海に流すな ~「北西太平洋漁場」を汚すな、放射性物質は拡散せず閉じ込めるべき~
2021年12月23日 木村雅英
東電が、11月17日に「多核種除去設備等処理水(ALPS処理水)の海洋放出に係る放射線影響評価結果(設計段階)について」を公表し、12月21日には原子力規制委員会に「海洋放出」実施計画を申請した。
改めて、IAEAとICRPと日本政府がタッグを組んで、東電福島第一原発に溜った放射能汚染水を「海洋放出」という名の海洋投棄しようとしている。それは許されない。
1 「海洋放出」という名の海洋投棄は許されない
(1)放射性汚染物は拡散してはならない
毒はまき散らしてはいけない、閉じ込めるべきだ。一旦タンク保管されている放射性汚染物を意図的に海に流すことは許されない。ひとたび海に流してしまえば二度と回収することができない。
(2)希釈しても「死の灰」は減らない
毒は水を混ぜても減らない。総量規制するべきだ。
(3)世界三大漁場を放射能汚染してはいけない
福島県を含む東日本の海が、世界三大漁場のひとつ「北西太平洋漁場」である。「海洋放出」を決定するまでの検討過程においても「北西太平洋漁場」の水産については全く議論されなかった。太平洋を汚し続けてはいけない。
(4)タンク保管が可能
検討過程においてもまたその後の公聴会などにおいても、1000基に及ぶタンクを新たに増設することが可能であることを確認した。トリチウムの半減期12.3年を考慮すればなおさら保管するべきだ。
(5)姿も時期も不明の「廃炉」を口実に海を汚すな
ロードマップを5回も改訂したにも拘らず、廃炉の姿も時期も全く未定で、廃炉まで100年以上300年ぐらいかかる。関係省庁及び東電が廃炉の姿などを見直すことが必要と認めているにも拘らず、廃炉を口実に「海洋放出」することは絶対に許されない。
(6)外務省はロンドン条約・議定書や国連海洋法条約を遵守すべき
条約が「領海」に「人工海洋構築物から海洋へ故意に処分すること」を禁止しているにも拘らず、外務省はこれらの条約を守ろうとしない。近隣諸国から批判が出るのは当然だ。
(7)環境省は環境影響評価法に基づき環境アセスをすべき
環境省は、環境基本法改正にも拘らず、国連人権理事会の指摘をも無視して放射性物質の環境影響評価から逃げている。この様な環境省の態度では国内外の地球環境を保全することはできない。
2 東電の「放射線影響評価」報告は全く信用できない
(1)評価目的があいまい
30年以上「海外放出」し続ける計画の評価であるから、30年以上の長期に渡って以下を確認しないといけない
〇太平洋全域への数十年に及ぶ経年影響評価
〇近海にどれだけ蓄積していてこれからどうなるか
〇海底土への蓄積とその魚介類への影響
(2)海域モニタリング
放射能汚染が続く海底土の調査を強化し「海洋放出」の影響評価をするべき。IAEA 支援によるモニタリングは信用できない。
(3) 運用管理値 8核種を選定してこれらに対して「運用管理値」を設けているが、その目的も根拠もあいまい。
(4)海底トンネル1km「放出」の意味
基準を満足する様に希釈しておきながら、再取水しない為に1km先に海洋放出するとしているが、このことは放出水の汚染のひどさを表しているのではないか。
(5)毎日の汚染水の増減が不明確
今、日量140立法メートルの汚染水が流入している(凍土壁溶融で増加が心配)。もし「海洋放出」をする場合に、陸上の汚染水の増減がどうなるかを明確にするべき。
(6)国際放射線防護委員会ICRPの内部被曝の過少評価
ICRPは、ヒバクは人々に押しつけ、経済的・政治的利益は原子力産業と支配層にもたらす国際的委員会である。ICRPが内部被曝を過少評価していることは周知の事実。ここでも、内部被曝の影響を一般公衆の線量限度1mSv/年と比較しており、間違いである。目薬効果を身体全体に換算できない。
(7)国際原子力機関IAEAは信用できない
1953年にアメリカ合衆国大統領アイゼンハワーによる国際連合総会演説「平和のための核」を契機とし、IAEAは1957年に創立された。放射性物質による環境破壊と健康被害を過小評価する組織で全く信用できない。経産省・東電がIAEAの後押しで「海洋放出」することは許されない。
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。