安倍晋三死去報道の虚実~いつから”偉大な”な政治家になったのか
- 2022年 7月 15日
- 評論・紹介・意見
- 内野光子
安倍元総理が選挙の応援演説中に撃たれた直後からの報道を視たり、読んだりしていると、その異様さと不気味さに恐怖さえ覚えた。
殺人という犯罪は許されないことは当然だが、容疑者の現場確保の直後から捜査サイドは、動機として「政治信条にかかわらない、特定の宗教団体への恨み」としていた。にもかかわらず、詳しい背景が不明なまま、その当日、各政党のどの党首もが「民主主義」への「挑戦」「破壊」とのコメントがなされ、午後の選挙活動を自粛する政党が大半であった。事件の翌日7月9日の各新聞の社説は、「民主主義の破壊許さぬ」(朝日)、「民主主義の破壊許さない」(毎日)「言論は暴力に屈しない」(東京)「卑劣な凶行に怒り禁じ得ない―要人警護の体制不備は重大だ」(読売)「テロに屈しないためにも投票に行こう」(日経)「卑劣極まるテロ 断固糾弾する」(赤旗)という見出しで、いずれも「民主主義への挑戦」としてとらえていた。
この時点で、「なぜ民主主義の破壊なのか」、私には理解できなかった。この殺人事件とは別に、元総理の追悼記事に、政治家としての安倍晋三の「功罪」「光と影」といった表現で検証され始めた。しかし、安倍政権こそが、オリンピック招致とその後の経緯、東日本大震災・原発事故対策、安保関連法強行採決、アベノミクスと称される異次元経済対策、プーチンとトランプとの接近による北方領土問題・日米安保強化の結果としての沖縄基地建設、北朝鮮の拉致問題の解決どころか後退していったという経緯、そしてアベノマスクに象徴されるコロナ対策への拙劣さなどを想起すれば、どこに光があったのか、とすら考えてしまった。
そして、昨日7月12日「霊感商法対策弁護士連絡会」の記者会見では前日の旧統一教会の記者会見は事実に反する発言があったとして、寄付や霊感商法によるトラブルや悲劇は続いていると、あらためて知らされた。きょう7月13日の「デイリー新潮」の記事によれば、容疑者の家族の旧統一教会との壮絶な関係が明らかにされ、容疑者の家庭を破壊に追い込んだ過程が分かってきた。ネットやテレビでは、旧統一教会の友好団体とされる(と言っても創設者は同一)UPFへの安倍元総理のビデオメッセージが流されている。教会の世界平和志向への共感と創始者への敬意を表している映像を見た被害者たちは、何を思っただろうか(2021年9月12日)。犯罪的行為を繰り返していた教会と政治家との関係をチェックする手段はなかったのか。総理、元総理の名前への忖度が働いていたとしたら、モリ・カケと同じ構図のような気がする。先の弁護士連合会は、昨年、すでに安倍元総理に警告抗議文を届けたが、東京の事務所は受け取りを拒否し、山口の事務所からは回答がなかったという。(日刊ゲンダイ)大手主要メディアも、きちんと取材して報道すべきではないか。NHKは、いまだに「世界平和統一家庭連合」(旧統一教会)を、「宗教団体」としか報道してないのはどういうわけか。
<デイリー新潮>「統一教会」から5千万円返還させていた……「山上容疑者」が抱えていた教団との金銭トラブル
https://www.dailyshincho.jp/article/2022/07131132/?all=1
<日刊ゲンダイ>旧統一教会と国会議員の“ただならぬ関係”…霊感商法対策連絡会はずっと危惧していた
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/308224
事件のあった日の前日に、地元の教会の関連施設に弾丸が撃ち込まれ、近辺には銃声が響いたという。その施設からは、110番も、被害届もなかったという。容疑者による試し撃ちだったこともわかってきた。その時点で捜査がなされていれば、もしかしたら未然に防げたかもしれないのに。
その後の報道では、読売が「社説」が先駆けて取り上げた「要人警護に問題がなかったか」の論議が盛んになり、使用された手製の凶器が話題になっていったのも、今回の事件の核心からはどんどん遠のいていくようだった。
さらに、家族葬のはずの通夜に2500人もが参列したといい、7月12日の告別式の規模とその報道の過熱ぶりには、目を蔽いたくなるほどだった。このコロナ禍の中、遺族や関係者は、参列者や一般市民の献花や記帳をなぜ野放しにしたのか。そして、それを重々しく報じるメディアの見識も疑った。何時間も並んで献花した中学生を追跡したり、母親と一緒に献花した子どもにコメントを求めたり、挙句の果て、6歳の子どもが悼む手紙を渡したりとか・・・。仕立て上げられた「少国民」の再現をみるようであった。昭恵夫人が病院に到着するまで延命措置を依頼したとか、夫人が握りしめた手を握り返してくれたとか、何分間頬ずりをして別れを惜しんでいたとか、身内の話でしかないことを公表し、それをメディアがことごとしく報じ、「家族葬」と言いながら、人の死の政治的利用しているようにしか思えなかった。
霊柩車が議事堂正門前を通り過ぎたときに、参議院選挙で議席数を減らした野党の議員たちまでもが最前列に並んで見送っていた。
初出:「内野光子のブログ」2022.7.13より許可を得て転載
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2022/07/post-823160.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion121868:220715〕
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