崩壊した統治機能・失われたふるさと─原発事故半年に思う
- 2011年 9月 11日
- 評論・紹介・意見
- 鈴木顕介
9月11日
福島第1原子力発電所の事故から11日で半年になる。最近になって、さりげなく断片的に公表される事故の事実から、放射能汚染が東日本の極めて広い範囲に及び、しかも、その影響が極めて長い年月にわたることが明らかになってきた。放射能汚染はわれわれの五感では捉えられないのが特徴である。そのため原発周辺地域を除けば、半年たった現在、人々の事故への関心が薄れ、事故前と同じような日常生活が戻ったかにみえる。この状況はこれからわが身に振りかかる事故の影響を忘れさせることにつながる。「快適なオール電化生活」のうたい文句に乗せられ、その電気がどのようにつくられているかの検証を忘れていたことと同じである。この機会に明らかにされた事実を整理して、改めて原発事故を検証する。
日本全土の過半に深刻な汚染
文部科学省は事故による放射能汚染地帯が、東日本一帯に広がっているおそれがあるとして、調査範囲を東北、関東、中部地方全域の1都21県に広げると、8月22日に発表した。ヘリコプターに放射線計測機を搭載して、地上1㍍の空中線量と、地表の放射性物質の蓄積量を,10月末までに調査する。調査対象地域は、既調査の原発周辺の福島県東部、宮城県、茨城県、栃木県以外の、北は青森県から、西は愛知、岐阜、福井県に及ぶ。これらの都県は面積で日本全国の40%、人口では首都圏、中京圏を含むため58%に達する。原発災害の影響が、首都圏、中京圏という日本の中枢部を含む懸念が、事故後半年を経てはじめて明らかにされた。
国立環境研究所のシミュレーションによると、3月11日から29日までの間に事故によって放出されたヨウ素131の13%、セシウム137の22%が日本の陸地に降下した。その範囲は原発所在の福島県だけでなく、関東全都県と、宮城、山形、山梨県全域、岩手、秋田、新潟、長野、静岡の一部に及ぶと推定された。遠く離れた新潟、長野、静岡にも、放射線量値の高いホットスポットが存在する。 ヨウ素131とセシウム137は共に原子炉事故の際に生成される核種で、健康被害の原因となる。ヨウ素131は半減期が8日と短いが、呼吸や水を通したり、牧草─牛─牛乳の食物連鎖で体内に入ると甲状腺に集まり、甲状腺がんの原因となる。発育期の小児に特に影響が大きい。セシウム137は半減期が30年と長く、居住環境を汚染する。福島第1原発周辺地域の住民の帰郷でも、今最もこれの除染が問題とされている。作物や海産物に取り込まれたセシウム137は、それを食べれば内部被曝を引き起こす。食物の安全、安心で一番注意すべき核種である。 福島県内の年間被曝線量が200ミリシーベルトと推定される高レベル汚染地域では、除染しない場合、帰宅可能な水準(年20ミリシーベルト以下)まで線量が下がるには20年以上かかる可能性があると、菅直人首相は8月27日福島で明らかにした。除染する場合、住居や道路といった直接生活にかかわる場所は、まだやりやすいが、農耕地、草地という広範囲の面の除染には多額の経費と時間がかかる。さらに森林の除染は技術的にも極めて難しい。チェルノブイリ事故では、難しい場所はそのまま無人地帯として放置された。 最も簡単な除染は汚染された土壌を取り除く方法である。だが、放射性物質が出す放射線自体を取り除くことは出来ない。そのため、極めて厄介な除去した汚染土の処理場の設定が除染には付きまとう。
8月26日には経済産業省原子力安全・保安院が、広島原爆と福島原発事故を比べた、大気中に放出した放射性物質の種類別の量を発表した。これよると、セシウム137が原爆の168.5倍、ヨウ素131が2.5倍と推計された。影響が長期にわたる セシウム137の放出量は原爆の89テラベクレルに比べ、15,000テラベクレル(テラは1兆)に達している。広島の復興に比べ、広範囲、長期間にわたる放射能汚染との戦いが待ち受けている。
活用されなかったSPEEDI
事故対応の問題点については、すでに多くの指摘がされている。その中で典型的といえる事故時の汚染拡散予測システムSPEEDIの運用ミスと、いまだに公式には認めていない第3号機のメルトスルーの可能性に触れたい。 SPEEDIは文部科学省が120億円の経費をかけて構築してきた事故などの緊急事態に対応する放射性物質の拡散予測システムである。文部科学省のホームページの「SPEEDIとは」には次のように書かれている。 緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI:スピーディ)は、原子力発電所などから大量の放射性物質が放出されたり、そのおそれがあるという緊急事態に、周辺環境における放射性物質の大気中濃度および被ばく線量など環境への影響を、放出源情報、気象条件および地形データを基に迅速に予測するシステムです。(中略) 万一、原子力発電所などで事故が発生した場合、収集したデータおよび通報された放出源情報を基に、放射性物質の大気中濃度および被ばく線量などの予測計算を行います。これらの結果は、ネットワークを介して文部科学省、経済産業省、原子力安全委員会、関係道府県およびオフサイトセンターに迅速に提供され、防災対策を講じるための重要な情報として活用されます。
以上のようにうたわれているが、今度の事故で原発周辺の住民避難に全く活用されなかった。明らかにされた経緯をみると、情報の秘匿以前の問題、政府の統治能力が浮かび出る。
文部科学省がSPEEDIのデータ公開を拒んでいると、3月23日の記者会見で質された枝野官房長官は、事故による破損で原子炉の状況が把握できないため「放射線量がどう広がるかという予測システムが今回の事象には使えない」と答弁した。同じ日の午後これを修正、シミュレーションの方法を修正した結果、汚染状況の推定は出来るようになったが「福島原発から30㌔圏外の一部においても、100ミリシーベルト以上の被曝線量となりうるケースも見られるが、現時点で直ちに避難や屋内待避をしなければならない状況だとは分析してない」と楽観的評価を示した。 内閣官房参与を抗議辞任した小佐古敏荘東大教授が4月29日の辞任記者会見で、政府の福島原発災害への対応が「臨機応変」の名の下に場当たり的で、法令、指針、マニュアルという原子力災害を想定してすでに定められている手順、対策が無視されたと指摘。SPEEDIの運用には、放射能放出の線源が特定できない場合の定めがあるのに、それを無視して「使えない」としてしまい、結果として、無用の被曝を招いた。特に小児の甲状腺被曝を避けるためには、原発20、30㌔圏だけでなく、関東、東北全域のデータ公開が必要だったと政府の対応を強く非難した。
米紙ニューヨークタイムズは8月8日の調査報道で、政府関係者の公開の場の発言やインタビューに基づいて次のように結論付けている。 被害情報を発表せず、原発災害に関する事実を否定したのは、経費がかかり、混乱が起きる避難の規模を抑えるためと、原子力産業界の政治力に国民が疑問を持つのを避けるためであった。 細野豪志首相補佐官(当時)も5月2日にSPEEDIの公表を抑えたのはパニックを避けるためであったと述べている。
3号機にメルトスルーのおそれ
もうひとつの問題は、福島原発災害の終息に大きくかかわる第3号機の破損状態である。 先にあげた国立環境研究所のシミュレーションは、3月21~23日に、福島第1原発を線源と」した放射性物質の大規模な流入が関東から遠く静岡まであったことを示している。放射性降下物の総量は、1、3、2号機で相次いで水素爆発があった3月12日~15日を上回わっている。実際、23日午前9時までの24時間に岩手や茨城、東京など13都県で放射性ヨウ素が、秋田や東京、神奈川など11都県の降下物からは放射性セシウムが共に高いレベルで検出された。東京都など12都県の水道水でも放射性ヨウ素や放射性セシウムが見つかり、大きな不安を招いた。
福島第一原発では、第3号機で3月21日と23日に灰色や黒い煙が上がった。この原因について、枝野官房長官、東電当局者は共に当時の記者会見での追及に明確な説明を避け、現在に至るまでその原因は明らかにされていない。当時降った雨がすでに浮遊していた放射性物質の降下をもたらしたためとの推測にとどめている。 しかし、何人もの専門家がこの原因は3号機で何らかの大きな爆発があったためと、推定している。その一つは、8月8日付の朝日新聞が伝えた、旧日本原子力研究所で米スリーマイル島原発事故などの解析を手がけた元研究主幹田辺文也さんの次の分析である。 3月20日まで1日当たり300トンあった注水量が、圧力容器内の圧力が高まり冷却水が入りにくくなったため、21日~23日には24トンに激減した。これはすでに炉心溶融で圧力容器の底に落下して固まっていた核燃料が出し続けている、核崩壊熱を除去するのに必要な冷却水の11~32%にしか当たらない。このため、核燃料が再び溶解して、圧力容器を突き抜け格納容器内に落下したと推測される。
枝野官房長官が20日昼に一旦3号機圧力容器の圧力が高まったため、ベントをして圧力を下げると発表しながら、その後すぐこれを撤回したいきさつもこれを裏付けている。 3号機内の実態は今に至るも正確に把握されていない。このため最悪のケースを考えると、再溶融した核燃料が格納容器を突き抜けたおそれも否定できない。そうなっていれば原子炉のコンクリート基盤を通って放射性物質が地層内に入り込み、深刻な地下水汚染を引き起こし、その汚染水が海中に流入する危険が起きる。
無策の策、統治能力の危機
このように見てくると、「直ちに健康に被害を及ぼすレベルではない」という政府の認識の下で、われわれ日本人は人類史上初めて放射線の低線量、長期被曝という集団的人体実験にさらされていると言わざるを得なくなる。
巨大地震と津波、それが起こした人類史上初めての複数の原子炉溶融という核災害。この同時多発大災害はまさに細野原発事故担当相が言うように「日本民族の生死をかけた」事態であった。その中で菅政権が選択した方針は、対策がないのに真実を伝えれば、いたずらに混乱を招くだけ。混乱の被害を考えれば、直ちに生命の危険がないならば、多少の放射線被曝はやもうえない、という選択であったのではないか。避難を指示した福島第1原発周辺住民8万人を超えるさらに広範囲の住民を避難させるのは、収容先、その費用、避難伴う補償を考慮すれば、ただでさえ苦しい国家財政の破たんを招くし、物理的にも実現はできない。 菅前首相が退陣後、朝日新聞とのインタビューで「避難範囲が100、200、300㌔と拡大した場合、関東全部が入ってしまう。そうなると3千万人が避難することになり、日本という国が成り立たなくなる」と語っている。「国の半分が住めなくなるような事故があるとしたら、100年に1回だってそんなリスクは負えない」という脱原発の文脈の中での発言である。だが、この発言の中にあえて情報を秘匿した判断の片鱗を見るのは、思い過ごしであろうか。
放射線の低線量、長期被曝の知見は世界中探しても見当たらない。これ以下なら大丈夫という「しきい値」がない。被ばく線量に比例して,発がんや遺伝的影響が生じる確率が高まるから「できるだけ被曝は避けた方がよい」というのが唯一の指針である。被曝による発がんは、DNAの損傷が原因である。しかし、人体には生体防御機能があり、被曝によって傷つけられたDNAを修復する能力を持つ。うまく修復できなかった人ががんになる。また、生殖細胞のDNAが損傷すると、その影響が遺伝となって子孫に出る。これも修復できなかった場合だ。従って、被曝の影響は確率の問題となる。「運が悪かった人」の災難とされる。「直ちに健康に被害~」という言葉の裏にはこんな判断が透けてみえてくる。
フォーリン・アフェアーズ・レポートは9月8日付日本語電子版で「原発危機への対応が露わにした日本の統治危機」を次のように指摘した。 断片的な放射能汚染の情報公開が、「直ちに健康に及ぼすレベルではない」という決まり文句とともに進められて、政府への市民の不信を高めた。 社会のパニックを避けるという点では、政府のやり方は成功だったかもしれないが、その結果、将来における市民の健康被害を限りなく大きくしてしまっているおそれがある。 この6ヶ月間で地震と津波、そして原発危機という未曾有の危機を前に、被災者支援、原発危機の安定化、経済の再建と復興というアジェンダを同時多発的に進めるキャパシティも構造も日本には存在しないという現実が明らかになった。
心の拠りどころ「ふるさと」喪失
最後に指摘したいのは、今度の核災害で見えない形で被った最大の被害は、精神的ふるさとの喪失である。 「ふるさと」は日本人に広く親しまれている歌である。「ウサギ追いしあの山」で始まると言えば、誰もが「あ、あの歌か」と思い出すだろう。都会へと人が集まり「山は青く、水は清い」田園に故郷を持たない日本人が多くなっても、われわれは「ふるさと」の歌声に心の安らぎを覚える。 「ふるさと」には、人が住みつき、集落をつくり、何世代にもわたって生活を共にしてきた場所、故郷という意味合いと、もっと広い意味でその集団が共通に持つ心の拠りどころとしての「ふるさと」がある。今日本では人口の都市への集中が進み、全人口の3分の2が人口集中地域に住む。都会に生まれ育った者には「山は青く、水は清い」故郷はない。それでもなお、「山は青きふるさと、水は清きふるさと」の歌声にひかれる。
オーストラリア人は都市化率が89%の都市国家に住みながら、アウトバックと呼ぶ乾燥と灼熱の荒野が広がる奥地に本当のオーストラリア人がいると信ずる。アウトバックを放浪する労働者が主人公の民謡「ワルチング・マチルダ」を第2の国歌とする。 アメリカ人に「本当のアメリカ人はどこにいる」と尋ねると、「ミッド・ウエスト(中西部)」が異口同音の答えだった。農業人口が2%を切る現代になっても、西を目指した開拓時代の農民の歴史と、そこで育まれた独立自営農民の理想がアメリカ人の心に根差している。
それぞれの国には、それぞれの歴史に由来する「ふるさと」がある。
「ふるさと」は、1914年(大正3年)に小学校唱歌となって以来、歌い継がれてきた。長野県出身の国文学者高野辰之の作詞である。日本の森林化率は、先進国ではフィンランドに次いで2番目、66%と群を抜いている。この森と豊かな雨が「山は青く、水は清い」国土をつくった。そこに育まれた水田農耕の共同体を母体にこの国の歴史が紡がれてきた。この原風景はわれわれのDNAに深く刻まれている。 放射能汚染でかけがえのない山野を汚した今度の核災害は、われわれの民族集団の精神的支柱の破壊という極めて深刻な問題に及んでいる。小松左京は物理的な日本の国土喪失を描いたが、福島原発事故がもたらした国土汚染は精神的な国土の喪失である。
今度の核被害は健康被害の問題だけにとどまらない事態である。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0611 :110911〕
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