ロシアのウクライナ侵略と憲法をめぐる動きから
- 2022年 5月 4日
- 評論・紹介・意見
- ウクライナ問題三上治憲法改悪問題
連休も間近である。コロナ感染が広まってからゴールデン・ウィ―クというのも幾分か色あせた感もするが今年はどうだろうか。仕事をしていたころはこのウィークには結構、期待感もあったが、いつも子供と野球を見に行くのが定番だった。僕らが経産省前にテントを設置した初期には多くの人が集まり、いろいろの催しもやった。それもなくなったが、このウィークの真ん中には憲法記念日がある。学生の頃はまだメーデーが盛り上がっていてそちらには出かけていたが、憲法記念日は足が遠かった。意識がうすかったのだと思う。安倍の登板と憲法改正の動きが強くなったころ僕は「9条改憲阻止の会」というグループに参加し、その対抗闘争を始めた。この中には経産省前にテントを立ち上げたメンバーも多くいたが、そこでは憲法をめぐる動きを学生のころと違って強く意識していた。メーデーは影が薄くなってしまったこともあるが、憲法記念日だけは気にかけていた。
安倍の退陣もあって憲法改正の動きは鈍くなっているとみていたが、ウクライナ問題を契機に憲法改正の動きは強まっている。参議院議員選挙の結果にもよるだろうが、憲法改正の動きは加速しそうである。僕はこの動きを予測しながら、そこにウクライナ侵略が人々の意識にどんな影響を与えているのだろうかと考えている。ロシアのウクライナ侵攻は一面では遠い世界のことという様相があり、人々の日常意識からは日常化した意識の断片になっていくところがあるが、他面では深い衝撃とともに意識せざる事柄ともなっている。そしてこれはやがて憲法をめぐる意識に反映することになるだろうと思う。その意味で僕は今、僕らがウクライナへのロシア侵攻をどう考え、認識しているかはきわめて重要だと思う。日本の憲法、とりわけその核をなす前文や9条を支えてきたのは太平洋戦争を含む15年戦争を経験した人たちの戦争についての意識(反省的意識)であり、認識だった。戦争観だった。戦後の反体制運動や市民運動は憲法擁護運動をなしてきた。それが憲法の改正阻止の役割をはたしえたのは、国民的な戦争についての意識や認識であり、背後でそれに守られたからである。僕はこの闘争に主体として参加してきたつもりだが、積極的に寄与できたとはおもわなかった。反体制運動の側は憲法闘争に有効な理念や思想を提起できなかったという反省がある。自分たちの理念や思想の無力性を自覚する契機になった。
そういう苦いことが多いのだが、こういう思いは今のウクライナ問題の認識についてもある。
憲法記念日を間近にして、ウクライナのことと憲法に関連して二,三のことを書き置きたい。過日、僕たちは「9条改憲阻止の会」でウクライナ問題の討論会はやったのだが、憲法と関連させた討論会をまたやりたいと思っている。こういう議論というか、討議は場所などの関係もあって難しいが、テントひろばでもやりたいことだと思う。テントひろば原発の闘争を主要にやってはいるしそれが、筋だが、それはいろいろのことに関わることを否定しているわけでない。安保法制のことも、沖縄のこともいろいろと関わっていいのである。原発問題を主軸とするがゆえに関わり方に制約があるということであり、それだけのことである。原発問題を主軸にすることは、他の問題に閉じた関係にあるということではない。もし閉じてしまえば原発に関する運動を狭くし、基盤を小さくしてしまう。
ロシアのウクライナ侵攻(侵略)の報道に接したときに僕が想起したのは憲法の前文だった。憲法の前文は政府の勝手な所業で戦争がやれないようにということと、国民主権が提起されている。これは天皇と軍部の独裁的権力がやりだした戦争(15年戦争)への戦後の反省から出てきてことだった。プーチンがやっていることは、憲法の前文で書かれていること、つまり、政府、独裁権力の勝手な所業でやったことだが、憲法の前文で反省の対象になったような戦争だということだ、プーチンが20年を超える統治(政治)の中で、戦争を使って独裁的統治を強めてきたことは、戦争に次ぐ戦争で軍部がいわゆる国体政治(独裁的統治)を強めてきたことと似ている。プーチンの戦争観や帝国観(国家観)は古典的というか、明治時代以降の日本国家がとってきたものと似ていると言える。歴史的条件は違いがあるのだが、型というか、それは似ているというか、同じであると思う。歴史的に見れば同じような型の国家統治と戦争をやっているのだ。
日本の中国大陸進出(侵略)は帝国主義の侵略戦争と言われた。それは帝国主義化した日本資本主義(日本の資本制権力)の中国市場獲得のための戦争と言われたが、それ以上に帝国主義化して政治権力の野望というか、所業だった。坂野潤治がいう立憲的政治権力に対立する帝国的政治権力の行為である。ここで注意のいるのはこの帝国権力は資本と結びつき、それを代表する面もあるが、独自の政治意思を持つ。そこを考慮すれば、プーチンの戦争に向かう意思と似ているし、歴史的概念としての帝国主義戦争と言っていいのである。帝国主義的侵略戦争と言っていいし、歴史的にはこの型の戦争と言っていいのである。
加藤陽子はロシアのウクライナ侵攻でのキーウ攻略の失敗を日中戦争における初期の上海攻略戦の失敗と類似しているという。これは独別作戦と称し、電撃作戦で簡単にウクライナを攻略し、傀儡政権を樹立出来ると目論んだプーチンの失敗が日中戦争での日本の失敗に似ているということだろう。ウクライナの人々の予想外の抵抗、あるいは民族的抵抗をプーチンがいかに見誤っていたかを示すが、これは日中戦争において日本の権力が中国の民族的抵抗についにわからずじまいだったことを似ている。あるいはそれに傲慢にしか対処できなかったことでもある。満州国建設にあたって石原莞爾は五族協和を掲げたが、日本は帝国主義的支配を根底に持っていたのだから、これは矛盾に直面した。それは中国への侵略になって現象した。プーチンの主権を持つネットワーク型の帝国の建設はロシアの支配という帝国主義な建設ということがあり、この矛盾はウクライナへの侵略として現象している。
僕はこのウクライナ侵攻に対するウクライナの人たちの抵抗と闘いを率直に評価し、そこを当たり前に評価できないで混乱している反体制運動や反権力運動の動きに驚いている。なぜこんなことが生まれるのかは分かる。それは一言でいえば反体制運動の中での戦争観(戦争を認識する思想)が混乱しているからだ。
これは戦後の反体制運動や反権力運動にあった面々が憲法(とりわけその戦争観)をどう理解してきたかの反映である。単純に言えば、憲法9条を含めた戦争観がアメリカからの強制というが、アジアの人々への反省と謝罪であった面を理解し認識することができてはいなかった、ということだ。そして戦争の原因の理解が一面的で深めないできたということだ。マルクス主義の側の戦争追及が衰退し、それが半藤一利や保阪正康らにとって替わられてきたということでもある。
いくつか取り上げたい見解があるが、僕が疑問に思う見解に、「プーチン悪論、ゼレンスキー善論という二元論ではなく、戦争悪論と一元論でこの戦争を把握し、ゼレンスキ―もプーチンも停戦して戦争をやめろという」のがある。これはプーチンの戦争にはアメリカやNATOの拡大が原因だとか、ゼレンスキ―が仕掛けた戦争だとか、アメリカと西欧ロシアの戦争だとか、そして、どちらも戦争をやめろ(停戦しろ)という提案になって行く。これは俗にいう傍観主義、客観主義的な発言であり、結局は当人の意思に関わらずプーチンの擁護になってしまう。なぜなら、これは降伏の勧告になってしまうからである。そんなことは当人たちも承知のことだと思う。こういう議論は現在的な善意者の発言であり、レーニンの良く言った地獄には善意の道が敷き詰められていると言った類のことだ。
でもこういう批判をしてもせんなきことで、ここには一つの戦争観があり、それは問題なのだと思う。こういう考えの背後には、多分に憲法9条の戦争放棄の認識や理解に影響されたものがある。憲法9条の戦争放棄が国家、つまり国家主権の戦争の放棄としては誰もが賛成することだと思う。この9条の理解、認識に共通のものだと思う(これを否定する国家主義者はいるにしても)。この上で、もし、他国が侵略してきたらどうするのか、というと様々の見解があった。軍事的抵抗を含めて抵抗する。軍事的抵抗はしないが、それ以外の抵抗はする。抵抗はしないで降伏する。多分、いくつかの考えがあったが、これについてはそういう事態が起こらなければ、わからないとして多くの人が判断を保留してきたのが現状だろう。そして、戦後では大国間戦争は起こらないだろうという期待も込めた判断もあり、このことについては判断することを保留してきたのだと思う。こういう議論は国家側からの軍備も含めた対応が必要ということに誘導されることを警戒して議論はしないできた面もあると思う。専守防衛の範囲なら、抵抗はあり得るという形を容認してきたのが現状だったともいえる。専守防衛論と憲法9条の擁護は矛盾しないのとして、「9条改憲阻止の会」の結成時にそういう立場の9条擁護論とは連帯しようという話も出た。いずれにしても、侵略に直面した場合にどうするかという議論は曖昧にしてきたことがあったことは事実である。僕は侵略があれば、軍事的抵抗もふくめた抵抗をやるということはあたりまえのことだとして、その抵抗は国家的抵抗とはどういう関係に立つかを考えてきた。この抵抗を国家主導の抵抗ではない抵抗としてやる方法を現在ではわからない点も多いが、考えようとしてきた。戦争に持って戦争としてする対抗という形の抵抗でない道を模索してきたが、戦争にたいして、軍事的な抵抗はやらない、非暴力の抵抗以外はやらないということを反戦論として主張する人がいることも知っている。憲法9条の戦争放棄をこういうこととして認識し、そこから戦争についての対応を考えた見解を知っている。ここは現在の戦争についてどう対応するかで大変重要なことが言われていることを認識している。
ただ、僕はこのことに疑問を持ち、自分は違うとも考えてきた。侵略された場合は軍事を含めた抵抗をやるのは当たり前で、それは戦争の放棄と矛盾していないと考えてきた。そのうえで国家的な戦争なる主導されない抵抗を考えてきた。僕の非戦論は国家主体の戦争の否定であり、放棄論であり、そこには、侵略された場合の抵抗は否定しないと考えてきた。侵略に直面して、逃げることも非暴力の抵抗をとることもいいのだが、軍事的抵抗をする人を否定しないと考えてきた。ここは僕の反戦論というか、憲法9条の理解の根幹にあるでもある。
僕は若いころシモーヌ・ヴェ―ユの社会主義者の戦争論(レーニンの帝国主義戦争論も含めた)批判に深い影響を受けた、彼女は1930年代から1940年代の初めに活動したのだが、この時代にあらゆる戦争は悪だ、戦争は止めてしまえという考えを提起していた。特定の戦争の批判を超えて戦争そのものを批判していた。この反戦論(非戦論)は徹底したもので、反ファシズム戦争を戦った米ソが特定の戦争を否定したにしても、戦争そのもの否定せず戦後も戦争を繰り返してきたことを批判する立場を与えてくれるものだった。憲法9条の戦争放棄論に理念的立場を与えてくれるものだった。これは特定の戦争批判論は二元論になって、戦争そのものを批判することに行きつかない限界を教えもしてくれた。これは僕の現在の戦争観(非戦論)の根底になっており、憲法9条を擁護する理念的根拠になってきた。しかし、僕はその彼女がスペイン人民戦争に義勇兵として参加し、またファシズムとの戦争では連合国側に立ちロンドンで闘ったことを知っている、この行動と彼女の戦争観は謎のようにあり、矛盾的にみえる。その所業を どう彼女は考えていたのか、ずうっと考えていた。彼女の戦争観は二元論的にどちらの戦争に義があるかということを否定して戦争そのものが悪いという考えをとっていながら、なぜ彼女は反ファシズムの側の戦争に立ち闘ったのか。ここではファシズムの側の戦争を悪として考えていたに違いないのだかである。彼女は戦争そのものを悪とする立場と、どちらかの戦争を選択するという矛盾にあった。この矛盾は彼女の思想的な矛盾ではなく、彼女が現実を生きたという事の証明である。僕は憲法9条の戦争放棄と戦争について考えるときに、シモーヌ・ウエーユの戦争観に示唆されながら、彼女の取った行動も含めて、その矛盾的な所業も含めて考えてきた。僕らは幸福なことに戦後体制の中で日本が戦争に参画しないできたし、現実の戦争に直面しないできたから、彼女の直面したような矛盾に悩まなくて済んできたところがある。
プーチンの戦争もダメだけど、ゼレンスキ―の戦争もだめだ。どちらも戦争をやめて引き揚げろというような提案は一見すると通りがよさそうな意見である。だが。こうした提案に僕は疑問を抱く。何よりも現実に戦争の渦中にある人間にこうした提案が通ずるはずがないということがあるが、これはゼレンスキーの側が戦争(抵抗)という手段を通して隷属と抑圧を強いるものに闘っていることを無視あるいは否定することをやっている。これは暴力的な方法で抑圧や隷属をしいるものに、抵抗し闘ってきた人間の歴史を無視するものだし、僕が権力と闘ってきた原点を否定するもののように映る。僕はシモーヌ・ウエーユがスペイン人民戦争に参加し、反ファシズムの戦争に加わったのは彼女の抑圧と隷属から自由を求めての必然な行動だったと理解しているから、こういうゼレンスキーの戦争もダメだと考えには疑問を持つ。ゼレンスキ―の抵抗には矛盾もあるが、これは彼には明言しているように望まないでしいられた戦争であり、侵略という暴力に対する抵抗であり、何よりもそれは率直に認めたいし、評価をしたい。これは支配と抑圧に対する人間の闘いであり、それを理屈抜きに認めなければならない、そうしなければ理屈抜きにプーチンの所業を批判できない。
これはどんな戦争も悪なのであり、人間の解放に寄与する戦争なんかないのだからやめてしまえということを僕は認めている。でも現実にはこれは戦争に屈服しろ、降伏しろ、抵抗はするなということになってしまうことになることも考えている。こういう矛盾を持ってしまう。それなら矛盾をもっていても抵抗し、闘う方がいいし、僕は人間観としてそちらを取る。早い話が、仮にロシアが北海道に進出(侵略)してきたら、僕は抵抗するな、闘うなとは言わない。逃げてもいいし、無抵抗の抵抗もいい。けれども、僕はこの侵略に抵抗し、闘うことを否定しないし、僕はそれに加わる。屈服と隷属を勧めない。これは確かだ。
僕がこうしたことを長々と書いてきたことは、振り返れば憲法9条の擁護という問題に関わることだからである。憲法9条の戦争放棄に対して、現実の侵略があったらどうするのだという問いが投げかけられてきた。これに対する答えというか、対応は憲法9条の擁護者において様々だった。それは前のところでこれについては記した。
僕はこういう問いに対して抵抗(軍事抵抗も含め)はするが、従来の形の形態、戦争という形態を超えたで方法を考えようとしてきた。僕の非戦論は侵略戦争には抵抗を持って対応するというものであり、この関係は難問だった。この難問はそんな抵抗が歴史的にはまだ何処にもなく、未知のものだということもあるが、そこには戦争をめぐる理念と現実を思考する問題がある。
僕はあらゆる戦争を否定するという非戦論にたっていた。しかも、この考えに今も立っている。特定の戦争において戦争(侵略)と抵抗という形の戦争があつたとき、もう一つの戦争を支持することもした。戦後の戦争もういろいろとあり、複雑であって一般化してではないが、その都度ある戦争については、ある方を支持するとしたこともある。ベトナム戦争はそんな戦争だった。歴史的にいえば第二次世界大戦では反フアシズムの側を支持した。戦争には様々あり、単なる国家間戦争のようなものもあり、そんな戦争には支持とか、不支持とかはなかったが、特定の側を支持することもあった。戦争を絶対的悪として否定しながら、特定の戦争ではある方を支持するというようなことがあるのか。これは先で述べたシモーヌ・ウエーユのことを例に出したことでもある。ここには矛盾のように見える。戦争は矛盾だし、絶対になくさなければならない矛盾である。この意味では戦争絶対的否定論の戦争は戦争について革命的理念であり、立場である。この立場からすればレーニンの「帝国主義戦争批判」もウイルソンの「民族自決論」も特定の戦争批判であり、革命的な戦争論ではない。現在ではマルクスやレーニン、あるいは毛沢東のような戦争論を超えた戦争論を必要としており、僕はその先駆的ものはシモーヌ・ヴェーユの戦争論であると考えてきた。僕らが持たなければいけない戦争観だ。
だが、現実には戦争はある、そこでは特定の戦争の是非が問われる。現実は様々の段階の戦争があり、特定の戦争に対する判断を必要とする。例えばプーチンの戦争はどうかというように。今の事態である。これに対して、戦争は悪なのだから、全部否定 しろという考えが出てくる。革命的戦争観の適用である。だが、これは空論であるばかりではなく、結果としては特定の側(この場合は戦争を仕掛けた側)を擁護するような矛盾が出てくる。でも、これは観念的(空想的)か、現実に抵抗し闘う人間に対する無視のように現れる。革命的理念が陥る矛盾といえるかもしれない。これは何故だろう。
これは理想と現実の関係の問題と言っていい。むかし、吉本隆明が関係の絶対性と言ったのは現実ということでいいが、これは革命という現実を超越した理念が現実を媒介しなければならないこと、あるいは現実との関係で現れる矛盾を指摘したことである。これは現実の運動を展開していくときの問題でもある。
矛盾の解決を目指す活動(運動)の運動がある。この矛盾の解決には矛盾の絶対的解決がある。これは理想的立場であり、革命的立場である。ただ、矛盾の解決ということでは絶対的な解決というよりは新しい矛盾の提起ということがある。矛盾の絶対的解決をしたわけではないが、一つの矛盾の解決ではある、提起がある、これは絶対的な矛盾の解決という点では中間的で過渡的なもの、歴史的には段階的なものと言える。哲学的には矛盾対立論に対して矛盾調和論である。矛盾が動力になり、矛盾の解決を目指す運動ではこの中間的なもの、段階的なものが極めて重要である。それが現実の運動だからである。あるとことで佐藤優は左翼の理想主義は何故に凄惨な対立は生むかと言っていたが、これは理想主義がこの中間的なもの、過渡的なものを認めないで否定するからである。歴史的に有名なファシズム期に当時の左翼(スターリン主義)が社会民主党主要打撃論をとったことがある。彼らの矛盾論はこの中間的なもの、過渡的なもの、あるいは段階的なものを認めず、否定したからである。これはソビエト連邦や中国で粛清があった一方で社民主要打撃論があったことでもある。理想主義がこの中間的な段階的な、現実的運動を認めない時には、空想的(観念的)な表れもするが、他方で内ゲバのようなことを生み出す。反体制運動のような矛盾を正す運動(戦争や社会的な抑圧と支配など)では、矛盾を解決する根本的な理念と、現実の運動が提起する中間的もの、段階的なものに関係づけが必要だし、そこが一番難しい。
僕らの戦争に対する革命的理念と特定の戦争の戦争を関係させる(そこでの認識や判断を持つこと)は難しい。そこには僕らの思考に伝統的左翼の思考が残っているからだ。僕らは矛盾対立論で矛盾調和論を認めないという伝統的左翼の思考が遺伝子のようにある。
例えばファシズムの戦争(プーチン型の戦争)を否定することは特定に戦争の否定であるが、戦争そのもの否定ではない面があることを認める。これは矛盾の解決のための新しい矛盾の提起ということになる。中間的なものである。プーチンの戦争(侵略戦争)を否定することは戦争を否定することにはならないにしても、侵略戦争を否定することである。歴史的には段階的に戦争を否定してきたことになる。人類の歴史は戦争の歴史と言ってもいいが、人類は戦争という矛盾を解決はしてこなかったけれども、段階的に解決はしてきたという歩みはある。その中でもおおきな位置を占めたのが侵略戦争の否定だった。あるいは帝国主義の戦争をやめさせた民族解放戦争だったかもしれない。歴史的には戦争は戦後も残り続いていたけれどもある型の戦争はやらせなくしてきたのであり、戦争を小さくしてきたのである。戦争の制限である。僕らは戦争をめぐる現実の動きの中で、その戦争に関わり判断していくには、戦争についての根本的な理念的判断と歴史的な現実の歩みの中での戦争について判断とがひつようである。
プーチンの戦争は古典的な侵略戦争であり、戦争を否定していない国家からも批判が集中しているのは、歴史的な戦争の批判がるためだ。僕らは戦争の絶対的否定と段階的な特定の戦争の否定の歴史を考えながら、戦争についての判断と対応が求められる。憲法9条の戦争放棄もこのことからそれを豊富なものにしていかなければならない。(三上治)
4月27日(木)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion12002:220504〕
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