世界のノンフィクション秀作を読む(24) マリ・エレーヌ・カミユの『革命下のハバナ』(筑摩書房刊、真木嘉徳:訳)――キューバ革命大詰めの迫力ある目撃記(下)
- 2023年 9月 11日
- カルチャー
- 『革命下のハバナ』ノンフィクションマリ・エレーヌ・カミユ横田 喬
◇カーキ色の救世主(続) 通過する村という村は煌々と明かりを灯し、夜更けにもかかわらず歩道の上に沢山の人だかりがしています。彼らは「解放者」(フィデル)の通過を見逃さぬよう、四十八時間前から同じ場所で待っている様子でした。途中の検問でフィデルの今夜の宿営地はシィエンフェゴスと知れる。悪路や通行止めの障害をなんとか突破し、目的地へ。
午前二時、目当ての地方都市に到着。フィデルは全住民が集まった公園で演説中でした。彼は市庁舎バルコン前の演壇に起立。背景には巨大なキューバ国旗が翻ります。彼は非常に背が高く、カーキ色の制服にガッチリした体格を包んでいた。例の伝説的なヒゲは非常に黒く、よく縮れていて、先端は何本かの筆のような形になっていました。
フィデル・カストロの話はゼスチュアたっぷりなキューバ式の雄弁でした。鼈甲の大きな眼鏡をかけたり、外したり。バチスタ政治について語る時は、威嚇するかのようにそれを振り回す。額から汗の筋が幾筋か滴り落ち、彼は演説をやめ、大きなハンカチで拭った。
私たちは演壇の下の群衆に混じって、彼の演説を聞いた。数分たたぬ間に、私たちはフィデル党になってしまった。彼はドミニカの予言者のように雄弁で、街頭商人のように人を惹きつける魅力を具えている。彼は地上の幸福を信じなくなった人々に再び信念を与え、長年の恐怖政治下に不安な日々を送っていた人たちを、たった一言で笑いほぐすことができた。
彼は次に強い意志を込めて自分の政策を説明し始めました。▽逃亡した政府役人たちが掠め取ったキューバの土地を取り返し、農民に再分配する▽労働者および小規模商工業従業員の最低生活基準を引き上げる▽教育を振興して、ろくに読み書きのできぬキューバ農民をなくす▽バチスタ政権下で父母を殺された幼い孤児のため、児童福祉村を創設する▽軍隊再編成へ階級を整理する▽警察を全廃し、一人も悪人のいない国家を建設する等々。
一つ一つの項目ごとに嵐のような喝采が湧き、「フィデル万歳!」の声が起こり、演説を中断させる。老人たちは頭を振り、感動の余り、涙を流しました。若者たちは歓声を上げて満足を表明し、喜びの余り、足を踏み鳴らした。
演説は延々と続き、いつ果てるか見当もつかなかった。が、彼の忠実な秘書とヒゲ男たちは彼のために気を配り、演説を打ち切ることに。フィデルは数人のアメリカ新聞記者を含めて、私たちに会うことを承諾し、ごく内輪の記者会見が行われる運びになります。
◇フィデル・カストロ会見 市庁舎の小さな市長室で会見が始まった。六、七人のアメリカ人の新聞記者に対し、フィデルは恐ろしく不機嫌でした。「君たちだな、こんなデタラメ記事を書いたのは!僕は共産主義者ではない。アメリカ人が、その点で僕に攻撃を加えるなら、お返しは必ずするよ。僕はアメリカ贔屓じゃないからね」。アメリカの記者たちはたじろぎ、一歩後ずさりした。彼は私たち二人には、ひどく慇懃でした。彼は口を切ります。
――私は革命の始祖であるフランスの方に<革命>を(新婚の)お祝いに差し上げたい。私はフランスとフランス人贔屓です。貴方の新聞が、欧州で他に先駆けて私のことを報道して下さったことを忘れません。私のヒゲをカラー表紙に出して下さったことを感謝します。
彼は相好をくずし、子供のように笑った。彼は全世界の新聞を知っていて、どの新聞が、彼についてどのように報道したかを正確に知っていた。山奥にあれほど長く立てこもっていたにも拘らず、何もかも実によく知っているのには、私たちは驚いた。彼は言いました。
――革命が成功すれば、田舎に引退してモデル農場を経営するのが私の夢なんです。私は土地を愛し、個人的な政治的野心は全然ありません。が、国が私を必要とする限りは政府の命ずるままに行動したいと思う。私の役割は未だ終わっていないようですから。
◇革命軍ハバナ入城 教会の鐘が盲打ちに鳴り出し、大砲の音が轟き始める。街路の果てに歓呼の嵐の中を進んで来る行列が見えます。先頭はフィデル。数人のヒゲ武者に囲まれ、銃を肩に、ジープの上に突っ立つ。熱狂した観衆が雨霰と投げかける花と紙つぶての中、しきりに眼をしばたいているのは、疲労のせいか、感動のせいか。オーケストラの指揮者が、(自分より楽士の方に拍手を)と指揮棒で聴衆を誘導するように、フィデルは歓呼する群衆に対して自分を取り巻くヒゲ武者(無名の英雄)たちを指し示すのでした。
ヒゲの勇者たちは数百名。戦車・ジープ・トラックに乗って進んできます。無帽のまま起立し、感激を噛みしめている。美女ぞろいの「愛国者」ばかりが乗り組む戦車も登場し、歓呼とどよめきが湧きます。数台のジープには制服の娘たち(酒保係や看護婦など)が一杯乗る。行列の最初の訪問先は「海軍」でした。フィデルの運動に真っ先に合流したのは「海軍」だったから。フィデルは車から降りて水兵たちと握手し、人の波の中に消えて行きました。
「監視もないのに、車から降ろすとは」「皆が皆、味方だと思い込んでいるらしい」。一人のアメリカの新聞記者が私の耳に囁いた。ともかく、フィデルは首尾よく大統領官邸に辿り着き、待っていたウルチア(臨時)大統領と会談。バルコンに姿を現わし、こう挨拶した。
――私は貴方がたを暴君から解放した。人民を抑圧した暴君から・・・。悪政を非難する勇気ある人々を虐殺した暴君から・・・。我が国の近くにある某大国は今、私を共産主義の手先として非難している。バチスタお抱えの殺し屋たちを地方で処刑したという理由で、私を人殺しとして非難している。(中略)が、彼ら(犯罪人たち)の運命を決定するのは貴方がたキューバ国民だ。私は人殺しではないから。来たる水曜日、この同じ場所で人民大集会を開き、貴方がたの判決を仰ぎたいと思う。
ハバナ市内は、どの店も閉店しました。市民は誰でも自由にフィデルを迎えに行くよう、指示された。街の角にはフィデルの「記念品」を売りつける商人が現れた。反乱軍の制服姿の彼のあらゆるポーズの写真。フィデルだけの写真、ヒゲ武者の真ん中のフィデル、そしてシエラの岩の上のフィデル、全身像、半身像などなどでした。
③嵐の後
◇暗殺者の公開裁判 コリゼはハバナ市の外れにある超近代的な室内競技場。一万八千の観覧席はスポーツの催しなどがある度、満員になります。が、今日は入場無料の珍しい見世物、バチスタ時代の暗殺者たちの公開裁判が始まった。二万人余の観衆は軍法会議裁判官の入場を起立~喝采して迎えました。「この裁判には裏も表もない。キューバ人は自由に傍聴してよろしい」とフィデルは言ったのです。
この軍事裁判の「真相」を全世界に知らせるため、招待された新聞記者たちは壇上近くに陣取りました。最初の被告はH・S・ブランコという、元憲兵司令官です。フラッシュが盛んに焚かれる中、身動き一つしません。大柄な美男で、髪に少し白いものが混じり、明るい眼。一目見て思わず魅惑されそうな、いい男でした。
――被告は、今まで行った百八人の暗殺について、人民の前で答えねばならない!
ブランコは驚いて眉を上げた。裁判官は彼の調書に記録されている犯罪の数々を読み上げ、「何か異存はないか?」と糺す。彼は直立不動のまま、筋の通った自己弁護を始める。
――はい、私はバチスタの命令によって、公共の秩序に有害な危険分子を数人、処刑せざるを得なかったことを認めます。しかし、それは法律の手続きを踏んでの上であり、・・・。
観衆は手摺りから身を乗り出して叫び、悪罵を彼に浴びせかける。ブランコがなおも弁明を重ねると、観衆の怒りは倍加する。いきり立った連中は被告を目がけ、殺到した。ヒゲ武者たちは秩序維持のため、銃の床尾を用いなければならなかった。
証人たちの陳述が始まると、事態はさらに悪化する。陳述中に随分滑稽なやりとりが挟まるので、悲劇的な裁判が喜劇的になり、二万人の観衆は<死刑にせよ!銃殺せよ!>と叫んでいるかと思えば、腹をかかえてゲラゲラ笑った。証人の大部分はオリエンテ州の農民である。その多くは文盲で、裁判官の質問の意味がよく分からなかった、と見えます。
街のテレビ受像機で休んでいるのはありませんでした。みんなが見ていて、みんなが注釈を加え、みんなが批評していました。市民は自宅に居ながら、笑ったり、怒ったりしていたのです。被告の処刑を喜ばないハバナ市民は一人も居なかったようでした。
▽筆者の一言 フィデル・カストロ(1926~2016)生存中のハバナの街中には、彼の写真などは一切飾られず、個人崇拝を避けようとする気配があったといわれる。代わりに盟友だった故チェ・ゲバラ(キューバ革命での闘士。南米ボリビアで闘争~39歳の若さで処刑死)の遺影などが飾られていた、とラテン音楽ギター奏者のアントニオ古賀氏は証言している。2000年夏、差しで乾杯~歓談した折、カストロは言ったそうだ。「(チェ・ゲバラを指し)彼らは早く死んで幸せだった。私はこの齢になるまで、ずっと政治をしてきた。長生きをしてしまったから、まだまだ(やり残している仕事を)やらないといけないのだ」と語った、という。
私はカストロという人物は、どこか含羞の風情が感じられ、個人的には好きだ。
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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