ミャンマー、雨季攻勢で各地の戦線いっせいに躍動
- 2024年 7月 13日
- 評論・紹介・意見
- ミャンマー野上俊明
雨季に入って、ミャンマーの反政府抵抗勢力はふたたび戦闘を活発化、支配地域を拡大し続けている。雨季は悪天候が続くため、もっぱら空爆に頼る政府軍には不利とされている。10月の雨季明けまでに反政府抵抗勢力は支配地域を最大限拡大すべく、少数民族軍と人民防衛軍は相互に連携して攻勢に出ている。以下、7月初旬時点での戦況の概略である。
▼昨年の「10・27作戦」は、1月に中国政府の介入・調停により停戦に入っていた。しかし、コーカン地区に拠点を置く同胞同盟軍(アラカン軍AA、ミャンマー民族民主同盟軍MNDAA、タアン民族解放軍TNLA)は、政府軍が停戦協定を一方的に破っているとして、「1027作戦:第2段階」を発動して戦闘を再開。旧王都マンダレーから中国雲南省をつなぐ重要な中継貿易都市であり、地域軍司令部が置かれている州都ラショーは、反政府軍に包囲され、一触即発の状況にある。人口13万人のこの都市には、軍事政権の12の軍管区のうちの1つであり、北東軍司令部の本部がおかれている重要拠点である。中国との貿易上の重要性から、抵抗勢力の進軍は中国の介入を招くかもしれないとして、従来は攻勢を手控えられていた。作戦はTNLA、MNDAAとともに民主派の人民防衛軍も参加して行われているが、市内はすでにゴーストタウンとなっているという。
ラショー以外にも宝石ルビーの町として有名なマンダレー管区のモゴック郡区や旧都マンダレーにつながる幹線道路上でもはげしい攻防戦を展開している。旧王都でミャンマー第2の都市マンダレーにも、反体制勢力は圧力を強めている。7/10,タアン民族解放軍(TNLA)とマンダレー人民防衛軍(MDF-PDF)らのグループは、マンダレーの北東約100マイルにあるシャン州ナウンキオ郡区の軍事政権ミサイル大隊基地を占領し、郡区全体の抵抗勢力による制圧に一歩近づいたという。政府軍の中央地域軍司令部のおかれているマンダレーでは、一挙に警戒レベルが上がり緊張の度を強めているという。
シャン州ナウンキオ町の軍事政権の第606ミサイル大隊基地は、2024年7月11日にタアン民族解放軍とマンダレー人民防衛軍を含む合同部隊によって陥落。 RFA
7/8ラショーから避難する民間人の車列。 ラショー・政府軍による空爆跡RFA
反政府勢力と政府軍の衝突迫るラショー。すでにゴーストタウン化している。 イラワジ
▼バングラデッシュ・インド国境のラカイン州―政府軍窮地に
現在、ミャンマー西部ラカイン州の17郡区のうち、11郡区は、反政府勢力であるアラカン軍AAの支配下にある。ラカイン州南部にあり、欧米人に人気のリゾート地であるニャパリ・ビーチも空港もろともアラカン軍に制圧された。軍事政権にとって国際的な観光地を押さえられたことは、面子を失うばかりでなく、外貨獲得の上で痛手である。またニャパリ・ビーチにつながるタンドウェ湾の奥には、海軍基地があり駆逐艦などの艦船が常時停泊している。しかし、それ以上に深刻なのは、中国の巨大投資の集中する経済特区や港湾施設が危険にさらされていることである。ラカイン州チャウピューには石油・天然ガス精製のための6つのステーションとプロセス設備がある。アラカン軍が州内9つの郡区を占領したことで、数十億ドルの外貨収入が没になる可能性が出てきた。
戦闘地域ではどこでもだが、政府軍と反政府軍の戦闘激化によって、一般民間人は多大な被害を受けている。政府軍は民衆を反政府勢力から離反させるために、意図的に学校、病院、集会所、僧院などの公共施設を狙い撃ちにしている。ラカイン州では国籍をもたないロヒンギャの人々が、政府軍からも反政府軍からも挟撃され惨憺たる非人道的状況に陥っている。政府軍からは強制徴兵されたり、人間の盾として戦場に送り出されている。アラカン軍は仏教徒アラカン族から構成されているので、ムスリムであるロヒンギャには差別意識・敵対意識が強い。ロヒンギャへの虐待行為がたびたび噂されている。
国連開発計画UNDPの報告書は、昨年末時点でミャンマー国民のほぼ50%が1日1590チャットの貧困ライン以下の生活を送っていたと指摘していた(1$=3500kt)。しかし最近は状況は劇的に悪化、6月24日、ミャンマー経済の衰退により人口の75%以上にあたる4,200万人が貧困に直面しているとしている。さらには、戦闘地域から逃れて、全土で300万人ともいわれる難民が生み出されており、ミャンマー全土が人道的な危機状態にあるといっていいであろう。
2024年7月現在、日本大使館/危険情報 レベル1~3
▼タイ国境カレン二―州都ロイコーめぐる攻防再燃
前線に向かうカレンニー民族防衛軍とカレンニー軍のメンバー。(カレンニー軍の
Facebook動画のスクリーンショット)
いったんは反政府勢力がカヤー(カレンニー)州の州都ロイコーを押さえたものの、6月下旬に政権軍に数と火力で圧倒され、ロイコー大学近くのダウ・ウクとナルナット・タウの2つの地区から撤退を余儀なくされた。態勢を立て直したカレンニー軍(KA)とカレンニー民族防衛軍(KNDF)の連合軍は、このところロイコー中心部の軍事政権陣地に対して反撃を開始したという。
<中国に援助を乞う軍事政権>
中国と国境を接するコ―カン地区での戦闘に敗北した軍事政権は、中国に泣き付いて停戦の仲介を依頼、なんとか1月に停戦へ持ち込んだ。しかし、この6月、再び戦闘が再燃。戦線はシャン州北部からイラワジ平原の中央部のマンダレーへと拡大するのは必至であろう。7月下旬に非常事態宣言の期限切れを迎える。非常事態の終息を宣言し、総選挙の実施を打ち出したい軍事政権であるが、事態は急を告げている。中国の手を借りて停戦に持ち込み、とにかく時間稼ぎをしなければならない。そのため中国の意を迎えるのに必死である。
●なんと見え透いた迎合であろうか、軍事政権は国民の祭日として「中国春節の日」を制定した。
ミンアウンフライン夫妻と中国大使(右端) myanmar japon
●6/27、バンドン会議「平和共存五原則」を記念する式典に、元大統領のテインセイン氏を中国に派遣。習近平国家主席と王毅外相と会談したという。おそらく北京に停戦の仲介の労をとってくれるよう依頼したのであろう。うまくいかなかったという噂もある。
●7/8現在、政権のナンバー2であるソーウィン氏は、上海協力機構(SCO)が主催するグリーン開発フォーラムに出席するため、中国に飛んだ。「一帯一路」関連事業の促進や中国投資設備の安全確保と引き換えに、軍事支援についても話し合われたのであろう。現在、ミャンマー向けに大量の軍装備品と弾薬が送られつつあるという。中国は軍事政権を必ずしも好ましいとは思っていないであろうが、しかし国軍を敗北に追いやるわけにはいかない。スーチー亜流政権では、西側寄りの政権になるのは必至であるからある。しかしそれにしても、かつて第三勢力の雄として、アジア・アフリカ新興諸国の希望の星だった時期もあった人民中国。現在は解放や進歩とは縁遠い覇権主義国家。北朝鮮やミャンマーといった「パーリア(のけ者)国家」の最大の後ろ盾となり、国益を追求してやまないのである。習近平体制は、中国人民を幸せにしないシステムの様相を呈しつつあるのではなかろうか。
――ミンアウンフライン政権は、クーデタによる正当性(正統性)喪失と、負け戦が続き死傷者や脱走の増大のため、より深刻な戦力減少に陥っている。かつての40万人前後から15万人程度へ減少したとされる。そのため軍事政権は2月以降、徴兵制――18歳から35歳までの男性と18歳から27歳までの女性の兵役義務――を導入し、さらに高齢であろうともおかまいなく元軍人を現役に復帰させ、穴埋めをしようとしている。5月には、8つの地方司令部の軍人と警察全員に最前線の任務に就くよう命じたのである。ちなみに離反者を支援する団体「ピープルズ・エンブレイス」によると、クーデタ以来、軍事政権の職員計1万2341人(兵士3015人、警察官9326人)が、職場から離反、市民不服従運動(CDM)に合流したという。
インタビューを受けた脱走者たちは、ミャンマーの並行政府である国民統一政府(NUG)からの財政支援に感謝の意を表した。脱走者一人当たりには現在、月700バーツが支払われているが、配偶者が同伴している場合は1,400バーツが支払われるという。脱走の報奨金制度には、ミャンマー民主化勢力のプラグマティズムがよく表れている。その良し悪しは、外部者が軽々に判断すべきではないであろうが、少なくとも教育と説得による思想改造を旨とした、かつての人民解放軍とはそうとう違っているようだ。
<気がかりな政治戦線の動向の不明さ>
民主派の国民統一政府(NUG)は4月30日、ミャンマー全土の60%をNUGおよび少数民族武装組織が統治していると発表した。残念ながら、現状では政治的なプロパガンダ臭がぬぐえない印象を持つ。
なぜなら、中央部のイラワジ平原にある主要な都市部とそれらをつなぐ幹線道路ほとんどすべて政府軍の支配下にあり、したがって中心部の実効支配はまだ軍事政権が確保しているからである。とはいえ人心はとうに軍事政権から離れており、信頼回復の見込みもありそうにないので、政府転覆の蓋然性は少しずつ高くなっているとはいえる。
問題は、軍事政権打倒後の新政権の受け皿である。民主連邦ミャンマーという統治体制の理念を打ち上げた切り、あとが続かない。様々な宗教・民族・地域によって構成されるモザイク国家であるだけに、近代的な国民国家実現のための政治的な統一という難事業をやってのけるためには、差別と分断を乗り越える理論と実践の積み重ねが必要である。たとえば、国民統一政府が影の政府を自称する以上、国際世論、国内世論に向かって定期的に記者会見を行ない、戦況の推移、各抵抗勢力間の軍事的連携や政治対話の進捗状況などについて、情報提供や所見の表明を行なう。あるいは日刊、週刊、月刊の政治新聞をポータルサイトで発刊し、政治意識の向上と均質化をはかる等々。数十年にわたって辺境地域で取材を重ねてきた、スウェ―デンのジャーナリストであるB・リントナー氏は、かなりきつめの論評を最近は出している。
「ミャンマーの何十年にもわたる民族紛争を解決する容易な方法はない。現在の秩序に代わる実行可能な解決策を提示できない、あるいは提示する意志がないのは、統一された抵抗勢力とされる国民統一政府の指導部だけではない」(「ミャンマーの未来:民族の多様性か、民族間の争いか?」7/9 イラワジ)
半世紀以上にわたる軍事的独裁支配は、ミャンマー社会から言論の自由と習慣を根こそぎ奪った。2016年からのスーチーNLD政権のもとでも、言論の自由はさほど改善されず、軍はもとよりNLD政権の批判も弾圧の対象となった―私の知る士官学校出身のNLD活動家ネミョージン氏は、NLD政府によって逮捕され、獄に入れられた!
顧れば、欧米の社会科学理論は、鎖国政策に阻まれ、ほとんどこの国の知的世界を潤すことはなかった。スーチー氏に苦言を呈することのできる唯一の人物とされたウィンティン氏―獄中20年以上の元ジャーナリストでNLD共同創立者の一人であり、2014年に死亡―ら1930年代前半生まれの世代が、おそらくマルクス主義の洗礼を浴びた最後の世代であろう。1988年世代の活動家たちは、「獄中大学」で語学などを習得したというが、本格的な社会科学理論に触れる機会はなかったであろう。適当なテキストそのものが存在しなかったのであるから。そのためとくに理論政策の分野での頭脳が育っていない。仏教信仰に篤いという民族的な特性がかえって災いして、事柄を客体視して分析するという合理的方法態度に欠けるところがある。ことほど左様に、ミャンマーの反体制活動家は重いハンディキャップを背負って活動してきた。
しかしそのことを現実は割り引いてはくれない。とりあえずは、併行政府として指導者たちの顔が見えるようにすることであろう。現在はNUGの外務大臣ズィンマアウン氏のみが表に出ている。政治スターをもっとつくらなければならない。全体のイメージとしては、例えばド・ゴールの「自由フランス政府」が行なったように、たえずメッセージを発して国民を励まし、勇気づけ、いまミャンマーと世界がどうなっているのかを伝え、国民がなすべきことを率直に訴えていく義務があるのである。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion13793:240713〕
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