福島滞在記
- 2011年 9月 19日
- 時代をみる
- ふくしま集団疎開裁判久松重光原発広河隆一
2泊3日で、福島に行ってきました。今日は、福島の近況を報告しようと思います。一日目の9日は、郡山で、ふくしま集団疎開裁判の結審日と聞いたので、その報告集会に参加しました。これは、15名の児童が、原告となり(親が、その代理人となっています。でも子どもがいじめに会うのを恐れて名前は公表されていません)、郡山市を訴えたものです。裁判は、
1.内部被曝の危険性、
2・チェルノブイリとの比較
3.ウクライナ政府発表の資料の検討、
4.外部被曝の危険性については、ヨウ素131やプルトニウム134や131が問題にされているが、キセノンといった希ガスの影響を過小評価している、いったことが争点になったようです。
とりわけチェルノブイリでは、1ヘーベあたり55万5千ベクレルで移住義務が発生し、55万5千~18万ベクレルで、移住の権利が、発生するとしています。日本政府の対応は、ソ連よりもひどい。郡山でも、場所によっては80万ベクレルもあるとのこと。
キセノンといった希ガスの危険性を指摘。キセノンは、チェルノブイリの2倍の量が放出されている。
またウクライナ政府の公式文書によれば、ベラルーシでは、健康な児童は2割にも満たない。
郡山市は、10月7日までに反論し、その後裁判所が、判決を下すそうです。原告の意見が通れば、学校全体の疎開を促すキッカケになる可能性もあるので、重要な裁判には違いないのですが、その話を聞きながらも、なんとも言いようのない「もどかしさ」を感じてしまいます。国は、平気で、住民の被曝量を勝手に上げておきながら、いざ裁判になると、論証責任だとかなんだとか、めんどくさい手続きばかり。昔、違憲裁判の時も感じたのですが、日本はもうとっくに法治国家をやめていて、誰もがそれを黙認しているというのが、現状。今回のは、その極北。国家は、自分が定めた法律を破っておいて、いざ裁判になると、この期に及んでも、法律家たちは、偉そうにゲームをやっているという感じを否めません。現代の知識というのは、みな狂っている。そうは言っても、どうにかこの裁判は、子どもたち「いのち」がかかっているのですから、勝ってほしい。弁護士さんにも頑張ってほしい。僕たち団塊の世代は、僕も含めてこんな状況を作ってきてしまった、あるいは作らせてしまったのですから、多少放射能を浴びた位じゃ罪滅ぼしにもならない。
報告集会の最後に、僕にも発言する機会がありましたので、山梨の4月3日のひろばのことや、「福島ー山梨つながるネット」の活動のことを少し話して、実は、「いつも福島に来る度に、いつもの様に日常が営まれているようで不思議な気持ちになります」といったら、集会の終わった後、30代の女性が近づいて来られ、「福島では、全然日常なんて営まれていません。家では、いつも口論がたえません。結局は、みんなお金がなくて出られないんです!」と言って、10冊持参した北杜市への移住マニュアル「北杜に来うし」を見て、「私にも一冊ください」と言われました。僕は、福島の人の悩みをはかりきれず、不用意なことを言ってしまった、と後悔しました。
その晩は、いつものように三春町のMさんのカフェに泊めて頂きました。とっぷりと夜も更けた、たおやかな東北の山稜を、月の光が煌々と照らしていました。月光に照らされた道を歩きながら、「放射能さえなければ、いつも変わらぬ三春町なのにねえ」とMさん。ある歌人が歌ったようにまさに「あるく銀杏。銀の夜(ある苦吟、難吟の夜と読みます)」のような銀色の月夜でした。
翌日は、田村市の常葉町というところで、広河さんの講演がありました。常磐町は、やはり奇麗な静かな町でした。放射能さえなければ、お落ち着いたとても住みやすい町に見えました。僕は、急遽、スタッフになって、駐車場の案内係。ものすごく暑く、第2駐車場までいっぱいになって、定員160名のところ、少なくとも100名はオーバーしていたのではないでしょうか?福島の人々が、苦しみ、不安に思って、本当のことが知りたいと思っている様子がひしひしと伝わってきます。
広河さんは、間違って福島を通過してしまう新幹線に乗ってしまって、仙台まで行ってしまい、一時間遅れの到着でした。広河さんを待っている間、若い人達が、「チェルノブイリの原発事故に学ぶ」と書いてある横断幕の飾りに、アニメ「ケイオン」のキャラクター(たぶんあずにゃん)が、「原発やめようよ」と言っている絵を貼っていました。僕は、予想される深刻の内容と若者に人気のカワイイ・キャラクターのミスマッチを面白く思うと同時に、また若者たちが可哀想に思いました。ああ、そうそう駐車場係をしているとき、Hさん親子にお会いしました。とても混んでいたので、帰るとのことでした。ゆっくりお話が出来なくて残念でした。
広河さんのお話の前に、企画したSさんが、この講演会の趣旨について語りました。Sさんとは、測定器47台プロジェクトの時、郡山でお会いしたのが最初でしたが、その7月には、6日ほど北杜市にも来てくれました。僕は、すっかりSさんのファンになってしまいました。そのSさんの凛としたスピーチ。
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広河隆一さん緊急福島講演 2011年9月10日
本日は、たくさんの皆さんにお集まりいただき、ありがとうございました。私は、障害を持つ人の支援、とりわけ原発事故に関しての正しい知識を持つために、利用者・職員にたいし、学習会を重ねております。しかし、正しい情報がほしいのは、うちの事業所だけではないと思いまして、今回みなさんにも呼びかけた次第です。
災害時には、他の人よりも早く準備をしなければならない障害を持つ人や要介護者などは、チェルノブイリ事故の時に、年金生活者とともに避難の対象者から外されたそうです。私は、福島のここでも、これを危惧して、障害を持つ当事者や家族に見てもらいたくて、今回の企画を考えました。
私たちはいま、基準のわからない「安全です」「ただちに人体に影響はない」という言葉の中で、疑心暗鬼に満ちた毎日を過ごしています。
目に見えない、匂いもしない、味もわからないこの放射能は、私たちに錯覚を覚えさせます。
私たちは、自分を育ててくれた故郷をとても愛しているので、原発事故はなかったことにして生きていきたいと強く願っています。いま、マスクをして町を歩くと奇異な目で見られます。まして田村市は、空間線量が低いので「何とかなるのでは・・・」と期待している人はたくさんいます。私もその一人です。
今までの科学の中で分かっていることは、人は8シーベルトの放射能を浴びると、ほぼ100%死亡するということです。
飯舘村に降った放射性物質は、500ミリペットボトル2本分くらいだとある人は話していました。計画的避難区域の飯舘村に降った放射線量はそのくらいの量なのか,と聞いた時その少なさにすこし驚きました。
先月7月の新聞発表では、やっと3号機に近づき放射線量を計ったら、ガレキが10シーベルトあったと書いてありました。10シーベルトの放射性物質を出す量とはどの位なの?皆さんどの位だとおもいますか?2グラムと書かれてありました。耳かきで2~3杯位?ですか?
私たち人間を100%死亡させる放射能の量は、2グラムにも満たない量であり、その大きさは花粉の10分の1くらいの大きさだそうです。すると、放射線総量として福島原発からは、どのくらいの量が出たのでしょうか?政府は総量の事実を発表していません。
科学者は、一度原子炉から出てしまった放射能は、その量を減らすことなく、洗い流しても海に流れ、焼却しても空に舞い上がると話しています。その放射能の一つセシウムの威力を半減するのに30年もかかる。10分の1になるまでには、100年かかるという。肉眼では見えない放射能は、1粒?ずつの力が、とてつもない破壊力を持つものだということを私たちは知りました。
いま私たちに求められているのは、事実を見ないで何もなかったことにするのではなく、私たちのかけがいのない毎日に、何が起きたのか、正しく受け止め、自分の頭で考え、行動することが求められています。
避難することは、逃げ出すことではありません。ましてや、福島が嫌いになったわけではありません。100年先の福島県の未来のために、生き延びる道を選んだのです。
ここに、とどまることは、原発に賛成したわけではありません。ましてや、放射能に強いわけでもありません。自分を育ててくれた故郷をこんなにも愛している自分の道を選んだのです。
しかし避難するにしても、とどまるにしても、私たちは大きなリスクを背負わされてしまいました。自然豊かな田村であるからこそ、死の灰をかぶった中で生きることは困難を極めます。
私たちの事業所は、避難する人にもとどまる人にも支援していきたいと模索しています。そして今、私たちの命を救ってくれている原発労働者に思いを馳せながら、何かできることはないかとも考えています。
真実を伝える人を非難してはいけません。非難される人は、原発事故が起きれば甚大な被害が出ることを知りながら、国策としてすすめてきた国と東電です。
私たちは今、国家的暴力の中にいます。わたしたちは、被爆者として怒りを持って抗議していいのです。しかし同時に、原発の実態に無関心と無自覚にエネルギーを使い放題使ってきた私たちも、生き方をかえなければなりません。
25年前に起きたチェルノブイリ原発事故が、これからのわたしたちの「フクシマ」に起きることです。広河さんが、何度も現地に足を運び目にしたものは、フクシマ原発に被曝した私たちに今、何ができるのかを教えてくれることと思っております。それでは広河さんよろしくお願いします。
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広河さんのチェルノブイリについてのお話は、福島の人にとっては、本当に不安で辛いお話だったに違いありません。それでも、みんな真実を知りたいと思って、辛くとも、本当のことを話してくれてありがとうという気持ちで聞いていたのだと思います。それにしても、僕がやはり思うのは、福島の人は、こんな目にまであって、辛抱強い、あるいは辛抱強すぎるということでした。もっと東電や日本政府をめちゃくちゃに非難したって無理ありません。駐車場がいっぱいなので、あっちへ回ってくださいというと、誰一人として不満を言わず、はい、分かりました、といいます。優しい人達だなあ、と思うと同時に哀しい。「日本人は、本当のことを聞いても決してパニックにはならないでしょう」と昨日の郡山での報告会で、誰かが言っていたのを思い出しました。
講演が終わるや、僕は、福島に向いました。岩田さんとはすれ違いでしたが、無事に福島で会うことができました。放射能測定所も見てきました。ホールボディカウンターもやってもらいました。セシウム137:171,7ベクレル。測ってもらたって何を意味しているのかわからないので、僕には、あまり意味なし。その夜は、岩田さんたちと一緒に、福島の駅前のホテルに泊りました。というのもそこに専門家会議に出席する外国の学者たちが泊まっているので、直接、公開質問状を手渡そうと夜通し、計画を練っているようでした。でも僕は、くたびれてさっさと寝てしまいました。岩田さんたちごめんなさい!!岩田さんたちがやっているものすごい事、僕には、ミッション・インポッシブルのようでした。翌朝は、福島医大前の抗議行動に参加して帰ってきました。5,60人の人が集まっていました。それにしても、「医学」とは、人の「いのち」を助けるための学問であるはずなのに、こんな政治的な国際会議を恥ずかしげもなく開催するとは、日本の学問というものも狂ってしまったように思えてなりません。100ミリシーベルトでも大丈夫という悪党が副学長をしている病院に誰が、診断をしてもらいにゆくのでしょうか?僕だったら、絶対にゆきません。
23日には、また野菜を持って福島を訪れようと思っています。他の地域の人が、福島の人たちが置かれている苦悩を、自分のこととして感じられるようになったあかつきには、日本もまた変わるのではないかと思います。長くなりました。読んでくれた人はありがとう。
(この記事は小川真弓さんかろ紹介によるものです。―編集部)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔eye1618:110919〕
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