夏 物語 TOKYO 新宿 2022
- 2022年 8月 8日
- 時代をみる
- ホームレス笠井和明
冬場とは違い、春から夏にかけては、だいぶ気は楽である。
とりわけ梅雨が明ければ、どこでも気楽に眠れる気候なので、「生命」をめぐる緊張感、「生活」をめぐる切迫感が、冬場とはまるで違う。それは空気でも分かる。路上を歩いていても冬場の声なき悲鳴のような波動は感じられない。
実際は夏は夏で大変で、今年は観測史上最も早い梅雨明けとのこと。夏場が長いと、うんざりはするだろうが…。
それはそれ、これはこれで、まあ、あまり深刻ぶらず、どうにかなる時はどうにかなるよと、気楽に活動を続けている。
あのオリンピックから丸一年。昨年の夏は「外圧」のような出来事があって、それはそれで気遣いはしたのであるが、今年ともなれば特に何もなし。新宿の端にある新国立競技場まわりは、ようやくフェンスが取れ、気軽に入れることが出来るが、どこもかしこも監視カメラだらけなので、敷地内で横になることは出来ない。そもそもその周辺に居た仲間は今や散り散りになったきりで、戻って来ると云うことはもうないかも知れない。ここだけはオリンピックの前と後ではだいぶ変わった。
新型コロナウィルスの、かなり強力であった「第6波(オミクロン株)」とやらは、どうやら峠を越したみたいで(ここに来て、感染者数がまた増えているが)、路上の人々もワクチンが打てるようにもなり、重症化率も低くなり、死亡率も低くなり、病床使用率も減ってくると、「規制」だ「規制」だと、煽る人々が少なくなり、社会が経済を回し始める方向に転換した途端、電車の中も、バスの中も、次第に、満員。夜の街も、若者達が酔っぱらって大声あげながら闊歩するいつもの光景が戻って来た。歌舞伎町を歩く西洋系外国人観光客の姿は、まだまばらであるが、リトルサイゴンと呼ばれた高田馬場では東南アジア系の留学生やら労働者やらが集まり、コリアタウンと呼ばれた新大久保の無国籍的な活気も、いつも通りの姿に戻って来た。皆、まだまだマスクはしているものの、年内にそれも外れるかも知れない。
活気ある新宿はとても良い。猥雑で、何でもありの新宿。だからこそ階層問わず、人が集まる。
……
厚生労働省は先日、「ホームレスの実態に関する全国調査(生活実態調査)結果」を発表した。これは「ホームレス自立支援法(特措法)」に基づき、昨年11月に20名以上の路上生活者が確認される全国自治体で、一斉に行われたものである。東京では320名の仲間の回答があり、全国では約1200名の回答を得たもので、割りとしっかりとした調査となっている。
「ホームレス自立支援法(特措法)」の期限は、あと残り5年と云うことになるが、この調査の建前は、その最後の5年に向け、どう「見直し」ていくかの下地になるものなのであるが、この種の法律の「見直し」と云うものは一度「前例」が出来てしまうと、あまり見直されないのが普通で、まあとりあえず調査しましたよと、そんなものなのではあるが、全国の仲間の実情を知るには便利な資料ではある(厚生労働省のホームページにアップされているので、興味のある方は原文をどうぞ。東京都23区版は東京都のホームページにあります)。
この全国調査、毎回特徴点として言われるのが、「路上生活の長期化と、路上生活者の高齢化」であり、今回の調査でも、路上歴10年以上が40%と圧倒的に多く、70代が34.4%と、これまた高齢化を示し、平均年齢で63.6歳となっている。生活場所が決まっている者が79.5%で、内訳はテントを貼って暮らしている公園、河川、道路の仲間が、その内 67.5%も居り、多数派を占めている。全国的にみると、まだまだかつての東京のような状態が続いているとも言えるし、新宿から見ると、駅や街角で寝ている、私たちがいつも出会っている仲間は、いつの間にやら少数派になってしまったと言えるようだ。
気になるところは数点あって、健康状態が「あまりよくない」「よくない」と回答した仲間が34.9%もいて、そのうち治療等を受けていない仲間が63.5%と、健康状態が良くないのに、病院には行かず、少し無理して生活を続けている仲間が全国的には結構多いようである。
全体の年齢が、60歳以上の仲間がなんと70%にも達し、また、野宿歴も10年以上のベテランさんが40%にも達し「長期、高齢化」していることで、健康問題には当然ながら影響は出るし、誰しも年をとれば、身体のあちこちに弊害が出る。無理した生活なら尚更である。そこは、まあどうにか生きていると安心する所ではなく、健康状態があまりよくなければ、病院に行きましょう、療養に適した生活に変えてみましょうと、そんな話しになる。病気と云うのは、放っておけばどんどんと悪化する。どこかで検査なり、治療が必要な時が来る。それをしないと急に悪化したり、救急で運ばれた時には時遅しなんてことにもなり、医者から「何でほっておいたんだ!」と怒鳴られることにもなる。
アクセスの問題で、福祉等の制度を知らないのかと云えば、そうでもなく役所がやっている「巡回相談員」に会ったことがあるが78.9%も居て、シェルターも自立支援センターもほぼ知っており、おまけにかつて生活保護を利用したことがある仲間は32.7%もいる。もはや多くの仲間が困った時にどうすれば良いのかを知っているのだけれども、「保険証がない」「お金がない」を、周りへの言い訳にして、実は「踏ん切り」がつかないのだろうなと、そんな感じである。
そうなった時は「穴(ケツ)をまくる」のが肝要であると、私たちは新宿で言い回っているのであるが、平均化するとなかなかそうもなってはいないようである。
病気の内訳も、ざっくり言えば、めまいなど循環器系の症状と、腰痛など整形外科系の症状が多いし、かつて高血圧の診断を受けたなんて云う仲間が多い。年を取れば一般の人でも「成人病」のリスクは高まる。おまけに肉体労働で酷使していた身体は、これまた加齢とともに神経や骨に影響が出る。よくよく考えてみれば、調査するまでもなくそう云うことになるのであるが、調査したことによって実証され続けているとも言える。病を抱えながら路上に居ることは、当然ながら不健康ではある。(どこまでしっかりしているかは不明であるが)仮小屋やテントを張っている仲間は31%であるが、それ以外の仲間の寝床は、雨風晒される場所だけに、健康と云う側面から云えば、かなり厳しい。
まあ、調査をしたからと云って誰かが何かをやる訳ではないので、まあ自分達で何とかするしかない。調子の悪い仲間は、まずは福祉事務所に行って相談をしましよう、それとも一緒に病院に行きますか?となるだけである。
衛生面に関する質問は弱い。国は、路上の人々が週に何回、風呂やシャワーに入っているかとか、衣類をどうしているだとか、寝床の衛生環境がどうなっているかだとかは興味も関心もないようである。時期柄「新型コロナウィルス」との関連は調べたがっているようであるが、その病気やら感染の基盤でもある、どのような衛生環境で暮らしているかなどは、どうでも良いようである。保健所ならもちろんそう云うことは聞くし、福祉の介護予防系の人も当然ながら聞く。どのような日常生活をしているかを知らないと対策などとれないからである。唯一出てくるのは「困っていること」の中の質問で「入浴、洗濯等ができなくて、清潔に保つことができず困っている」が全体の12.9%であるが、困っていることなど幾らでもあるのに、特に困っていることをひとつだけ〇をつけなさいとなっている。そうなりゃ食い物に〇が集中することになり偏りが出てくる。「皮膚のかゆみや発疹」が現在の自覚症状として12.6%もあるので、それらの点にしっかり着目して、シャワーのない地域など幾らでもあるので、そんなところを支援していかなければとは思うのであるが…。
お馴染の、「今後の生活について」と云う質問では、「今のままで良い」とする仲間が40.9%。「現在の気持ち」の質問で「なんとかなると思っている」が44.5%。
この、野宿をしててもなんとかなるよ的な楽観主義は、とても頼もしい。国や学者や支援者はそれを否定的に捉えるのであろうが、私たちは、「それはそうだね。
悲観しても仕方がないよね、なんとかなるよ人生は」と深く同感し、「それでも本当に困った時には役所なりに頼った方が良いかもよ」と返したい。
まあ、下手な分析やら上から目線で説教をするよりは、今が良ければ、それは、それで良いのかも知れない。そして、これから降りかかる「不幸」に対して、色々な選択肢のある「道標」のようなものがあれば良い。
「コロナ渦」に関連して、その影響はどんなものかと、今回の調査では、ひとつの項目を作っている。具体的な「影響があった」と答えてもらいたくてわざわざ付け足したような項目なのであるが、残念ながらそれに反して「そんなに変わんねえよ」「まあ、色々ね」と云うような「その他」の回答が全体69.7%で、次いで「収入が減った」が15.3%。食べ物が「減った」が10%程度である。また、新型コロナの影響(仕事がなくなって)で新たに路上生活になってしまった仲間は、全体の6.3%。感染拡大で路上の仲間が増えたようなことを無責任に煽る人も多いが、それを否定するような結果にもなっている。路上において新型コロナ感染拡大の影響は、多少はあったものの、そんなに強く、具体的にあったとは言えないし、それが対策や状況に及ぼす影響は、そんなには多くはないと言うことである。
そもそも、「収入のある仕事」に就いている仲間の率は年々減っており、平成15年調査で64.7%だったものが、今回調査では48.9%になり、ついに半分を切ってしまった。その反面、年金など「仕事以外の収入」がある仲間が平成15年調査では13.4%から22.1%に増えている。仲間の「高齢化、長期化」の中で、仕事の面も収入の面も変わっている。それは、「コロナ渦」やら「景気」だけの問題ではない。
「コロナ渦」で直接影響を受けた人々はもっと他に居るので、それを調べるのであれば、もっと多面的な調査が必要であろう。飲食店従業員の労働環境やら、居住は遠隔地にはなく近場(すなわち家賃相場の高い場所)にあったりであるとか、繁華街の構成はとても複雑である。
仕事の面でも色々と変わった。私たちが昔から使っていた「現役層」と呼ばれる人々はかなりの数を減らし、建築関係は、飯場等でフルで働く人々が減り、スポットであるとか、臨時就労であるとか、アルバイトのようなものに従事していて、何がメインの仕事であるかは分からなくなって来ている。
仕事での収入は5万-10万が多いが、一般的に「自立」できる程の収入は得られていない。
仕事以外の収入「年金など」が、13.4%から22.1%。こちらも5万-10万が多く、仕事はあってもそれが出来ない高齢者は、それを頼りに暮している。
廃品回収など雑仕事も同様で、ここのところの「円安」もあり、輸出品ならではの引き取り単価が上がってはいるものの、それも知れたもの。高い都市部の家賃を支払うには手が届かない。ましてや物価高となっている生活費を賄うのもぎりぎりである。遊興もせず、安酒飲んでてっとり早く寝ると云うのが、一番のようである。
東京において、自立支援センターはそれなりに回転はしているが、ここに入る人々はもはや現役の路上生活者ではなく、ホームレス予備軍的な人々が多数を占めている。それも、近隣都市都市等から東京に仕事があるだろうとやって来た若者(若者と云っても40代あたりが多いのであるが)が圧倒的であったが、そこに「コロナ禍」の影響もあり、地元で働いていた若者もここに加わった。
しかし、路上生活を経て「常雇」を目指すとなると、40代がぎりぎりである。そこそこの学歴やキャリアがないと、中高年齢層の再雇用は「ミスマッチ」が多く、今も昔もそれはそれで大変である。
非正規雇用が問題だと、一般的に言われているが、非正規雇用であったとしても、食い扶持を稼ぐためには仕事は必要であり、そこに当然ながら人々は群がる。
「常雇、常雇」「賃上げ、賃上げ」と、政治的に叫んでみてもそう理想的、空想的な「平等社会」には、当然ながらならない。
今や「マイナンバーカード」の時代で、そう云う身分証やら住民票やらがなければ、非正規も含め仕事にはなかなか就けない。色々事情がある人々は、そこで差別化され、淘汰され、今より下位の仕事に就かざるを得ないのも、今も昔である。そう云う身分確認は一層厳しくなってもいる。
せっかく自立支援センターに入っても、そこで躓く仲間も多くなっている。「常雇」の「自立」と云うのは、かなり高いハードルになってしまった。
かつて、「半福祉、半就労」なんて言葉があったが、今の実態は「年金、バイト、自営、民間支援(炊出し等)、行政支援(生活困窮者対策、生活保護等)」の複雑怪奇なハイブリッド型である。高齢になって資産もなく、年金も小額で、おまけに家族も失い、そんな一人暮らしをしている下層で生きて来た高齢者は、どこにも居る。
「中間的就労」なんて云う言葉もあったり、「軽作業労働」と云う言葉もあったが、これらはどこに行ったのか? 資本からして矛盾する仕事の在り方は、「ニューディール政策」や「失対」じゃないが、国なりが率先して強力に進めて行かない限り、そうそう出来るものではない。一部の理解ある事業者が当事者の雇用をコツコツとやっているだけである。
軽作業労働(日雇やバイト)は、低年金、もしくは生活保護を補填するような高齢者の仕事になっていくが、そこら辺は、対策上、整理されていない。
就労支援はその対象を、路上生活者から、それ以外の、居住が不安定で常雇仕事を望む住民票が設定可能な若年層、中年層に無意識にシフトさせているが、年代別の課題は認識もされていない。
かつて、仲間のニーズは「屋根と仕事」であると、合言葉のように、言っていたが、今は「屋根と食い扶持」と言った方が正しいのか。
今回の調査をざっとみるだけでも、色々なものが見えて来て、社会はこの問題に対し、何が出来て、何が出来なかったのかの課題も鮮明になっている。それを分析して、現状や地域にあった対策やら、支援やらをバージョンアップさせる人々が必要なのであるが、そう云う人は、そうそう居ない。
……
まだ6月の末、夜11時、新宿西口ビルの上にあるお馴染「DAIKIN」の温度表示板は、「30度」。深夜にやっと「28度」。
こう暑いと、色々と隠れていたものが表に出て来る。じっとしてなんかいられないが、少しでも動けば汗だくになる。こんな時期に病院や施設に入っている人々は幸せである。そうでない人は自分で体温管理もしなければならないし、熱帯夜が続けば夜も眠れず、頭がうなって来る。
この熱帯夜の夜の巡回で出会った仲間は129名。それが多いか少ないかは、その時の社会の気分でいろいろと変わる。
山谷地域で活動している人からは、新宿は人の構成がとても良く分かりやすく、駅を中心に路上の人が大勢いるからやりやすいであろうと、言われる。
まあ、それはそうであるが、新宿以外の地域の路上の仲間は少なくなったのと同時に分散化して、視えづらくなったとの声が多い。
そうすると接点がなくなる。
朝、通勤する時、昼の街で買い物でもする時、夜の街で一杯飲んでいく時、一般の人々の生活パターンの中に路上の仲間の姿はあまり目立たなくなった。注意をしておかないと目に入らないが、そこまで注意する人はそう居ない。コロナで人が表に出なくなったり、夜の営業が規制されたりすると、尚更である。
人の多い都会では関心も薄れるし、人が少ない場所では、逆にそれが「異端」として強烈に写ったりもする。たった数人の路上生活者の存在で地域が「早く追い出せ」と大騒ぎするようなことも地方都市においてはあるようである。
そんな人とは関わりを持ちたくないであろうが、接点と云うのはとても大事で、関わりを持ちたくなくても目の前に居れば、関わらざるを得ないこともある。そうやって社会問題なんてのは具体的に解決していくのであろうが、接点すらないと、それは空中戦にしかならない。
「排除」と云うものが強くなるのは、「数が減った」「目に見えにくくなった」と云うところに通じるのであろう。そんな視線は巡回をしていても強く感じる。
その数を減らすことだけを目的にするのであれば、それはそれでとても簡単なことなのであるが、そうしてもその存在まで抹殺することはできないので、移動し、一定の地域に集まるしかなくなる。その場所が、かつて「環境浄化」やら「強制排除」を率先してやっていた新宿の地であることは、とても皮肉なことではあるが、そうやって繁華街やその近くに人が集まる。宿場町の「宿命」でもある…。
まっとうな人々が暮らす「地域」と言うものは、「異端」であったり、その土地に不利益を与えそうな人々を平然と排除する、そう云う地権者エゴと云うか、権利と云うか、そんなものの集合体でもあるが、共生社会だなんだと美辞麗句は作るが、それは見事な「欺瞞」である。
無産者は「追い出され続けて」きた人生である。「逃げ続けて」きた人生でもある。追い出されたくなかったら地権者になるか、契約を交わし限定的にそこの権利を買うしかない。まあ、普通になれということであるが、その、世間一般で普通になれない人々と云うものは、どの時代にでも居るもので、それらの人々は、それでも、もがき、苦しみ、逃げながらでも、家族ではない関係を作り、楽しみ、そして、生きている。
地権者からすれば、それは邪魔であり、邪道であるだろうが、残念ながら、彼、彼女らは、そうそう簡単に「同化」されるものでもない。
「村八分」とは違い、物理的に追い出されしまえば、新たな場所を探して、それらの人々は生きているのであるからして、そこで新たな共同体や関係を作り、文化も作る。まあ、それの繰り返しであるが、それが何か間違っている訳ではない。良いか悪いかなどの価値観は関係なく、それが歴史であり、事実である。
そんな中でもそれを暖かく見続けている人は間違いなくどの時代にも、どの地域にも居るので、彼、彼女らは決して見放されている訳ではない。
私たちが惹かれるのは、資本の観点でなく、福祉の観点でもなく、好奇の観点でもなく、人々がどんな排除を受けようが、そこでどうにかこうにか、生きる姿そのものであり、そこに共感をしているからこそ、共に支え合って、仲間のつながりだけを支えていこうと思うのである。それが時代によって、どんどん小さくなったとしても…。
夏である。夏は慰霊の季節。亡くなった仲間を思い出し仲間が無事に生きられる季節を迎えたいものである。
(了)
初出:「新宿連絡会NEWS VOL84」より許可を得て転載 http://www.tokyohomeless.com/
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