われわれの時代と佐藤忠男
- 2022年 4月 14日
- カルチャー
- 佐藤忠男川弾降雄
佐藤忠男さんが亡くなられた。1930年のお生まれだが最後まで現役を貫かれた。これまで40年以上にわたり佐藤さんの映画評論をずっと愛読してきたが、「日本映画思想史」など傑作と呼ばれる数多くの著作からいろいろなことを学んだ。「現代日本映画」では今日あまり高く評価されているとは言い難い山本薩夫監督についての論考を“わたしは山本薩夫を尊敬する”と締めくくられたことをよく覚えている。また同書で東映の飯塚増一監督作品“警視庁物語 全国縦断捜査”を激賞しておられた。それから20年以上後になってようやく見ることができた。佐藤さんは犯人の持つ異様な殺気について言及されておられたが、実際その通りであり、やはり傑作であった(因みに犯人役の役者さんは悪役商会で有名な方)。つい2~3年前に当時の東映助監督であった菅孝行さんからお話を聞く機会があったが、社会派的な題材に興味のある新人は全て時代劇の京都撮影所に回されたそうである。警視庁物語シリーズをやりたい若い監督さんが多かったのも納得できることだ。
あるとき大島渚監督が若かった頃に、われわれの時代には佐藤忠男がいる、と明言された話を思い出した。若い映画の作り手からすればなんと心強い言葉ではないか。また石上三登志さんだったかもう覚えていないが、ある映画評論家さんが“わたしの場合は双葉十三郎さんだ”と話されたこともどこかで聞いたことがある。その時代の映画ファンを魅了し作り手を応援した傑出した映画評論家さん達が必ずいらしたことを物語るエピソードといえよう。
筆者にとっての映画のお師匠さんは、佐藤忠男さんと小林信彦さんだ。そのような方々がいらしたことは自分にとってまことに至福で贅沢であった。もっとも現在でも、川本三郎さんや町山智弘さんがおられる。亡くなられた宇波彰先生も期待しておられた御園生涼子さんが夭逝されてしまわれたのは今でも悔やみきれない。この方々に共通しているのは、“書いている自分が面白いのだから読者もきっと面白く読むに違いない”などという美しい誤解というか滑稽な勘違いがないところにある。蓮実先生やそのお弟子さんたちのように難しい言葉を連ねて文章が黒ければ、とても終わりまで読めない。学問的に映画を捉えるのは未開の鉱脈が数多あるので、研究する題材にも事欠かないだろうが、あくまで映画の第一義的な目的は娯楽であろうと思う。
佐藤忠男さんはそこのところを実に見事に表現なさっていた。それはやはり娯楽としての観客目線と映画人への激励と映画の将来を見据えた立場からの発言に徹していたからではなかろうか。
映画評論は未だに読むがこのところほとんど映画館に足を運ばなくなった。時間が取れないこともあるが、あまりに狭い私的な世界を描く作品が多く骨太な作品が乏しくなり、映画に対する興味が薄れてきたこともある。2時間もスクリーンを見続けられる自信も全くない。途中でイビキでもかいて眠ってしまい周囲に迷惑をかけるのが怖くて映画館に入れない、というのが実情である。それだけワクワクさせてもらえない、ということなのだろう。もっとも髪の毛が沢山あった若かった頃に“去年マリエンバートで”を3回観に行き、3回とも眠ってしまった情けない映画ファンでもあった。
佐藤さんはある本のあとがきで、“今井正と山本薩夫について1冊ずつ書く予定である”と書かれていたが、それが叶わなかったことはまことに残念なことであった。
永い年月にわたり、そうかそうか、とうなずきながら読んだ楽しい思い出を下さった佐藤忠男さんに深く感謝申し上げます。合掌。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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