朝日川柳 西木空人選7句我流解説
- 2022年 7月 21日
- 評論・紹介・意見
- 安倍政権澤藤統一郎
(2022年7月20日)
川柳の解説なんぞは、野暮の骨頂としてこれに過ぐるものはない。解説が作意の的を射抜くことはまずないし、解説が句の意味を限定すると句が縮こまる。句のもっている雰囲気が失われる。ときには句の神髄をぶち壊すことにもなる。本来、句は読む人の数だけの解釈に任せればよい。
それでも敢えて、7月16日「西木空人選・朝日川柳」の掲載7句の解説をしてみたい。もちろん、作者と作品に敬意を表し、この優れた川柳を野蛮な攻撃から擁護したいとの思いからである。
疑惑あった人が国葬そんな国(福岡県 吉原鐵志)
「疑惑あった人」とは、とある国の元首相のようでもあり、もしかしたらそうではないのかもしれない。ともかく、その国で権勢を振るった人ではあるようだ。その人の「疑惑」とは、議会で118回もウソをついたということのようでもあり、国政を私物化したということのようでもあり、公文書を改竄・隠匿したことのようでもある。そんな疑惑にまみれた人物なのに、亡くなったら国民こぞってその死を悼むという「国葬」の栄誉を贈るというのだ。そんな国が、この世界のどこかにあるのだという驚きを率直に吐露した句である。本当にそんな国があるのかしら、あってよいものだろうかと、考えさせられる。
利用され迷惑してる「民主主義」(三重県 毎熊伊佐男)
ワタクシは民主主義です。これまで、数々の政府の横暴に泣かされてきました。典型的には、強引に憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を認めた安全保障法制や、「共謀罪」を創設した改正組織犯罪処罰法。少なからぬ国民に根強くある反対論を、理性と道理による説得ではなく、数の力で強引に押し切っての成立でした。さらに、ウソとごまかしの政治手法の数々。そのたびに、私は涙を流してきたのです。
ところが今度は、『国葬儀を執り行うことで、我が国は暴力に屈せず、民主主義を断固として守り抜くという決意を示す』と言うのです。ワタクシ民主主義としては、この政府のご都合主義に呆れ、不本意に利用されることに大迷惑と言わねばなりません。
死してなお税金使う野辺送り(埼玉県 田中完児)
この人の生前の税金無駄遣いは数々あるが、一番分かり易いのが「誰も使わなかったアベノマスク」。これこそは、無能政治の象徴として後の世に語り継がれることになる「怪挙」である。その費用は、当初の政府発表で466億円。その後、会計検査院の検査で115億円相当が未配布と判明。のみならず8200万枚が倉庫に保管されていたことが明らかにされた。その保管費用6億円以上。いったい、政権とつるんだどの業者がいくらの金額を食いものにしたものだろうか。それで足りずに、「野辺の送りにまで、無駄に税金を使おうということか」という、庶民の感慨と怒りが読み込まれた一句。
忖度(そんたく)はどこまで続く あの世まで(東京都 佐藤弘泰)
これは、いかにも川柳らしい、よく風刺の利いた立派な句である。この句に詠まれている人物は、生前「忖度される人」として知られた。
相手を叩き伏せる剣術は未熟なのだそうだ。達人ともなると、剣を振るわずして相手を制圧することができるという。この人も、政治家として達人の域にあって、部下に無理無体を表だって直接に命じることは記録上みえない。常にこの人の部下がこの人の意を先回りして忖度し、自らが健気に責任を被る形でこの人の意を実行してきた。その年月は長く長く続いて、とうとう「あの世に行ってまで」の忖度が国葬という形になったという慨嘆。なるほどなるほど。
国葬って国がお仕舞(しま)いっていうことか(三重県 石川進)
これも、秀句である。もちろん、「国葬」とは国家が主催する葬儀のことだ。しかし、国政を私物化し、憲法改正に専念してきた政治家を「国葬」にすると聞かされたときに、「国葬」とは「国のお葬式」かとひらめいたのだ。こんなことでは「国もおしまい」ではないかという感想。少なくとも、「日本国憲法が想定した国」「民主主義が根付いた国」「平和を国是とする国」「道理がとおり希望に満ちた国」はおしまいという含意である。このような川柳までが、右翼勢力からの攻撃を受ける現実をみると、ますます「この国がお仕舞いっていうことか」と嘆かざるを得ない。
動機聞きゃテロじゃ無かったらしいです(神奈川県 朝広三猫子)
本句は、本件犯行を反射的に政治テロとして反応した人たちへの批判である。銃撃犯の犯行の動機は、まだよく分からない。我々には密室での取調べの内容は知る由もなく、捜査機関が被疑者の供述とするリークの一部に接触できるだけなのだから。今のところ言えるのは、「銃声で浮かぶ蜜月政と宗(神奈川県 石井彰)」(15日朝日川柳)ということ。この政(自民党とりわけ安倍3代)と宗(旧統一教会)との癒着に徹底したメスを入れなければならない。けっして、「銃弾が全て闇へと葬るか(千葉県 鈴木貞次)」(前同)とさせてはならない。
ああ怖いこうして歴史は作られる(福岡県 伊佐孝夫)
以上の川柳7句への右翼の批判が凄まじいと聞く。朝日は、毅然としてこの批判から川柳子や選者を守ろうというのではなく、川柳への批判を「重く、真摯に受け止める」とコメントした。これには驚いた。いや、「ああ怖い、本当に怖い」と言わざるを得ない。こうして表現の自由弾圧の歴史が作られる。そして、その先に待っているであろう歴史は、もっと怖いものになる。
朝日よ、せめて右翼からの攻撃を「重く、真摯に受け止める」ではなく、「軽く、しなやかに受け流して」いただきたい。
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2022.7.20より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=19557
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion12204:220721〕
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