「さくら丸に乗って帰ろうじゃありませんか」 ―日本軍兵士の視線で見たアジア・太平洋戦争― 書評 吉田 裕著『兵士たちの戦後史』、岩波書店
- 2011年 8月 15日
- 評論・紹介・意見
- 『兵士たちの戦後史』半澤健市吉田 裕
本書は、戦争史、軍事史を専門分野とする日本近代史家吉田裕(よしだ・ゆたか)が書いた、アジア・太平洋戦争に従軍した兵士たちが辿った戦後の物語である。
《敗戦時に日本兵はは789万名いた》
敗戦時、すなわち1945年8月に日本軍の兵士は何人いたか。日本本土に436万名、海外に353万名、合計789万名存在した。日中戦争以後の戦没者は230万人である。彼らは生き残った兵士たちであった。数年をかけて復員し、戦後社会に復帰し、社会に対応していった。本書は、敗戦時に日本軍がどのように自壊していったか、から説き起こす。
復員船の中で何が起こっていたのか、祖国の人々は復員兵をどう見たのか、彼らをどのように受け入れたのか、敗北した兵士は戦後民主主義にどう反発しどう受容したのか。著者は多くの資料を駆使してそれを明らかにしていく。
戦後史は、兵士たちだけのものではない。GHQの占領政策から始まった日本の戦後史そのものが綴られていく。それは、サンフランシスコ講和条約による日本の独立であり、経済復興の進捗であり、「逆コース」の始まりでもあり、戦後民主主義の定着であり、遂に高度成長のレールに乗った戦後、である。1956年の「経済白書」は「もはや戦後ではない」と書いた。戦後でなくなれば「兵士たち」もいなくなるのか。そんなことはない。ならば一億人の大衆社会に埋没した800万人の「兵士たち」をどのように識別するのか。
《戦後の兵士たちはどこにいるのか》
彼らはしっかりと存在した。GHQが禁じた軍人恩給が復活した。旧軍人団体が次々に結成された。たとえば「在郷軍人会」の後身である「日本郷友連盟」。軍備の再建に際しては旧軍人が大きく寄与した。特に海上自衛隊の場合、旧海軍との連続性は強い。公的で政治性の強い大組織から「戦友会」のような私的組織―といってもこの組織も多様だが―の中で、旧軍の「軍人たち」は様々な自己表現を見せている。公刊された戦記、靖国神社の資料、戦友会の会報、私家版の自分史、そういう資料を駆使して、著者は彼らの内面に迫っていく。「戦後の物語」ではあるが、むしろ「戦後の心情の物語」というべきであろう。兵士たちの戦争体験、戦争観、軍隊論、組織論、人生観、そういうものの全てがある。多様な言説の中から、著者は兵士たちの経験を次のように総括している。
一つは、兵士たちは軍隊を非人間的な組織と認識していた。
二つは、兵士たちは過激なナショナリズムの温床にならなかった。
三つは、兵士たちは多くの証言を残した。
《私が感じた三つのこと》
本書を読んで私は次のことを感じた。
一つ 「アジア・太平洋戦争」は「大義なき戦争」とするのが戦後民主主義の建前である。これを詰めていくと310万人の死者は「犬死」同様になる。多くの日本人にとって耐え難いことである。このアポリア(難問)は兵士の発言にも共通している。我々はここに正面から向き合わなかった。私はこれが戦後日本の重大な失敗の一つだと思ってきた。本書はこの課題に肉迫するが困難なテーマだけに答えは依然として残されている。
二つ 著者は兵士は遂に戦争を語り我々に証言を残してくれたと言う。
反対する気持ちは決してない。事実、夥しい資料と証言が残されたことが本書を読んで実感できる。しかし総じて言えば、戦争体験者が戦争の証言を行わず戦争を語り伝えてこなかった。といえるのではないか。若者が戦争を知らぬというがそれは彼らだけの責任ではない。これは私の実感である。
三つ 軍隊という官僚制と企業という官僚制の類似に愕然とする。
実戦を戦った兵士の組織への心情、同一意識、懐しむ心と怨念、戦友会の評価。このいずれをも私は100%理解出来たと思っている。私は30%は兵士たちと同時代に生き、国内ではあったが、空襲を二回体験して戦時の空気を吸った。70%は企業生活で組織を経験した。その経験から私はいうのである。
《30年前の二つの文章》
本書中で私の心に残った二つの文章を掲げる。どうぞ静かに丁寧に読んで頂きたい。
▼〝専門家は間違ったことをいうはずはない〟と思うのが、日本人の通弊である。しかし、優秀な専門家の集団であった大日本帝国の大本営が、いかに多くのあやまりをおかしたかを貴重な教訓とするならば、〝専門家〟の言葉は〝健全な常識〟で、その適否を判定しなければならない。/帝国大本営の「計画」は、〝画餅〟の類であり、願望の表明か決心の宣示でもあって、事柄の実行可能性については、全く無関心であった、ということである。この旧日本軍人の意識が、今日の自衛隊の幕僚の意識である。
▼今日やっと念願がかなって、皆様の眠っているこの海面にやって参りました。どんなにつらかったことでしょう、どんなに冷たかった事でしょう、どんなに待ち遠しかった事でしょう。三十五年間もお迎えに参らず、ほんとうにすみません。お許し下さい。/どうぞ私たちの肩に、そしてさくら丸に乗って帰ろうじゃありませんか。終わりにテープを海に投げますのでこのテープに伝わって帰りましょう。一億二千万人の待っている日本に帰りましょう。
初めのものは内務省出身の防衛官僚で、自衛隊制服組と激しく対立しながら、戦後の防衛政策に大きな影響力を及ぼした人物の文章の一節である。(海原治著『日本防衛体制の内幕』、時事通信社、1977年)
その次の一節は船上で読み上げられた「慰霊のことば」である。「沖縄 台湾 フィリピン海域洋上慰霊団」は客船「さくら丸」を1980年にチャーターして「洋上慰霊祭」をした。その団長で元海軍軍人の渡辺守という人の言葉の一部である。
《内省のための一書として》
8月15日はメディアが戦争を回顧する日ではない。一人ひとりが戦争を考える日である。本書は、その考えに同感する読者に薦めたい著作である。
■吉田裕著『兵士たちの戦後史 戦争の経験を問う』、岩波書店、2011年7月刊、2800円+税
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〔opinion0589 :110815〕
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