日本における宗教批判 安倍狙撃事件で明るみに出た問題
- 2022年 8月 19日
- 評論・紹介・意見
- 鳥羽幹雄
はじめに
イスラエルの歴史学者にして哲学者のユヴァル・ノア・ハラリは、ホモサピエンスが何故人類として生き残ってきたのかというと、「物語を作る能力があったからだ」(1)と述べています。そこから彼は、だから人間は神をつくることができたのだと述べるのです。つまり、神は人間の創造物なのです。巷間言われている、「信仰の自由」は、こうした宗教とは何か、神とは何か、といった本質的には宗教批判の範疇に属する議論の自由の上に成り立つ考えなのです。
日本では、戦前に天皇の神格化を徹底するために、天皇を神と認めない宗教を弾圧してきたことの反省から、戦後は、「政教分離」と「信仰の自由」が憲法によって保障されました。しかし、国家神道に対する真摯な批判が曖昧にされた結果、「政教分離」は、歴代自民党総理大臣の靖国神社や伊勢神宮参拝によって、なし崩しにされていきました。そして、本来の「宗教批判」などは、「信仰の自由」を理由にまったくタブー視され、その間隙を突くように宗教ビジネスのようなカルト的教団が多数誕生していきました。当初、戦前からの流れを汲む神道系と戦後のキリスト教系が中心でしたが、近年は、オウム真理教のような仏教とヒンディー教の混合した教義を捏造するような団体も現われ、要は、何でもありの状態になっています。
今回の事件で明るみに出された旧統一教会(現在の世界平和統一家庭連合)は、キリスト教と儒教を混合した教義を持っています。本家の韓国では、財団法人として企業活動(宗産複合体)を中心に行っており、アメリカでは多国籍企業のような展開をして、教祖の文鮮明は脱税容疑で一時逮捕されています。
肝心の布教活動(布施の強要)は、実に日本だけであり、有名な霊感商法などによる過激な寄付金収入による韓国本部への送金は、毎年数百億円にもなっており、教団全体収入の7割(2)にも上っているとのことです。30年前に霊感商法と合同結婚式が批判され、マスコミに取り上げられたのですが、その後、オウム事件によってマスコミの関心が移るとそれを奇貨として、その後、今日まで好き勝手放題に岸信介や安倍晋三ら自民党政府の政治的庇護のもとに活動してきたことが、今回、白日の下に曝け出されたのです。もちろん、その間、事件を追及してきた被害者弁護団の紀藤弁護士や元参議院議員の有田芳生さんの努力を忘れてはなりません。
日本人は、新興宗教やカルト教団に対してよく免疫がないと言われますが、これは、戦前の宗教弾圧の反動として「宗教批判」が、事実上不可能になっているからです。そこで、宗教批判の重要性を考えてみたいと思います。
宗教批判とは信仰の自由の前提であるばかりでなく、人権思想の大前提なのです。近代啓蒙思想の歴史は、キリスト教との闘いの歴史でもありました。さらに、マルクスの考えの基本的前提でもあるのです。マルクスは、宗教をアヘンと言いましたが、これは、現実を捨象して生きることを宗教は可能にする、という意味であり、「抑圧された非情な世界に生きる民衆」にとっては「一時的な救い」になる場合もあります。
要は、「宗教もアヘン」も、「毒にも薬にもなる」と言うことを知ることが、重要なのであり、そして、宗教を必要としない社会を目指すこと、これがマルクスの真意なのです。
ナチと異なり宗教(神道)を利用した日本ファシズム
ナチス=Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei、国民社会主義ドイツ労働者党(3)はその名称のごとく、社会主義とナショナリズム(国民運動)を合わせた思想を標榜し、国民社会主義(Nationalsozialismus)と自らを規定していました。
ドイツ人の純血精神を高揚させるために、「ニーベルンゲンの歌」に基づく神話伝説を広め、純粋なドイツ人の育成と、ユダヤ人やロマ(俗称ジプシー)などの少数民族を迫害し、ドイツ人の支配する生存圏を東方へ広げていくことを目的に行動を起こしました。しかし、第一次大戦でオランダへ逃亡した、カイザー・ウイルヘルム二世を呼び寄せることはせず、封建体制や帝政を二度と復活させることはありませんでした
ヒトラーは1933年1月末の政権奪取までの過程を国民革命と言っており、第三帝国は、新たなドイツの国民国家建設であると宣言したのです。 第三帝国(das DritteReich)は、三番目の国(最初が神聖ローマ帝国、二番目がビスマルクのドイツ帝国)という意味であり、帝国(Reich・ライヒ)は、単に国という意味であって、帝国(Imperium)の意味での国ではありません。
つまり、ヒトラーは、決して封建社会や19世紀型の帝国主義に戻ろうとはしなかったのです。ここが、日本のファシズム・軍国主義との決定的違いのひとつです。
宗教については、ヒトラーは、キリスト教を利用したものの聖職者や教会がその中心になることは決してありませんでした。バチカンが協力した可能性はありますが、教会がナチスの思想的基盤にはなっていません。しかし、日本では、「王政復古の大号令」の下に封建体制としての天皇制を政治的枠組みのみならず精神的枠組みにしたところに宗教的支配の貫徹が必要となり、そこから国家神道が生まれるのです。
明治政府の指導者であった伊藤博文がプロイセン憲法から統帥権の天皇専権を学び、それを基に万世一系の天皇による政治的支配の確立と他方における「無答責」とをミックスして、絶対権力を持ちながら一切の政治的責任を負わないという絶対的天皇主権国家が生まれます。そこには天皇を単に輔弼する帝国議会が存在するだけとなったのです。
この体制は、恐ろしいことに天皇一人を牛耳れば簡単に国を支配できるシステムとなったのですが、明治政府の伊藤博文らは、自分たちが黒子になって政治を支配したいがためにこのようなある意味、危うい政治体制を考えついたのです。ここに、日本型ファシズムと軍国主義が確立する素地が形成されます。
明治初期の廃仏毀釈
このシステムを確固たるものにするため、神道を利用したのです。それが、明治初期の廃仏毀釈の意味でした。これによって、神道が他の宗教の上に位置することになったのですが、江戸時代は、寺社奉行の名の通り、寺が神社より格が上であったのです。
つまり、僧侶の方が神官(宮司)より上でした。そのよい例が、四国の「金毘羅神社」や高田馬場にある一陽来復のお守りで有名な「穴八幡神社」のような神仏習合の施設です。そうした施設は、江戸時代には、僧侶(住職)が神官(宮司)を兼務していました。
それが、神道国教化政策を主張する国学者と結託した過激な神官たちによって、アフガニスタンのタリバンが石仏像を爆破したように、暴力的に寺や仏像が破壊され、鹿児島(薩摩藩)や鳥取県の津和野(岩見・津和野藩)では徹底的に破壊されました。そのため、今でも寺の数が少なく、多くの住民が神道で葬式を行っているようです。
廃仏毀釈が行われた日は、まさに天皇を「現人神」とする明治政府がつくり上げた神道が日本の国教になった日であったのです。
その後、明治政府は、教部省を通じて国民教化政策と称して、他の宗派(仏教・キリスト教・新興宗教)にも説教(布教)をする場合の資格要件として教導職試験に合格することとして、そこで天皇は神であるという皇国史観を正に外部注入したのです。この教導職資格がなく説教したものは逮捕されたのでした。
そして最後の仕上げとして、1890年に公表された「教育勅語」によって広く幼少期の子供の学校教育から現人神である天皇中心の国体の教義を教え込みまさに洗脳教育を徹底したのでした(4)。
日本の左翼とマルクス
「宗教」に興味がなかった日本の左翼
日本の左翼は、理論といえば、偉大な前衛党(同盟)の指導による階級闘争論と他党派批判が中心で「宗教批判」はまったくの不勉強というか、そもそも興味がなかったのです。
しかし、この「宗教」という封建体制の頑強な思想的基盤を撃破できなければ、近代の人権思想も民主主義もそしてさらに進んで、その啓蒙思想の上にある社会主義、共産主義を目指すことはできません。
レーニン主義は、少数精鋭の前衛組織による独裁理論と武装蜂起の技術が完備していれば封建体制からでも「社会主義権力」が確立できることをロシア革命で可能にしました。しかし、ロシアはもちろん、この革命の模倣(コピー)が、中国やキューバや北朝鮮で示した結果は、およそ社会主義社会とは、到底考えられない暴力的全体主義国家でした。
現在のプーチン政権は、ソ連邦時代の理論的根拠なき宗教弾圧の裏返しとしてのロシア正教の最大限の利用にみられるように、権力維持のためなら何でも利用するという意味で紛れもないレーニンの末裔です。
さらに、宗教問題に関連していえば、レーニンがローザ・ルクセンブルグによって指摘された民族問題の階級的止揚(5)を無視して、「民族自決」を認めた結果が、現在のウクライナ問題=民族問題の遠因でもあるのですが、その結果、ロシア正教の発祥地であるキーウ(キエフ)にある正教会の正統性を否定すべく、モスクワの大司教区をロシア正教の頂点にしています。
60年代から日本ファシズムの復活をはかっていた
今にして思えば、新左翼運動が活発であった1960年代の後半から建国記念日の制定や靖国神社の政府要人の公式参拝など着々と、自民党政府(支配階級)は、信仰の自由を逆手にとって、日本ファシズム運動の神髄である国家神道=皇国史観の復活の活動を公然と開始していたのです。
しかし、今につながる日本の極右化の元である建国記念日の制定に正面から対決したのは高校生だけであったと指摘することは、非常に重要なことです(1969年2.11建国記念日・紀元節復活粉砕全都高校生総決起集会、700名。東京・清水谷公園)。
つまり、今回の安倍殺害銃撃事件は、左翼とりわけ新左翼が、当時、宗教問題を無視あるいは興味すらなかったことが、日本会議が目指した、皇国史観の復活や反共を主張するカルト集団の活性化を招いたからです。
高校生が、建国記念日(単に紀元節復活ととらえた部分もいた=中核派系の反戦高協)の制定に反対した直接的理由は、単純で、その日が「休校」になるからです。そこから、何故、自民党が考える戦前の皇国史観に基づく建国神話による日を、科学的歴史的根拠(6)もなく制定し学校を「休校」にしなければならないか、と考えたからです。そこで、高校生たちは同盟登校で対抗し、校内集会とその後に都内で全体集会とデモンストレーションを行ったのです。
ところが、その当時、大学生は、高校生のような「休校」という実感がなく、単なる「祝日」が増えるぐらいの軽い感覚であったようです。もちろん、共産党は反対するのですが、セレモニー的な行動であり、体を張った反対運動を起こそうとはしませんでした。こうした日本ファシズム復活の芽を摘むことなく無視したことが、日本左翼にとっても、後に、他党派や意見の違う者を抹殺することが革命運動であるといった倒錯した革命運動論に繋がっていく出発点になったと考えます。
「信仰の自由」を理由に「宗教批判」をまともに取り組まなかった
左派陣営引き回しの確信犯たる日本共産党も基本的には似たような構造にあり、神道以外の宗派の票の取り込みに利用した程度であり「信仰の自由」を理由に「宗教批判」をまともに取り組む態度を示していませんでした。
マルクスは、「ヘーゲル法哲学批判」)(7)の序説冒頭で次のように述べています。
「ドイツにとって宗教の批判は本質的にはもう果たされているのであり、そして宗教の批判はあらゆる批判の前提なのである。」
この「宗教の批判はあらゆる批判の前提なのである」ということを日本左翼で聞いたことがありません。軽く見ていたのか、日本もドイツと同じであると思いあがっていたのか、疑問です。
さらにマルクスは述べます。
「反宗教的批判の基礎は、人間が宗教をつくるのであり、宗教が人間をつくるのではない、ということにある。しかも、宗教は、自分自身をまだ自分のものとしていないか、または一度は自分のものとしてもまた喪失してしまった人間か、いずれかの人間の自己意識であり自己感情なのである。しかし、人間というものは、この世界の外部にうずくまっている抽象的な存在ではない。
人間とはすなわち人間の世界であり、国家であり、社会的結合である。この国家、この社会的結合が倒錯した世界であるがゆえに、倒錯した世界意識である宗教を生み出すものである。」そして「宗教上の悲惨は、現実的な悲惨の表現でもあるし、現実的な悲惨に対する抗議でもある。宗教は、抑圧された生きものの嘆息であり、非情な世界の心情であるとともに、精神を失った状態の精神である。それは民衆の阿片である。」
と続くのです。
宗教の否定ではなく、宗教を必要とする社会の否定
この文脈で見れば、宗教の否定ではなく、宗教を必要とする社会の否定であり、神の否定ではなく、神を必要とする社会の否定なのです。
そして、
「ドイツにとっては、ラディカルな革命がユートピア的な夢ではなく、普遍人間的な解放がユートピア的夢なのでもなくて、むしろ部分的な革命、たんに政治的なだけの革命、家の柱をそのままに残す革命こそがユートピア的夢なのである。」
と断定し、ラディカルな革命を行うためには「一階級の階級形成のうちにある」として、その役割を課された歴史的階級こそ「プロレタリアート」だと宣言します。
そして、プロレタリアートは、「宗教の批判」を通して、人間の完全な再獲得によってのみ自分自身を獲得できる社会の特殊な身分として存在していると述べます。
ここに、人間の尊厳や人権思想や、今日の「LGBT」などがすべからく含まれたものとしてみることができます。そして、マルクスは、宗教の批判は哲学の役割であるとして、「哲学がプロレタリアートのうちにその物質的武器を見出すように、プロレタリアートは哲学のうちのその精神的武器を見出す。」そして次の有名な言葉で結ばれます。
マルクス主義による人間解放の基本は「宗教批判」が前提
「根本的なドイツは、根本からの革命を起こさなければ、革命を起こすことはできない。ドイツ人の解放は。人間の解放である。この解放の頭脳は哲学であり、その心臓はプロレタリアートである。哲学はプロレタリアートの揚棄なしには自己を実現しえず、プロレタリアートは哲学の実現なしには自己を揚棄しえない。あらゆる内的条件が満たされたとき、ドイツ復活の日はガリアの雄鶏の雄叫びによって告げ知らされるであろう。」
このようにみてくると、マルクス主義による人間解放の基本は「宗教批判」が前提であり、それは人間の復活であり、人権の確立であり、個人の尊重なのですが、日本の左翼やレーニン主義者はなんという怠慢かと批判せざるを得ません。したがって人権感覚なきジェンダーも関係ない体質が浮き彫りになります。
因果はめぐる
「人を不幸にする自由は無い」
オウム真理教の事件を担当していた坂本弁護士は、未成年者の出家者を親元へ帰す交渉を教団責任者の上祐史浩と行った際に、上祐は、「信仰の自由」を盾に認めなかったのですが、そのとき、坂本弁護士は「人を不幸にする自由は無い」と主張したのです。
まさに信仰の自由と言っても無制限に自由を認めるわけにはいかないのです。
今回の事件で表面化した旧統一教会にしても、悪質な霊感商法や「お布施の」強要を無制限に認めていたのはまったく不当なことであり、これは明らかに政治的庇護のもとに行われていたことがはっきりしています。これは岸そして安倍と続く政治権力者の息がかかっていたからです。
労働者学生の戦闘的部隊に恐怖した岸信介
岸信介が、60年安保闘争時代に首相官邸や自宅まで押し掛けて抗議した多くの労働者学生の戦闘的部隊に恐怖して、当時の防衛庁長官赤城宗徳に自衛隊の治安出動を要請したのですが、あっさり、赤城に断られ、そこで、旧満州国時代の阿片取引の盟友であった児玉誉士夫に関東やくざを組織させてデモ隊に殴り込みをかけたり要人防衛隊を要請したのは有名な話です。
彼は、戦争中に監禁状態であった駐日アメリカ大使のジョゼフ・グルーを頻繁にゴルフに誘い“保険”をかけていたのです。そして、戦後、彼は東条内閣時の商工大臣であったがゆえにA級戦犯になるも、その“保険”が生かされ、CIAの協力者になるかわりに保釈免責され、社会党に攪乱とスパイ目的で入党を希望するのですが、当然に断られてしまいます。そして、三木武吉が保守合同に尽力した自民党に入り首相をめざしたのでした。
彼が自民党の総裁になるには多額に資金が必要であったのですが、この資金を提供したのは何とCIAであったのです。これは公表された文章で明らかなことです(8)。そのCIAから彼に、韓国のKCIAからの情報として韓国の宗教家文鮮明なる人物が反共組織として国際勝共連合を立ち上げるので、日本でも協力してほしい旨の依頼があったようです。
国際勝共連合日本支部のトップに就いた岸信介と笹川良一
その後実際に岸は文鮮明と会って意気投合し、渋谷区南平台の岸邸の隣に敷地と自分と同じ建物を提供して、原理研究会・統一教会を立ち上げるのでした。その後、1975年には国際勝共連合日本支部のトップは岸と笹川良一だったのです。笹川もかつてのA級戦犯仲間であり、名うてのファシストでもあったのです。戦前彼は右翼活動家の中で唯一イタリアに行きムッソリーニ首相と会っていました。
彼らは基本的に宗教を信じていなかった
岸信介の行動を見ているとはっきりしてくるのですが、戦前の皇国史観・国家神道を煽っていた集団のトップ(大川周明や松岡洋右等)は、基本的に宗教を信じていなかったのではないかと、はっきり言えば、実は、根本において信仰心の欠片もない不信神者であったと思われます。
もし仮に彼らに何らかの信仰心があれば、戦前、生きている天皇を「現人神」と信じこませ、「神州不滅」と公言し、国民に「一億火の玉」「一億特攻」と煽って、300万人の犠牲を強いておきながら、恥知らずにも生きて敗北を迎えることはなかったはずです。
さらに今回の事件でも、明るみに出た旧統一教会がすでに30年前、暴露された悪質な霊感商法や合同結婚式が批判されたときに幾ばくかの良心の呵責があってしかるべきだったのです。
ところが、彼らにとっては、まったく興味がなかったのです。つまり、岸信介や安倍晋三にとって、信仰や宗教は政治的に利用できればよく、たとえ旧統一教会が何をしようと(9)、反共を叫び、体制を擁護し選挙に協力してくれさえすれば、何でも良かったのです。
つまり、岸・安倍といったこの祖父と孫は今はやりの、「今だけ金だけ自分だけ」の申し子のような人物であったことが明らかになります。それを別の表現で言えば「リアリスト」となるのかもしれません。
このように彼らを断定するのは、本来、信仰心の核には、何らかの「良心」が存在しなければ、成立しえないものだと思うからです。カントは、人間にエゴを捨てて道徳的に合致した行動を求めました。しかし、人生というものは、必ずしも正しき道を歩んだ者、正義を貫いた者が幸せな人生を送れるとは限りません。その不条理な最後につて、カントは、「神は見ている」といったのです。
カントのこの不条理を解決するものとして述べた言葉は、「人生における虚しさ」を一瞬にして氷解するものであり、私は、この意味での神は「万人の鏡」のような「万人の眼」として理解できます。カントの祖国ドイツでは、彼の思想の影響かもしれませんが、残忍なナチの弾圧下で多くの名もなき民衆が抵抗運動(夫婦で反戦ビラを書いて夫婦揃ってギロチンにかけられたハンペル夫妻、ミュンヘンのビヤホールで、ヒトラーを爆破すべく決起した旅芸人のエルザー、そして、白バラ事件のゾフィー・ショル等)(10)に決起したのは、まさに、この万人の眼を信じたからであり、その「神」は存在すると私も思っています。
したがって、とりわけ、宗教指導者は、それを強く求められなければなりません。その意味で、オウム真理教の麻原も統一教会・原理研の文鮮明も基本的には不信神者(リアリスト)であったと私見では考えます。
つまり、彼らの布教活動は「信仰の自由」のもとでも、まさに坂本弁護士が述べたように、「人を不幸にする自由」はないというべきであり、とりわけ名称変更した統一家庭連合は、宗教法人格を取り消されるべきであると思います。
朝日新聞阪神支局襲撃=赤報隊事件と統一教会を結ぶ線
1987年5月3日に朝日新聞阪神支局で、侵入者の散弾銃によって小尻知博記者が殺害されました。この事件は未解決事件としてNHKでも放映され検証されましたが、「ある宗教団体」が関係しているのでは、ということと実行犯は消されている可能性が高いと言いうことがわかっています。
このいわゆる赤報隊事件の背景には、当時、安倍晋三らが朝日の記事になる「従軍慰安婦問題」に対して強制連行や軍の関与はなかったと執拗に朝日たたきが行われていたということがありました。つまり、この事件と安倍らの「反日」たたきの運動がリンクしていたのです。
ある宗教団体とは、旧統一教会のことであり、何故に疑われていたかといえば、日本国内で何店舗も銃砲店を経営しているからであり、しかも、韓国国内では、旧統一教会系の銃器製造会社が韓国軍に機関銃などを納入し、日本でも「鋭和BBB」という高性能のエアライフルタイプの散弾銃を販売していたからです。
現在マスコミはこの事件との関連性につて一切触れていませんが、この事件こそ、言論の自由を暴力で圧殺する暴挙であって断じて許すわけにはいきません。点と点はあっても線にならず未解決になったままです。
しかし、今回の事件ではっきりしたことは、政治家安倍晋三が、自らの強い信念で批判した朝日新聞の、その記者が殺害されたのとまったく同じ散弾銃(こちらは手製ですが)によって射殺された、という事であり、それは、あまりにも因縁めいています。まさに「因果はめぐる」思いがします。
国家神道はカルト
日本会議が、初めに組織化したのが全国の神社だったようです。そこから、現在、同性愛者は病気であって治療が必要である、というような人権侵害にもなるような極右的主張をしている、神道政治連盟が生まれ、安倍派清和会の岩盤支持層になっています。
全国で教科書問題となった歴史教科書採択に関しても彼らのいわゆる「草の根保守運動」が現在の保守化の始まりを作ったのです。すでに述べたように日本のファシズムの神髄は明治政府によってつくられた「国家神道」であり天皇の神格化であるのですが、その指導部は、極めてエゴイスティックな「リアリスト」なのですが、それは、もともとあった宗教からきたものではなく、政治的に天皇を神としなければならない事情が明治政府にあり、後付けでつくられたものであるからです。
信仰ではなく洗脳をおこなう=カルト集団的要素を多分にはらんだ国家神道
それがために、カルト集団的要素を多分にはらんでいます。かつて東大名誉教授丸山真男は、「今世間はオウム、オウムと言っていますが、戦前の日本は、オウム真理教と全く同じであり、一歩外に出れば全然通用しない理屈を平然と言っていたのです。」(11)と述べていましたが、まさにそれが国家神道の正体なのです。
つまり、カルトなのです。ここに、日本の宗教問題の本質があります。カルトにあっては、信者に対しては信仰ではなく洗脳をおこなうのであり、そして、教団指導部の利己的な支配欲を満たすために政治権力に向かう権力志向性といった特徴を備えております。
しかも、今回の旧統一教会は、儒教を基にした家父長制の倫理観を持っており、その頂点に神であるとされた文鮮明夫妻がいるという考えが、天皇を現人神とした「忠孝一致」(12)を本義とする国家神道と親和性があるがために旧統一教会が入り込む余地があったのでしょう。
日本のカルトは二重構造
そうして、日本のカルト問題は、国家的カルト教団と民間カルト教団の二重構造になっており、国家的カルト教団は正に国家神道や皇国史観を標榜する神道政治連盟などであり、民間カルト教団には旧統一教会はもとより古典的な宗教団体以外の反社的活動をするものを言います。そして、民間カルトが、かつてオウム真理教のように野放しになっていたのは、公安警察は、イデオロギーで団体の危険度を図るといった時代錯誤も甚だしい捜査基準をいまだに堅持しているからです。
しかし、これも、戦前の特高警察がカルト教団の警察部門のような機能をしていたために、宗教を規制の対象にしたくない、と言ったバイアスがかかっている可能性がありますが、こうしたことは、戦前の反省からすれば、形式ではなく実態を問題にすべきであり宗教法人とか反共産主義というイデオロギー的看板によってバイアスをかけて見るのではなく被害届等の犯罪事実があれば監視対象にすべきなのです。
カルト対策に弱腰の国税庁
1995年の地下鉄サリン事件もあったのですから、カルト集団に対する法的に取り締まる法案を検討する必要があります。そこで、最近よく言われているのが、フランスなどを参考にしたいわゆる「反カルト法」ですが、これは団体規制になるので、「破防法」と同じように拡大解釈されると、「信仰の自由」のみならず「結社の自由」も損ないかねない危険性をはらんでいるとの指摘もあり、慎重を期すべきです。
しかし、他方、この手のカルトは、オウムのときと同様に信者と脱会を説得する家族との間で問題を生じさせますが、行政はこの問題には対処できません。日本では、信徒の子を強引に脱会させようと連れ戻した家族が教団から逆に「拉致・監禁罪」で訴えられ損害賠償金を支払わせられた事例があります。皮肉にも現行法は「家庭」を守れないからです。しかし、欧米では、こうした事件は、紀藤弁護士によれば「カルト規制法」により80年代以降なくなっているとのことです。その意味で、一考の価値はあると思います。
それでは、打つ手はないのかといえば、基本的には、同じ反社組織である広域暴力団(アメリカではギャング、シンジケート)と同じように資金源を断つと同時に不当に蓄積された資金に課税をする方法が、現行法上最も効果的です。かつて、アメリカのシカゴで一世を風靡したギャングのアル・カポネを逮捕したFBIのエリオット・ネスは内国歳入庁(国税局)の職員と連携して、カポネの会計士を逮捕してそこから二重帳簿を発見して、所得税法違反の脱税事件として逮捕収監に成功したのです。同様に、アメリカでは、旧統一教会の文鮮明も、脱税容疑で逮捕そして1982年に懲役刑が確定して収監に成功しています。
さて、日本ではどうかと言いますと、日本では、宗教法人(公益法人等)は、法人税法上は、収益事業には課税されますが布教活動に関しては課税されませんが、教祖や住職、神父、神官および職員に対する給与その他、名目を問わず職員等に与える利益供与に関しては、源泉所得税が課税されます。霊感商法などの物販は、収益事業に該当します。したがって、信者個人に販売させて、それを「お布施」として入金処理するのは、「仮想隠蔽」行為として重加算税の対象とすることができます。
その他に、使途不明金や使途秘匿金には課税されます。とりわけ使途秘匿金(租税特別措置法62条1項)は、総額の40%が法人税額となり、その他に、この税額の35%が重加算税の対象となります。自民党国会議員に対する資金提供や、韓国等への不正送金などは、これらに該当する可能性があります。さらに、外国への送金はそれ自体が外為法違反となり、信徒個人に指示して行わせるのも違法行為の教唆となります。しかし、この問題の本質は、日本の国税当局が旧統一教会に限らず、政権との関係が濃い巨大宗教法人に対して定期的に税務調査を実施しないところにあります。
このように税務調査から免れ、事実上の政治的特権を得ているような宗教団体は、明らかに政治的特権を付与されたも同然であり、それは、政教分離の原則に反するのです。
「宗教批判」は、啓蒙思想の基本であり国民国家建設の思想的基礎
「宗教批判」は、啓蒙思想の基本であり、近世ヨーロッパにおいて王権と教会の権威を倒し、革命によって国民国家を建設するまさにその思想的基礎であったのです。そこからフランス人権宣言も生み出されたのでした。
しかし、日本では、封建体制であった江戸時代の幕藩体制は、ヨーロッパと比べて比較的合理的な統治システムになっており、新井白石や荻生徂徠など朱子学や儒学者の英知を借りて幕政が、宗教の権威を利用せずに世俗政治を完成さていました。しかも、寺社奉行の存在によって今日の「政教分離」も機能していたのです。したがって「宗教批判」が日本の歴史に登場することはありませんでした。さらに、明治時代に入って、「生き神様」となった天皇ですら、幕府は、「禁中公家中御法度」という法律で京都の内裏に押し込めていたのでした。
つまり明治維新が薩長中心でなければ、徳川慶喜を中心とした諸侯会議がヨーロッパの議会権力のような政治権力となって世俗的議会政治の出発点となりえたのであり、そこから「宗教批判」を経ずに自由民権運動のような民衆運動によって日本版人権宣言が生まれ国民国家成立へとなった可能性すらありました。
国家神道・皇国史観は捏造
しかし、明治新政府の指導者であった岩倉や伊藤は、「王政復古の大号令」の下、近代国家にすべき政治体制をなんと平安時代に逆戻りさせてしまったのです。これは、思想的には、水戸藩の国学思想と吉田松陰の影響によるものですが、合理的理由としては、慶喜の大政奉還が、「保元平治の乱」より奪取した武家の政権を朝廷に返還すると言ったことを、逆手に取ったことと、明治4年の岩倉遣欧使節で見聞したヨーロッパのキリスト教の影響の模倣が合体した結果であったのです。
そこで、当時の為政者は、「宗教批判」が日本にはないことを奇貨として、国家神道・皇国史観を捏造したのでした。
よく日本には宗教や信仰がないからカルトに免疫がないと言われますが、それは間違いで、信仰も宗教も連綿として日本の文化伝統習俗に存在していたのです。しかし、欧米のキリスト教のような一神教で政治権力と結びついた絶対的な権威をもった宗教が存在しなかったために「宗教批判」はその必要性がなく、新興宗教や国家的カルトに対して国民に抵抗力がまったくなかったことが、真実であったと思われます。事実、明治初期には、多くの神道系新興宗教(天理教、金光教、大本教等)が生まれています。
日本がカルトに寛容な訳
いずれにしても、オウム真理教事件といい今回の安倍銃撃事件で明らかになった旧統一教会の自民党政治への浸透の件のように、先進国としては考えられないほどカルトに寛容なのは、そもそも戦前の日本が、カルト教団(国家神道・皇国史観)の支配した社会であったと考えるのが自然であり、しかも、人脈が戦前と同じであればなおさらです。
岸信介が、旧統一教会を反共に利用したのは、彼の場合、カルトが自分の目指す政治(国家神道による全体主義)に利用できるという経験則のなせる業であったと当時に、それが孫(安倍)の代で仇となったと思わざるを得ません。
おわりに
安倍政権になってから、弱者に対する悪質で残酷なテロ事件が頻発
7月26日に神奈川県で「津久井やまゆり園事件6周年」の追悼集会が命日に園で初めて行われました。様々な偏見と遺族の考えで命日に追悼することができませんでした。
この事件は重度の障碍者を19人も死傷させた凶悪な犯罪でしたが、植松死刑囚は事件前に当時の安倍首相に手紙を出していたと言う驚きの事実があったのですが、彼は、一審で死刑が確定しています。同じ日に、秋葉原での無差別殺人事件の死刑囚の死刑が執行されました。
京都アニメに対する放火殺害事件もそうですが、最近、安倍政権になってから、弱者に対する悪質で残酷なテロ事件が頻発しています。こうした自分の一方的な不満のはけ口として、弱者に対して行うテロと今回の事件は、本質的に違ったテロであると思います。前者が「弱い者いじめのテロ」であるならば山上徹也のテロは、まさに「強い者いじめのテロ」であったのです。
しかも、今回の事件で明らかになってきた事情を知る限り、山上容疑者は、基本的にはネトウヨ的要素を持っていたという意味で、政治的には保守派の人物であり、単純に旧統一教会に対する怨念から、冷徹に考えて、その最も効果的なテロの対象を選定し準備してきたと考えられます。
このように、確固たる政治信条なしに最高権力者を殺害したテロは、「下々の者」は、古くから権力者には決して歯向かわない日本人の習性(13)からして、史上最も稀な事件であったと思います。安倍前首相にとっては、まさに安心しきっていた「飼い犬」に殺されたような事件で、思いも及ばなかったでしょう。
その意味で、山上の意図するところではない政治的変化を生じさせ、しかも、政治的動機がないために冷静に最も統一教会にとって打撃を与えるターゲットの選定を可能にしました。そして、自家製の銃でしかも弾自体も手製であり、その小さな複数の弾が、他の誰も死傷させることなく、安倍前首相にだけ、その心臓の動脈を射抜くことは現実には不可能であったでしょう。しかし、警備の不手際も含めて、いろんな偶然が最悪の方向に重なって、膨大なジグソーパズルの最後のワンピースが射抜かれたという意味で、神業であり、まさに彼は「魔弾の射手」であったのです。
「安倍国葬」を急ぐことの意味について
つまり、こうしたあまりにも想定外の事態に直面したことが岸田首相にしてみれば「国葬」にすることで「安倍の評価を早急に確定」してしまおうと言うのが本当の理由ではないかと思います。
さらに、時間が経つにつれ旧統一教会との悪事(14)が広く暴露され、山上が述べたとされる「殺すしかない」という言葉の意味が、ある種の共感をもって広まることに恐怖した結果ではないかと思われます。
【注】
(1)NHK・Eテレ「サピエンスとパンデミック~ユヴァル・ノア・ハラリ特別授業」2020年11月1日放映
(2)TBS報道特集の7月30日放映で明らかになった内部文書によれば日本からは毎年600億円前後もの寄付金(布施)が韓国の教会へ送金されていました。
(3)ナチ(Nationalsozialismus)のNationalをどう訳すかですが、近現代ドイツ史の研究者である東京大学教授の石田勇治さんは、長谷部恭男さんとの対談『ナチの「手口」と緊急事態条項』(集英社新書)のなかで、的確に次のように言っています。
「ナチズムは国家ではなく、国民・民族を優先する思想です。国家はヒトラーにとって、国民・民族に仕える道具でしかないのです。したがってナチズム、ナチ党の訳語は、国民社会主義、国民社会主義ドイツ労働者党とするのが、原意を正しく表していてよいと思います」(86ページ)
(4)村上重良著『天皇制国家と宗教』講談社学術文庫
(5)ローザ・ルクセンブルグ著『ロシア革命論』論創社 58頁 「しかし民族主義は単なる形式主義にすぎない。その陰に隠されている核心、歴史的内容は、多様で複雑だ。ちょう ど内容空疎で貧しい民族主義者が姿を隠している『民族自決』という形式のように」と批判しています。そして、「肝心なことは、プロレタリアートの独裁、社会主義の実現である」と続きます。
(6)村上重良著前掲書144頁 「神武天皇の即位は、紀元の起点であり、天皇が統治する日本国家の始源として、国をあげて祝うべき日とされたわけである。」しかし、日付けが問 題となり「歴学者塚本明毅が審査して、2月11日」「この日付は、神武天皇当時の暦を太陽暦に換算したものとされたが、計算の内容はいっさい公表されない ままとなった。日本古代の暦は、中国の暦を用いており『日本書紀』の記事は、604年(推古天皇12年)以降は元嘉暦であるが、神武天皇の時代にあたる中国の暦は、明治初年も、現在も明らかではない。」「したがって、もともと無意味なこの換算は、学問的にも不可能であり、正月1日を『2月11日』とすることは、全く根拠がないことになる。」
(7)カール・マルクス著『ユダヤ人問題によせて・ヘーゲル法哲学批判序説』岩波文庫
(8)Tim Weiner “Legacy of Ashes The History of the CIA ” Doubleday p.117
岸が、CIAのエージェントかどうかについては、未だに公文書の確認はできてないようですが、同書には、次のように彼がエージェントであったと断定しています。
「Two of the most influential agents the United States ever recruited helped carry out the CIA’S mission to control the government.」
つまり、「CIAの政府コントロールと言うミッションを支援する二人の最も影響力あるエージェントをリクルートした」として一人は、岸信介であり、他方は児玉誉士夫だと述べています。さらにそのために「岸にはCIAが資金提供をして自民党総裁から首相にまでした」と記述されています。
著者はニューヨークタイムズの記者で公開公文書はもちろん、当時のCIA極東支部の責任者(Al Ulmer )や岸担当のCIA担当官(Clyde McAvoy)に直接聞き取りをしたうえで書いています。邦訳も出ていますので参考にしてください。『CIA秘録』上下 文春文庫
(9)統一教会は、日本の植民地支配に対する怨念を解くために、多額の寄付を要求し、これを「先祖解怨」と言い、さらに文鮮明は、自著『天聖経』で、「日本の経済(信者の寄付金)を投入にて南北を統一しなければ日本は滅びるのです。エバ国の使命を果たすことができなければ跡形もなく消え去るというものです。それゆえに一家を捨てても一族が滅びても南北統一のために奮発しなければなりません」と述べているのです。BS・TBS「報道1930」7月28日放映
(10)對馬達雄著『ヒトラーに抵抗した人々』中公新書、ハンス・ファラダ著『ベルリンに一人死す』みすず書房
(11)丸山真男生誕100年の講演会でのテープ。そのなかで丸山は、「他者感覚」のなさが問題であったと述べています。
(12)これは戦前日本全国の学校で教えられたもので、忠君愛国と親孝行は一致するといった国家神道のスローガンでした。
(13)新左翼の学生運動における凄惨な内ゲバも、革マル派が仕掛けてきたものであったに せよ、結局のところ弱者同士の殺し合いであり、「政治テロ」とは無関係でした。日本で、 政治的テロと言えば、戦前戦後ともに右翼の専売特許となっており、民衆の側の抵抗的テロは、戦前ギロチン社がありましたが、未遂に終わっており、その意味では皆無です。今回の事件は、山上の意図とは関係なく日本史上初の「巨悪」に対する抵抗的テロに分類できるのではと思います。
(14)この間、統一教会と自民党との関係あるいは統一教会につて、「週刊文春」やBS・TBSの「報道1930」や「報道特集」によってかなりのことが判明してきました。とりわけ、7月30日に放映された「報道特集」では、アメリカの統一教会の元信者の発言として、文鮮明はかつて、「イデオロギーで心を掴めなければ金で買収する」と言って日本の信者から吸い上げた資金で世界の権力者を従え、「将来は自分の言葉がほとんど法律のようになるだろう」と述べていたことを暴露しています。彼によれば、統一教会は、教会ではなく政治団体であると断定していました。このように見てくると、岸や笹川や児玉が考えた勝共連合・統一教会は、反共のための右翼暴力団と同様の暴力装置として考えていたのではないかと思われます。児玉が60年安保のときに暴力団を糾合して、青年思想研究会(青思研)をつくったのと同じコンセプトです。そうでなければ、危険極まりのない認可制の銃砲店を日本で何店舗も開業を認めた理由が理解できません。それが、彼らの思惑を超えて成長し、いまや主客が転倒して、自民党が利用されている状態になっているのが現実のようです。
初出:「原発通信」1960号より、加筆の上許可を得て転載しました。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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