菅首相が嫌われていた反動であろうが
- 2011年 9月 6日
- 時代をみる
- 三上三上治
9月5日
豚も褒めれば木に登と言われるが、「俺はそんなこと言われなくても名産の福島の桃を木に登って食べているぜ」と原発20㌔圏内で野生化した豚はのたまうかも知れない。野生化した家畜の中でも豚は賢くてこれくらいのことはしていると想像できる。これは笑い話にしておくが、庶民は野田政権をとりあえず褒めておくにしかずと思っているのだろう。僕は庶民の知恵を無視する気はないが、野田新内閣にむしろ今は警戒の目を向けるべきだと考えている。
菅内閣は一言でいえば「何がやりたいのか」「何をやろうとしていたのか」の不明な内閣であったと前回に書いた。これは彼らの日本社会の現在から今後についての政治的=社会的ビジョンが貧困だったからだ。それはまた彼らがまともな政治理念を持っていないことでもあった。現実の政治はいろいろとやるべきことが押し寄せるから「やるべきこと」はある。それは過剰にあると言ってもいいほどだ。こうした現実を前にビジョンも理念もない政治家や政党が対応したらどうなるのか。場当たり的な対応になる。菅政権はこうした典型であり、国民の不信の前に孤立し、政権の座を降りるより他なかった。菅政権が嫌われ過ぎた反動として野田政権に期待が寄せられているのだろうが(?)果たしてこれに応えられるのだろうか。僕は否定的である。それは新内閣を構成する野田首相も閣僚たちも菅内閣を超えられると思っていないからだ。それ以上に菅内閣が無策であり、政治を混迷させた反動がやってきて野田政権はそれに乗せられてしまうことを危惧している。例えば、沖縄問題である。この二年間の間は日米合意の再確認だけに留まってきた普天間基地移転問題でアメリカ側はその履行を強く要求してくるかもしれない。アメリカは背後で日本の経済力を取り込む戦略を持っていて、これを駆け引き材料にする。アメリカに追随する防衛・外務官僚は日本の利益よりもアメリカの利益を優先して動くから、沖縄県民の意向を無視しとんでもない暴走をやるかも知れない。野田政権はそれに抵抗するこよなく乗せられる懸念がある。日米同盟の名の下にアメリカの意向を優先して動く可能性が十二分にあるのだ。菅を取り巻いていた面々の一人であった野田は今後の日米関係についてのビジョンも理念もない。鳩山内閣の抵抗の残滓が消え行けばアメリカやその意向を代弁した日本の官僚の攻勢はより強まるし、日米同盟論は日本のアメリカ従属度を一層強めるものとして機能する。官僚にとって野田政権は菅政権よりも組みやすいのでありこの点はより警戒を要することである。沖縄問題は一例であり、このことは全領域で言えることだ。
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