ヘーゲル研究会へのおさそい
- 2023年 1月 19日
- カルチャー
- 野上俊明
- テーマ:ヘーゲル『精神現象学』を読む、「自己意識」章——自然、欲望、労働、主と奴
- とき:2023年2月25日(土)午後1時半より
- ところ:文京区立「本郷会館」Aルーム
- 連絡先:野上俊明
- 12nogami@gmail.com tel :080-4082-7550
ヘーゲルは「法権利の哲学」(1820年)序文で、哲学というものを「思想において把握されたその時代」であると、つまり時代時代の思想的な表現が哲学であるとしています。そのコンテクストで現代を考えると、どういうことになるでしょうか。
現在、欧米諸国と中国との政治的経済的対立が深刻化しつつあるなか、リベラル(デモクラシー)派と権威主義(新儒教主義)派と対立は、世界観をめぐる思想的冷戦の様相を呈し始めていると言われています。この一見和解しがたい二項対立は、放置すれば、世界の分断と抗争を加速し、戦争前夜的状況に至らせる一因になるかもしれません。そのように硬直化しつつある思想的イデオロギー的状況を打開するのに、ヘーゲル的な思考方法(論理学)のひとつ――対立する二項をより高次の統一体の契機となすことにより和解させる――は、かなり役に立つと思われます。たとえ西側の価値観(人権、民主主義、法の支配、立憲主義等)の側に立つにせよ、現行の支配的な思想は「ネオ・リベラリズム」という形態―社会格差の拡大や人権軽視の自己責任論の元凶―である以上、自由主義が自己批判抜きに居丈高に権威主義より優れているといい募ることはできないでしょう。他方、習近平流の「共同富裕」という政策理念は、「一君万民」的な封建的な平等観の表出であり、君主の代わりに「天下tianxia」をもちだそうとも、そこには共産党独裁が透けて見えてしまっています。かくして相互に利点と弱点を有する以上、たんなる妥協やら折衷やらでは根本解決はかなわず、ヘーゲル的なアウフヘーベンこそ問題解決の方法になる可能性があります。
歴史家半藤一利氏は、戦争体験の風化について、そのレベルが情緒的観念的であれば、戦争体験なども世代が変われば容易に忘れ去られていく。そうさせないためには「体験の思想化」が不可欠としています(「昭和と日本人 失敗の本質」(角川新書 2022年)。これは「己の時代体験を思想という形態で把握しなおす」という意味で、ヘーゲルの考え方と軌を一にしているのではないでしょうか。
もっともヘーゲルは「法権利の哲学」序文では、哲学の役割を「ミネルバの梟」にたとえ、哲学は歴史の形成過程が終了した時点でそれの知的反映として現れるのであるゆえに、現実を追認するものであって、世界がいかにあるべきかを教えるものではないとしています。この限りでは、ヘーゲルの立場はいかにも保守的にみえますが、真意は、一社会の全体認識が成立するには、その社会が成熟し自己批判が可能になる条件が必要だというのではないでしょうか。哲学は時代的な刻印を強く帯びるがゆえに、そこから抜け出せないというのではないでしょう。特殊的であるほかない時代の流れに深く掉さしながら、時代の課題に立ち向かいその解決に努力するなかで、より普遍的な意義―時代乗り越えの可能性―を獲得していくところに哲学の本領があると、考えられないかどうか。何よりも認識の普遍性を重視したヘーゲルの学問観に、強い未来志向性を感じ取れないかどうか、です。
昨今ではマルクス以上にすっかり流行遅れになってしまったヘーゲルですが、いま一例を挙げたように、実はまだまだ学ぶべきことがたくさんあるのではないでしょうか。このたび、そう考える同好の士が集って、「ヘーゲル研究会」を立ち上げることにしました。ヘーゲルの専門家にチューターをお願いし、「精神現象学」や「法権利の哲学」の原典に当たって、みなで読み進め理解を深めていこうとする試みです。年齢、性別は問いません、ともに学び、考え、語り合う意欲のある方々の参加をお待ちしております。
記
第一回ヘーゲル研究会のお知らせ
★法政大学で教鞭をとられた滝口清栄氏がチューターを務めます。
――地下鉄丸ノ内線 本郷三丁目駅下車5分 文京区本郷2-21-7 Tel:3817-6618
1.参加費:500円
参加ご希望の方は、ご連絡ください。(コロナ禍のため、定員は24名です)
※研究会終了後、近くの中華料理店で懇親会を持ちます。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔culture1142:230119〕
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