野田の勝利は何を意味しているのか?幹事長人事は何を意味するのか?
- 2011年 9月 1日
- 評論・紹介・意見
- 安東次郎幹事長人事民主党代表選
8月29日の民主党代表選での野田(敬称略―以下同様)の勝利は、何を意味しているのだろうか?
この代表選、一般には「小沢vs.反小沢」と理解されていたが、勝利した野田新代表は幹事長に(小沢に近い)輿石を据えた。この人事から見ると、今回の選挙戦、実は『別の意味』を持っていたと考えるべきではないか。
選挙戦の『別の意味』を端的に表しているのが、野田と前原の『二位』争いだった。
この二人、前原が従来のジャパンハンドラーズの系列であるのに対して、野田は、米現政権主流に繋がっている、とみられる。
(この点については次の記事を参照。http://chikyuza.net/archives/12954 http://chikyuza.net/archives/13174 ともに中田安彦による。)
アーミテージ(ジャパンハンドラー)と前原のつながりについては、孫崎享もたびたびツイッターで取り上げている。(たとえば、昨年11月時点でアーミテージによる前原首相実現工作の情報。http://twitter.com/#!/magosaki_ukeru/status/2031017045004288 )
一方、首相となった野田は、さっそくガイトナー(財務長官)をパイプにして、大統領との会談を申し込んでいる。「対米従属」といっても人脈は相当に違う。
以上の点をみると、前原vs.野田の(マスコミをも巻こんだ)争いは、ワシントンの権力闘争の一部といえるわけだが、グローバルな視点からすれば、こちらの方がむしろ今回の代表選の『本質的』意味だったのではないか?
もうすこし別の視点を導入することもできる。米中という二大パワーの「ゲーム」という視点。
こういう視点で、分析している人は少ないかもしれないが、たとえば〈今日のぼやき「1243」http://www.snsi.jp/tops/kouhou 〉(副島隆彦)。
直前にはバイデン副大統領が訪中(8月17日から22日)しており、米中のディールの一部に「日本の首相問題」が入っていたとしても、不思議ではないだろう。
(〈副大統領訪中で米国が見せた「上げ潮」中国に対する配慮〉http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/20457(柯 隆 Ka Ryu)参照。柯 隆は〈米中間でどのような「密約」がなされたかは定かではないが、中国から得ようとする経済協力の重要性から、一時的に中国に配慮、または譲歩した格好となった〉と言う。 )
ディールが「中国は引き続きドルを支え、米国は『対中封じ込め』を『放棄』する」というものであれば、『対中封じ込め』のツールである前原は外れて当然。
こういう推量が「荒唐無稽」と思われる方は、かつて「列強」が小国についてどんな取引をしてきたか、あるいは周恩来とキッシンジャーが日本の頭越しに、なにを話し合ったのか、歴史を思い起こしていただきたい。
もう一つ重要な点は、野田(の背後にある勢力)と小沢派とのこれからの関係。輿石を幹事長に据える戦略はかなり前から準備されたものだという。
(「幹事長に輿石氏・・・」http://chikyuza.net/archives/13272(瀬戸栄一)参照。
東京新聞2011年8月31日3面も〈幹事長ポストについて「輿石氏しかないと二か月前から検討していた」(周辺)という〉としている。)
これは、野田の背後にある勢力自体が、小沢派に対して、『所領安堵』に方針転換したということではないのか。
即断するのは、もちろんまだ早いだろう。
しかし輿石は幹事長に就任して早々、小沢の復権を示唆している。
(日本経済新聞 2011/8/31 20:02 は、〈民主党の輿石東幹事長は31日午後、小沢一郎元代表について「この難局に参加してもらいたい。皆さん異論はないと思う。・・・」〉としている。)
それは『小沢問題』についてのある種の『合意』を想像させる。もちろん、小沢の元秘書の裁判では、検察側の証拠が大量に不採用になる有様だから、小沢復権は当然のことだ。しかし野田の背後にある勢力が、どうしてこの転換を容認したか、という疑問が生じる。
この間『従属国』日本の政治から、小沢などのジャマものを排除する、というのがジャパンハンドラーズの方針であったことは疑いえない(その手先が検察・マスコミであった)。
しかし「無能な人物」や「イエスマン」を『代官』に据えるとどうなるか。これについてはすでに孫崎享が次のように指摘している。
〈米国の対日政策:日本を去勢したのも意のままに操り利益絞るため。去勢の結果、管理出来ず利益出ない国になれば元も子もない。米国経済界その危険に気付き始めたのでないか。〉http://chikyuza.net/archives/10385
(また、これに関連して、〈『脱原発』と「戦後との決別」をめぐって〉http://chikyuza.net/archives/10448(相馬千春)は、〈[ギャラハーとロビンソンの]「自由貿易帝国主義」を読むと、『従属国』の「直接支配」が、しばしば、かえって管理を困難にし、本国の利益を減少させることに、あらためて気付かされる〉としている。 )
また、日本における米国の軍事的プレゼンスが劇的に変化する可能性も少なくない。
たとえば、〈Toshi Yoshihara米海軍大学准教授が、在日米軍基地は今後重要となる戦域から遠すぎるうえ、中国のミサイルの射程内にあって非常に危険だと断じ、米海軍力の少なくとも一部を豪州に移管する必要を強く説いている。〉 http://holyland.blog.so-net.ne.jp/2011-07-29-2
このような情勢を考えると、野田の背後にある勢力が、小沢派をある範囲内で許容するとしても、それは『合理的な選択』であろう。(もちろん、このような『推量』が当たるかどうかは、現時点ではまったく不明である。)
さて今回の代表選では、小沢の「戦術ミス」が敗北につながったとの指摘も多い。これを契機にネットでは「小沢に愛想が尽きた」という声もでている。しかし『海江田政権』を背負って矢面にたつのと、野田政権下で政治的『陣地』を確保するのと、小沢派にとって、はたしてどちらが『合理的選択』だったのだろうか。
以上のように『推量』してみるのは、もちろん「小沢支持者」を慰めたいがためではない。むしろそれは、小沢の「首に鈴がつけられた」ことを意味することにもなろう。たしかに小沢派からすれば、政策の実現よりも、生き残ることが先決だ。しかし国民は、それをやむを得ざる「臥薪嘗胆」と見るだろうか。
「やっぱりオザワはダメなのか」、あるいは「それでもオザワしかいない」のか。人により考え方は様々だろう。
しかし外国の代表や電力会社の代表ではない、『国民』の代表を育てなければならないことを痛感させられた『代表選』であったことだけは、たしかだろう。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0604 :110901〕
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