新聞投書にみる原発惨事と「民の声」 -野田内閣が生き残るための必要条件-
- 2011年 9月 9日
- 時代をみる
- 安原和雄新聞投書野田内閣
野田内閣発足後の新聞投書に掲載された原発惨事にかかわる「民(たみ)の声」に耳を傾けると、何が聞こえてくるか。伝わってくるのは被災者たちの悲痛な思いであり、一方、手助けのありようを模索、実践する救援者たちの心遣いである。日本列島上の相互の絆が強まり、日本再生への展望も開けてくるだろう。
しかしどこまでも批判すべきは、「政官財と学・メディアの既得権益共同体」である。脱原発に執拗な抵抗を続けており、その様相は醜悪でさえある。野田内閣が生き残るための必要条件は「民の声」を聞き入れながら、既得権益共同体を解体することで、それ以外の妙手はないだろう。野田内閣にそれが期待できるか。(2011年9月9日掲載)
以下、紹介する新聞投書は朝日新聞「声」と毎日新聞「みんなの広場」で、9月5日から8日までの掲載文である。投書者の氏名はいずれも省略した。
(1)故郷と絆と希望と
*美しい故郷は見捨てられない
=主婦 神奈川県小田原市 43歳(朝日新聞8日付)
福島第一原発事故を受け、福島県双葉町から神奈川県に7歳と2歳の息子、夫と避難している。
首相がまた代わった。しかし私たちや原発の環境は何か変わるのだろうか。新聞には警戒区域の土地を国が買い上げる案などの記事も載る。双葉町はなくなってしまうのか? 私たちはそれを黙って見ているだけでいいの? 福島の風景は何とも美しい。故郷を見捨てることは私にはできない。
*被災地の声聞く大切さ知った
=大学院生 神戸市灘区 27歳(朝日新聞8日付)
宮城県内で実施した東日本大震災の被災者からのヒアリング調査に同行した。とりわけ印象的だったのは、被災者の要望が行政や地元議会にまだまだ理解されていないという嘆きの声だ。現場で当事者の話に耳を傾け、それを周囲に伝え、支援につなげていくことの大切さを痛感した。
震災から半年、社会の関心は薄れつつあるのではないか。被災地から遠く離れた地にあっても、被災地の「声」を聞こうとする姿勢を常に持ち続けたい。
<安原の感想> 絆を結び合う希望を
美しい故郷の町はなくなってしまうのか? 私たちはそれを黙ってみているだけでいいの? ― この無念の思いの深さは体験者でなければ理解できそうにない。私(安原)にはその心境は「首相は代わったが、被災者たちのくやしさは変わらない」とも読みとれる。
だからこそ非体験者である大学院生としては「被災地の声聞く大切さを知った」というほかない。それ以外の対応策は容易には見出せない。ただ体験者と非体験者とが手を取り合い、多様な絆を結び連ねることはできる。そこにささやかな希望を見出したい。
しかしその希望に背を向けるようなデータを一つ紹介したい。東電福島原発事故のため、福島県の12市町村で自治体外での生活を強いられている住民は8月末時点で計10万1931人に上る(毎日新聞9月9日付)。
(2)子供たちの笑顔
*福島の保育園で見た笑顔
=体操教室代表 兵庫県西宮市 62歳(毎日新聞8日付)
福島県を訪れ、歌と人形劇のボランティア公演を行ってきた。南相馬市の保育園では、福島原発事故による避難で休園になっている他の保育園の子どもたちもいてにぎやかだった。歌遊びや人形劇に子どもたちの笑顔が見られ、こちらもうれしい気持ちになった。
公演中、一人の保育士さんが泣いていた。大震災のストレスからか自傷的な行動をする2歳の子どもがこの日は声を出して笑い、歌ってもいたとのこと。皆さんに笑顔の時間が戻るよう祈らずにはいられない。
*首相は福島の子どもを守れ
=主婦 名古屋市天白区 74歳(朝日新聞7日付)
「わたしはふつうの子どもを産めますか?何歳まで生きられますか?」
政府へ福島県の子どもたちが直訴した。子どもからこんな言葉を投げかけられる政府がどこにあるのか。政府の責任は重い。
野田首相に第一に望むことは、子どもたちを一刻も早く安全な場所に避難させること。先日のテレビでは、子どもを抱いた若い母親が「この子は、私よりも長く生きられるでしょうか」と、涙ぐんでいた。なぜ国は子どもが毎日被曝しているのに、有効な手を打たずにいるのか。
<安原の感想> わたしは何歳まで生きられますか?
子どもたちが政府に向かって「何歳まで生きられますか?」と問いつめる光景、さらに若い母親が「この子は私より長生きできますか」と涙ぐむ場面をこれまでイメージしたことがあるだろうか。これは想像の物語ではなく、紛(まぎ)れもない現実の話である。
子どもたちの表情から笑みを奪うような悲惨な現実にもがいている社会、国は世界には沢山ある。しかしその現実に日本が原発惨事とともに直面しようとは、どれだけの日本人が想像できただろうか。悔恨(かいこん)のなかから出直すほかないのか。
(3)脱「経済成長」と脱「原発」と
*「経済成長 誰のため?」に賛成
=無職 大阪府枚方市 80歳(毎日新聞7日付)
毎日新聞「風知草」で、山田記者は「経済成長 誰のため?」として原発リスクと経済成長をはかりにかける愚を指摘し、経済成長に妄執する指導者層を批判した。同感だ。
まだ使える車やテレビなど製品を次々と新型に買い替えさせる構造は、莫大な資源とエネルギーを必要とする。そのエネルギーを支えようと、原発推進の「やらせ」を工夫し、都合のいい専門家を利用し、虚構の「安全神話」が作り上げられてきた。これが経済成長の真の姿だ。もうこれ以上の便利は望まない。
*悪夢見て全原発の即時停止願う
=主婦 神奈川県藤沢市 36歳(毎日新聞6日付)
私が福島第一原発で働いていて、水素爆発を起こした瞬間の夢を見た。悪夢である。この夢を見てすぐにもすべての原発を止めてほしいと思った。原発事故がさも想定外のことのようにいわれるが、これまで数十年で事故は何度もあった。いままで福島のような事故が起きなかったことこそが「奇跡」だったのだ。
経済発展のために1万年先の子孫に放射性物質を押し付けるなんてできない。
*菅降ろしの裏に脱原発反対勢力
=無職 福島県田村市 69歳(毎日新聞5日付)
文芸評論家・加藤典洋氏によると、菅降ろしの本質は菅首相(当時)の人格を攻撃し、「再生エネルギー法」「発送電分離」などの政策を葬り去ろうとすることにあった。原子力発電から自然エネルギー発電への転換で、「脱原発」を実現されては困る政官財の既得権益共同体が首相の政治努力を空洞化させようとしているさまは、戦前の軍部のあり方とうり二つというのだ。
自分たちで選びながら、利権を脅かそうとするトップを降ろそうとする民主党の面々や自民党、官僚のあり方にはあきれるばかりだ。政争に加担するメディアの報道も情けなく、憤りすら感じる。世論調査では国民の7割以上が脱原発賛成である。
<安原の感想> 「政官財の既得権益共同体」解体がカギ
<経済成長のためにこそ、原発推進を!>が原発推進派=「政官財の既得権益共同体」のスローガンであった。だから脱「原発」のためには、まず脱「経済成長」が不可欠となる。「経済成長」という概念は「豊かさ」を意味するとしばしば誤解されているが、正しくはそうではない。身近な例で言えば、経済成長のすすめは、大人になっても自分の体重を限りなく増やして喜ぶような無邪気な発想で、健康を害する負の効果しかない。長寿にマイナスである。真に目指すべき目標は、経済成長ではなく、生活の質的改善である。
日本経済の健康を取り戻し、しなやかな持続性をもたらすためにも経済成長主義の古びた旗を降ろし、同時に「政官財の既得権益共同体」(正確には「政官財と学・メディアの既得権益共同体で、「原子力村」など多様な呼称がある)の解体も避けて通れない。
この歴史的課題の打開を野田内閣にどこまで期待できるか。脱原発ではなく精々減らすだけの「減原発」、「既得権益共同体」の執拗な温存策、さらに減税ではなく消費税上げなどの大衆増税が待っているとすれば、我らが庶民派の忍耐力にも限度があろうというものだ。マンガ風にいえば、ドジョウたちももはやこれまでと「ドジョウ内閣」打倒に立ち上がるかもしれない。
初出:安原和雄のブログ「仏教経済塾」(11年9月9日掲載)より許可を得て転載
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔eye1597:110909〕
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