わたしと戸籍 ― 「戸籍」私史(その9)
- 2022年 12月 4日
- 時代をみる
- 戸籍池田祥子
Ⅴ 「悩ましい妊娠」と傲慢な企み
(1)いつしか空洞化した結婚生活
前回、「私はどこで間違ったのだろうか・・・」と書いた。しかし、正確には「間違い」という言葉は正確ではないのかもしれない。
私たち(夫と私)は、社会の規範化された「結婚」観を前提にして、「良き夫、良き妻」という性別役割モデルに即して「結婚」を選び、子どもたちを含めた「よき家族」を模範にして生きようとしたわけではなかった。しかし他方で、では「共に生き、生活するパートナー」同士はどういう関係をつくるのか、「子どもを含めた暮らしをどのように共につくっていくのか」という点において、不誠実、不真面目というか、要するに「成るようになる」という状況任せの無責任な態度だったことが、今にしてよく分かる。
長い歴史的な時間をかけて定着させられている「結婚」や「家族」の規範や習慣は、やはり何らかの意図的な抵抗や、能動的な働きかけがなければ、知らない間に、自分たちの暮らしの中にも浸透して来るし、また自分たち自身も、いつしか社会的な規範に無防備になっていく。
振り返ってみれば、彼は一貫して「真面目な」労働組合の専従オルグだった。「一人でも加入できる」全国一般労組だったから、中小企業の解雇!といえば、その撤回闘争に明け暮れ、解雇止むなし!となれば、その当事者の退職金獲得や次の職場の確保にまで力を尽くした。
ただ、その真面目さは、一方では確実に、夫婦や家庭に割く時間のゆとりを奪ってしまう要因でもあった。元々、姉二人の後の末っ子の男の子、身の回りのこともほとんど自分でやらなくて済んだから、いわゆる「生活力」「家事力」などは期待しようもなかった。しかも、私自身が、そのことに文句を言いつつも、「重症だから、いまさら仕様がないわ!」と受け入れてしまったのだから、お手上げである。
私自身も仕事を持ち、二人の子どもの保育園通いを、彼のお義姉さんの手を借りながら何とかこなしている内に、強がってうそぶいていた「うちは母子家庭だからね!」という言葉が、知らない内に現実のものになってしまったようなのだ。
彼を当てにしないで成り立たせてきた折角の生活リズムが、たまに彼が早く帰って来ると狂わされてしまう。これから、子どもたちの寝る時間・・・という時に、帰って来た彼が「まだ夕飯食べていない」と平気で言う。洗濯を全部し終えてヤレヤレと思っているときに、帰って来た彼はドサリと、大量の洗濯物を籠に入れる。・・・その時の私の落胆、「彼は邪魔!」という酷い思い、それらが確実に積み重なっていくのに、私はその想いを一人呑み込んで、彼にぶっつけることをしなかった。だから、彼もまた、そのような私の苦々しい思いは知る由もなかったのだ。
(2)「結婚生活」をある意味で支えた職場での恋愛
日本の伝統的な「家」制度下では、あえて繰り返せば、「男系」で「家」を継いできた。だから、男は、複数の女に子どもを産ませても、すべてOK。どの子も「跡取り」候補となる。もちろん「嫡出子」と「庶子」(婚外子)という差は設けられていたし、子どもが女子だけだと「婿とり(養子縁組)」が必要にはなるが。
多くの子どもを生ませられる男は、性的(精子的?)にタフで、多産家(裕福)の証拠。一方、女には婚姻前は「処女」であることを要求され、婚姻後は「貞節」を求められ、万一、「夫以外の男」と通じた場合は、「姦通罪」で死刑となる。
「家」制度が廃止された戦後でも、実質的には「家」制度はしぶとく残り続け、とくに結婚した後の女の「不倫」には手厳しい。ただし、「男女平等」が社会的に追求されはじめた1985年の「男女雇用機会均等法」以後、男性の「不倫」もまた、今までになく非難されるようになってきた。いずれにしても、「男女」の「結婚」とその社会的な維持継続が、日本の社会(多数派)ではなお譲れない社会規範とされているからであろう。
だが、「家」制度を離れて、社会的な非難の言葉である「不倫」という言葉を退けたとしても、「婚外恋愛」や「複数恋愛」をどう考えるのか、これはこれで難しい。
瀬戸内寂聴は「恋って、突然に降りてくるものだから・・・」と、鷹揚に言い放っていた。また、いま偶々、作家井上光晴と瀬戸内晴美の恋の顛末と、男(井上光晴)の妻の微妙な立ち位置や思いを描いた、井上荒野の『あちらにいる鬼』という小説、映画が話題になっている。いずれにしても、恋=恋愛は、当事者たちによって個別に生きられるものだから、社会道徳的に有無を言わさず裁かれるものではないだろう。
ただ、それにしても、複数の恋愛関係(対関係)が並行ないし交錯する時、やはり「秘密・沈黙」という行為や「嫉妬」という厄介な感情も絡んでくるし「暴力」までも引き出されてくる。だから、決して単純にサバサバと生きられる世界ではないのだと思う。
私もまた、色々な事情があったとしても、彼と「結婚」をし、子ども二人を交えた暮らしをしながら、職場で新しい恋をしていたことはすでに述べた。
相手もまた、子どもも居る既婚者である。今さら、その新しい彼と結婚したい訳ではなく、また、自分の家庭を「破産させる」気がある訳でもなかった。その意味では、他方が独身者や結婚を強く望むケースのような煩わしさや悩ましさはなかった。割り切って「恋人同士」を楽しめばよかったからだ。
同じ職場だから、お昼は一緒にランチに行き、周りの同僚、友人と一緒に、趣味の短歌サークルを立ち上げ、季節ごとの山登りも楽しんだ。「仲良し」は目立つから、職場では噂になっていたようだが、当人たちは澄まして意に介さなかった。
私自身、結婚していながら、彼(夫)とはますます空間的にも時間的にも離れていく「空虚さ」を、その職場での「恋」によって蓋をし、むしろ、その職場での恋を楽しみ、それによって、私の「生」を支えていた(つもりだった)のかもしれない。
(3)意外な妊娠・ハプニング
しかし、「恋・恋愛」というものも身勝手なものだ。もちろん一般論としてだが、初めこそ情熱的な時間が流れるが、何年か経つと、お互いの想いも沈静化し、下手をするとマンネリ化する。双方とも独身者であれば、その少し前辺りで「結婚しよう!」ということになり、二人の関係は、「長い時間の共有」体勢に入っていくのかもしれない。
だが、初めから「結婚」という形態を封じたままの恋愛である。そのためなのだろうか、どこかで相手への遠慮があり、本気で相手の世界に踏み込むことは躊躇する。たとえ、相手がまた新しい恋を始めたことに気づいても、それを咎めたり怒ったりはしない。元々「お互い様」ということもあり、あるいは、自分が傷つくのが怖いから、見て見ぬ振りをする。
もちろん、「恋」の初めは、何やら高揚感があり「楽しさ」が基調なのだが、自分の日常の生活に戻っている時は、「疚(やま)しさ」よりは「寂しさ」が募ってくる。そして、当然ながら、時間が経つにつれて、「寂しさ」がより深まり、たえず身辺につきまとうようになってくる。自業自得ながら、どうしようもない。
そのような頃だったか、時間をやりくりして逢瀬をつくり身体を重ねたとき、私が「今日はデキル日・・・」と呟いた。ところが、相手の彼は、何をどう聞き取ったのかコンドームを付けた気配がなかった。私はアレ?と思いはしたが、何だかドサクサの中、しかも主観的には「今日は子どもができる日」と伝えたつもりだったから、伝わっているはず・・・と思ったのだが。それでも、やはり気になって、改めて確認してみた。すると、彼は、何と「今日は、避妊無しでデキル日!」と聞いたというのだ。完全に私の「言葉足らず」だし、相手の「誤解」そのものだった。
ただ、その時は、排卵日はズレることもあるし、確実に妊娠するかどうかも分からない。心配になりながらも、私は、あえて、そうならないことを願っていた。
(4)「共同の営み」としての妊娠・出産―際立つ私の「偽り、傲慢」
ところが、生理がやって来ない!どちらかといえば定期的な私の生理の予定日。2、3日の遅れから、1週間も遅れると、かなりヤバイ!・・・昔、私がまだ10代の終りから20代の初めの頃、「妊娠してたら困る!」と、どんなに生理の来ないことを心配したことか・・・この時も、トイレに行くたびに祈ったものだ。「今日こそ、生理が始まりますように!」と。・・・そして、だんだんと事態はのっぴきならなくなっていった。
困ったな・・・拙(まず)ったな・・・と、自分の呑気さが疎ましくなっていった。
その頃のことだ。職場の彼を中心に登山の計画が持ち上がった。何でも谷川連峰の西端の平標山ということだ。1984メートル。かなりの山だ。職場の彼には、その後のことは何も話していなかったから、「何事もなかった・・・」と一人で安堵していたのかもしれない。
私は、その山行きに参加することにした。高い山に登り、下りを駆け下りたら、さすがの子ども(胎児以前?)も子宮内に留まっては居られないだろう。そんな冷酷な企みを内に秘めた上でのことだ。夫にはもちろん、職場の彼にも何も言わないまま、私は一人で、この企てを実行した・・・。
しかし、夜行日帰りのそれなりの登山・・・朝早くから登り始めて、最後の急登をハアハア言いながら、私はふと、お腹の子どものことを思った。「お腹の子どもも頑張っているんだ!」・・・すると、これまた急に、流産させることが怖くなった。私の罪深さが、私の胸を刺し貫くように感じられた。・・・やっぱり産もう!頑張っている子どもを流産させるのは止めよう!・・・しかも、夫の彼はB型、職場の彼と私はO型。生まれて来る子は必ずO型。大丈夫だ!誰にも言わなければ不思議がられもしない。そんな「世間的な配慮(狡さ)」までも咄嗟に思いついてしまった。
そう一人で思い決めた後の下山は、逆に恐かった。下りを駆け下りたら流産になるかもしれない・・・そう思うと、ピョンピョン駆け降りることができない。ズリズリ、ズリズリと下るものだから、当然ながらどん尻。脱兎のごとく先頭で駆け下りて下で待っていた彼も他の友人たちも、少し心配そうだったが、それ以上のことは分かるはずもなかった。
こんな急転直下の成り行きで、私は3人目の妊娠を周りに告げた。
子どもたちも「赤ちゃんだ~」と喜ぶし、夫も満足そうに顔をほころばせた。夫との間で性の関係が皆無ならば疑われもしただろうが、本当にたまに、酔って帰って来た夜などのことが念頭にあったからだろう。
さらに意外なことに、義姉までも「良かったね~、今度は女の子だよ!」と歓迎してくれたのだった。
予想外だった。真実は私の身の内だけにしまい込んで、素知らぬ顔をして妊娠、出産をやり通せると?・・・私は、「妊娠・出産」そのものの「関係性」を見落としていたのだ。こんなにも喜んでいる周りの人たちを欺くことがこれほど辛いとは!・・・浅はかな企みが疎ましかった。
さらにまた、すぐにやって来る「つわり」や「肩の凝り」「背中の痛み」を、もちろん職場の彼に甘えることも頼ることも論外だったから、だからといって、夫に告げたり甘えたりができないこと、これまた私を打ちのめした。「妊娠・出産」自体、一人で行えることではなかったのだ。・・・自分で企んだ「一人で引き受ける妊娠と出産」の現実の姿に慄(おのの)きながらも、しかし、それに耐え、最後までやりきるしか方途はない。・・・夫が留守の時にたまたま立ち寄った夫の友人(私の知人でもある)が、お腹の大きい私に「何だか辛そうですね・・・」と声をかけてくれるまで、私は絶対的に孤独だった。(続)
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