テレビ老人の気になる「お言葉」
- 2022年 12月 20日
- 評論・紹介・意見
- 日本語阿部治平
――八ヶ岳山麓から(407)――
「ありがとうございます」
中国に暮らしていた時の話だが、とびきりのいたずら坊主がしばらく会わないうちに礼儀正しい応対ができる少年に変わったのにいたく驚いたことがある。
「君のところの坊や、立派になったなあ」といったら、友人がさらりと「ありがとう」といった。これが「あれ?」と思ったことのはじめではなかろうか。
中国では(日本でもそうだったが)相手の身内をほめると「いやいや、そんなことは」とか、「まだまだだよ……」といった答えが返ってくるのが普通だった。あのころ中国では経済の発展とともに都市の生活がすごく変った。人情も音を立てて変わった。だから挨拶も変わったのだと納得した。
ところが日本に帰国してみると、この「ありがとう」がかなり普通に使われているのである。これをはじめテレビで見たときはどうかしていると思った。
「素敵なお召し物ですね」「今日は特別お美しい」とか、「おいしゅうございました」といった誉め言葉に、相手が「ありがとうございます」と返すのである。むかしは「お恥ずかしい」とか「いや、ご粗末でございました」とか言ったものである。
このごろの私の経験でも、別荘地帯で犬の散歩をしている人に「かわいい」とか「立派ですね」などと声をかけると、「ありがとうございます」という答えが返ってくる。
新型コロナが蔓延すると、新手の「ありがとうございます」が登場するようになった。テレビのニュースショーに呼吸器や疫学の研究者、臨床医が登場し、感染状況や医療現場の窮状やその対策などを解説するようになった。わたしも専門家のさまざまな発言を興味深く拝聴した。
発言がおわると、司会者が「ありがとうございました」という。ところが、専門家もやはり「ありがとうございました」と返すのである。司会者が礼を言うのは当然だが、専門家は情報や専門知識を我々に提供したのである。「ありがたい」のはこちらで、そちらさまがなぜ「ありがたい」のか。
ふつうの会話だと「どういたしまして」といったたぐいの返答をするのではなかろうか。もしやテレビ局は専門家に「ありがとう」を指示しているのではなかろうな。
「ひ」と「し」の問題
以前にもこれについては発言したが、やはり言いたい。
先日もテレビでアナウンサーがロシアの攻撃によって、「ウクライナの生活インフラの被害が拡大しました」というべきところ、「しがい(死骸)が拡大しました」と発音していた。もともとアクセントが違うし前後の関係から聞いてわからないではないが、言葉の専門家であるアナウンサーの発音がこれではまずいと思う。
定時制高校山岳部の顧問をしていたとき、リーダーが「出発!」と声をかけても隊列が動かないことがあった。隊員たちは東北出身の彼の「しっぱち!」という発音が何を意味しているか分からなかったのである。
私が肩入れしている政党指導者が「それは国民にとって相当しどい政策だ」と政権側を批判したことがあった。「ひどい」といってくれれば、もっと支持するのだが。
「……感じですね」「……ようです」
交通事故を目撃した人が「こちらからスーパー正面に車が突っ込んで、ひとをはねたって感じですね」といった。テレビの画面を見れば、事故の惨状は明らかである。「感じ」もなにも、当の本人が見た事実じゃないか。
また、高速道路で無理やり車を止められて暴行されたひとが「無理やりストップされて、やられたという感じです」といったことがあった。これじゃ自分のことではなく、誰かが殴られたのをわかりにくいところからぼんやり眺めたという「感じ」である。
先日は、テレビのアナウンサーが大きな百貨店の前に立って、「こちら、歳末セールが行われているようです」と言った。画面からは、その百貨店が100%歳末大売り出しをやっていることが一目でわかる。「……行われているようです」ではなく、「……行われています」といってもらいたい。
自分が直接かかわっている事実、目の前のできごとを間接的に表現するのは、日本の言語文化の特徴である。だがこの頃この傾向がひどくなったように思う。
「おじいちゃー-ん」
テレビのお墓のコマーシャルである。谷に向かってかわいらしい子供の声が「おじいちゃーん」と叫んでいる。なかなか気の利いた広告だ。だが、この墓場を売り出している会社では「おじいちゃん」しか死なないのか。「おばあちゃん」は「おじいちゃん」よりも長生きすることは知っているが、この広告を見るたび、「おばあちゃーん」も登場してほしいと切に願っている。
「みたく」
10年ばかり前、さる作家だか評論家が書いた文章を見ていたら「……みたく」という文言が出てきた。「ロシアみたいに」「中国のように」といった意味で使っていたと記憶している。
これは埼玉・千葉県境あたりの人がしばしば使う話し言葉である。それでこの書き手はその地方の出身者だろうと見当をつけた。のちにこのひとが埼玉県の浦和市にある高校の出と知って、「あたり!」とおもった。
ところが、この頃複数の物書きが「……みたく」を使うのである。地域に限られた言葉がいったんメディアに載ると、不思議に思わず使うひとがでてくる。いま私は、地方の言葉が共通語に変わるのを見ているのである。
「迷惑を掛けたくないから」
テレビコマーシャルで、私より十(とお)も若そうな老人が葬式費用の心配をして「子供たちに迷惑を掛けたくないから」といっていた。どうやらこの人は死亡保険に入る決心をしたらしい。
このコマーシャルを幾度も見ているうちに、わたしもひとごとではない、もうすぐ子供に迷惑をかける仕儀に立ち至ることに気が付いた。ところが自分には保険に入るほどの余裕がないのである。
そこで息子夫婦には「葬式をやってはならない。火葬後の骨灰はおれの好きだったあの山の尾根に撒くように」と申し渡した。息子は憮然とした顔をして、「葬式をやるなというなら、そう遺言に書いてくれ」といった。葬式をやらなかったら周りがうるさいうえに、やたらに散骨などできないというのである。
死ぬのも容易でないなと思うようになった。
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