アジサイの季節になって―長めの論評(一)
- 2010年 6月 11日
- 評論・紹介・意見
- 三上治学生運動安保
初めて深夜放送を聞いたのは1960年に上京して一人暮らしを始めた時だった。
受験勉強しながら深夜放送にかじりついていたという友人もいたが僕にはその記憶はない。デモに出掛けて帰った下宿で悩ましさの匂う放送を楽しんでいた。今年は1960年の安保闘争から50年目である。それは遠いむかしのことに違いないのだが、不思議なもので自分にはそのような意識はない。時間は物理的にいえば時系列的にあるものだが、人間にとっての時間はもう少し別のありかたをするということだろうか。自分の中で現在を構成する時間は時系列の総和ではなく、もう少し別の形で生成されているものなのだ。時間の中には必然のように変わるものと簡単には変わらぬものがあって、それは人間的なものも生成の不思議さをあらわしてもいる。
今年は1960年の安保闘争はから50年目である。50年ということを特別に意識しているわけではない。メモリアルという意識はない。それは歴史の一齣として多くの人に記憶されているということと少しも変わらないが、自分の中では政治や社会のことを考える時、鏡のように機能する記憶ということなのだろう。僕にとって安保闘争は直接的には1960年4月末から6月の末までの記憶であるが、それはまた1970年代の前半まで続いた運動や闘争の記憶としてイメージもされる。例えば、1960年代の後半の全共闘運動等は安保闘争のイメージの中に包摂されるのである。安保闘争は短くも長くも考えられるが、この中でもっとも印象に残っている言葉は「敗北の構造」というものである。これは1970年のある集会で吉本隆明が語ったものであるが、1960年安保闘争を起源として展開された運動の全体を言いあらわしたものである。これは全体像の根底をなすものである。
安保闘争の枠組みを広げて考えるとき、その最後の主題が沖縄問題に収斂して行ったことは印象深い。1960年の安保闘争は1972年の沖縄闘争に行きついたのである。今は逆に沖縄からの政府に対する異議申し立て運動が次の時代の運動を指示しているように思う。そのことを考えるとなおさらのことなのだ。1960年に国会を取り巻き意思表示した人々は、今、沖縄で日米政府の合意に反対の意思表示している人々と重なるのである。先のところで語った「敗北の構造」と関連させれば、国家からの自立をめぐる闘争の歴史と現在ということになる。さしあたって、僕はここから50周年目の安保のことを語りたいと思う(続く)。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion013:100611〕
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