「全国一般東京東部労組執行委員会 脱原発運動に関する主張」の紹介
- 2011年 8月 5日
- 交流の広場
全国一般東京東部労組の須田です。
東部労組は本日付で、脱原発運動に関する主張を公表しました。以下に全文をご紹介します。
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全国一般東京東部労組執行委員会 脱原発運動に関する主張
2011年8月4日
東部労組は「脱原発」にどう向き合うか
3月11日に起きた福島原発震災は今もなお収束の見通しが立たず、人間と自然への放射能汚染を拡大し続けている。取り返しのつかない最悪の事態を招いた責 任は、原発の安全神話を吹聴してきた電力会社の経営者、日本政府、御用学者ら にあるのは言うまでもない。さらには電力総連や電機連合など経営者と一体で原発推進の旗を振ってきた労組の責任も重い。
同時に、我々自身の問題点を痛感せざるを得ない。旧ソ連チェルノブイリ事故 が起きた翌々年の1988年以降、東部労組は毎年の定期大会で「反原発」を方針に掲げてきた。上部団体の全労協もナショナルセンター(労組の全国組織)では唯一、脱原発のスローガンを明確にしてきた。しかし、具体的な実践はほとんど取り組めてこなかった。我々は率直に反省しなければならない。88年は36基だった原発が現在は54基に増えた。脱原発の方針は免罪符にならない。
なぜ脱原発に熱心でなかったのか。第一に原発の危険性に対する根本的な無知があった。第二に経済成長のためには原発が必要との考え方に絡め取られていた。
第三に都会の電力需要のために原発立地を押しつけられる過疎地や、日常的な点 検作業で被ばくにさらされている労働者への想像力が欠けていた。第四に自分たちの職場の外にある社会全体の情勢を労働者の利益を守る立場から主体的に捉える観点が弱かった。
他方で、全国各地で体を張って原発建設を阻止してきた住民運動や、電力会社で働きながら反原発労働運動に取り組んできた電産中国の闘いがあった。幾多の英雄的・先進的な歴史から我々は謙虚に学ばなければならない。
この総括は原発問題に対する「一億総ざんげ」を呼びかけるためのものではない。むしろ原発震災を起こしながらも相変わらず原発推進の姿勢を崩さない政・官・財・学・労・マスコミの責任を徹底的に追及する必要がある。例えば経団連の米倉会長は「原発が停まれば日本企業は海外に移転し産業が空洞化する」と脅迫して恥じない。資本家の目的は金儲けだけであり、子どもたちが放射能に汚染されようが知ったことではない。彼らの本音のスローガンはいつも「我が亡き後に洪水は来たれ」である。
原発をめぐる利権構造は簡単には崩れない。核武装を企てる勢力も原発に執着するだろう。敵は強大である。だから脱原発の運動には大同団結が求められる。
組合や政党で色分けされ原水禁と原水協に分裂してきた反核運動の不幸な歴史を繰り返してはならない。小異にこだわらず脱原発の一点ですべての労働組合と市民運動は共同行動に取り組もう。東京・高円寺を拠点に脱原発運動を盛り上げてきた「素人の乱」ら若者グループとの合流を求めていこう。
7月13日、菅首相は記者会見し、段階的に原発に対する依存度を下げ、将来は原発のない社会を目指す考えを表明した。閣僚は「遠い将来の希望」(枝野官房長官)などと打ち消しに躍起で、当の菅首相も「個人的な考え」と腰砕けの格好だ。
そもそも首相の「脱原発」発言が本物か偽物かの議論は意味がない。政治家の発言に一喜一憂するのではなく、反原発運動の高揚に力を注ぐべきだ。大衆運動の前進のみが状況を切り開く原動力である。我々は評論家や見物人ではない。
実践を通して反原発の方針を文字どおり実現しよう。9月19日「さようなら原発集会」(明治公園)に集まろう。
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