ドイツ滞在日誌(6) ヨーロッパ人の関心事/食の異文化との出会い/ドイツ国内旅行(Goslar, Uelzen)
- 2011年 8月 1日
- 評論・紹介・意見
- ドイツ合澤清
1.ヨーロッパ人の関心事
あの平和そのものと思われていたノルウエーで、衝撃的な大量殺人事件(銃の乱射で85人以上が殺された)が起きたことは皆様方も既にご承知のことだと思う。右翼青年の仕業だと伝えられている。
先日ドイツで見たテレビでは、かなりの数の「ネオナチス」が、顔にはお面をつけ、全身を長い布で覆い、どこの誰かが判らないようにしてデモをしている様子が映し出されていた。彼ら自身が宣伝のために撮影して、ネットで公開していると言う。
こちらの新聞やTV報道の関心は、確かに一時期は「福島原発事故」だったようだが、僕がこちらに来てからの報道の中心は、「アフリカでの2000万人以上とも伝えられる飢え―その多くは子供だという―この飢餓状態をどうやって救済できるか」ということと、「ギリシア経済の破綻にEU、特にドイツとフランスがどう対処するか」ということ、それ以外ではアメリカのオバマ政権の動向であろう。
それではドイツ人は日本の原発事故に興味がないのだろうか?そうではない。こちらに来て以来、旧知のドイツ人はもとより、初めて会う人たちからも、「福島原発事故」について聞かれるし、「日本は大変だね」と声をかけられる。今、日本で「反原発運動」が高まっているというと、一様に当然だとうなずいてくれる。しかし、少なくともこの約一カ月の間、「福島原発事故」に関するまとまった論評にはお目にかかっていない。多分に僕の活動範囲が狭いことは承知しているのだが、それにしても、と僕自身思う。
しかし思うに、確かに世界は日本の原発事故だけで動いているわけではないのである。アフリカの2000万人の飢餓状態とは、譬えて言えば、東京中の人が飢え死に寸前におかれているということだし、ギリシアでは国家破綻寸前まで経済危機が進行している。ギリシア国家の破綻は即EU圏内の各国に飛び火し、せっかくここまで育ててきたEURO経済圏までが崩壊しかねない。そうなれば、国内に抱える様々な火種(失業、外国人労働者、格差、高齢化、等の諸問題)が一気に噴き出してくる。「ネオナチ」をはじめ、フランスやイタリアの極右政党などは、そのような国内の不安材料のある部分を代表していると考えられる。
もちろん、EU圏内の経済危機問題は一人ギリシア経済のみにとどまらない、イタリアも、スペインも、ポルトガルも、同様な危機に瀕している。これらが連鎖的に反応するようであれば、それこそ取り返しがつかなくなる。
また、エジプトをはじめとする一連のアラブ諸国の政治変動も大いに気になるところであろう。世界のエネルギーはまだ圧倒的に化石燃料、特に石油に依存している。アラブ世界の動向はすぐさま世界経済に影響し、ひいては世界の政治勢力図に激変を引き起こしかねない。
確かに日本の「福島原発事故」も大変な事態ではある。いまだに解決への確固たる道筋さえ立っていない。このままいけば、間違いなく世界最大の原発事故となるであろう(あるいは既になっている?)。また仮に、日本地震列島にある54基の原発のうち、もう1基でも同様の事故を引き起こすなら、実際に「日本の破滅、世界の迷惑」ということになりかねない。直ちに日本の全ての原発を廃棄してもらいたい、これはヨーロッパ人のみならず、世界中のいくらかでも良識をもっている人たちの願いでもあるだろう。このような重大事故に関心が向かないわけはない。しかし、それと同時に世界は、この事故以外にも様々な重大な事態に直面しながら動いている。それぞれの状況の中で、関心の度合いが違ってくることはありうるのである。
2.食の異文化との出会い
この家の女主人(ペトラ)の日常は大変忙しい。ほとんど毎日、朝は早くから夜は遅くまで(いったん帰宅して、また出かけることもあるが)働きずくめである。食事はほとんど職場で済ませているという。たまの休み(日曜日など)には、バイク仲間と遠出を楽しんだり、また近所にいる孫娘(2人)と遊んだり、更には僕らのために御馳走を作ってくれたり、やはりじっとしているときがない。先日はその彼女に異変が起きて、ついに風邪をひいて寝込んでしまった。3日ぐらい仕事を休み、そのうちの2日は完全にダウン、首筋から肩が痛むというので、僕が持参した貼り薬を提供した。3日目にはほとんど回復し、先日の「広場」に投稿したようなトルコ風の朝食を作ってくれた。その週の日曜日には、今度はやはりトルコ風の夕食をごちそうになることになった。客は孫娘とその父親、またマケドニア人の友人(初老のおじさん)と我々夫婦。おじさんは、マケドニアはトルコ文化圏だと言いながら、かつてのアレクサンドロス大王時代の栄光を雄弁に語っていた。
夕食では、最初に二種類のスープ(ヨーグルト味で、中にご飯粒が混ぜてあるもの、また、レンズ豆のスープ)が出された。どちらも大変おいしかったが、レンズ豆のスープは、これまで食したことがない独特の味付けだった。メーンディッシュは、ご飯に細かく刻んだヌーデルンを混ぜて、バターでいためたもの(これまた独特の味で、大変おいしかった)と麦にいろんなもの(パプリカなどの野菜)を混ぜて炊きこんだもの(ブルグル)、牛肉に野菜を混ぜ合わせていためたもの、生野菜、ヨーグルトのドレッシング、付け合わせに紫玉ねぎの刻んだものとイタリアンパセリであった。
僕が驚いたのは、これらのご馳走の種類もだが、その食べ方である。大皿にご飯をもって、上から生野菜や肉の野菜炒めを添えて、それに付け合わせを載せ、その上からヨーグルトドレッシングをかけるのである。最初、少したじろいだが、既にアルコールも廻っていたせいもあって、すぐに同じことをしてみたら、これが絶妙な味わいになっている。不思議な食感である。以前に知り合ったポーランドの女子学生が、トルコ料理は野菜が多くて大変健康的だ、と言っていたのを思い出した。
トルココーヒーといえば、15世紀にオスマントルコがコンスタンチノープルを攻めた時、後に残した食品の中から発見され、後の西洋コーヒー文化のもとになったコーヒーとして大変有名であるが、これにも一種独特の風味と淹れ方がある。淹れ方は小さな金属の器に直接コーヒーの粉を入れて、水を加えて混ぜながら沸かしていく。それに少量の砂糖を加えて、沸き上がったものをカップに注ぎ分ける。カップの底にはまだコーヒーの沈殿物がたまっている。その上澄みを飲むのであるが、これがまた大変おいしい。濃くて甘いのだがおいしいのである。この味と淹れ方は、かつてエジプト人の友人が淹れてくれたコーヒーと同じように思う。アラブ世界(イスラム世界)に共通なのかもしれない。
3.ドイツ国内旅行(Goslar, Uelzen)
ジャーマンレイルパスの通用期限は、使用開始日から1ヵ月間しかない。あまり早く使ってしまうと8月になってから困るので、近辺の小旅行にはニーダーザクセンチケットで間に合わせることにしている。近くで良い所をと探してみて、先ずゲッティンゲンから約1時間のところにあるゴスラー(Goslar)に行くことにした。ここは、Harz山地の中心で、すぐそばに有名なブロッケン山(ドイツ語の発音は、ブロックンベルクとなる。ブロッケンと言って全く通じなかった覚えがある)が横たわる。ゲーテが『ファウスト』の前編で魔女が集まるフェストの舞台として描いたことで名高い(ヴァルプルギスの夜)。実際にこの山への登山道近くの村で、「ヴァルプルギスの夜」と書かれた木の看板を見たこともある。
Goslarは、大変古い町で、10世紀には銀の鉱山町としてすでにその名を残している(今でも、ここの「マルクトプラッツ=市場が立つ広場」には、この鉱山の名残を示す仕掛け時計がある)。11世紀には神聖ローマ帝国皇帝がこの地に王宮を建て、ここで帝国会議が開催されたこともあった(宮殿とその前広場=カイザープラッツは今も残る)。そういう貴重な中世都市の面影と、多くの古い木組みの家と、周囲の豊富な自然環境とを残すのがこの町で、小さいながらもなかなか味わい深い町である。
レストラン兼用の居酒屋も大変多い。僕の夜の散歩は、専らそんな中からこれはという居酒屋を「鼻で嗅ぎわけ」て、探し当てることに費やされる。この日は「バター屋のハナ」(Butter Hanna)という名前の居酒屋に入った。この辺の田舎娘のハナさんが、バターを作りながら副業として居酒屋をやっていたのであろうか、などと勝手な想像をしながら地ビール(黒ビール)を飲んだ。
朝の散歩は夜に比べると品行方正だ。少し周辺を散策しようという気になるし、アルコールは飲まない。この日も、今までここには何度か来たのだが気がつかなかった小さな城跡やその傍の池などを発見、また池の近くに「普仏戦争」の犠牲者を弔う記念碑があることも見つけ出した。こちらは僕の興味を大いに引き立たせてくれた。「普仏戦争」と言えば、1870-71年にかけて、フランスのナポレオン3世に対してビスマルク(と大モルトケ)が仕掛けた戦である。ナポレオン3世側からの平和条約を持ちかけた電文を二人が無視して(受け取らなかったふりをして)、一方的に仕掛けた謀略戦争であり、プロイセン軍のパリ侵攻に対して英雄的に戦った「パリ・コミューン」を生み出したあの闘争である。この記念碑は、ビスマルクの要請に従って兵隊を送ったハノーファー候国、その犠牲者を英雄的に称えた碑であった。
その次に向かったのはニーダーザクセンの北方の町Uelzenである。この町のことはEinbeckの居酒屋のおやじに聞いたHundertwasser(百水)から思い至ったのである。彼は、非常にきれいなのでぜひ見に行った方が良いと言ってくれた。Hundertwasserなどと言われても何のことだか全く想像もできないまま、とにかく行ってみようということになった。Uelzenという町の呼び方もよくわからないままだった。おやじは「ウルツェン」と発音していたが、Uにウムラウトがついて「ユルツェン」なのではないのかと考えながらの旅だった。Goslarから各駅停車で約3時間。とりあえず、街の中心地の方へ出てみた。落ち着いたよい町だ。少し歩いて一軒の喫茶店に入る。お年寄りたちが大勢で何か話し合い会議のようなものをしていた。店員も年配者だ。親切で話好きの方だった。隣に座ったおばあさんも気さくに話しかけてくる。なんとなく落ち着く。コーヒーとケーキ(かなり大きめ)を注文する。外は寒かったが、中は温かい家庭の雰囲気がした。帰りがけに、Hundertwasserのことを聞いてみた。駅にあるから行ってみなさいと言われる。すごくきれいで、この町の自慢だという。
日帰りしなければならないので、街の見物はそこそこにして駅に向かう。降りた時は逆の出口だったので解らなかったが、駅の柱やそのほか建物全体がアートになっているようだ。残念ながら僕にはうまく理解できないままだったが、さまざまな色や形の円筒型のガラス質の物質を組み合わせて作ったオブジェがこの駅を形どっているようだった。地下もそうだし、トイレの中も美術館(よくは見ていないのだが)のようだ。
僕らがあまりよく観察しなかった(できなかった)理由の一つは、帰りの電車(メトロノーム)が、その日もストライキ決行になったため、帰りの電車のことが気になって落ち着いておれなくなったからである。実際、帰りは、予定の電車が1本運休の後、4時間以上かかって遠回りで帰らざるを得なかった。「シュツルテン」に入ったのは9時過ぎていて、厨房はおしまいだったが、そこは日ごろの顔がものを言って、特別に作ってもらうことができた。(写真はトルコ風の食事とGoslarの王宮とUelzenの駅構内のアート)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0575 :110801〕
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