淇谷の「関東大震災絵巻」を見る:暴力のコード化について
- 2024年 1月 22日
- 評論・紹介・意見
- 朝鮮人虐殺髭郁彦
新大久保にある高麗博物館で去年の7月5日から12月24日迄、「関東大震災100年―隠蔽された朝鮮人虐殺」という企画展が開催されていた。11月のある晴れた日、ちきゅう座の運営員のMさんと一緒にこの企画展に行った。Mさんは、以前、朝鮮人虐殺問題について、ちきゅう座に掲載されていた記事で言及していた。
「関東大震災100年―隠蔽された朝鮮人虐殺」のメインの展示物は今回初めて一般公開された淇谷という画家 (この人物が誰かははっきりと判明していなかったが、福島県の元教師大原彌市であると、この絵を発見した高麗博物館前館長の新井勝紘はこの企画展の図録の改訂版で述べている) の「関東大震災絵巻」であったが、この絵巻は二巻セットになっており、二つの巻を合わせて30mもあるが、企画展では朝鮮人の虐殺が描かれた一部分が見られるだけであった。これとは別に画家の河目悌二の水彩画の写真パネルと当時10歳だった少年が描いた朝鮮人虐殺を描いた鉛筆画の写真パネルも展示されていたが、一目見ただけでは、虐殺場面の強烈な印象が残る絵だとは思われなかった。だが、記録性という点では関東大震災時の朝鮮人虐殺の模様が視覚的に見つめられる貴重な史料である点は否まれない事実である。それがこの企画展を見た時に印象であったが、その後、ある大学の図書館で佐藤冬樹の書いた『関東大震災と民衆犯罪:立件された一一四件の記録から』(以後サブタイトルは省略する) という本を見つけ、その本を読み、「暴力のコード化」という問題が頭から離れず、このことについて考察する必要性を感じた。そう、私にとって関東大震災の時に起きた朝鮮人虐殺という問題は、歴史的な問題でも、日本人の国民性の問題でもなかった。それは暴力性を巡る問題を真摯に考えるための一つの衝撃的な事件に思われたのだ。
だがもちろん、この短い論考の中で、こうした大きな問題を詳細に論述することは不可能である。ここでは一つの事件を通して、暴力がどのような形で顕現し、それが虐殺を生み出し、忘却されていくのかという点を中心として探究したいと思うが、特に、以下の四つの視点を検討していこうと考えている。一つ目は前述した『関東大震災と民衆犯罪』に書かれたことを検討しながら、朝鮮人虐殺の背景となった史的状況を考察しようとする点である。二つ目は朝鮮人虐殺事件を基にして書かれたキム・セジョンの『飴売り具學永』(山下俊雄、鍬野保雄、稲垣優美子訳) という小説の読解を通して、物語化された朝鮮人虐殺から垣間見れる事象について考えていこうと思う。三つ目は映画監督の森達也の書いた『虐殺のスイッチ』の中で示された虐殺のメカニズム解明にとっての核心的概念としての「集団思考 (groupthink)」における「同調圧力 (peer pressure)」という点を探求していく。四つ目は「集団思考」を支える隷属性には方向性が存在するが、この方向性についてフランスの思想家エティエンヌ・ド・ラ・ボエシが書いた『自発的隷従論』という本を分析しながら検討していく。これら四つの視点から朝鮮人虐殺問題を考えていこうと思う。
『関東大震災と民衆犯罪』の考察
この著作は様々な史的資料に基づく優れた研究書である。この本で注目できる問題は数多くあるが、ここでは虐殺問題を概括するために必要であると考えられる以下の三つの問題に注目したい。それは「公的機関の流したデマ」、「自警団組織」、「朝鮮人というコード」である。この三つの問題に対する考察を行うことで、朝鮮人虐殺問題が歴史的な一事件としてだけではなく、イデオロギー的にも、心理学的にも、社会学的にも、つまりは、総合的に検討できると思われるからである。
第一のものに関しては以下の事柄について述べることができる。朝鮮人虐殺の主要な原因として流言飛語というものが、虐殺の主要原因として何度も主張されてきた。そこには虐殺の罪を一般大衆に転嫁させようとする公権力の操作が見られるという点をこの本では強調している。佐藤冬樹は関東大震災が起きた9月1日から翌日にかけて警察がデマを広げたことを多数の史料で、検証し、「すでに一日夕方、駒込曙町 (現文京区) の交通巡査は「不平鮮人の殺人放火に注意」と地元自警団のもとへ二度も知らせに来ていた。上野公園では巡査が朝鮮人放火に注意するようにふれまわった。二日早朝、東京市麻布区 (現港区) では「不逞朝鮮人が攻めてくると、麹町区 (現千代田区) でも「日本に不平を抱く不逞朝鮮人がこの天災に乗じて市内各所に放火したそうだ」と巡査が戸別訪問して警戒を呼びかけた」と書いている。また、「震災当夜、警視庁ナンバー2の官房主事正力松太郎は、流言蜚語に裏付けがないことを確かめたにもかかわらず、「朝鮮人がむほんを起こしている」旨「あっちこっちで触れてくれ」と新聞記者に頼んでまわった。(…) 新聞各社も「朝鮮人暴動勃発」と手摺りの号外を各所に貼りだした上、大々的に報道した。デマと虐殺の拡散において警察と新聞各社は共犯であった」という重大な指摘も行っている。すなわち、民衆による流言蜚語は、実際には、公権力が流したデマが原因であり、マスコミもそのデマの拡大に手を貸したのである。さらに、9月2日に内務省警察局長後藤文夫が各地方長官に海軍無線電信所船橋発信所から朝鮮人暴動について打電した事柄について、「内務省は「東京市内での朝鮮人による放火・爆破」を公に認め、在留朝鮮人の徹底的な取締を要請したのである。同時に東京近県にも通牒を発し、各町村は、消防組、在郷軍人会、青年団と協力して朝鮮人への警戒に当たるように指令した」と記述している。これは朝鮮人や社会主義者虐殺の方向に大衆誘導を公権力が意図的に行ったという証拠となるものではないだろうか。流言蜚語ではなく、公権力のジェノサイド指令が関東大震災時に行われたと断言してもよいと私には思われる。
第二の問題である自警団の組織化について、自警団は関東大震災時に組織された組織のように書かれることが多いが、この組織は震災以前にも、すでに多数存在していた。佐藤冬樹は「名称はさまざまだが自警団類似の団体は、震災の数年前から、警察の肝いりで各地に結成されていた (…)。だから、役場と消防組、在郷軍人会、青年団の幹部は、いざというとき「地域を守る」やり方をよく分かっていた」と書いている。また、「民衆の警察化」を押し進めていたと佐藤は述べ、「(…) 民衆をたぐり寄せて支援者・後援者を育て、暴動が起きれば自ら鎮圧にあたるような下部組織を作ることであった。それには地域の要となる有力者を警察活動に巻きこまなくてはならない。その第一歩が保安組合、すなわち自警団の結成であった」とも書いている。このことは何を意味するだろうか。それは自警団が民衆的組織と言うよりも、警察の下部組織として機能していたことを意味しているのではないだろうか。つまりは、虐殺は国家権力とは無関係とする関東大震災以後も常に変わらない政府見解が虚偽の色を強く帯びていることを示していると述べ得る歴史的な証拠となるのである。
第三のものに関しては以下のことが述べられる。コードというのは記号学的に見れば、メッセージとその意味内容が単純に、一義的に結びついている記号である。記号はある事象を抽象化したり、単純化したりするものであるが、コードは単純化が強烈な記号と捉えることができる。〇でなければ×であり、それ以外はあり得ない。そうしたものをコードと呼ぶことができる。「朝鮮人だから悪」、「朝鮮人だから殺す」という虐殺の理由はまさにコード化である。そこにはもちろん、理性的な思考の停止や集団思考という大問題が孕まれているが、この二つの問題は後続するセクションで検討することにして、ここではコード化という点だけに絞って見ていく。佐藤は上記した本の中で、「自警団にとって目の前の人々は、「おまえたち」朝鮮人の一員であった。「おまえたち」が家を焼き、毒を放ち、兄弟や親戚を殺害した。「おまえ」も朝鮮人なのだから報いを受けよ。一人一人が「犯罪」に関与しているかどうかは関係がない。朝鮮人であるだけで十分だ。朝鮮人は日本人の仇だから殲滅する。これが自警団の理屈ではなかったか」と主張しているが、「朝鮮人は日本人の仇だから殲滅する」という単純化はまさに理性的に熟考することとは正反対のコード化である。そうであったからこそ、思考判断が一方向にしか向かわず、あらゆる懐疑が暗黙の裡に許されず、グループの構成員全てが同じ判断を行い、それゆえに、虐殺が正当化され、実行されたのだ。
『飴売り具學永』について
キム・セジュンは関東大震災後に実際に起きた事件に基づき、この小説を書いた。事実に基づいているとは言えフィクションである。だが、物語化されることによって明確化される問題も存在するゆえに、ここではこの著作を通して、朝鮮人虐殺問題について考えてみたい。震災前、朝鮮半島では激しい独立運動が起き、朝鮮を植民地化した日本政府はこうした運動の拡大を恐れ、大弾圧を行っていた。しかしながら、日韓併合によって、多数の朝鮮人が日本国内での下層労働を行うために、朝鮮半島から海を渡ってやって来た。こうした朝鮮の殆どの人々は政治的であるよりも、経済的目的で日本に渡ったのである。
『飴売り具學永』の主人公の具學永は関東大震災時に虐殺された数千人の朝鮮人の中で唯一名前が判っている青年である。関東大震災朝鮮人虐殺問題での異常さの中で、私が衝撃を受けたことの一つに、数千人の犠牲者の中で、現在、名前が判っているのがたった一人であるという驚くべき事実がある。関東大震災時に同じように虐殺された数百人の中国人や数十人の日本人が存在したが、そうした犠牲者の中で、名前が判明している人物は多数存在している。このことは朝鮮人虐殺への政府の介入を思わせる、あるいは、何らかの真実の意図的隠ぺいの臭いがこの点からも感じられる。この側面に対する検討は重要であるが、後のセクションに回し、ここでは具學永の話に戻そう。たった一人だけ名前や年齢、出身地などが判っているゆえに具學永の物語は象徴性を持ち得る。それだけではなく、当時の日本人の中に、彼の墓を建てた宮沢菊次郎のような人間もいたという事実を理解できるという意味も持っている。
この物語は複雑ではない。震災後に、埼玉県寄居町の警察署に保護されていた飴売りの具學永という28歳の朝鮮人が、9月6日深夜に自警団に襲撃され、惨殺されるまでの物語だ。短編小説ではあるが、事実に基づき、具學永と宮沢菊次郎が友人関係にあったことや虐殺を行った殆どが寄居の自警団員ではなく、隣村の用土村の自警団員であったこと (用土村はその後、寄居町と合併し、現在は存在しない)、菊次郎が建てた具學永の墓は現在も寄居町の正樹院に残っていることなどが書かれている。
史実に基づく点で、具學永惨殺事件が起こる前の9月5日には熊谷市などで数十人の朝鮮人が殺されていた情報が流れていた点、具學永の虐殺が主に興奮した隣村の用土村の自警団によって行われた点、用土村の自警団の一人が寄居町の警察署に具學永が保護されていて、彼を不逞朝鮮人として殺害しようと提案した点 (小説ではこの煽動者は斎藤という具學永を嫌う寄居町にいたせんべい売りとなっている) は重要である。不逞朝鮮人の暴動という流言蜚語はすでに拡散されおり、それに基づき、虐殺が各地で起きていたのだ。虐殺を主導したのが自警団である。この物語の中にあるように、全ての市町村の自警団員が朝鮮人虐殺に加担した訳ではなかった。だが、不逞朝鮮人の暴動により東京で多くの死傷者が出たというデマを信じ、怒り、同胞の仇を討つと言って興奮した自警団員が数多くいたのは事実である。興奮した自警団員はデマゴーグの言葉に騙され易い状態であり、彼らはすぐに凶暴化していったことも事実である。キム・セジュンのこの小説は物語であるゆえに、そのアレゴリーの力によって、史実以上に朝鮮人虐殺事件の中核的問題を抉り出しているのだ。
集団思考は虐殺を生むか?
上記したように森達也は『虐殺のスイッチ』の中で、虐殺が起きる大きな原因として同調圧力という問題があることを指摘している。森は人間が、「危機や不安を感じて集団化が加速するとき、個 (自分) の感覚では全体の意思に即して働こうとする」と書いているが、ここでは全体が同様な動きをするように直接的に、あるいは、間接的に強要する同調圧力が機能している点を強調している。この同調圧力によって、集団思考が生み出されるのであるが、同調圧力の働きとして、「排除することではなく連帯すること」という森の指摘は根本的な意味を持つ。グループ内の結束を高めるために考えを一方向に向かわせ、同じ行動を取るように促す。それによって、そのグループはより堅固な結束が高まっていくのだ。この現象は関東大震災における朝鮮人虐殺問題でも、明白に存在していた。
ここで私は、アメリカの社会心理学者であるアーヴィング・ジャニスが提唱した集団思考という問題について考えてみたい。ジャニスは『集団浅慮―政策決定と大失敗の心理学的研究』(細江達郎訳:以後のジャニスの言葉の引用は全てこの著作からである) の中で、詳しい分析を行っている (ジャニスのgroupthinkを細江は「集団浅慮」と訳しているが、「浅慮」は意訳し過ぎている思われるため、ここでは表題以外では「集団思考」と訳す)。ジャニスはこの本において、有能な構成員によって形成されているグループ内で、冷静に考えればあり得ない愚かな意志決定がなされることを集団思考と述べている。集団思考が現れるのは特殊な集団の中だけではなく、集団思考を免れる人間は誰もいない点をジャニスは強調している。
ジャニスの分析は国家レベルでの政策決定を行うエリートグループでさえも集団思考によって愚かな政策が決定される点を多くの資料を基に緻密に分析しているが、このテクストで問題となるのはこの点である。エリートグループでさえも集団思考によって、冷静な判断が行われないならば、限界状況下では尚更愚かな行動がなされて当然である。関東大震災時の朝鮮人虐殺においては集団思考が集団狂気へと展開していったが、こうした限界状況下で、情報も乏しく、冷静な判断力のない一般大衆においては、集団思考は更に強化されていくものである。
集団思考の原因として注目されるものとして、先程指摘した同調圧力というものが挙げられる。ジャニスは集団決定が個人的決定よりも問題解決の処理スピードやその確認の正確さといった利点を指摘つつも、「(…) 集団によってなされる決定のこの決定は、メンバーたちが緊密に作業し、同じ価値を共有し、とりわけメンバー全員が親和性への強い欲求を生み出すストレスにさらされる危機的な場面に直面したときに現れる心理的圧力により、しばしば失われる」と語っている。更に、「こうした状況では同調圧力が支配的 (…)」であると指摘している。ジャニスは同調圧力によって愚かしい政策が行われた例として、ケネディ政権下のビックス湾事件、トルーマン政権下での朝鮮戦争勃発、ケネディ政権下のビックス湾事件、ジョンソン政権下のベトナム戦争のエスカレーションでといった出来事の詳細な分析を行っているが、こうした同調圧力は集団内で強力に作用するのだ。関東大震災という未曽有の事態が起きた中で、そこで働いた同調圧力が如何に恐るべきものがあったかは容易に想像できるに違いない。
隷属の方向性
16世紀のフランスの裁判官及び思想家でモンテーニュの友人だったエティエンヌ・ド・ラ・ボエシは『自発的隷従論』の中で、権力者に自発的に従う民衆を考察し、「(…) 隷従か自由かを選択する権利をもちながら、自由を放棄してあえて軛につながれているのも、みずからの悲惨な境遇を受けいれるどころか、進んでそれを求めているのも、みな民衆自身なのである」(山上浩嗣訳) と述べている。ここには権力者の言説を簡単に信じてしまう民衆の問題が端的表されている。ド・ラ・ボエシはこの本の中で、民衆の一人一人が主体的に思考し、行動するよりも、誰かの、特に、民衆がリーダーと思っている人間の意向には、それが如何に過酷なものでも、喜んで従う傾向にあることを論証している。
「(…) 民衆は、隷従するやいなや、自由をあまりにも突然に、あまりにもはなはだしく忘却してしまうので、もはやふたたび目ざめてそれを取りもどすことなどできなくなってしまう。(…) あたかも自由であるかのように、あまりにも自発的に隷従するので。見たところ彼らは、自由を失ったのではなく、隷従状態を勝ち得たのだ、とさえ言いたくなるほどである」という発言も重要である。自由であることが何よりも価値があると考えた16世紀と17世紀のモラリストや18世紀の啓蒙主義者にとっては、まったく理解困難なことであるからだ。だが、こうした従属を求める意識は古くから存在しており、それが、生まれた環境によって当然のこととなるという分析をド・ラ・ボエシは行っている。例えば、古代における、スパルタの国民とペルシャの国民との差異を比較することで。それゆえ、人間は生まれながらにして、自由を求め、生きている限りそれを求め続けると考えることはできないのである。ある状況下で、人間は自由よりも隷従を強く望むのである。
この本にはもう一つ注記しなければならない発言がある。それは、隷従させられた民衆についての、「(…) 神からも人からも見放され、捨てられたこの連中は、その悪に喜んで耐える[※民衆が圧政に忍従すること]。それとひきかえに、自分に悪をなす者に対してではなく、自分と同じようにひたすら耐える無力な者たちに対して、みずからも悪をなすのである」という記述である。弱者が強者と戦うのではなく、弱者はより弱いものを抑圧し、苦しめるのだ。この発言に類似したことを森達也は上記した本の中で、虐殺に関して、「(…) 一つだけ条件がある。やられる側が少数であるか弱者であることだ。その少数の集団を、多数派の集団が攻撃する」と語っている。問題となるのは、より弱いという事柄や、より少ないという事柄である。自分たちよりも強い者や多数者に対して、民衆と呼ばれる被支配者がいとも簡単に従属すのに対するのとは真逆の反応が存在するのである。この抑圧の方向性が下へ下へと向かう問題を私は「圧力の下降性」と呼ぼうと思うが、この現象は虐殺のメカニズムの一つの根本的な要因であると考えられる。
この論考で考察した問題全体に対するまとめを行おうと思うが、ここでは、「下部組織の存在」、「権威者の発言」、「自発性の困難さ」という三つの側面から探求を行っていく。何故なら、この三つの側面を検討することによって、虐殺をもたらす暴力の問題がより明確に探究できると考えられるからである。
最初の側面については以下のことが述べ得る。権力に従属する下部組織が存在することは、往々にして暴力的な支配を促進させる。ナチスドイツにおけるヒトラーユーゲントやSAやSSといった組織は、元々はナチスを支えるための下部組織である。それがナチスの勢力の強大化によって大組織となり、ナチスの悪を実際に行っていく機関となった。権力側と直結する組織は権力者の意向を即座に反映するという特徴を持っている。関東大震災時の朝鮮人虐殺問題に関して言えば、自警団も警察機構の下部組織として、同様の機能を担っていたことは上記した通りである。そして、そうした組織内では暴力のコード化が容易に起こってしまう。分裂病者のコード化に関して、ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリは『アンチ・オイディプス―資本主義と分裂病』(宇野邦一訳) の中で、「分裂病者はひとつのコードから他のコードへと移行し、すばやい移動のうちにあらゆるコードを攪乱し、提起される質問に応じながら、日々同じ説明を与えることがなく、同じ系譜を引き合いにだすこともしない。また、同じ出来事を同じ仕方で登録することもしない」と語っているが、これとはまったく逆のコード化作業を、集団的暴力を行う組織の構成員は実施する。つまりは、暴力的発想はすぐにコード化され、構成員に常にそうしろという命令を行う。コードの変更は許されず、コード化された事象は絶対的なものとなる。それが、暴力のコードを支える。常に変わらないと思い込ませ、このコード化しかないと思い込ませる強力な支配力を暴力のコードというものは内包しているのだ。それゆえ、その力によって洗脳された構成員は、虐殺がどんなに不条理なものであっても、その不条理さをまったく考えずに、行動するのだ。それだけではなく、コード化されたものは忘却し易いという傾向もある。こうした現象は関東大震災時の朝鮮人虐殺においても顕在化したものだ。
二つ目の側面について考察しよう。ホセ・オルテガ・イ・ガセーが名著『大衆の反逆』の中で、「(…) 大衆人が新しく登場したモラルを尊重し、旧来のモラルを軽視しているというのではなく、大衆人の生の中心的な願望がいかなるモラルにも束縛されずに生きることにあるということなのである」(神吉敬三訳) と書いている。大衆は元来道徳意識が高くはないが、近代以降、完全に自らの生活についてしか考えなくなったとオルテガは主張している。そんな大衆が、パニックに陥った状況下で正しい判断力を示すことは奇跡的なことである。また、パニックに陥った集団においてだけではなく、日常性を生きているわれわれにおいても、譬え道徳的なものではなくとも、権威者の発言は疑いなく信じられてしまう傾向が多々存在する。アメリカの社会心理学者のスタンレー・ミルグラムが行った有名なアイヒマンテストは、グループ内の同調圧力だけではなく、一般大衆は権威者の力に簡単に屈してしまうことを明白にした。この結果は特殊な状況下でなくとも、一般大衆は権威的力に対する抵抗力は極めて脆弱であることを示した。そうであるならば、パニックに陥った大衆が権力者や権威的な何物かの発言を信じ易くなるは当然のことであると述べ得る。しかし、権威を無批判に信じることは、重大な結果を招く。関東大震災時に発せられた警察局長による電文、官房主事の発言、そうした権威者の言葉を単に垂れ流しただけの新聞記事、そうした権威と見做されている何物かが語ったことを大衆はまったく疑わずに、造作なく信じる。伝えられた情報が正確かどうかを、その発信源が権威ある何者かであっても疑うことの必要性を、関東大震災時の朝鮮人虐殺事件は、はっきりと物語っている。
三つ目の自発性の困難さという問題に移ろう。資本主義の発展に伴い、また、近代国民国家の成立によって、われわれはあまりにも大きな集団の中で生きざるを得なくなった。この大集団の中で自由や平等といったものを維持していくことは民主主義国と言われる国においても簡単なことではない。エーリッヒ・フロムは『自由からの逃走』(日高六郎訳) の中で、現代社会におけるアイデンティティー (自己同一性) に関して、「この同一性の喪失の結果、いっそう順応することが強制されるようになる。それは、人間は他人の期待にしたがって行動するときのみ、自我を確信することができるということを意味する」と述べているが、「他人の期待」という部分を「他人の指示」、あるいは、「権威者の命令」と言い換えることも可能である。近代以降、われわれは民主主義体制の下で自由や平等といった人間の尊厳にとって欠くことのできない権利を手にしたと思い込んでいるが、こうした根源的な権利は単に受け入れるだけでは、維持することが極めて困難なものであるのだ。何故なら、エマニュエル・レヴィナスが『困難な自由―ユダヤ教についての試論―』(内田樹訳) において指摘しているように、「ある物を製造することも、ある欲求を満たすことも、ある対象を欲することも、認識することでさえも、暴力である」と言うことができる。何故なら、われわれが行うあらゆる行為の中に他者を侵害する暴力が潜んでいるからである。そうであっても、われわれは自発的に自由を求め、それを保ち続けようとする強い意志を持つならば、そうした暴力性を超えることもできる。だが、高度資本主義を基盤とした社会では、自由から逃走しようとする民衆が、易々と暴力の魔力に捕らえられてしまう。関東大震災時の朝鮮人虐殺の考察によっても、自由な自発的な意志と、他者への尊重が、限界状況下では如何に困難なことかが十分に理解できる。
関東大震災における朝鮮人虐殺問題は、同時に起きた、中国人や日本人虐殺問題と共に、歴史的、社会的、心理的、文化的、思想的にこれからも探求されなければならない大きな問題である。この論文を終えるに当たって、最後に、次の点だけは指摘しておきたい。それは、レヴィナスが上記した本の中で述べている「対話という平凡な事実が、ある経路を抜けて、暴力の秩序からのがれる。この平凡な事実こそが驚異中の驚異なのである」という言葉と関係する事柄である。虐殺に対する真実の究明という問題だけではなく、われわれは暴力のコード化を如何に超えるのかという問題と向き合う必要性がある。そのための一つの答えとしてレヴィナスの言葉は大きな意味があると思われる。対話は何処にでもあるが、どのような状況下でも行われるものではない。どのような状況にあっても対話可能な主体であること。それは、レヴィナス思想の中心概念である他者の顔 (visage) を真に見つめることでもあると私は考える。他者の顔と向き合った対話は暴力を超える可能性を持つからである。
初出:宇波彰の現代哲学研究所のブログから許可を得て転載
宇波彰現代哲学研究所 淇谷の「関東大震災絵巻」を見る:暴力のコード化について (fc2.com)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion13502:240122〕
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