香川京子と吉永小百合
- 2023年 7月 30日
- 評論・紹介・意見
- 内野光子吉永小百合香川京子
きょう7月29日の『東京新聞』に香川京子(91)と吉永小百合(78)の対談が載っていた。その年齢をみて、ああ、そうだった、私もその間の年齢になっていたのである。二人がそれぞれ主演を務めた、新旧の映画「ひめゆりの塔」から話は始まっている。二人のファンというわけでもないが、二人は、戦後の日本映画史を語るには欠かせない映画女優であることは確か。とはいうものの、香川の初期の出演作品はそこそこ観てはいるものの、吉永となるとさびしい限りである。橋幸夫と歌っていた「いつでも夢を」(1962年)の二番・三番の歌詞は忘れてはいても、あのメロディーは、いまでも気づかぬうちに口ずさんでいることがある。
香川京子さん!とは、当方の勝手ながらのわずか縁があると思っている。彼女は、昔の第十高女(豊島高校)に在学していることは知られているが、私と同じ豊島区立池袋第五小学校の卒業生でもあった。現在は統合により、池袋第五小学校は廃校となり、池袋小学校と名を変えてしまった。香川が卒業したのは空襲を受ける前の立教大学の前にあった頃の池五である。その池袋第五小学校の創立35年の記念誌(1961年3月刊)は大事に残していた。その「同窓生の思い出」のコーナーでは、香川京子と並んでエッセイを書いていたのである。
香川京子は、末尾に「本名池辺香子」となっており、1973年には読売新聞の牧野拓司記者と結婚している。表紙のイラストは、記念誌の編集委員の一人であった乙黒久先生の作で、この記念誌の全てのカットを描かれている。先生は、新任で、私たち5・6年次の担任をされ、私たちが最初に送り出した卒業生であった。先生は、本業の傍ら画業にも励み、後、白日会の重鎮になられた。
上記「記念誌」巻頭の新旧の池袋第五小学校の位置を示した地図。わかりづらいが右頁の中央の上下に走るのが山手線、上部には川越街道、下部に斜めに走るのが、現在のバス通り、途中で二股に分かれていて、立教通りに入る。戦前の池五は、頁の境目の最下段の白い部分、戦後の池五は頁境目の上部右側の小さな四角部分である。この地図の右下に「平和相互銀行提供」とある。「平和相互銀行」とは懐かしい。池袋駅西口東武百貨店前にあったのではないか。夜まで営業しているということで、界隈のさまざまな業者たちは便利にしていたという。その後ごたごたがあって、住友銀行に合併されたのは1980年代に入ってからである。
吉永小百合は、現在でも大活躍の映画女優であり、社会的な活動もしているようだが、できれば、コマーシャルだけには出て欲しくないな、というのが個人的な希望である。なお、吉永の姉が、学部は違うが同じ大学に在学していて、友人から、あれが小百合の姉さんだと遠目で教えてもらったことがあった。彼女は、どうしているのかな、などとも。
一方、香川京子は、自分がかかわった映画の資料などを大事にしていて、京橋の国立近代美術館フィルムセンター(国立映画アーカイブ)に寄贈、映画資料保存にも貢献し、展示もされているそうだ。
二人の対談記事に触れて、思わず思い出したことどもを。
初出:「内野光子のブログ」2023.7.29より許可を得て転載
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2023/07/post-da53d1.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
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