ブダベスト通信 大谷選手通訳の横領事件に思う
- 2024年 4月 11日
- 評論・紹介・意見
- 盛田常夫
金額の大きさを別とすれば、大谷選手の通訳による横領事件は何も珍しいことではない。小さな会社だけでなく、大きな会社でも、あるいは非営利組織でも、お金の出し入れを一人の職員に任せていれば、起こりうる事件である。騒ぎ立てるほどのことでもない。小さな組織の横領事件の多くは表ざたにしないで、解雇して後始末することが多い。横領金額が大きければ、それなりの法的手続きが必要になる。
アメリカ人は英語が世界言語だと思っているから、多くの人は外国語を話すことができなし、誰もが容易に英語を話せると考えている。だから、英語ができない外国人が、アメリカで銀行口座を開設し、お金の出し入れをオンラインで実行する難しさを理解できない。しかし、同様の問題はどこの国でも起こり得る。
大谷選手の資産管理の詳細は知らないが(知らなくても良いことだが)、資産管理と日常的な資金の出し入れ別問題である。帳簿記入や監査を会計事務所に任せていても、日常的なお金の出し入れは自分で行わなければならない。しかし、銀行とのやり取りがすべて英語でしか行われない場合は、誰かが手助けしなければならない。
そもそも外国で銀行口座を開設することすら簡単なことではない。どのような口座をいくつ開設するのか、口座によっては共同名義にすることもできるだろうし、代理人設定もできるだろう。出金認証手続きや出金限度額などの設定も、すべて通訳と相談しながら行われたと考えられる。家族のような役割をもった通訳を特定の口座の代理人に指定していたのかもしれない。その場合には本人の確認なしでも、
振り込みを実行することができる。一度に実行できる金額の上限が設定されている
が、とんでもない富裕層がいるアメリカの限度額は日本のそれに比べて途方もなく
大きく設定されていることは想像に難くない。
一緒に生活する家族がいない大谷選手にとって、日常生活の多くを頼める通訳はたんなる通訳ではなかった。生活を支えるかけがえのない役割を担っていた。しかし、いかに親しく、心を許せる仲だとしても、お金の魔力は別である。家族であっても金銭問題で揉めることがあるのだから、いくら親しくても他人にお金の出し入れを任せていれば、いつ横領されても不思議ではないし、すぐにそれに気づくこともできないだろう。
大谷選手が記者会見で資金流出の具体的な説明をしなかったことを批判する論調があるが、その詳細をメディアに話す必要性などあろうか。捜査関係者に説明することはあっても、一般メディアに説明する事柄ではない。まして、赤の他人にどの口座からどのように資金が流出したかを説明する義理もない。
7年もアメリカにいながら英語ができなのかという批判もあるが、幼稚園や小学生の児童なら日常生活や学校生活で自然に英語が学べるが、大人になってからの外国語の習得には多大の努力が必要だ。日常の生活言語が日本語なら、何十年外国に住もうと異国の言葉をわがものにすることはできない。まして、通訳が四六時中傍にいたのだから、英語を勉強する必要もなかった。日常会話程度なら何とか話せるようになっても、文章を読んで理解するには並大抵の勉強では済まない。銀行からの通知やオンラインのやり取りなどはすべて通訳に任せていたのだろう。それほどの「負んぶに抱っこ」状態なら、遅かれ早かれ、資金横領が起きても何ら不思議はない。
お金のない人にとっては無縁のことだが、有り余る金があれば、お金の出し入れに目が届かないことは容易に想像できる。日常的なお金の出し入れを複数でチェックができる態勢をとり、さらに信頼できる会計事務所に監査を依頼する以外にうまい方法はない。そういう必要がない人々が大谷選手の口座からどのようにお金が流出したかを詮索する意味はない。他人のお金のことを気にする時間があるなら、もっと自分のお金のことを心配した方がよい。
欧米の慣習は日本のそれと異なる。日本(自国)の経験をもとに想像しても、実際に経験してみないと分からないことが多い。
日本で一般的なウオッシュレットのトイレがなぜ欧米で普及しないのかと不思議がる人は多い。どこかの読み物で、「欧米人はウオッシュレットの水が飛び散るのを嫌うから普及しない」と知ったかぶりの意見が紹介されていた。水がかかるも何も、ウオッシュレットを見たこともない人がほとんどだ。そもそも、そういうトイレがあることすら知らない。使用したことがある人は便利なトイレだと考えるが、トイレにお金をかける意味を見出せない人がほとんどである。
旧社会主義国はとくにトイレの衛生状態に無頓着だったが、かといって西欧のトイレの衛生状態がはるかに良いとも言えない。要するに、欧米では日本ほどトイレの衛生状態に気を配ることはない。だから、トイレの設備にお金をかける意味を見出せないだけのことなのだ。実際、欧州で販売されているウオシュレットは日本に比べてかなり高い。大きな需要がないから、日系企業は単価の高い高級品を富裕層に販売している。金持ちなら問題ないが、経済的に余裕のない人にはトイレにお金をかけるという発想がないのだから、ウオッシュレットは売れないだけのことだ。
ハンガリーでもウオッシュレットを販売している会社はあるが、日本製の商品は高くてとても手が出ない(日本円にして 50 万円を超えるものがほとんど)。韓国製の商品なら日本の商品の半分以下で買える。それでも簡単な便器の数倍もするウオッシュレットを買う人は数えるほどしかいない。日本と欧米では、トイレの清潔さについての感覚がまったく違う。もっとも、欧米で水洗トイレが普通だったほんの数十年前まで、日本では汲み取り式のトイレが一般的だった。だから、偉そうに、日本のトイレの清潔さを自慢することでもない。もっとも病院などのトイレの維持管理にもっと気を配って欲しいとは思うが。
別の話題だが、合羽橋の店で、外国人に「たわし」が売れているという話が NHKニュースで紹介された。ここでも、物知り顔に、「欧州では日本と違い、家庭ではまだ鉄のフライパンや鍋が使われているから重宝される」という解説に驚いた。これも嘘である。欧州の家庭で鉄のフライパンを使っている家庭などない。どこの家庭でも汚れがすぐに落としやすいコーティングされたものを使っている。日本と同じである。それでも洗いきれない頑固にこびり付いた汚れは、金属たわしを使っている。金属製より、自然素材を利用した日本のたわしの方が鍋やフライパンに良さそうだと思うから、たわしを買っているのだろう。単価が安いから購入を躊躇する理由もない。面白い安いお土産だから買っているだけのことだ。
かくように、日本と外国では生活意識や金銭感覚、それに応じた規制や規則が異なるので、国外での生活経験がない人が、日本の感覚で解釈して間違うことが多い。この種の誤解は学問の世界でも起こる。
とくに経済学者はすべてのものを一般化できる、抽象化できると考えている。だから、旅行すらしたこともない国の経済を分析してみせたり、抽象的なモデルを利用して数字を拾ったりして、もっともらしい分析を行う。しかし、この種の分析の多くは的を射ていない。一つのパターンやモデルをあらゆる問題に適用できると考える無邪気な経済学者は多い。しかし、現実を分析し、事実調査から出発しないと、本当のことが分からない。
経済学が「社会科学の帝国主義」と呼ばれる所以である。気をつけたいものだ。
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