お金が支配する世の中
- 2011年 8月 17日
- スタディルーム
- 藤﨑 清
世間を騒がせる大事件、それほどではなくても隣近所のうわさとなるような多くの事件・悲劇・トラブル、これらのうちお金が原因であるものは相当の割合を占めているように思う。お金が存在しない社会であればこれらの多くは起こらなかったはずである。とは言うものの、お金をなくせば現代文明が保たれないのは明らかである。
お金が原因となって起こる事件等の多くはお金で解決できるものと思われる。と言うことは、問題がお金の存在にあるのではなく、お金の流れ方やその流れの源とも結果とも言える富の極端な偏在にあるということになりそうである。では、その流れをどういう姿に、また、どういう方法で変えればよいのか。これは大問題である。
ところで、この小文はこの問題を主題とするわけではない。しかし、お金の流れを一部分変えるきっかけを作るという点で関連はある。
貨幣経済の社会に生きる現代人が多かれ少なかれお金に支配されるのは、それによる何らかの弊害は避けられないとしても、現状では止むを得ない面もある。しかし、金融の分野にのみ適用されるべき考え方が金融以外の分野にまで誤って拡大適用され、そのことが要因となって社会が悪影響を受けるようであれば直ちに改めるべきである。この改変は誤りの是正であるから、上述のお金の流れの変更とは異なり、方向性についての意見の対立というような問題はあるまい。とは言え、その考え方が学界での定説とされ、更に国家等の基準の根拠となっているようであれば、別の意味での困難が予想される。
そういう考え方の例として、将来時点におけるものの価値を現時点で評価するときの考え方がある。
以下、貨幣価値は変動しないものとして考察する。
現在価格が100万円である車を1年後に手に入れたいと思っている人がいるとする。その人自身や車をも含めたその人に関連する社会の状況が変らないものとすれば、同じ100万円で入手できるはずだと考えるのが普通である。仮にそれが10年後のことになっても、上記諸状況が変らなければ、やはり100万円であると考えるであろう。このことは商品のような物の評価値の場合に限らない。その人がその車から1年なら1年の間に受ける便益の評価値も、諸状況が変らなければ、便益享受の時期にかかわりなく一定となるはずである。
上記の“車”を“お金”に置き換えてみると、将来時点の100万円は現時点の100万円と同価値であることになる。貨幣価値不変とはそういう状態をいうのであるから当然である。
ところが、金融の分野では、将来時点の100万円は現時点の100万円よりも価値が低いと説明されることが多い。年利率0.04(4%)の場合、現時点の100万円は1年後には利子がついて104万円になるから、1年後の100万円は現時点の100×100/104万円と同価値であるというのである(この100×100/104万円は、1年後の100万円の“割引現在価値”又は“現在価値”と呼ばれている。)。これはお金には利子がついて当然であるとする考え方が前提としてあるためである。しかし、100万円を所持しているだけで104万円になるわけではない。企業等がその100万円を使って新しい価値を生み出し、その価値の評価額の合計が投資額より多い(100+α)万円になるという前提があって、そのα万円分の価値の一部が利子という形で当初の100万円に加わることにより104万円なら104万円にまで増えるのである。100万円が1年後の104万円と同価値なのではない。
上記の“割引現在価値”や“現在価値”は、“将来時点において受け取るべきある一定額の金銭についてこれを現時点で受け取ると仮定したときに受取可能な金額”という意味であることになる。しかし、これらの用語は、“将来時点の価値を現時点で評価した値”と説明されることが多い。そしてこれを文字どおり解釈すれば、お金以外のものをも対象とすると思うのが普通であろう。そうであれば、“1年後におけるあるものの価値が100万円であるとして、この価値を現時点で評価すれば100×100/104万円となる。”というように、金融以外の分野に拡大適用されるようになったとしても不思議ではない。このような拡大適用がなされた場合どういう問題が生ずるであろうか。社会資本整備事業や地球環境維持・改善事業を例として考えてみよう。
社会資本には長年にわたり利用者に便益を与え続けるものが多い。そして、ある社会資本を整備する事業が実施されるためにはその便益の評価値の総計が便益提供に要する資金の価値以上となることが必要条件となる。その条件を検討するに当っては、社会資本整備に要する資金の大半が施設建設のために整備の初期に支出されるのに対して、便益はその後の長期間にわたって少しずつ提供されるから、それらの便益の評価額(正確にはこれから施設の維持管理費を控除した額)の総計と当初投入資金の額とが比較されることになる。このため、将来時点における便益を評価した値が評価時点により変ることがないのであれば各年度の便益の評価額を単に加算すればよい(将来の不確実性についての考慮は必要である。)が、変るのであれば各年度の便益を現時点で評価した値をそれぞれ算定した上でこれらを加算する必要が生ずる。
この点については、上述の車から得られる将来の便益の評価値が評価時点により変ることはなかったように、社会資本が提供する便益についても不変とするのが正しいのであるが、この小文は金融分野でのみ適用される考え方が不当に拡大適用された場合における弊害を述べるのが目的であるから、金融分野で説明されている“将来時点における便益の割引現在価値がこの便益の現時点での評価値である”という方が正しいものと仮定して考察を進める。
割引現在価値の算定で使う割引率(金融分野での年利率に相当するもの)を0.04(費用便益分析における我が国の現行算定法で使われている値)とすれば、1年後における便益の割引現在価値は元の値の1/1.04(約96%)となり、同じく、10年後では1/1.04^10(約68%)、30年後では1/1.04^30(約31%)、50年後では1/1.04^50(約14%)、100年後では1/1.04^100(約2%)となる。従って、毎年100万円相当の便益を供用開始後の10年間提供し続ける社会資本があるとして、その年ごとの便益を現時点で評価した値の総額は811万円となり、割引しない場合の便益評価値の総額1,000万円の約81%(約19%割引)となる。同様に、30年間便益を提供する社会資本では1,729万円となって割引しない場合の評価値の総額3,000万円の約58%(約42%割引)となり、50年間提供する場合は2,148万円となって割引しない場合の総額5,000万円の約43%(約57%割引)、100年間提供する場合は2,451万円となって割引しない場合の総額1億円の約25%(約75%割引)となる。このように、寿命がより長い社会資本ほど提供便益の評価値が真実の値(割引しない場合の値)に比べてより大きく割引されることとなる。ある社会資本整備事業について言えば、当初建設に要する資金の額は割引しない場合と変わらない一方で、提供便益の評価値の総額は割引される分だけ小さくなる。同じ投資額を要する二つの事業があってどちらを採択するかという場合、事業が提供する便益の評価額が違えば、それが小さい方の事業は採択されない。以上の考察から、割引現在価値を用いる算定をすれば、割引しない算定(正しい算定)の場合に比べて寿命のより長い社会資本整備事業ほど採択評価に際してより不利な扱いを受けることが分かる。そしてその結果、偏った形で社会資本が整備されることとなり、公金や資源の適正な使用が妨げられる。
それでは、割引をしない算定をすれば問題は解決するかと言えば、必ずしもそうではない。社会資本整備事業には、電力事業やガス事業のように収益が得られるものと一般道路事業のように収益どころか全く収入がないものとを両極端にして、さまざまな種類のものがあるからである。営利事業としての経営が可能な事業以外、政府(地方公共団体を含む。)による助成その他の措置がなければ事業が行われることは通常ない。
地球環境維持・改善事業の場合は、半永久的に継続される事業が多く、また、事業開始後ある程度の期間は事業の効果が出ない(便益が得られない)ことも多いと考えられるので、割引の程度は一般に非常に大きくなる。さらに、一部の社会資本整備事業のように国家等の意思により事業が推進される可能性も現状では小さいと言える。このため、資金が地球環境対策事業に流れることはほとんど望めず、その結果、地球環境対策が手遅れとなって人類が滅亡へと追い込まれるおそれさえある。
金融の理論を不当に拡大適用する形でのお金の支配は早急に無くすよう強く訴えたい。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔study406:110817〕
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